第六話「Restart」
浸はすぐに、霊刀雨霧を鞘から引き抜く。
既に淀んだ、禍々しい霊力をその身に纏い、浸はクラックに対して身構えた。
「どうにかもってくださいよ……!」
自分を鼓舞するようにそう言って、浸は気を引き締める。古い時代に作られた霊具である雨霧は、刀そのものに霊力が宿っている。その霊力は長い時を経て淀み、ほとんど悪霊に近い状態なのだ。それ故、雨霧を用いて戦うことは悪霊を身体に憑依させたまま戦うのと同義である。
ただでさえクラックに憑依されていた浸にとって、雨霧を使うことはかなり酷なことだったが、それでも浸は気合で強引に戦うことを決めた。
「もういい……全員始末して、新たな身体を探しに行くまでだ!」
クラックの背中から、無数の触手が伸びて浸とハックに襲いかかる。
「ま、まずい!」
慌てるハックだったが、浸は動じない。雨霧によって霊力の増加した浸に、斬れない霊体はない。
全ての触手に反応し、浸は斬り落としていく。
「あの、生身だよね!? 生身なんだよね!?」
「ええ、生身ですよ」
全ての触手を斬り落とし、浸は振り向かないままそう答えた。
「その雨霧ってやつの力!?」
「いいえ、これは鍛錬によるものです」
「ゴーストハンターってすごいんだな……」
呆気に取られるハックだったが、すぐに気を取り直してクラックを見据える。
「よし、俺も負けてられないな!」
勢いよく駆け出し、ハックは続けざまに拳や蹴りを繰り出す。クラックはハックの猛攻に対応し切れず、触手を出す暇もないままダメージを受け続ける。
「図に乗るな!」
どうにかハックを振り払うクラックだったが、その時にはもう、浸が接近してきていた。
「――――はっ!」
勢いよく息を吐きながら、浸は雨霧でクラックを袈裟懸けに斬り裂く。クラックは血の代わりに緑色の体液を撒き散らし、その場でたたらを踏んだ。
「おりゃあッ!」
その顔面に、横からハックの拳が叩き込まれる。
二対一。それも超人ハックと、ゴーストハンター雨宮浸の二人だ。この二人を相手取るとなれば、クラック一体の力ではかなわない。
「かくなる上は……ッ!」
吐き捨てるようにそう言って、クラックは高く跳び上がると、天井を突き破って廃工場の外へと逃げていく。
「追いましょう!」
すぐに追いかけ始めた浸の後を、ハックが追い、その後ろを和葉とマクレガーが追いかける。
廃工場の外は開けた場所になっており、いつの間にかそこにはグリッチ達が何体も集まってきていた。
「げ、いつの間にこんなに!」
「私が呼び寄せておいたのさ……こうするためにな」
次の瞬間、集まっていた全てのグリッチ達がクラックの元へと集まっていく。
かつて様々なグリッチを喰らったクラックは、無数のグリッチのデータをその身に宿している。そのため、サーバーの再起動によって復元されている”以前喰らったグリッチ”に直接アクセスすることが出来たのだ。グリッチ自体、美須賀大学近辺……つまり町内に留まっていたため、集めることは容易い。
「そんな……集合霊に!」
集まったグリッチ達が、クラックを中心に形を成す。
それは、巨大なクラックだった。
見上げる程に巨大なクラックは、その巨体で一歩踏み出し、大地を揺らす。
「……早坂和葉! 核はわかりますか!?」
「……はい! えーっと……」
霊能力が総合的に高い和葉には、集合霊の中心部となる核の位置をすぐに見抜くことが出来る。一見巨大なクラックに見えるが、和葉は集中すれば霊の集合体として見ることが出来る。何十体ものグリッチで出来たクラックの身体のその中央に、核であるクラック本体がいた。
「真ん中です!」
「わかりました! ……秋場拓夫! 私が斬ります。あなたは剥き出しになった核をお願いします!」
「……わかった!」
浸の指示に頷き、ハックはハックドライバーを操作する。
『Program Break!』
電子音声と共に、ハックドライバーから右腕を伝い、光がハックの右足へと集中していく。そのタイミングを見計らって、浸は勢いよく駆け出し、クラック目掛けて高く跳ねる。
「はぁっ!」
掛け声と共に振り下ろされた雨霧が、クラックの身体を斬り裂く。そして核であるクラック本体が、一時的に顕になった。
その瞬間を、ハックは見逃さない。
「うおおおおおおおおおッ!」
浸と同じように、ハックも高く跳び上がる。そして右足をクラックに向けると、ハックの右足から白いケーブルが出現した。
それは凄まじい速度でクラックの核へ向かうと、そのまま張り付く。
「もう遅い!」
