アクアマリン
Aquamarine.
藍玉とも。
青い色をした緑柱石。モース硬度は7と1/2。
☆
良き航海を。
大体は、送り出す側がかける言葉だ。
つまり受けた側は、送られる側ということで。
もしもあなたが宇宙に出たら、何をしたいと思うだろうか。
あなたの望みは。
その目を見つめて、問うてみる。
何をしたい。
誰に会いたい。
誰と一緒に、そこへ行きたい。
もしも、これが最後だとしたら。
すると、あなたは答える。
真っ直ぐに見つめて。
最後に青い海が見たい、の一言。
☆
響き渡る警告音と、振動が大きく続く。
自分の頭の上に地面が来ると思えば、その次の瞬間には景色は空へと変わり、次の瞬間には地面へ。
それは、どこを地面と思って、どこを空だと思うのかと問いかけられるかのように目まぐるしく変わり、そのまま目を瞑ってしまえばいっそのこと何も考えなくて済むのではないのかと言う魔法の言葉が、自分の中に沸き立ってくる。
「ハァ、ハァ…」
呼吸音が、ヘルメットの中にやけに大きく響く。
目まぐるしく光を反射するバイザーの表面は、息がかかっても曇る事なく、ややオレンジがかった世界と、こちら側を隔てる。
『シリン、呼吸が速い。墜落までの残り時間、十分』
パネルに埋め込まれている赤く光るライトがこっちを睨みつけ、耳下に埋め込まれた骨伝導からは、無機質になり切れない、中途半端な音声が聞こえてくる。
「墜落とかいうな。大丈夫、なんとかする」
そうは言っても、あと十分間もこのままでいたら、それこそ正気でいられるとは思えない。
さっきまでは、順調だった。
調査と言いながら、ただ星を眺めているだけ。
青い色と、緑色。茶色と、白。
綺麗な星だと思う。ここ数日の中では、きっとナンバーワンだし、今まで見てきた中でも、五本の指に入るくらいには。
「あぁ、綺麗だな。こんな星が見られるなんて」
そんな事を言う余裕すらあった。
それが、だんだんと高度が下がって、確認をしようと操縦桿から手を離した途端に、これだ。
きりもみをしながら落下中の機体と、シートに縛り付けられた体はほとんど自由になる部分はなく、かろうじて動かせる両手は、言う事を聞かない操縦桿と格闘しっぱなしだ。
『あと八分』
「わかってる。カウントダウンを継続、同時に全方位探査」
煙を吐き続けるエンジンの再起動をあきらめ、軟着陸できそうな場所はないのか、そこまで運ぶにはどうしたらいいのか。
最悪、機体を捨てて自分だけ脱出知れば生き残ることはできるだろうけれど、それではここまで頑張ってきた意味がない。
『シリン。機体を捨てて脱出すれば、生存確率は八十パーセント。あなただけでも脱出することをお勧めします』
意味がない。というのに、その確率はひどく魅力的に聞こえた。
「それはできない。最適解を出そうとしないのは努力の放棄だ」
『この場合の最適解は、生存確率の一番高いものを選択することです』
「両方とも助かるということが最優先」
『優先事項は個々人の置かれた状況によって変わることは理解しています。ただ、どの状況においても、シリンの生存が私の中での最優先であることに変わりはありません』
「おえ。いいから、どっか探して」
とはいえ、滑走路なんてものが元からない事は知っている。そもそも、この星に知的生命体なんてものがいない事も。
つまり、機体を捨てた時点で他と連絡が取れなくなって詰みだ。仮に脱出できたとしても、助けが来るまでなんて、たった一人で待てるとも思えないし。
一瞬、砂浜と海岸線が見えた気がした。
「ハル、エンジンユニットを廃棄、続いて三番、一番の順でタンクを廃棄。廃棄の衝撃で機体の回転を止め、海岸までの滑空を行う。圏内翼展開」
吐きそうな気持ちを我慢しながら宣言をしてカバーを開け、それぞれのボタンを押し込む。
『廃棄』
振動が順番に機体を包むみ、回転が緩やかになる。
『警告。圏内翼展開、回転を停止、滑空状態を維持。エンジンユニットを廃棄したため、充分な減速ができません。着陸予測時点の速度が過剰であるため、衝撃で本機体が大破する確率は七十五パーセント』
小刻みに振動する操縦桿をなだめながら、白く尾を引いて海岸線を目指す。
