第二話「React」
食事を終えた和葉と浸は明日子と共にゆったりとした時間を過ごしていた。テレビを見ながら談笑し、食後のデザートにプリンを食べたりなどしつつ、実に穏やかな時間に身を委ねていた。
しかしそんな中、浸の携帯から着信音が鳴り響く。慌てて確認すると、相手は朝宮露子だった。
「はいもしもし、雨宮霊能事務所です」
『浸! 今すぐ美須賀大学まで来て! 急いで! 今すぐよ!』
思わず事務所の固定電話と同じ対応をしてしまう浸だったが、そんなことにつっこんでいる余裕は露子にはない。
「……わかりました。今すぐ向かいます」
会話はそれだけだったが、浸はすぐに露子が今どれ程緊急事態なのかをなんとなく察する。
「早坂和葉。朝宮露子が緊急事態です。私は今すぐ美須賀大学に向かわなければならないので今日はこれで……」
「私も行きます!」
「ですが今日は休日で……」
「私は浸さんの助手です。浸さんが行くなら、休日でも行きます……!」
和葉はもう、一歩も引く気はない。悩んでいる時間もなかったため、浸は半ば諦める形で和葉を連れて行くことを決める。
「わかりました。ではよろしくお願いします!」
「はい! それじゃお母さん……私、行ってくるから!」
「はいはい、怪我しないようにね~」
「うん!」
和葉は頷き、浸は礼儀正しく挨拶をしてから出て行く。そんな背中を見つめつつ、明日子は感慨深げに微笑んだ。
「和葉……頑張ってね」
途中でタクシーを拾い、二人は慌てて美須賀大学までたどり着く。敷地内に入った時点で、二人はその光景に驚いた。
「嘘……なんでこんなに!?」
「早坂和葉! 援護を頼みます!」
「は、はい!」
正門の先、講堂前では何体もの悪霊が露子や生徒に襲いかかっていた。露子は二丁の拳銃を駆使して生徒を守りながら戦っているが、露子一人では到底カバーし切れない。すかさず浸は青龍刀で切り込んでいき、その後ろから和葉が弓矢で援護する。
「すみません! 遅くなりました!」
「いつまで待たせんのかと思ったわよこのバカ!」
浸が接近戦で引き付け、露子と和葉が後方から援護する。この形式が出来ただけでかなり戦闘はスムーズになり、逃げ遅れていた学生達もなんとか逃げることが出来るようになっていた。
「逃げてください! はやく!」
なるべく悪霊達とは距離を取りつつも、学生の救助を優先しながら和葉は動く。
(なんだろう……変な感じがする……)
そして露子と同様に、和葉は悪霊達に違和感を覚えていた。
ここにいる悪霊達は全て変質しており、既に異形の姿となっている。そのどれもがムカデや蛾、カミキリムシなど虫の姿を模しているのだ。そして和葉が最も違和感を覚えたのは、負の感情がほとんど感じられないことだ。
悪霊というのは本来、負の感情に支配されて霊魂が淀んでしまった存在のことを指す。しかし今ここにいる悪霊からは、まるで何も感じられない。完全に支離滅裂になっている怨霊ともまた違うのだ。そもそも、本当に悪霊なのかさえ疑わしい。
(でも、悪霊じゃないとしたらあの姿に説明がつかない……!)
仮に悪霊でないとすれば、あの姿に変化した理由がわからない。もし、変化さえしていないのだとしたら……? そう考えると、和葉は身震いしてしまいそうな程恐ろしく思えた。
戦闘は十数分続いたが、無事に全てを除霊することに成功する。浸も露子も、和葉も疲労していたものの、どうにか危機は脱したようだった。
「浸……今回のあたしからの依頼料、色つけとくわね。ほんとに助かった」
「ふふふ……それは助かりますね。早坂和葉に沢山ご馳走出来ます」
そんなことを言えばすぐに和葉が反応するだろう、と浸と露子は思っていたが、意外にも和葉は黙って考え込んだままだった。
「……どうしたのよおとぼけ」
「……あ、いえ……その、さっきの悪霊、なんだか変だと思いませんか?」
「そうね……。よくわかんないけど、いつもと違ったわね。なんかあっさりしてるっていうか」
「ですよね。なんというか、感情がなかったような……」
霊感応を不得手とする浸にはピンと来なかったものの、和葉も露子も先程の悪霊達に同じ感覚を覚えている。しかしゴーストハンターとしての経験が豊富な露子にも、その正体はわからずじまいだった。
「……とにかく、依頼人のとこ行かないとだったわ。二人はもう帰っても大丈夫よ」
「いえ、そういうわけには……」
「お願いだからそーして! これ以上アンタらに仕事されたらプラマイゼロになりかねないし、タダ働きさせるのはあたしの性に合わないから帰って!」
露子なりの矜持なのだろう。強引に二人を帰らせようとする露子は、とうとう財布からタクシー代を出し始める。そんな中、三人の元に歩いてくる男がいた。
「あ、ちょっとまだ危ないから出てこないで……って、東さんじゃない」
こちらに歩いてきたのは、露子の依頼人である東善九郎だ。
「え、東さんってあの東さんですか!?」
「そうよ。今回ここで幽霊騒ぎがあって、研究の邪魔になるから調査してほしいって依頼が来たのよ。ねえ?」
歩み寄ってきた善九郎に露子はそう声をかけたが、善九郎は黙ったまま露子を見下ろす。
「……何よ?」
「お前は若過ぎる」
善九郎はそんなことを言い放つと、いきなり露子を右手で振り払う。
「はぁ!?」
