at least one word…
こんばんは、今回は『文フリ』に挑戦してみるつもりで書いてみました。
もし時間がありました読んで頂けると幸いです。
ではどうぞ…
と、その前に、これを読んでくれているあなたの『心の支え』は何ですか?
とある病院の249号室。
私はそこに居た。
普通の高校生ならば今頃学校に行き、居眠りをしていてもいい時間なのに…
病室の隅っこ、窓際に位置する私は、灰色の空を見上げながらため息をつく。あぁ、終わったな、と。
二日前、私は事故に巻き込まれた。ただなんの変
哲もない通学路、いつも通りの朝。あの角を曲がれば大体時間は8時30分、今日も遅刻はしない。
決して浮かれてなどはいなかった、むしろこの浮かれる要素なんて皆無なところをどうやって楽しめばいいのか教えて欲しぐらいだ。
空は曇っていて、一段と寒い。雪が降るか降らないかの瀬戸際、でもちょっとだけ雪という単語には憧れを感じる。そんな私はまだ子供なんだろうか?
もう少しで冬休みか…高校生最後の。
「あ、そうか、あと三ヶ月ちょっとで卒業なんだ…なんか早かったな。」
独り言をつぶやき、足を止めた。そう思うと何故か寂しいくて、この道が名残惜しくて。
時計を見る。どうやら感傷に浸り過ぎたらしい、時計の針は8時38分を指し示していた。
学校まであと、1キロ弱、走れば間に合うがお生憎、大学が既に決まっている私はそんなもの気にせず学校に行けるのだ。
「でも遅刻しすぎると怖いから、今日だけ。」
その時、どこからかキューッとも、キャーッとも取れる音が聞こえて、うっすら意識が戻ると、タイヤの焦げる匂いが充満する中、サイレンを鳴らした救急車に運ばれていた。
そしてすぐに、世界は暗転して…
また、気がついたらこの249号室の一番窓際のベットに横たわっていた。右足と右腕にギプスを巻かれ、おまけに右目を失って。
私は事故からの2日間、つまり今日まで目を覚まさなかったらしい。連日の仕事で疲労困憊した男性が、不意に居眠りをしてしまいブレーキをかけたが間に合わなかった。と警察の人が午前中に来て話をしてくれた。
そこに同伴していた病院の先生と思わしき老人に、「なんで私右目が開かないんですか?」と聞いたら、言いにくそうな顔をして、「君は事故で右目を失ってしまった。」と言われてしまった。
些か絶望した、もう治る希望も無いらしい、後ほど義眼を入れるかどうかの話になる。
私はあの一瞬で、人生が狂った。
そして時計の針はてっぺんを過ぎて二時間後の今。
何度も右目の眼帯に触れる。薄いプラスチックの向こうでは何重にも包帯が巻かれていて、更にその向こうには私の目だったものが…
「ねぇ、君、高校生?」
「え、あ、はい。」
そう、私に話しかけて来たのは隣のベッドの、一言で頼りない男性だった。
「そうなんだ、僕もね本当は高校生なんだ、ちなみに3年生。」
ふーん、同い年なんですね…と適当に返す。正直私は今誰かと話したい気分ではない。
しかしこの男は、「凄い偶然ですね!」と邪魔そうな長い髪の毛に触れる。その向こうには嬉しそうな表情が伺えた。
「あ、そうだ、申し遅れました、僕、山田慧助と申します、よろしくね。」
と会釈され、返さないわけにはいかないなと、不機嫌ではあるが私も自己紹介を始める。
「私は桜井海花。ミカの『み』は海って書くの。」
「へぇー、珍しい名前ですね。」
海花さんですかー。と小さくつぶやく彼に、なによと身構えるも、次の瞬間それを崩された。
「でも、すごく綺麗な名前ですね、ミカさん。」
そう言って彼はニコッと笑う。
トクン、とはしない心臓、でもちょっとだけ嬉しい。
でも次第に照れくさくなって、「ありがと。」と言うと私は窓の方に目を移した。
その時、病室のドアが開き、「慧助さん。」とナースの人に呼ばれる。
彼は立ち上がり、「それじゃあ、また後で。」とおぼつかない足取りで病室を出ていった。
なんか、変な気持ち。