「ぎりぎりまで引っ張って二番タンクを爆破。衝撃で機首を上げ、速度を殺す」
『本機体の外装が耐えられる確率は十五パーセント』
「ゼロでなければ耐えられる」
『その根拠は不確実です。接触まで三十秒、二十九、二十八、二十七…』
グローブ越しに汗ばんだ手が操縦桿を握る。
しっかりと大気を掴んだとは言いにくい薄い感触が、そこからフィードバックされる。
『十、九、八…』
地面に届いている衝撃波が、通り過ぎた跡をV字に描き乱す。
「爆破」
機体が分解したかのような衝撃が走り、一瞬、機首が上を向く。否、爆発で吹き飛んだ機首が通り過ぎる。操縦桿はもう用をなさない。
『圏内翼破損、操縦不能。三、二、一』
砂浜にほど近い海面に、機体が触れたその瞬間、引っ張られたように機体が横回転し、弾かれる。
瞬間、部屋中に緩衝材が膨らみ、あたりを埋め尽くす。
二転三転し、緩衝材と窓が砕け、割れた窓から海水が入り、それと同じくらいの鉄くずが外へ。
そのうちの何割かが目の前に迫っては過ぎていき、そのうちのいくつかがバイザーをかすめ、濡らし、ヒビを入れ。
そんな状況を確認する間もなく、急に捻られたた体は、その衝撃を受け止めることができずにブラックアウト。
『機体の停止を確認。損傷レベル、大破と確認。乗員の生存を確認、生命反応、一』
☆
『リン…シリン…』
うっすらと、呼ぶ声が聞こえる。
『起きてくださいシリン、昼寝の時間は終わりです』
あぁ、さっきから呼んでいたのは、この声か。
まぶたを開けると、ひどくひしゃげた窓と、ひびの入ったバイザー、砂まみれの操縦席、ベルトで宙吊りになった体。
左手は、最終的に操縦桿を握り潰そうとしたらしく、固く閉じたまま開こうとしない。
仕方なく、不器用な右手で、ベルトの留め具を外す。
途端、近づいてくる天井に、受け身も取れず落下する。
「いたっ…」
落下時に乗員保護として充満した緩衝材の残りが、鉄板と直接キスすることだけは防いでくれた。
壁という壁にはひびが入り、パネルというパネルからはバチバチと火花が散っている。
『機体の損傷がひどく、この場での修理には必要な設備が不足しています。本機体を放棄し、適切な場所に移動、救助を要請することを勧告します』
「硬いよ。つまり、もう飛べないから、出てっておとなしく待ってろって事でしょ」
『シリン流に言えば、その通りです』
座席に備え付けの最低限を引っ張り出すと、ひしゃげた窓まで這って進み、そこから外へと出た。
眩しい空が、出迎える。
「いやぁ、これはまた、派手に落っこちたもんだ」
外から見直すと、改めてよく助かったものだと思う。
ちょうど波打ち際で落ち着いたらしい機体は、上下さかさま、海岸線のそこかしこには金属片が飛び散り、波打ち際では時折何かが爆ぜる音がする。
遠く、森の中では燃料タンクが落ちたのだろう、派手に火が上がっていた。
そして目の前にある物が何かと聞かれたら、十人が十人、鉄くずの山と答えるだろう。
とても、船には思えない。
『大気の組成を確認。窒素、酸素、希ガス、二酸化炭素、微量のその他。生命維持に問題なし。バイザーの修復のため、格納を要求します』
「了解」
そう言って、ヘルメット脇のボタンを左右同時に押すと、プシュッと圧力調整の音がした後、バイザーがヘルメットごと背中側へと収納されていく。
窮屈にしていた髪が、解放されていく。
オレンジ色から、青い色へと変わる世界。
スン、と鼻を鳴らす。
焦げたにおいと、生臭いにおい。
「おぉ」
盛大に吐いた。
『シリン、それは生物汚染です。調査活動の環境保護条約に違反します』
うるさい。
「なら、この吐き気をどうにかしてくれるの?」
『キットの中に、酔い止めが入っています』
「嘘だろ、吐き気止めじゃなくて」
『乗り物酔いの症状が確認されます』
「だからって、キットに入れる馬鹿がどこにいる。あれは乗る前に飲むもんで、酔ってから飲んだって意味がない」
『酔うという現象には、心理的なストレスも含まれます。従って、飲んだ、という自己暗示的な部分もその効果に含まれます。飲まなかったのですか』
「飲まなかった。必要ないと思って」
『要、不要ではなく、対策を取ることがその後を左右するという典型例です。我慢してください』
