閑話 二人の王女
イリスイスはその日、カインとの初の教育を終えてとある場所に向かっていた。
夕日が空を濃くしていく中、部屋の前に辿り着くとノックする。
「良い、入れ」
許可を得て扉を開けると、そこには兄であり王位継承権一位のラディアント兄様が執務をしている真っ最中だ。
濃淡な色をした木の机に一杯の羊皮紙を広げている。
ペン片手に格闘するラディアント兄様は入って来た私に一瞥することなく、執務に集中していた。
「少し待て、すぐに終わらせる」
そう言って少し時間が経った時、手を止めて上半身を仰け反らせる。
天井に顔を向け、疲労の溜まった両目を優しく揉み解す。
マッサージも両手で数えるほどの短い時間で終わり、すぐにイリスイスの話を聞く姿勢を取る。
羊皮紙を机の隅に片付けた。
「時間を取らせて済まない」
「大丈夫です。それで呼ばれた用件というのは?」
「カイン、影の王からの教育を受けてどうだったかを教えてほしい」
今日は何をしたか、包み隠さず話す。
時間的にはそうかからなかった。
ラディアント兄様は頷き、時折ほお~と感嘆の声を漏らす。
「中々良い体験が出来たようだな」
全ての話を聞き終え、ラディアント兄様は感想を述べる。
それは心の底から思ったことだ。
最強の暗殺者と謳われる男と戦う、というのは騎士としてはかなり貴重なものだ。
「はい。非常に良い体験が出来たと思います」
「そうか、それは何よりだ」
ラディアントは妹のその言葉を聞いて、安堵の気持ちが身体全体に浸透していく。
影の王の憎しみ。それは消えないだろう。
幼少の頃から憎んでいたのは知っていた。だからこそ、今回の事でどのような心境の変化をもたらすのか気になっていた。
イリスイスは嘘を付くのが苦手だ。隠そうと仮面を被っても声のトーンや雰囲気、あとはいつもとは機微な変化。それを見逃しては王族を名乗れない。
国王である父はそこの所が全く以って出来ない。無能と言っても良い。それは周知の事実だ。
なら何故王の座から辞されていないのか? その理由は一言に尽きる。
慕われているから。
昔、私がまだ学生の頃はこの国は暗黒期と言えた。
王の席が空席となり、それを争うのが父の親族。最後は共倒れし、残った王に興味などなかった父。
それは私が生まれる前の話。
私が生まれてからというもの、王の座を争ったことで亡くなった王族に着いた貴族一族は処刑された事で、国として猫の手も借りたいほどに忙しかった。
その光景を私は小さい時から見ていた。だから私は父の為に、一緒に働きたいという気持ちでここまで来た。王になる気はなかったが、父を楽にさせたいという気持ちも僅かながらある。
「──様、兄様?」
名を呼ばれ、ふっと思考の奥底から意識を浮上させる。
「すまん、少し考え事をしていた」
「少しお聞きしたいのですが、ここ最近リーフェレール姉様を見ないのですがどこにいらっしゃるのでしょうか?」
「今は国境沿いの町にいる」
一番上の姉、リーフェレールは騎士団に所属する騎士であり今は少しばかり面倒な仕事をしている。
距離も離れているため、帰ってくるのにも時間がかかる。
「帝国が色々と怪しい動きをしているらしい」
「帝国が……」
帝国と森で一戦交えた事で、色々と思うことがあるのだろう。
「戦争になると思いますか?」
「ならなくてほしい、というのが本音だな。しかし、なるときにはなるものだ」
妹達に戦争を経験させたくない、という思いがあった。
どうにかしなくては。
その思いだけが残る。
「イリスイス、もう戻っても良いぞ」
彼女の恰好を見た。すぐに呼ぶように伝えたせいで、騎士の鎧を身に着けたままだ。
そのままでは夕食の場に向かうのに少し時間がかかる。
戻っても良い、という言葉を聞いてイリスイスはホッとした。
稽古を終えて、すぐにここに来た。汗だってでるし、匂いだって気になる。
騎士ではあるが、一人の女性だ。兄と会うと言ったって、身嗜みは整えたいものだ。
「いや、特にない。下がってよい」
「では失礼します」
軽く会釈をし、部屋から出て行った。
フィラルシアにとって、食事だけが唯一家族と会える大切な時間だ。
一人前の貴族になるため、早い時から一人で暮らすことになる。
寂しい、と思う事はある。けれど、側使えの皆もいるからあまり寂しくはない。
それに、お茶会などで家族とは会ったりする。が、それもここ最近は少なかった。
原因は一つ。誘拐されたから。
そのせいで今まで護衛していた騎士は責任を取って降格。別の騎士が護衛になったのだが、それが今になっては嬉しい。
だって、非常に楽しい物。
ただ、もう誘拐されることはないと思うのだけど周りはそう思ってはいないらしい。
ラディアント兄様が言うには、この城に入るために誰かが手引きをしているはず。それを見つけるまでは要警戒だ。
手引きした人間は誰か分かっているようで、騎士の人は護衛以外滅多に合わせてくれない。
だから騎士の人だと思うのだけど……。
見つかるまでは離宮で暮らすことになる。
「何やら寂しいという顔をしていましたが、どうしましたか姫様」
私の後ろを歩いているゲイルバッハがそんな事を言う。
おかしい。後ろにいるのにどうして顔が分かるの?
ゲイルバッハは昔から空気を読むのが上手い。だから分かるのだろうか。
色々と突っ込みたい所はある。
「そうかしら? 気のせいではない」
慌てて緩んだ仮面をもう一度付け直す。
婦女たるもの、感情を見せるのは三流。仮面を付けて二流。付けて尚違う感情を見せてこそ一流なのだ。
まあ、これは大人は出来て当然なのだけどまだ難しい。
感情が出てしまう。頑張らないと。
「しかし、前とは違って大分賑やかになりましたね」
空気を変えるため、ゲイルバッハは話題を出してくれる。
今日の出来事だろう。
護衛のカインがイリスイスお姉さまの教育から終わった後。
あれは楽しかった。それにティシアが可愛かった。
可愛いと言われた時の顔なんて、凄く真っ赤にして。
今思い出しても笑みがこぼれ、楽しい気持ちになる。
ふふっ、と微笑みが漏れた。
「楽しそうですね、姫様」
にこやかに、本当に楽しそうに笑みを浮かべるゲイルバッハ。
それは主人である姫が楽しい事が唯一の願いとばかりに
「ええ、楽しいわ。こんな楽しい事、最近はあまりなかったもの。お茶会も母に会えるのは嬉しいけど、やっぱり王族という立場もあるし」
「それは仕方がありません。早く姫様にも慣れてもらわないと」
「ええ、分かっています」
それでも、少しはこの時間を長く楽しみたいという気持ちがあった。
その感情を外に出すわけにはいかない。仮面で覆い隠す。
「そういえば」
ポッと思いついたと言わんばかりのゲイルバッハの声。
それに興味が湧き、振り向く。
「どうしました?」
「先程、カイン様におっしゃった言葉遣い、どこで覚えたのでしょうか?」
カインがティシアに対して可愛い、と褒めた後の事を思い出す。
あ、これはもしかしてやばいかも。
思わず早足でこの場を撤退したいが、ゲイルバッハは許してくれないはず。
だが、これは言うまい。
貴族の子女達で交わした固い約束なのだから。
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