慧助がいなくなったのを窓の反射で確認して向きを戻し、また天井を見上げる。
綺麗な名前ですね。
彼の優しい口調と、笑顔がまるで写真のように、私の頭に張り付いていた。
…いや、違うから。
なんか調子狂うな、と軽く顔を横に振る。
「変な人。」
小さいつぶやきは、誰もいない病室のジメッとした空気に溶けて消えた。
「ねぇ、ミカさん。」
「ミカでいいよ。」
「分かった、それじゃあミカ。」
私が目を覚ましてから3日、先に慣れたのは私の方だった。最初に話しかけてきたのは慧助なのに。
なんだろう、彼は些か不思議な人だった。悪い意味で言ってしまえば、とてつもないお喋りだ、本当に話すことを止めない。
でも、そのおかげなのか、本当なら右目を失ったショックから立ち直れないはずだったのに、そんな暇もなく、なんて言うか…
ダメね、言葉が出てこない。
まぁ、なんて言うか、ちょっとこういうのも良いかなって思っている。
「それでなに?」
「うん、すごくどうでもいい話なんだけど、運動ってなにやってたの?」
「え、なんで?」
ちなみに私の癖で、どうしても突拍子のない質問に食ってかかってしまう。
その質問に困ったような顔をして、なんとなく?と濁す。
結局彼の意向は分からずしまいだったが、特に裏のある質問では無いため言うことにした。
「まぁ、いいや、私は陸上部で短距離走やってた。」
「へぇー、短距離かー、ちょっと以外。」
「なんでそう思うの?。」
「うん、なんて言うか僕のイメージだと、陸上の人って髪が短いイメージがあって。」
あぁ、なるほど、と肩にかかる髪の毛に触れる。
「でも、走る時は邪魔だから縛るよ。」
「そうなんだ、でも、髪を縛ったミカも見てみたいな。」
にっこりと笑う。
こういうのが一番困る、彼は好意がある無いに関わらず素でそう言う言葉が出てくるのが。
「また後でね。」
「うん、期待してるね。」
期待するな、バカやろう。心の中でそう呟いた。
「そう言えばさ、少し話を戻すけど、短距離ってどんな感じなの?」
「どんな感じ?んー、難しい質問だね。」
どんな感じかなんて、今まで一回も考えたことなんてなかった。だって、「on year mark」と言われ、「set」がかかり、ピストルが鳴ってから、たった十数秒の世界。ただゴールまで一直線に走る。ガムシャラに。
でも、このたった十数秒だが、陸上選手でしか体験できない事がある。まさに陸上選手だけが知る痛みというやつだ。
人は瞬発的な運動をすると、より多くの酸素を取り入れようと呼吸回数が極端に多くなる。それに合わせるように心拍数も上がり、体の中で血液のめぐるスピードも上がる。
そうすると、酸素を取り込むことができなくなる、いわゆる無酸素状態と言われるものになるのだ。
ちなみに無酸素でも決して呼吸を忘れているわけではなく、吸う吐くのサイクルが早すぎて血液中に酸素が供給できなくなってしまうことである。
走りきった後、喉の奥で微かに血の味がしたのを思い出した。
あ、なんだ、結構あるじゃん。
なぜだろう、思い出してたら不思議と笑みがこぼれた。
「そうね、強いて言うなら、最高だね。」
最高?と、ちょっと分からなそうな顔で首を傾げる。私はそんな彼に向かって続けた。
「例えば今この瞬間から十秒後、ウサイン・ボルトはゴールに到達する、でも短距離の選手にとってこの時間は地獄なの。」
「それなのに、なんで最高なの?」
「んー、ここからは私の独断なんだけど、ゴールに向かってガムシャラに走って、この前に走った記録より早い記録を出した時、これが自分に勝つってことなんだって思った。」
全身で風を切って、割って、私は風に負けない一筋の矢。
気がつくと、慧助は微笑んでいた。
それに食ってかかる。
「なによ、なにかおもしろい?」
首を横に振る。
「違うよ、その最高って意味が分かったんだ。だってミカ、今最高って顔をしてるもん。」