しかしそれと同時に、クラックの身体は再び元の状態へと戻る。しかしハックは、マスクの内側で不敵に笑った。
「いいや、間に合ってるよ! もう繋がった!!」
クラックの核とハックの右足は、もう”有線”で繋がっている。
クラックは逃れようがないのだ。
「うおおおお! 超・有線キック!」
叫んだ瞬間、ハックの身体はケーブルに吸い込まれるようにして消えていく。核に接続されたハックは一瞬だけデータの粒子となり、接続先の核へと光速の蹴りを放つ。
「がッ……あッ……!」
クラックが呻き声を上げた時には既に、ハックの蹴りはクラックの身体を突き抜けていた。
着地するハックの背後で、クラックの身体が崩れていく。集合霊は、核が除霊されれば集まっていた霊も一緒に消滅するのだ。
「……終わりましたね」
雨霧を鞘に収めつつ、浸はハックへと歩み寄る。
「……うん。終わったよ」
静かにそう答えて、ハックは変身を解除した。
クラックとの戦いを終える頃には、既に日は暮れ始めていた。
真っ赤な夕日に照らされて、浸と和葉は拓夫、マクレガーと向き合う。別れの時が訪れていることを、誰もが理解していた。
「ありがとう。君達のおかげで、ようやく我々も眠れそうだ」
マクレガーがそう告げた途端、和葉は思わず涙をこぼす。それは別れを惜しむ涙でもあったし、拓夫達の長い戦いが終わりを告げたことを喜ぶ涙でもあった。
「……和葉ちゃんの力は……優しいね。俺達のこと……わかってくれてありがとう。嬉しかったよ」
「やっと……やっと終わるんですね……全部」
「……うん」
泣きじゃくる和葉にそう答え、拓夫は今度は浸へ向き直る。
「ありがとう、おかげで今度こそクラックをデリートすることが出来たよ。それと……すいません、巻き込んでしまって。あと……敬語じゃなくて……」
拓夫の年齢は、浸は勿論和葉よりも下である。流れで敬語を使わないまま話してしまっていたことに拓夫が気づいたのは、戦いが終わった後のことだった。
「ああいえ、そのことはお気になさらず。ふふ、私からすればあなた方は大先輩ですよ。あのサーバーは、私達の歴史にとっては有史以前のものですから」
「……それ、全然実感ないんだけどね……ほんとにそんなに経っちゃったの……」
「我々のいた時代の現実は、完全に文明が崩壊していたんだ。ここまで復興するなら、千年どころの騒ぎではないぞ」
マクレガーがそう解説したものの、拓夫にはイマイチ実感はわかなかった。そもそも拓夫は、サーバーの外の世界をほとんど知らなかったのだから無理もないのだろうが。
「でも、繋がったんだね。俺達の時代から、次の時代へ。……っても、俺達の時代って、一旦途切れた感じするけど」
「そんなことはないさ。今、繋がったと思えば良い。数千年越しにようやく繋がるというのも、悪くないじゃないか」
「……そうだね」
感慨深そうにそう答えて、拓夫は深く息をつく。気がつけば、もう身体は透き通り始めていた。
「俺の守った明日……今日に繋がったかな」
「……繋がりましたよ。今ここで、しっかりと」
静かにそう言って、浸は手を差し伸べる。それをしっかりと握りしめて、拓夫は屈託なく笑った。
「俺が言うことじゃないし、浸さん一人にってわけじゃないんだけどさ……頼んで良いかな?」
「ええ、頼まれましょう」
「これから先のこと、頼んだよ。この時代のみんなをとりあえず代表して、浸さんが頷いてくれると嬉しい」
「……はい。おまかせください。この雨宮浸の名において。私の手の届く範囲で、誰かの明日を守りましょう」
「……うん、任せた」
拓夫は心底安心した表情でそう言って、穏やかに微笑む。その隣でマクレガーも、静かに頷いていた。
「拓夫さん! マクレガーさん……さ、さ……さよう、なら……っ!」
嗚咽混じりに別れを告げる和葉に、二人は手を振る。
消えていく二人を、浸と和葉はずっと見守った。ようやく本当の眠りにつく彼らを最後まで見送ってから、和葉はもう一度だけ涙を流した。
「……早坂和葉。今回は本当に迷惑をかけてしまってすいませんでした」
「迷惑だなんてそんな……。だって私、浸さんの助手ですから。いつだって助けます。それが私の仕事です」
「……ありがとうございます」
「あ、あ、でも! 仕事じゃなくても助けますからね!」
「ふふ、わかっていますよ」
慌てて言葉を付け足す和葉に微笑みつつ、浸は和葉と共に歩き出す。
「さて、まずは朝宮露子の元へ向かいますよ」
「……はい!」
一つ終わり、そしてこれからが始まる。拓夫とマクレガーの言葉を胸に、二人の今と、明日が始まるだろう。
沈んでいく夕日に終わりを見て、それから二人は明日を想った。