突然のことで受け身も取れず、その場に尻もちをついた露子は善九郎を睨みつける。しかし善九郎はそれを相手にもせず、浸と和葉を順番に見つめた。
「そっちのお嬢さんはか弱すぎるな……。やはり君が一番好ましい」
そう言った善九郎の目は、真っ直ぐに浸へと向けられている。
「それはありがとうございます。ですが、私を褒めるのでしたら早坂和葉を貶す必要はなかったのではないでしょうか。そして何より、朝宮露子へ乱暴したことを謝罪していただけませんか?」
浸はやや怒気を込めてそう言ったが、善九郎は応じない。
「――――浸さん! その人!」
そして和葉は、東善九郎の異常にすぐに気づいた。
「早坂和葉?」
しかしその時にはもう遅い。東善九郎の身体から、紫色のモヤが現れ、勢いよく浸の口の中へと飛び込んでいく。咄嗟のことで反応出来なかった浸の身体に、紫色のモヤが完全に入り込む。
「浸!?」
「浸さん!」
浸はしばらく黙り込んでいたが、やがてその目がギラリと光る。そしてまるで別人かのような表情で笑みを浮かべ、確かめるようにその両手を握りしめる。
「なるほど……中々鍛えられた身体だ。生命力に満ち溢れている。当面はこの身体で良いな」
「……ちょっと待ちなさいよ! 誰よアンタ!」
すぐに露子が拳銃を向けると、浸は僅かに鼻で笑う。
「撃てる性格には見えなかったが」
「は? 馬鹿にしてんの?」
「感想を述べたまでだ。違ったなら謝ろう。撃ってみたまえ」
そう言って浸は大きく手を広げて見せるが、当然露子には浸の身体を撃つことなど出来なかった。
「誰なんですかあなた……! 浸さんの身体から出て行ってください!」
「そうは言われてもな……。そこの小汚いおっさんの身体では活力が足りん。それに比べてこの身体のなんと動かしやすいことか……これで男なら完璧だったな」
そう言い放った浸を、和葉は睨みつける。
この浸は、雨宮浸ではない。東善九郎に乗り移っていた霊が、今は浸の身体に乗り移っているのだ。
「……さて、私はしばらくこの浸とかいう女の人生を借りることにするので……」
平然とそんなことをのたまいつつ、浸はゆっくりと青龍刀を構える。
「君達は邪魔だ」
そしてすぐさま、和葉目掛けて駆け出した。
「っ……おとぼけ!」
浸の身体に対してどう対応すれば良いのかわからず困惑する和葉に、浸の青龍刀が迫る。しかし振り下ろされるその直前、露子が割り込んで和葉をかばう。
「――――つゆちゃん!」
「かっ……!」
背中を袈裟懸けに斬られ、露子は血反吐を吐きながらその場に倒れ込む。そんな露子を見下ろしながら、浸はどうでも良さそうに頬の返り血を拭って見せた。
「順番が変わったな」
「つゆちゃん! ……つゆちゃん!」
「まあ良い。これで終わりだ」
浸がニヤリと笑い、青龍刀を振り上げたその瞬間だった。
「む……?」
浸はピクリと反応し、振り返る。するとそこには、浸に対して殴りかかる正体不明の白い霊がいた。
浸はすぐにその霊の拳を青龍刀で防ぐと、すぐにその表情を怒りで歪める。
「まァだ邪魔をするかァ……超人!」
超人と呼ばれた霊は、浸の言葉に答えない。ただ淡々と、浸に対して攻撃を繰り返す。
「あの霊は……一体……?」
この霊も変質した悪霊に見えるが、さっきまでの悪霊同様、負の感情が感じ取れない。白を基調とした、メカニカルなデザインのその姿は、霊というよりロボットや特撮ヒーローに近い。だが所々が破損しているようにも見える。全身ボロボロで、頭部のマスクは割れているが、中の顔はよく見えない。
とにかく今は、この隙をうまくつく必要がある。和葉はすぐに傷ついた露子を背負うと、一目散にその場から逃げ去った。
浸から逃げ切り、和葉はなんとか雨宮霊能事務所へたどり着く。気絶した露子をソファに寝かせ、すぐに応急処置を始める。
「……浸さんが……」
雨宮浸の身体は、正体不明の霊に乗っ取られた。考えれば考える程気分が落ち込んでしまうため、とにかく今は何か作業がしたかった。
一通り応急処置を終えて一息つくと、気絶していた露子が目を覚ます。
「っつ……」
「つゆちゃん!」
「あー……声デカいわよ、大丈夫生きてるから」
どうにか身体を起こし、露子はため息をつく。
「……ごめん、気絶してた」
「そんなの良いです! つゆちゃんが無事なら……」
「傷……浅かったでしょ?」
「……はい、見た目よりは……」
「とは言っても……もう戦闘はキツいわね……もう何がなんだか……」
目まぐるしく状況が変わってしまったため、露子も和葉もついていけてない。
そしてそんな二人に追い打ちをかけるように、一体の霊が事務所に近づいてきているのを和葉は感じ取った。
「……霊が近づいてきています」
「は? 今?」
「……はい。でも、悪霊じゃないみたいです」
「さっきの白いやつじゃないでしょうね?」
「……多分、違うと思います」
二人共一応身構えていたが、事務所の中に入ってきたのは三十代くらいの男性の霊だった。体格は良く、顔立ちは西欧風だ。
「君達に頼みがある」
その男は、耳に心地良い低音でそう言い、静かに頭を下げる。
「私の名はマクレガー。急ですまないが、頼みを聞いてくれないだろうか?」
「……な、なんですか……?」
恐る恐る和葉が問うと、男は――マクレガーはこう答える。
「……私の最愛の戦友の魂を……救って欲しい」