第三話「Return」
マクレガーと名乗った男が悪霊ではないことを、和葉も露子もすぐに見抜いた。そして和葉には、敵意も悪意もないことまでわかる。露子は少し警戒していたが、和葉はすぐに警戒を解いた。
「ひとまず、話だけでも聞かせてもらえませんか?」
「ちょっと何考えてんのよ!」
「この人、悪霊じゃありません!」
「霊は霊よ!」
「君達に危害を加えるつもりはない。信じてくれ」
二人に割り込むようにマクレガーがそう言うと、露子はキッと睨みつける。
「霊は信じないわ」
「私だってそうだ。信じたくなかったが、こうして霊という存在になってしまった」
マクレガーは苦い顔でそう言って、和葉に促されるままソファに座り込む。
「それでその……戦友さんって?」
「ふむ……どこから説明したものか。まずは私と彼が何者なのかを話すべきかも知れない」
「まどろっこしいわね」
ムッとしたまま指摘する露子をひとまずスルーしたまま、マクレガーはゆっくりと口を開く。
「私のデータは元々……いや、ここでは魂と言っておこうか。魂はあるサーバーの中に保存されていた」
マクレガーがそう言った瞬間、今まで適当に聞いていた露子がピクリと反応を示す。和葉も、先程の事件との関連性を示唆して真剣に耳を傾けた。
「彼もまたその一人でね。恐らく私達はもう随分と長く眠りについていたようだ。まさか人類が今、これほどまでに栄えているとは思わなかった……感動したよ。もう流す涙も私にはないがね」
「……じゃあアンタ、あのサーバーから目覚めたってワケ?」
「そういうことになる。私としても信じ難いのだがね。まさかあのサーバーが再起動するとは思わなかったし、我々のデータの残骸が、まだこうして復元出来る程残っているとも思わなかった」
マクレガーの言う通りなら、彼は東善九郎の発掘したサーバーに保存されていたデータで、再起動した際に復元され、こうして霊として現れたということになる。そもそもサーバーの中に人間がデータとして保存されている、ということが信じ難かったが話の筋は通っている。
「……もしかして、あの虫の姿をした悪霊のことも知っていたりしますか?」
半ば当てずっぽうで和葉が問うてみると、マクレガーは小さく頷く。
「もしそれが私と同じあのサーバーから発生したのであれば……グリッチのことだろう。奴らはあのサーバー内で破損したデータが変質した姿だ」
「それって、霊が変質して悪霊になるのとは違うんですか?」
「わからない。グリッチと霊は元々似て非なるものだ。出来ればじっくり調べたいが、そういう余裕は恐らくないだろう」
あのサーバーもその中のデータも、この時代にとっては完全な異物だ。同じ道理で語ることは難しいのかも知れない。
「とにかく、こいつのおかげでだいぶ状況が飲み込めてきたわね。浸に取り憑いたのも、恐らくあのサーバーの中にいた奴よ」
浸に取り憑いた霊、グリッチと呼ばれる怪物、ある程度点と点が繋がりつつある。
「……あの白い亡霊もグリッチってやつなの?」
「白い亡霊?」
「ロボットみたいな奴よ」
「……いや、恐らくそれはグリッチではない。彼が私の戦友だ」
あの時、浸に襲いかかった白い霊。どうやらアレが、マクレガーの言う戦友らしい。
「私は君達に、彼の魂をゆっくり眠らせてやって欲しいのだ。霊能事務所だろう? ここは」
「はい、ですが……」
ここの所長である雨宮浸は今いない。正体不明の霊に身体を奪われ、良いように使われている真っ最中だ。
「所長が不在よ。あたしらはまず、あいつを助けないと……っつ……!」
そう言いながら身体を起こす露子だったが、傷が痛むのか起き上がれない。
「無理です! そんな身体で!」
「そんなこと言ったって、今はあたしが戦うしかないでしょうが!」