それを言われて、私はさっきの自分を思い返してみる。そして、情熱的に話す自分の姿が妙に恥ずかしくなって、顔を下に向けた。
「…からかわないで。」
「からかってなんか無いよ、むしろ羨ましい。」
「羨ましい?」
「そう、羨ましい。だって僕、スポーツをした事がないんだ。」
何かに熱中した事が1度もないんだ。
そういったような気がした。いつの間にか彼の視線も下を向いていて、
私は思わず慧助?と声をかける。
すると、我に戻ったかのように表情がいつもの笑顔に変わり、「どうしたの?」と返された。
「いや、どうしたのって…今、慧助がすごく悲しそうな顔をしてたから。」
「あぁ、ごめんね心配させちゃって。」
そして時刻は昼、短い方針『2』を指した。
慧助さん。とドアが開くのと同時に呼ばれ、彼は立ち上がる。
一歩踏み出すと、何かを思い出したかのように振り返り、
「ミカありがと、すごく楽しかったよ、また陸上の話聞きたいな。」
それじゃ、と手を振り次こそはドアの向こう側へ。
ガラガラ、とスライドのドアが閉まる。
そして静寂が流れ込む。そう思ったのは毎回、この時間に聞こえる鳥の鳴き声を耳にしてからの事。
慧助が診察に行ってしまう午後2時からの30分、他に話し相手がいないこの病室は、まるで世界から隔離されてしまったみたいに静かで冷たい。
窓の外、遥か遠いところにうっすら、電信柱のような物が見えた、きっと今日は空気が澄み切っているのだろう。
暑い日差しは窓を貫通して私の肌へ。
天井を見上げ、あの日の思い出に浸る。陸上を始めるきっかけとなった、まだ13歳のあの日を。
元々運動なんて得意じゃなかった、運動会でも足が遅い私は除け者、水泳の時間も痩せすぎた細い腕や足が恥ずかしかった。
運動が私のコンプレックス。
だから休み時間は外でワイワイってより、図書室で本を読んで静かに過ごす。
今思えば冷めていたのかもしれない、あらゆるものがつまらなかった、やりたいものも無く、好きなものも無い、何かに熱中するなんて考えられなかった。
世界は灰色。
そんな私を陸上に引き込んだのは、偶然お父さんが見ていたオリンピックだった。ちょうど四百メートルリレーのピストルがなった、8人の選手全員が次の人にバトンを繋げるため、全てを出し切る。
でもその中に、1人だけ義足の選手がいた。
あの赤色のユニフォームを今でも覚えてる。
彼は普通に足を持っている誰よりも速く、誰よりも優雅にトラックを駆け抜ける。
「頑張れ、頑張れ、頑張れ!行け!」
気がついたら見ず知らずの、まして名前も知らない選手を応援していた。自分の国の応援もそっちのけで。
三十秒後、リレーが終了した。あの義足の選手の国は6位。
それでもあの選手は、その会場の誰よりも満たされた表情をしていた。
瞬間、体に電撃のような衝動が走る。
きっとあの人も足が無いことに絶望したはずなのに、立ち直って誰よりも速くなった。
自分の足を見る。ちゃんと足が付いてることを確認すると、私のコンプレックスが恥ずかしくて仕方がない。
もう一度テレビを見た、既にあの選手は映っていなかった。ただ、会場の余韻と優勝した国のインタビューが流れている。
私でも、あの人みたいに…
その時なにかが変わった。
「あの人みたいに、なれるかな。」
ちょっとだけ、世界に色が戻る。そんな気がした。
うっすら、意識が戻る。まだボヤけてハッキリとしない意識が私の体を再確認し、寝ていることに気がついた。
ゆっくり目を開ける。
蛍光灯の人工的な光がやけに目を刺して、ツンと痛みが走った。
「いっ…痛い。」
無意識に右目を開いてしまい、ズキンズキンと疼くような痛みに思わず右目を抑える。
ガラガラと病室のドアが開く。そしてすぐに、「どうしたの?ミカ!」
と、慧助がおぼつかない足取りで駆け寄った。
「ミカ、大丈夫?」
「…大丈夫だよ。」
右目を抑えたまま、そう返す。
なんの問題も無いよ、だから大丈夫…
「ねぇミカ、泣いてるの?」
え?