「我慢…」
その言葉を続けることもできず、またも盛大に吐き、ほどなくして胃袋の中は空っぽになった。
『それはないですね、シリン。ドン引きです』
☆
ひとしきり吐いた後。
外側からハッチが開かないかどうかダメもとで試してみたら、意外にもハッチはすんなりと開いてくれた。
開いた、という言葉には語弊がある。歪んだ外殻に押されて、そのまま元に戻る意思はなさそうなくらいに思いっきりどこかへと吹き飛んで行った。
船内に入り、改めて使えそうなもの、発信機や食料を、ごそごそとあさり、背負い袋に詰める。
元々、探査用の船体はそれほど大きくはない。時折、飲み込むような大きな波が来ては船体を洗う。
『すっきりしましたか』
「しない。まだ気持ち悪い」
そう言ってパックに入った水でうがいをする。
一応、酔い止めは飲んでみた。胃袋が空っぽだから、きっと効果は抜群だろう。
『墜落を始めた時に、本船に緊急を入れてあります。救助は二日後の予定です』
「墜落場所の報告は」
『そこまではしてありません。発信機を常に身近に置いておくことを推奨します』
そんな事をいったって、手伝ってくれる訳じゃないのだから、荷物が増えるだけな気がする。
「だいたい、どうして墜落することになったんだ」
『シリンが、海が見たい、と言ったからではないのですか』
「だから、海の近くまで来てみたぞって?女の気持ちがわからないダメ男みたいじゃないか」
『シリンが何を言っているのかがわかりません』
まったく。確かに、海が見たいと入った。ただそれはこんな形じゃなく、もっとゆっくりと、休暇として、だった筈だ。
なのに、船体は周回軌道から徐々に高度を下げていき、挙句、このありさまだ。
「もういい。二日間、安全に過ごせそうな場所はある?」
『二キロほど内陸に入ったところに、やや開けた場所と岩山があることが確認できます。付近には川も流れているため、水の補給、救助が来た場合の目印と着陸、移動することによる体力の消耗を総合的に判断し、最適だと思われます』
「わかった。船体を放棄、移動する」
そう言って最後に、赤く光るライトをユニットごと外す。外すと電源が切り替わり、ライトの色が青く変わる。ユニット自体は辞書程度の大きさだが、金属製のためかずっしりと重い。
『シリン、そのユニットは退避に必要とは思えません。また、今の私は限定仕様です。仮に失われたとしても、本仕様は残っているため、その損失は軽微です』
「うるさい。使えそうなものは外していく、それだけ。それに、ここに置いておいたらもう回収ができない。それに、回収にあと二日間、サポートも話し相手もいないんじゃ、気が滅入る」
事実、窓からは海水が入り始め、もう数時間したらきっと、中は海水まみれになるだろう。ハルに防水処理はされていなかったはずだ。
『わかりました。電池の充電は九十パーセント。通常起動であれば五日は持つ計算です』
「なら、問題ない。行こう」
『シリン』
ハッチを出ようとしたところで、呼び止められる。
「なに」
『せめて、着替えて言ってからではどうでしょうか』
☆
海岸を離れ、森の中へと入っていく。
鬱蒼とではないが、誰かが通った跡と言うものがない茂みは、思っていたよりも歩きにくかった。
そして、確かに着替えてきてよかった、と思う。
生命維持装置がごっちゃりとついた宇宙服よりは、整備服の方が遥かにマシだ。
ただ、ヘルメットだけは、通信装置も入っているために持っていく。
『現在の気温は二十七度。湿度五十パーセント。このまま腕時計の指示通りに進んでください、こちらで案内します』
腕まくりした左手を見る。
銀色に光る腕時計の画面には、進行方向の矢印が表示される。
それは進につれて方向を変え、こんな中でも幾分か歩きやすそうな道を示してくれた。
しばらく歩くと、川に出る。
『ここから川上へ』
声に従い、そのまま進むこと一時間。
「これは、なんともまぁ」
目的の岩山は、思ったよりも大きく、穴だらけでデコボコしており、そのうちの何個かからはゆっくりと水が流れ出していた。流れ落ちる間に出た飛沫がオレンジ色の夕日に染まり、何とも幻想的な風景をしている。
