第四話「Reunion」
ヴィルスと呼ばれた怪人が、ハックへ襲いかかる。ハックはすかさず応戦し、最早注意は完全に和葉からヴィルスへと移っていた。
それを察してか、マクレガーはすぐに和葉の元へ駆け寄っていく。
「無茶をするんじゃない! 無事か!?」
「は、はい……なんとか」
「全く……つい拓夫を思い出してしまったよ」
どこか懐かしそうにそう言いながら、マクレガーはハックとヴィルスの戦いを見つめる。
「あの……ヴィルスって?」
「彼はかつて、拓夫と……ハックと敵対していたグリッチの変異体だ。既に倒されたハズだったが……まさか彼のデータまで復元されていたとは」
ヴィルスとハックは互角の戦いをしているかのように見えたが、よく見るとおされているのはヴィルスだ。ハックの繰り出す猛攻を、ヴィルスは受けきれていない。
前のめりになったヴィルスの腹部に、ハックの拳が直撃する。よろめくヴィルスに容赦なく膝を叩き込んでから、ハックは容赦なくヴィルスを殴り飛ばす。
「……おいおい、つまんないな」
ヴィルスはよろめきながら立ち上がり、そんな言葉をこぼす。
「お前が壊れたまんまじゃ……つまんないだろ!」
ヴィルスの両腕から、紫色の刃が伸びる。ヴィルスはハックに両腕の刃を繰り出すが、一撃も届くことはない。ヴィルスの動きは単調だったし、ハックの反応速度はヴィルスの想定よりも速かった。
ハックがヴィルスの右腕を掴むと、ヴィルスは強引に引き寄せる。そしてぶつからんばかりに顔を近づけ、ヴィルスは笑みをこぼした。
「懐かしいな、キスの距離だ」
「オ……レ……マモ……ナ……アシ……タ」
「ふざけんな。お前がそんなんじゃ、僕は何のためにここにいるのかわかんないだろ」
冷えた声音でそう言うと、ヴィルスはハックの懐に左腕の刃を突き刺す。
一瞬ハックはよろめいたが、強引に立て直してヴィルスを弾き飛ばした。
「がッ……!」
和葉には、ヴィルス自身がそもそも強い霊には見えなかった。今にも消え入りそうなのを、なんとか持ちこたえて無理に動いているようにさえ見える。
「……なんで、こんな……」
「秋場拓夫ォッ! 僕を、僕を思い出せ! 僕は……お前を忘れていないぞ!」
自分に発破をかけるように叫び、ヴィルスは立ち上がり、ハックへ向かっていく。そして組み合うと、ヴィルスはハックに対して必死に声を投げかける。
「僕達にはこれしかない! これしかなかっただろ! なのに……今は、君の声が聞こえない」
ヴィルスのそんな悲痛な声を、和葉はもう聞いていられなかった。
ヴィルスのこともハックのことも、和葉自身はよく知らない。しかし、和葉の霊感応が秋場拓夫と冬馬春彦を理解させる。
いつ終わるとも知れないサーバーの中で、グリッチに変異した冬馬春彦は世界から消えた。
「最後まで、思う存分付き合ってくれるんじゃなかったのか!?」
冬馬春彦の意識を残したまま、冬馬春彦としてのデータがサーバーから消失し、一種のバグとして残ってしまった。そんな春彦は、もうあの世界では誰からも認識されなかった。
同じ特異点である、秋場拓夫やマクレガーを除いて。
「お前が僕を認識して、僕がお前を認識する! 僕らは互いに互いの居場所だったハズだろ! それを……お前だけ、忘れやがって!」
ヴィルスの必死の一撃は、もう悲しすぎる程に弱々しい。ハックにはもう、ダメージさえ与えられない。
「どうして……こんなっ……!」
秋場拓夫もまた、春彦と同じだった。ハックとして自分のデータを改竄し続け、最後には秋場拓夫という存在が世界から消えた。それでも彼は戦い続けた。もう自分のことを認識すらしない誰かのために。
そして秋場拓夫は今も、戦い続けている。
意識すら失っても尚、秋場拓夫はハックとして戦い続けている。
誰かの明日を、一秒先を守るために。そのためだけに。
だから今も、止まらない、止まれない。
「秋場拓夫ォォォォォオオオ!」
絶叫するヴィルスの拳を受けて、ハックは僅かに動きがブレる。しかしすぐに、ハックの拳がヴィルスをその場に崩した。
『Program……Break……』