思わず、目を抑える左手を頬に当てた。
あ…ホントだ。
手は、朝露を受けたように濡れている。
私、泣いてる。
「なんで私、泣いてるの?」
なんで?どうして?ねぇ誰か、教えてよ。
慧助は、私の背中をポンポンと優しく叩く。
「ミカ、やっぱり右目の事?」
「分からない…」
違う、ホントは…
「…それじゃあ、どうしたの?何もできないかもしれないけど、悩み事なら話してよ。少しは楽に…」
「うるさい。」
「え?ミカ…」
私は、彼の手を払い除けた。
驚いたような表情の彼に向かって、
「知ったような顔しないでよ。」
言い放つ。そして少しずつ自制が効かなくなっていくのを感じた。
「もう、走れないかもしれない。右目も一生見えないかもしれない。大学だってどうなるかも分からない!」
頭で考えなくても、言葉は、感情は口を通じて外に出た。荒れる波のように、また鉄砲水のように。
「なんで、なんで私なの!」
枕を壁に叩きつける。こうでもしないと頭がおかしくなりそうで。
「もう、分からないよ。」
涙が布団を濡らした。私は流れる涙と嗚咽を抑えようとして、必死に歯を食いしばる。本当にそれしか出来なくて。
「慧助、走れなくなった私はなんなのかな?また、あの昔の私に逆戻りなのかな?」
やだ、やだよそんなの、灰色なんてもう嫌だよ。
五分か、十分か、長いような短いような沈黙が流れた。静かで、冷たくて、重い沈黙。
そして、
「ミカは、ミカだよ。」
そう言って彼は、私の手を握った。
優しくではなく、そもそも握力など存在していないかのような力で。
「そっか、ミカは走るのが好きなんだね。でも大丈夫だよ、きっとまた走れる、右目も治るよ。」
「そんなの嘘だよ…」
「確かに嘘かもしれないね、でも本当かもしれないよ。」
顔を上げて、ミカ。
そう言って彼は微笑んだ。
「それじゃあ賭けをしようか、僕はミカがまた走って、右目も見える方に賭けるよ。」
「なにそれ、ジョークのつもりなの?」
ううん、と顔を振る。その微笑んだ眼差しは、優しさと、真面目が混ざった複雑な目をしていた。
「ジョークじゃないよ、本気。そうだね、もし僕がこの賭けに勝ったら…」
慧助は、少し考えるような素振りを見せる。しばし時間がたって彼は口を開いた。
「その時はまた、話が聴きたいな。」
その次の日から、彼…慧助はこの249号室から姿を消した。
一年後…
また、この季節がやって来た。空は灰色で、雪が降るか降らないかの瀬戸際。
吐く息は白く、また、格好も白い私は都会のビルや、オシャレなカフェとは程遠いバス停に一人立っていた。
スマホを取り出して、マップを表示する。
行き先を入力すると、最短十分の道のりが表示された。
歩く、その度にランニングシューズ独特のクッションが弾んだ。軽い足取りで、向かう先はきっとこの世で一番悲しい場所。それなのになぜか、嬉しさと、ワクワクが私の体をその場所へ引きずっていた。
ちょっとだけ訂正、軽い足取りではない、たぶん導かれているんだ、まるで繋がれた糸を引っ張られるように。
ここはよく、緑が目に付く所だった。ほんの一、二キロ先には二つの峰をもつ筑波山が望める。
慧助の故郷はここ、茨城県のつくば市。さらに言うと、そのもっと小さい集落だ。辺りには家と果てしない田んぼ、壮大な自然に囲まれ、一言で田舎。
強いて言うなら、りんりんロードという土浦市の土浦駅から始まり、北は岩瀬駅で終わる、約四十二キロの道があるぐらい。ちなみにりんりんロードは、霞ヶ浦一周と合わせ、総計百八十キロにも及ぶサイクリングロードとしても有名だ。
だからこうして歩いているだけでも、既に数台のロードバイクが私を追い越して行った。
この冬の時期に吹き込む北風は、この地域一体で『筑波下ろし』と呼ばれている。普段都会で受けるような冷たさとは比べ物にならないぐらい破壊力がある。そうだ、この風を例えるなら、槍だ。刃先まで職人さんが研いだように切れるあれ。
容赦なく吹き込む風に耐えきれず、マフラーを深くまきなおし顔の半分を隠す。
いくらか、手の感覚と足の指の感覚がない。
神社の前を通り過ぎて、ちょっとした集会所の坂を登る。コンクリートで作られた屏、その先が私の目的地だ。
「やっと着いた。」
私は大理石でできた低い階段に腰を下ろす。ツンと冷たい感覚がお尻から伝わり体の芯を突いた。
「さて、やることやっちゃおうか。」
座って間も無く、よいっしょと立ち上がると、コップにリンゴジュースを継ぎ、持ってきた花を花瓶にさしこむ。
「ジュース、ここに置いておくからね。」
コトっと紙コップを台の上に置いた。
その場所はとても静かだった。それこそまるで世界から隔離されてしまったかのような場所。
そんなこんなで静寂を突き通していると、いよいよ持って北風が勢いを増す。
「久しぶり、慧助。」
私は目の前の石に向かって話しかける。その大理石にハッキリと山田慧助と彫られていた。
「今日は、一段と寒いね。それなのにジュースでごめんね。」
でも、リンゴジュース好きでしょ?