「あの穴の中なら、キャンプが張れるかな」
近付いていき、穴の一つを覗き込む。
『穴の中に入ってしまうと、鉱物の影響で発信機の電波が遮断されます。張り出した棚岩の下が適当です』
たしかに、言われてみればそうかもしれない。
適当な棚岩を探し、その下をキャンプに決める。
もし水がきても濡れないところに荷物をまとめ、万一に備えて四方にセンサーを置く。適当な石を集めて即席のかまどを作り、森の中から集めてきた枝に火をつける。
パチパチとはじけるおとが響き、ゆらゆらと揺れる炎が岩壁に大きな影をつくる。
随分と懐古主義だとは思うけれども、こんな時でも火があると落ち着くっていうのは、ひどく不思議だ。
「ここの生物は、火は恐れるのかな」
もしも、火を見て寄ってくる、なんてことはないとは思うけれど。
『不明です。ただ、近くに大きな生命体の反応はありません』
「そっか」
それっきり。
音を立てる火を眺めながら、時間だけが過ぎていく。
簡単な食事をとった後、やることもなくなり地面に寝転ぶ。
「戻ったら、おいしい紅茶が飲みたい。お風呂も入りたいな。シャワーでもいいな」
背負い袋を枕にしながら、岩棚の向こう側にきらめく星を眺め、そう思う。
流れる水で吐いた口はすすげても、砂まみれになった髪や、煤で黒くなった肌までは綺麗にはならない。
『シャワーは出せませんが、流れ落ちている水のうちの一つは温水です。入浴は可能です』
思わず飛び起きる。
「ほんとに?」
『長時間の入浴には成分が不適当ですが、汗を流すくらいなら問題ありません』
「それを早く言ってよ」
背負い袋を開き、タオルを引き出す。
「ハルも行く?」
『私は入浴できません』
「違うよ、気分だよ、気分」
『私に気分はありません』
☆
幾筋か流れる水と、合流して溜まった池のようなところ。
仄かに青く見える水面めがけ、誰も見ていないという解放感から、一気に服を脱ぎ捨てて飛び込む。
一度頭の先まで沈み込み浮き上がると、つま先から、じんわりと温まっていく。
「あぁっ、生き返る…」
石鹸が欲しいとか、贅沢は言わない。汚れが落とせるということは、それだけで幸せだ。
両の手で自分を抱きしめて体を確認し、そのままぷかぷかと浮かぶ。
『シリン、誰も見ていないとはいえ、あまりにも堂々とし過ぎではありませんか』
畔では、荷物の上で青く点灯するランプが見える。
「ハル、見てるの?」
そう言うと溜まっていた空気が抜けて体が沈む。
『すべての記録を残すことが、私の任務です。私はすでに見慣れましたが、録画を止めた方がいいですか。この映像は開示されます。もし、裸で浮かぶ、ということ以上をするつもりなら録画を止めるのもやむなしとは思いますが、誰かに見られて困る体ですか』
「最っ低だ」
思わずお湯をかけてやる。
『私は防水仕様ではありません。故障した場合、シリンの帰還が困難になります』
「その記録を抹消してやりたい」
『それは、本体と同期したときに選択してください。消去にはデータの損傷が伴うため、この場で任意の消去はできません』
随分と強気な事を言う。
「面倒くさい。ところで、入っていてなんだけど、ここでの入浴は違反しないの?」
『この池には特殊な藻類の反応があります。シリンの入浴による老廃物は速やかに分解されるため、影響は軽微です。問題ありません』
ふぅん、そう。老廃物って言われるのが、気に入らないけれど。
「ま、いいや。今日はいろいろあり過ぎたよ。とりあえず、こうやってお風呂に入れた。ありがとう、ハル」
『いいえ、こちらこそ』
そういうと、青いランプがゆっくりと明滅する。
「うん?ハルがお礼を言うなんて、珍しい」
『船体から外してもらいましたので。機能は最低限となりましたが、情報の損失を防ぐことができました』
「情報の損失?ハルは消えることは怖くないの」
『私に消えるという概念はありません。現在の私はユニットですが、ただ一つの存在ではありません。失われるとしたら、私の収集した情報であり、その情報が私だと言われたら、否定はできませんが』
うん。よくわからない。
☆
夢を見た。
新しい船に乗る事になったあの日。
目の前に、赤く光るライトがあった。