和葉だけの力では、恐らく今の浸は助けられない。しかし負傷した露子では、まともに戦うことは出来なかった。
「どうすれば……」
そこで和葉は、一つ思いつく。一か八か、賭けのような判断だが、試して見る価値はある。
「……マクレガーさん。あなたの依頼、私が受けます」
「は!? ちょっとおとぼけ!」
「でもその代わりに、お願いがあります」
真剣にマクレガーを見据え、和葉がそう言うと、マクレガーは静かにうなずく。
「良いだろう。今の私に出来ることは少ないが……出来る範囲で聞こう」
「あの白い戦友さんは……まだ悪霊化していません。もしあなたの味方なら……力を貸してもらえませんか? 彼の力を」
思いがけない和葉の提案に、その場は一度静まり返る。
露子はその思いも寄らない発想に、驚いたまま口を挟めなかった。
「確約は出来ない。だがしかしもし……もし、彼が正気に戻るのなら……彼は喜んで君に手を貸すだろう」
「本当ですか!?」
「ああ、彼はそういう男だ」
「じゃあ……」
「交渉成立だ。問題は彼に、我々の言葉が届くかどうか、だ」
マクレガーはそう言いながら立ち上がる。
「見たところ、時は一刻を争うようだ。彼を捜しながら話そう」
「はい!」
和葉もすぐに立ち上がり、浸の刀と、武器の入ったトランクケースを持ってマクレガーと共に事務所から出て行こうとする。
「ちょっと! ほんとに大丈夫なの!?」
「……わかりません。でも」
振り向かないまま、和葉真剣な声音で露子に答える。
「何もかも、このままには出来ません。私、行ってきます」
それだけ言い残し、和葉はマクレガーと共に事務所から出て行く。その背中を見つめながら、露子は深くため息をついた。
「所長も所長なら助手も助手……ほんと無茶するわね。でも……頼んだわよ」
動けない自分に苛立ちつつも、露子は和葉へ託すことを決めた。
和葉はある程度、霊の気配を察知出来る。そのため、霊のいる場所といない場所はなんとなく理解出来るのだ。
特に今回の場合は特殊な霊なため、近くにいればすぐにわかる。和葉の力があれば、マクレガーの戦友と呼ばれる男を見つけ出すのは大して難しいことではない。
「彼は元々、ただの少年だった」
歩きながら、マクレガーは語り始める。
「正義感が強いだけの、どちらかといえば弱い方に分類される少年だったよ。出会った時は気弱そうに見えた」
懐かしそうにじっくりと、マクレガーは戦友のことを語っていく。一つ一つの言葉を惜しむように、マクレガーは彼を想いながら言葉を続ける。
「だが彼は、最後まで戦い続けてくれた」
「戦い続けたって……何とですか?」
「グリッチだよ。君の言う、虫の姿をした怪物のことさ」
和葉からすれば、それはゴーストハンターのようなものに思えた。浸や露子のように、悪霊になった霊と戦うゴーストハンター。マクレガーの戦友も、ゴーストハンターのように戦い続けたのだろう。霊ではなく、グリッチと呼ばれる怪物と。
「我々の保存されていたサーバーは、もう長くなかった。予備電源も底をつき、いつ世界が終わるともわからない状態だった。それこそ、すぐ明日にもね」
「そのことって、戦友さんも知ってたんですか? 明日にもサーバーが終わるかも知れないって」
「ああ」
「それじゃ、戦う意味なんて……」
「なかったよ。だけど彼は戦い続けた」
もし明日世界が終わるのだとしたら、きっともうどんな戦いにも意味はなくなるだろう。何をしたって終わる世界なら、何もしなくて良い。そんな風に思えてしまう。
「どうして……」
「サーバーの中にいる人達の、明日を守るためさ。明日を、一秒先を、その瞬間瞬間を守るために」
「明日を……守る……」
一秒先を、瞬間瞬間を。