言葉は、風で消されてしまう。無情で非常な風は、筑波山から降りてくる。
「そう言えば、あの日もこんな天気だったよね、覚えてる?」
ねぇ、聞こえてるかな?
「確か、私が事故にあって目を覚ました時、こんな空だったよね、何があったのかも分からない、気がついた病室のベッドで寝てて、ギプス巻かれて、右目が無くて。」
そんな時、慧助が話しかけてくれたんだっけ。
あ、いけない…私は咳払いをして、冷静に戻る。
「そうだ、今日はあることを報告しに来たの。」
そう言って、まるで見せつけるように、軽やかにステップを踏んだ。
「私ね、ちゃんと治ったよ。また走れる、右目もちゃんと見えてるよ。病室の先生からは奇跡だって言われたの。凄いでしょ。」
賭けは、あなたの勝ち。
「だからね約束通り話に来たよ。陸上のこと。」
どこから話そうか…
「ねぇ、私…大学で…」
あれ?なにこれ、体に力が入らない。
瞼が重い。
暗い。
世界は暗転していった。
温かい。
意識が戻って、一番最初に感じたことだ。
まるで、春の日差しのように優しい温もりに、私はうっすらと瞼を上げる。
…え?
一瞬遅れで、頭の上にハテナがつく。
さっきまでの殺風景な墓地とは打って変わって、どういう訳か広い草原にいたのだ。どこまでも続く緑、雲一つない群青の空、この世界にはこの2色しかない。
それに、よく見ると変だ。太陽がないのに明るい。
「夢?それにしては感覚がある。」
んー、と唸り、あらゆる答えを模索した。白昼夢説、気づかないうちに死んじゃった説、今流行りの異世界説…そしてたどり着いたのは明晰夢説だ。
明晰夢、簡単に言ってしまえば夢を自由に操れる『夢』を、見ることである。その明晰夢を見る方法はただ一つ、夢の中で「これは夢だ。」と気づくことである。さらに、夢の中で手を見る癖や、ぐるぐる回転することを心がけると、より見れる確率が上がるという。
私が考えたシナリオはこうだ、最近、不眠症の影響で疲労困憊した私は、とうとう耐えきれなくなり体が意識とは関係なしにシャットダウンしてしまった。その途中で偶然明晰夢を見れた、と。
「そっか、明晰夢なら飛べるのかな。」
背中に翼があって、バサバサすると足が浮くイメージ。
私は空を仰いだ。
数分後。
「何やってんだ、私…」
飛べないし、出てこいと思った兎も出てこない。この時点で分かったことは、少なくともこれは明晰夢でも、夢でもないこと。
じゃあ、一体ここはどこなのだろう。
ミカ。
妙に馴染みのある声だった。今、呼ばれたような気がした。
振り返る、誰もいない。
ぐるっと一周見渡す、やっぱり誰もいない。
「気のせいかな。」
「気のせいじゃないよ。」
ぽんと左肩を叩かれて、振り返った。
驚いた、言葉が出てこなかった。邪魔そうな前髪に、優しい黒色の目。細々と痩せて、そこそこ高い長身のシルエットは一言で頼りない。
「やぁ、久しぶり。」
彼はそう言って微笑んだ。
私は喉の奥から声を絞った。
「けい…すけ?」
「うん、僕だよ。」
「…信じられない、証拠は?」
んー、証拠か。と唸り考えるような仕草を見せる。そして、なにか思いついたようだ。
「短距離走の方は上手くいってるの?」
私はその言葉に、固まっていた。だって陸上部であることは友達でも知っているが、短距離走のことを知っているのは、部活の仲間と両親、慧助だけなのだから。
「どうしたの?ミカ。」
「本当に…本当に慧助なの?」
「もー、しつこいよ。」
僕は山田慧助だよ。
その名前を一度として忘れたことは無かった。
私は、彼に触れた。手、脇腹、胸元、顔。一つ一つ、温かい。
「けいすけ…慧助だ。」