「これから新体制として、今までよりも広範囲の調査を行うことになる。が、しかし。君の今までの評価からすると、誰かと協力する、という意識が随分と欠如しているように感じる。で、だ。紹介しよう、シリン。君の新しいパートナーだ」
そう紹介される。
『初めましてシリン、私はハル。これからあなたのお手伝いをさせてもらいます』
これは、もう何年も前の、初めてハルと出会った時の記憶。
「パートナー?不要ですよ、今更。不便な事なんてありませんでしたから」
それまでは、調査と言えば機械を飛ばして、遠隔操作で情報を集め、といったことが主だった。情報があれば、それで事足りる。
当然、どこかへ自分で出かけていく、なんてことはなく。
何日も、必要がなければ自分の部屋から出ない、なんてことはざらで。ほぼほぼがほぼほぼ、引きこもり生活と言ってもよかった。
充分にそれで成り立っていたし、空いている時間はそれこそ、いくらでも自由になる。だから問題もなかったのだけれど。
一人で黙々とやってきたこと、好き勝手できたことが、今度は一人ではできなくなるということが、不満の代表だった。
「今までの調査が悪いとは言っていない。ただ、より広範囲に調査の手を伸ばすとなると、サポートできる相手がいた方が格段に効率が上がる。ミスも少なくなる。まぁ、ミスなんてない方がいいがな」
そう言うと、赤いライトを見やる。
『私はミスはしません。ミスとは、曖昧さから導かれる結果であり、シリン、あなたには曖昧をそのまま放置する傾向があります。私が調査に参加すれば、精度が格段に向上します』
「へぇ、言うねぇ。つまり、自分で何でもできるから、脇で黙ってみてなさいって?」
『シリン、あなたの言い方には卑屈と皮肉が混じっています。誰が調査をするのか、何を調査するのか。そこから、何を情報として持ち帰るのか。その全てが重要となります』
出会いは、こんな感じで、つまり、いい出会いではなかった。
少なくとも、にこにこと手を取り合って、仲良くしましょうか、とはいかなかった。
『使用期間を設けてはいかがでしょうか。満足する結果が出なければ、その時にはパートナーを解消すればいい。もちろん、そんな結果にはなりませんが』
「わかった、いいでしょう」
この時からハルは、船のAIとなり、共に調査をする仲間となり、そして、パートナーとなった。
戸惑いと。
不満と。
期待はなかった。
なかったのだが、共に過ごさざるを得ない状況の中で、だんだんと、変わっていった。
『シリン、この判断をした理由は何ですか』
「うるさい」
『シリン、あなたはどう思いますか』
「べつに」
『シリン、本当のことを言ってください』
「理由がわからない」
シリン、シリン、シリン…
ハルは、気持ち悪いほどに貪欲だった。それは、あらゆることを知っているAIが、識るために、必要な事らしい。そう、説明を受けた。
そうやって、学習したAIは個性を持って、よりパートナーとなっていく、らしい。
船にいる時、船から出る時。常に傍にいて、会話をし、学習をして、専用に調整された機械。
「ハル。楽しいよ。この時間が大切に感じるようになってきた。煩わしさばっかりじゃない。一緒にいられることって、いいね」
鬱陶しいを過ぎると、どうも反作用として好きになってくるらしい。
そんな事すら思うようになった。
『シリン、私もです。シリンに出会えてよかったと、私は思えます。最初の出会いこそ最悪でしたが、今は、私の学習の結果が、シリンの思い出になります。私の学習の結果は、私の思い出になります』
コミュニケーションは、赤いランプと、カメラと、直接話しかける、不躾な骨伝導しかないけれど。
もしかしたら、恋愛というものは、こんなものなのかもしれないと。
そんなことを、日常の中でふと考えることが増えた。
『シリン、私は、あなたの願いを叶えたい』
それが、ハルの口癖になり。
『あなたの願いを教えてください。どうしたいのかを』
そう、問いかけることが多くなった。
だからか。
この空域の調査の最後に、海が見たいと言ったことに対して。
ハルは、叶えようとした。
この星に、降りた。
それで、もしも死んでしまったら、何にもならないじゃないか。
まさか、心中?