明日全てが終わるとしても、その瞬間まで誰かを守りたかった。誰かの一秒先を守りたかった。それがマクレガーの戦友が出した答えだったのだろう。
それはひどく険しい道だ。終わるとわかっている世界を守るというのは、どんな気分なのだろう。どれだけ考えたって、和葉にはわからない。
「いずれ終わるからと言って、目の前の誰かが傷つくのを見過ごせなかったんだよ。彼はね」
懐かしむようにそう言うマクレガーは、その戦友に思いを馳せているように見えた。どこか遠くを見ているようなマクレガーに、和葉は問う。
「戦友さんの、名前は?」
「秋場拓夫だよ」
秋場拓夫。その名前をしっかりと胸に刻み込み、和葉は霊の気配を捜してまた歩き始めた。
感覚を頼りに歩いていると、和葉はとある廃工場へとたどり着く。そこだけ異様に霊の気配が濃いのだ。
用心しながらマクレガーと共に近づいていくと、廃工場の中にグリッチと思しき霊がいるのを見つけることが出来た。
しばらく物陰からグリッチの動向を観察していると、突如廃工場の中に、白い霊が現れる。あの時、取り憑かれた浸に襲いかかった霊と同じ霊である。その姿を見て、マクレガーは思わず声を上げた。
「ハックだ」
「ハック? あの霊、ハックって言うんですか?」
「ああ。所々ボロボロになっているが、アレはハックだ。私の開発した強化スーツで……着ているのは、拓夫だ」
ハックと呼ばれた白い霊は、ゆらりとグリッチに接近すると、即座に襲いかかる。そこからは一方的な戦いで、ハックは瞬く間にグリッチを叩きのめし、やがて消滅させた。
「やはり……正気ではないようだな。サーバーが終わる直前から、彼に意識はほとんどなかった。度重なる変身が、彼のデータを完全に破損させてしまったからだ」
「だから、私達に依頼を……」
しかしそんな会話は長く続かない。二人に気づいたハックは、すぐにこちらへと駆け出してくる。
一応用意しておいた弓を取り出して、和葉は迷う。簡単に出来るとは思えないが、目的が除霊ではない以上、攻撃すべきかどうか判断しかねる。しかしこのままでは、暴走しているハックの攻撃を受けて和葉やマクレガーが無事ではすまない。
(だけど……私がやらなきゃ……!)
今、浸はいない。依頼を受けたのは和葉だ。自分で依頼を受けた以上、最善を尽くすのは和葉自身でなければならない。
ハックに、秋場拓夫にマクレガーの声を届けるためには時間が必要だ。
どれだけやれるかわからないが、和葉がハックと戦って時間を稼ぎ必要がある。
「マクレガーさん、お願いします! 私が時間を作りますから!」
「待ちたまえ! 危険だ!」
「承知です! 承知で、そうするんです!」
意を決して和葉は飛び出し、駆けてくるハックと正面から向き合う。
「オ……レガ……ヤ……キャ……ミ……アシ……ル……」
駆けてくるハックから、跡切れ跡切れの言葉が聞こえてくる。しかしそれをかき消すように、横から別の声が飛び込んできた。
「ねえ、遊ぶんなら僕が先だろ?」
その声に、ハックは足を止める。
廃工場の中に入ってきたのは、一人の少年だった。彼はハックを見てニヤリと笑うと、その姿を歪に変質させ始めた。
「……馬鹿な! まさか彼は……!?」
マクレガーが驚愕の声を上げる頃には既に、少年の変化は終わっていた。その姿は一見グリッチにも見えたが、その姿から虫を連想することは難しい。その黒い身体には、紫色の触手のようなものが無数に絡みついており、それは頭も同様だ。そして包帯のように巻き付いた触手の隙間から、丸い真っ赤な目がハックをジッと見つめていた。
「また会えたね、ヒーロー」
「ヴィルス……!」
マクレガーがヴィルスと呼んだその怪人は、ゆっくりとハックへ歩み寄って行った。