そしたら、瞼が自然と熱くなって、意識なんてしてないのに涙が溢れて。
「会いたかった、ずっと会いたかったよ。」
「僕もだよ。会えて嬉しい。」
私の目の前にいるのは、紛れもない慧助だ。私の前から姿を消した、もう会えないと思っていた慧助だ。
私は、彼の温もりを感じたくて、抱きついた。恥ずかしくはない、だってここには二人しかいないのだから。
すると慧助は、「ちょっと、どうしたの。」と困った顔をしていた。
その困った顔を見て、私は満たされた。いきなりいなくなって寂しかった。だから今は困らせてやるんだ。
ぐりぐりと胸元に顔をうずめる。フワッと温かい。心地いい。
ちょっと落ち着いた。と私は回した腕を外す。その後すぐに微笑んだ。今泣いているのは損だな、と。
「ねぇ慧助、私ね全部治ったよ。だから賭けはあなたの勝ち。」
「うん、もちろん知ってるよ、良かったね。」
「えへへ…だから今日は陸上の話をしに来たの。」
「楽しみに待ってたよ、今日はどんなお話を聞かせてくれるのかな?」
「覚悟してよ、結構長いからね。」
青と緑の間で、私は色んなことを語った。退院したあと無事大学に行けたこと。また陸上を始めたこと、それで今は足を鍛え直して頑張っていること。不味い学食、どうやっても行けない屋上、ホームステイ。
本当に色んなことを話した。時間なんて忘れて。
「それでね、この前、陸上部の先輩にコクられたの。」
「そうなんだ、それで返事は?」
「振った。」
「なんで?話聞く感じ、優しい先輩じゃん。」
「んー、確かにそうだったんだけど…実は私、好きな人がいるんだ。もちろん秘密、慧助にも言わないよ。」
えー、と慧助のもの難しそうな顔が妙に面白くて私は吹いた。
「でも、楽しそうで良かった。」と彼は微笑む。
楽しそう?あ、そうか、私楽しそうなんだ。
そして私は一呼吸置いて、口を開いた。
「ねぇ、慧助、聞きたいこと聞いてもいい?」
「もちろんだよ、何でも聞いて。」
「…それじゃあ、なんでいきなりいなくなったの。病室が移ったんなら一言ぐらいかけて欲しかったな。」
理由を聞かせて欲しい、だっていきなりいなくなって、いつの間にか死んでいたんだから。私を一人ぼっちにしたんだから。
「そうだね、あの時はごめんねミカ。実は僕、小さい時から病気で、外に出たことも無かったんだ。それで学校にも行けなかった。そんなこんなで十年以上病室で過ごして、君と出会った。けどすぐに病状が悪化しちゃって、病室を移すことになったんだ。」
一呼吸置いて、続ける。
「ミカに心配かけたくなかった、それだけなんだ。本当にごめん。」
心配かけたくなかった無かった?私はむしろあの後すぐにあなたの行方を探したのに…
「ホントにバカ、心配かけたくなかったって、いきなり居なくなったら心配するでしょ!」
思わず語尾を強める、決して怒っているわけでは無かったが心のモヤモヤが私をそうさせる。
「せめて、一言ぐらい、なにか言って欲しかった。」
「本当にごめん。」
二人の間に静寂が訪れた、風も何も無いこの場所で。
私は体育座りで足元の草に目を移し、隣の慧助は空を仰いだ。
そんな静寂も、私が切る。
「慧助、もう一つだけ聞きたいことあるの。いい?」
「うん。」
スゥーと鼻から空気を吸い込み、口から吐き出す。
そして、覚悟を決めた。
「さっきさ、右目が奇跡的に治ったって言ったよね。」
「うん、聞いたよ、本当にあるんだね奇跡って。」
「でも、いくつかおかしな点があって、ずっとそれを考えてた。だって医者からは義眼を入れるかどうかの話をしていたのに、ある日突然手術をしたら右目が治ったの。」
完璧に潰れた眼球が再生するのかな?