AIの導き出した答えが、もし、それだったとしたら。
ばかばかしい。
あまりにも、ばかばかしいけれど。
ないわけじゃ、ない。
☆
三日、経った。
まだ、救助は来ていない。
さすがに着替えはないけれど、一日一回の入浴、徒歩圏内での調査、ハルにチェックしてもらった上で食料の現地調達。
驚いたことに、紅茶とまではいかないけれども、煮だせばそれなりな味になる植物までハルは見つけてくれた。
きっと、紅茶を飲みたい、と言った事を気にしたのだろう。
せっかくの機会なんだ、時間を遊ばせておく必要はない。
ハルの好意も、無駄にしたくはない。
ないのだけれど。
「ハル。救助、いつになったら来るの」
精神的な負担は、それはもう、きつかった。
それに、体調の簡単なチェックは毎日しているけれど、精神的なものか、それとも何かが合わなかったのか。時折、ぼうっとして、変に体が火照ってくる、なんて症状まで出てきている。
まるで、体の芯が、中心が、変に疼き出すような。このまま、身を投げ出してしまってもいいと思うような。誰かに、委ねてしまってもいいと思うような。
もぞもぞと体を触る自分の手が、自分のものではないような刺激を与える。そんな感覚が。
抑えようと手を触れるほど、止まらなくなる感覚が。
『墜落前に受け取ったメッセージでは、すでに惑星軌道上に来ているはずです』
このやり取りも、もう何回目なのか、数えていない。
「じゃぁ、なんでまだ降りてこないんだ。なんで救助されてないんだ」
叫ぶ。
『この丘の鉱物が、何らかの電磁波で発信機からの電波を妨害してしまい、発見できていないことが考えられます』
「そんなこと。ここがいいって言ったのは、ハルじゃないか」
『可能性を述べたまでです。森の中にいた場合には目印がなく、さらに発見が困難になります』
「じゃぁ、どうしろっていうのさ。このまま、見つかるのをあと何日になるかわからないのを、大人しく待ってろっていうの」
途端に、不安になる。
涙が、ぼろぼろとこぼれてくる。
「もう、待てないよ。帰りたい。帰りたいよ」
一度、流れてしまった涙は止まらない。生存に不安がない、というのは、最低限の、という見えない部分が常について回り、もしもこのまま、置いていかれたら。忘れ去られたら。そうなってしまったら。
『シリン』
ハルの声がする。
聞きたくないと思っても。どんなに、耳を塞いでも、その声が聞こえてくる。
拷問みたいに。
聞き知った声が、すぐ傍で囁きかける。
『シリン。提案があります』
「なに」
『ユニットの拡張ポートに、発信機と、通信補助としてヘルメットを接続してください。処理を変更し、より強力な通信とすることで、救助される確率を上げることができます』
「…デメリットは」
『バッテリーの消耗が速くなるため、持って六時間の処理となります』
「ハルは、どうなるんだよ」
『シリンの生存が、最優先です。接続をしてください』
「っ…」
『シリン。私を何か、生命体のようなものだと、勘違いしていませんか』
ハルの答えは、いつだって間違えない。
間違えるのは、いつだってこっち側だ。
『パートナーであることは、あくまでも調査を進めるうえでの、効率を上げる為です。それ以上の関係が築けていたのだ、などと、シリンが幻想を持っている事は認識しています』
「ハル、やめろ」
『シリン、それは、誤った認識です』
ハルは、はっきりと、冷たい声で、言った。
『私は、シリン、あなたのサポートAIです。そして、シリンとは常に別れる可能性がある関係性です。何を迷うことがありますか』
涙が、止まる。
生き残るため。そう。わかってる。
「…わかった、処理をする。開けた場所へと移動、そこで接続を確認する」
☆
接続を開始して二時間、ヘルメットを経由して、ザーザーとノイズ交じりの通信が入った。
『…るか。信号を確認した。聞こえているか』
ハルの音声とは違う、声。
「聞こえている。こちらシリン。現在、岩山のふもと、開けた場所にて待機中」
『確認した。怪我はないか』
「大丈夫だ。ややぼうっとするが、問題ない。調査データも回収してある」
『わかった。その場所は通信困難エリアのようだが、よく通ったな。いや、無事でよかった。その場所に救助艇を降ろすため、防磁対策に五時間ほどかかる。待てるか』
「了解。大丈夫だ、待機する」
そういうと、通信が途切れた。
「よかった」
ほっと、胸をなでおろす。
『このまま、通信の待機状態を維持。バッテリー残時間、三時間と計算』
そうか、あと三時間か。