ノイズ混じりの電子音声が、ハックの右腕の装置から流れる。ハックの右足にエネルギーが集中し始めた。
「ッ……!」
もうヴィルスの身体は限界だ。逃げることさえかなわない。
ハックがゆっくりと構える。その瞬間、早坂和葉が飛び出した。
「もう、やめてください!」
回し蹴りを放つ直前、二人の間に割って入った和葉がハックに正面から飛びつく。
その大きな瞳からボロボロと涙を流しながら、和葉はハックを必死で止めた。
「もう……! もう、良いんです! 終わったんです……!」
「何だ……お前……?」
困惑するヴィルスと、停止するハック。それをマクレガーは、固唾を飲んで見守っていた。
「拓夫さんはもう……十分戦ったんです! もうこれ以上、拓夫さんだけが戦う必要なんてない!」
本当はハックを味方にして、浸を救い出したかった。だがこんな姿を見て、あんな経緯を知って、和葉はハックに戦ってくれなんてもう言えなかった。
秋場拓夫の魂を眠らせてあげたい。
誰かのために身を滅ぼしてまで戦い続ける彼を、休ませてあげたい。
見てしまった。知ってしまった。
秋場拓夫の絶望も、恐怖も、孤独も。
「あなたは……マクレガーさんが消滅した後も、ずっとグリッチと戦っていたんですね……」
秋場拓夫よりも先に、マクレガーは一度消滅していた。グリッチとの戦いに巻き込まれ、唯一の相棒を拓夫は失っていたのだ。
「もう良いんです……あなたは十分戦って……守ったんです……だからもう……終わりにしてください」
「オレガ……マモラナキャ……ミンナノ、アシタ……オレガ……」
「もう良いんですよ……」
「オレニシカ……デキナイ……マモラナキャ……」
壊れたマスクの向こうから、一筋のしずくが落ちた。それに重なるように、和葉の涙が落ちる。
「ありがとう……ヒーローさん」
決して秋場拓夫は、和葉を守ったわけではない。生まれた場所も時代も違う、縁の遠い二人だった。
それでも和葉は見てしまった。秋場拓夫を知ってしまった。だからだろうか、思わずありがとうなんて言葉が漏れたのは。
「リ……オ……」
誰かの名前を呟いて、ハックの身体は力なくうなだれる。そして静かに、彼の身体はハックのスーツから、秋場拓夫へと戻っていった。
その姿を見て、和葉は驚きを隠せない。
秋場拓夫は、至って普通の少年だ。それも同世代の他の少年よりも華奢な部類だ。
「……俺……は……?」
静かに、拓夫が口を開く。
「拓夫!」
すかさず駆け寄ってきたのは、マクレガーだった。
「え、ま、マック……? き、消えたんじゃ……」
一度マクレガーを見て驚いてから、拓夫は和葉に気づいて更に驚いた。
「あ、あの……君は……?」
「えーっと……」
このまま成仏すると思っていた和葉は、戸惑いながら拓夫からとりあえず離れる。まずどこから説明すれば良いのか、和葉はよくわからなくて困惑する。
「……冬馬君」
そして拓夫は、倒れているヴィルス――――冬馬春彦に目を向ける。
もう彼はヴィルスの姿を保つことが出来ず、冬馬春彦という少年の姿に戻っている。そんな彼に歩み寄り、拓夫は泣き出しそうな顔で見つめた。
「……よせよ、そんな顔」
「…………聞こえたよ……」
「は……?」
「君の声。聞こえた気がするんだ……冬馬君の声が聞こえて、その後だよ、女の子の声が聞こえたのは」
春彦の言葉は、無駄ではなかった。
確かに拓夫に届いていた。
「……寒いこと言うな、相変わらず」
「君も相変わらずだね」
屈託のない笑みを浮かべる拓夫に、春彦は満足げに笑みを浮かべる。もう、上辺を取り繕う気力も、春彦にはなかった。
「あーあ……なんか僕、これで満足してるらしいよ」
少しずつ、春彦の身体が薄れていく。未練を晴らした霊が、成仏していくサインだと和葉にはわかった。
「ありがとう、冬馬君……俺は、君のおかげで……」
「よせよ。それにそろそろ、冬馬君だなんて他人行儀はやめてほしいね」
少し照れくさそうにそう言った春彦に、拓夫は目を丸くする。そしてゆっくりと手を差し伸べた。
「ありがとう、春彦」
「ばいばい拓夫……これで最後だ」
その言葉を最後に、冬馬春彦はこの世から姿を消した。