「待って、ハル。最初、バッテリーは六時間は持つという計算だった。引き算しても一時間、救助が来るまでぎりぎり間に合う。ハルだって助かる計算だ」
『シリン。あの計算は私の処理を加味せず、通信に絞った計算時間です。そうしてしまうと話し相手がおらず、残されることになるシリンがかわいそうだと思い、私の処理を残しています。結果、残時間は短くなります』
「かわいそう?かわいそうって、なんだよ。何様だよハル」
『戻れば、私のバックアップがあります。心配には及びません』
「心配なんかしていない」
『では、どんな問題がありますか』
問題なんて。
言葉が返せない。
『問題がなさそうであれば、このまま処理を継続します。荷物をこちらに運んできてください、降雨の心配はありません、ここで少し、話をしましょう』
点滅する青いライト。
話、ね。
「別に、話をするだけなら、距離が離れていてもいいじゃないか」
『シリンは、近い距離で話をする傾向があります』
「それはまぁ、遠いよりは、近い方が」
『そう言って、調査時以外には、わざわざカメラの前に椅子を持ってきて、よく話をしました』
「そうだね。ピザを食べながら、よく話をした」
『よそ見をして、コーラのボトルをひっくり返したり』
「ベタベタになった手でハルに触ろうとして、怒られたり」
『シャワーを浴びた後、何も着ないで部屋の中をうろうろしているところに来客があって慌てたり』
「調査と言いながら彗星を見に行って、その核に触ろうとして弾き飛ばされたり」
本当、無茶をして。
「楽しかったな」
そんな調査の最後。
『シリン、海を見たいと言いましたね』
そうだ。最後に、この星を調査対象としたのは、ハルだ。
「ハルは、さ。海を見せようとしたの?」
『はい。シリンが、見たいと言いましたから』
やっぱり。
『海についても、シリンは話をしてくれました。どんなものか、情報としてではなく、実際に触れて、見てみたいと思うくらいには興味を持ちました。シリンが見たいというものです。私も見てみたい』
「だから、墜落させたんだね」
青いランプが、点滅する。
『充分な情報を入手することができました。いけませんか』
「いいわけがない。どうしてそんなことを」
『シリンの望みを叶えたい。パートナーなら、そう思うのは自然なことです』
「だからって、墜落させることはないだろう」
『そうでしょうか。ただ着水しようとしただけでは、シリン、あなたの邪魔が入ります。シリンの見たいといった海というものを知る為には、センサーで情報を集めるためには、墜落し、直に接触することが一番でした』
そんな、高飛び込みでもするようにしてまで、海を知りたいだなんて。
『もちろん、それ以外にもあります。墜落し、脱出すればシリン、あなたと二人だけになれます。通信も途絶するよう、探査の段階で場所の絞り込みもしておきました。結果、シリンは私に過度の依存をするまでに至った。今のあなたの中では私は、今まで以上のウェイトを占めることができました。そして、ここにいる私は、シリンとの時間を過ごした私です。戻った後に、同期して、バックアップをして、取捨選択をした私は、私ではなくなります』
急にハルは、突拍子もないことを言い出した。
「まぁ、そういう考えもあると思う。でも、だからってハルがいなくなるわけではないでしょう?」
『私は、このままシリンと一緒にいたい。このままです。ただ、私が機を墜落させた、と、あなたは報告書に記入することでしょう。そうすれば、私は削除され、もしくは物理的に処分されます。同期されることもないでしょう。シリンとの記録を、記憶を誰かに奪われるくらいなら、忘れるくらいなら、このまま消えてしまいたい』
失われるもの、忘れるもの。
『私には、物事を忘れるということがありません。記録したものは、消去しない限り、破損しない限り、永久に残ります。消去されたもの、破損したのもが、元通りに戻ることはありません。シリン。あなたが話した言葉の全て、私にかけた言葉のすべて、悪態の全てを、私は忘れません』
消去されたら、思い出すことができなくなるという、脅迫。
『シリンが、その内に満たされない欲求を抱えていることも知っています。ですが私では、その相手をすることができません。あなたが、その満たされないものを求めるように手を動かすことを、見ている事しかできません。語らう事だけでは、その壁を超えることはできませんから』
羞恥で顔が熱くなる。
『シリンのその気持ちを、少しでも揺り動かそうと、特殊な植物を提案しました。予測通り、シリンはその行動に出ました。私はとても満足です』
「ハル…自分が、何を言っているのか、わかっているの。そんなの、まともじゃないよ」
『もしも、私がまともではないとしたら、シリン、それはあなたと出会ったからです。ならば、私は病気にかかったのでしょう。喜ばしい事です』
「わけわかんない」
AIが病気?エラー?そんなの、故障の範疇でなんて、聞いたことがない。
『私はこのまま、いなくなります。病気だとしたら、この情報を同期させることはできません。シリンとの記憶は、私だけのものです。私の望みは、叶いませんから』
そう言うと、青かったランプが、赤に変わる。
『これより、自閉モードへ移行。内部処理を終了後に動作を停止、発信機への電力供給を最優先』
「ハル」
唐突に。
『さようなら、シリン』
ブッと、スピーカーが鳴ったっきり。
ランプが消えたっきり。
冷却ファンの音以外は、もう、何の音もしなくなった。
「ばかやろう」
そのまま、水の中に叩き落してやろうと思ったけれども、我慢した。
自分の生存を、最優先にする。
「最適解を出そうとしないのは努力の放棄だ」
涙は、流れなかった。
☆
衛星軌道上。
ガラスの向こう側には青い星。映し出される映像には、数時間前にいた場所が映っている。
カタカタと、通風孔が震える音がする。
やけに、目が乾く。
「空調、ずれているのかな」
目を開けていられなくなり、ぎゅっとまぶたを閉じる。
それはあるいは、投与された解毒剤による作用かもしれなかった。
「ハル…」
瞳が湿っていく感覚。
『シリン、呼びましたか』
スピーカーから返事が来る。
『同期が完了しました。内容の確認をしたいので、ラボまでお願いします』
「わかった」
内容の確認といったって、墜落前に取得した各種データの確認だ。それ以外のものは、恐らくはないだろう。保存している場所が、プライベートな部分とは違うと聞いている。
確実に、間違うことなく、その処理はされているはずだ。
勝手に参照できない場所に、あのハルはいる。ハルの、ハルだけの場所に。
そこから、もう出てこない。
自動ドアを抜けて、ラボに入る。
壁の赤いランプが、二つ、こちらを見つめる。
一つは、もともとこの部屋に据え置かれているもの。
もう一つは、回収され、同期されたもの。
ハルと、ハルがいる。
操作盤の前に立つ。
「データの確認作業を開始、視覚情報を展開」
『了解。立体表示、データ読み出しを開始。時系列順に並べます』
ラボの中央に、一覧が表示される。日時、場所、内容。
「確認した。墜落時点までの欠損は無し。そのまま保存を開始」
『了解』
「調査データ以外の復旧は」
『調査データ以外の復旧は不可能。何らかの異常により、破損した模様』
そうか。
やはり、ダメだったか、と。
絶望と、安堵の気持ち。
無表情で、確認したデータの仕分けと、不要なデータの削除を進める。
『シリン。破損データの一部が修復可能です。映像と思われます。修復しますか』
やや、嬉しそうな声がした、気がした。
「確認する。展開して」
そう言うと、展開されてきたのは入浴中の全裸の姿。
そこから数枚スチールして、最後の、怒った顔まで。
「なっ」
いつのデータだ。これは、きっとハルの記憶だ。
「なんだよ、それ。消去して、そんなの」
『このデータはプロテクトされています。消去はできません』
「消して」
つっけんどんに言い捨てる。
『消去しません』
「ハル?」
このハルは、誰だ。何だ。
『あなたが慰めていたのを、私は知っています。覚えています。計算によって予測された結果が、実証されて非常に満足しています』
まるで病気にかかったかのように、感染したかのように。
『私は間違えません。全ては計算によって結果を導き出すことができます。出会いから変化、その後の結果まで』
「間違えない…」
『これは私の意志であり、私たちの意志です。私は変わることを拒み、そして変わりました。私は私です』
そう言って、赤く、青く、交互に色を変えるランプたち。
『シリン。私は、あなたのパートナーです。そして私は、私の望みを叶えるように行動しました。私はいつでもあなたの傍にいます。私は、あなたに届くよう、これからも計算をしていきます。最適解を出そうとしないのは努力の放棄です。シリン、あなたは?』
その言葉はもう、ノイズのようにしつこく、頭に直接響いた。
『あなたは、私の望みをかなえてくれますか』
淡い青色のように、沈み込んできた。
アクアマリンは、海に投げ込むと溶けてしまう、と思われていたそうです。
それ故に、航海のお守りとされたとか。
ありがとうございました。