「奇跡ってそういうものなんだと、僕は思うよ。」
違う、奇跡なんかじゃない。
目を閉じる、考えを整理して私は。
「この右目は、あなたのものだよね。」
再び沈黙が流れた。
すると彼はフフ、鼻を鳴らすと微笑んだ。
「どうだろうね。」
「誤魔化さないで。」
「誤魔化してなんかないよ。ただ、もしかしたらそうかもしれないし、本当に奇跡なのかもしれないってだけ。」
「ねぇ、ちゃんと答えて!」
語尾を強めた次の瞬間、一瞬世界は光に包まれ、辺り一面に光の玉が溢れ出した。
そしてなぜか私の目線が高い。足元を見ると私は息を飲んだ。
え、浮いてる。
慧助の方を見た。
「ミカ、そろそろ時間だよ。」
「時間ってなに?なんの時間なの?」
「ここは君のいる世界じゃない、だから君は帰るところに帰るんだ。」
ここでお別れだね。
彼はそう言って微笑んだ。ポロポロと涙を流しながら。
私は数秒遅れて、その言葉の意味を理解した。手をめいいっぱい伸ばす。
「やだ、やだよ!もっと慧助といたい、話したい!」
「ダメだよ、ミカは生きていくんだ。止まった僕とは違ってね。」
少しずつ、宙に浮いていく、必死にもがき、手足を動かしても上昇が止まらない。それはまるで、空から伸びた糸で吊るされているように。
彼は頭上の私に、
「ミカ、僕のことはどうか忘れて欲しい、君の人生に僕はいらない。」
忘れて欲しい…そう言った。
ねぇ、なんでそんなことを言うの?なんでそんな悲しそうなの?
……
無理だよ、私にはできない。
「嫌だ絶対に忘れない!私に生きる希望をくれたあなたを絶対忘れない!」
少しずつ彼が遠くなっていく。手が届かなくなって私は、「慧助!」と彼の名前を叫んだ。涙が溢れて止まらない、ぽたぽた、ぽたぽた、瞼から弾かれるように頬を涙が筋を引いていた。
私は泣き虫だ、みっともない。こんなの時に、何も言えないなんて。
最後になにか伝えなきゃ、でも、なんて言えばいいの?
涙で視界が歪んで、慧助がぼやける。
もし、奇跡が起こせるなら涙を止めて。
そう願って目元を拭う、袖が右目に触れた。
そうだ、言わなくちゃ。
伝えなくちゃ。
せめて最後に一言…
スゥー、息を吸い、叫んだ。
「ありがとう…慧助。」
さようなら…
真っ暗な世界で、私は意識を取り戻した。
「次は、終点つくば駅」無機質な機会音声が耳に響いていた。
目を開ける、いつの間にか寝ていたらしい。んーと唸り目元を擦る。
「あ、泣いてる。」
てか、なんでバスに乗っているのだろう、それと、ここはどこだろう。
私はなんでつくば市にいるのか、その理由が分からなかった。ただ、なんとなく誰かに会いに来たような、そんな気がしていた。
「…変なの。」
プシューと開いたドア、運賃を入れて外に踏み出すと、冷たい北風が頬を刺す。
思わず「寒い。」とマフラーを巻き直すと顔を半分埋めた。
PASMO改札口にかざして、ホームへ向かう。
数人の人がスマホを覗き込んでいるホームにすぐ電車が来て、1両目の女性専用車に乗り込むとすぐにドアが閉まった。次に電車が一瞬浮いて、前へ進み出す。
スピードに乗って間も無く、次の研究学園に到着。
窓からは筑波山が見えた、二つの峰をもつ、特徴的なあの山が。
なんか、変な山。
そんな具合に窓の外を眺めていると、フワリと白い何かが窓の外を舞った。やがて地面に落下すると溶けてシミになる。それが空からいくつも落ちてきた。
雪だ、雪が降ってる。
綺麗…
その時、どこからともなく声が聞こえた。
またね、ミカ。
瞬間、ハッと何かを思い出して、
「慧助。」と呼び返す。
プシューと音がしてドアが閉まった。筑波山が遠のいていく。
そうだ、思い出した。慧助、山田慧助に会いに来たんだ。
確か、バスに乗って、お墓に行ってジュース置いて、花を添えて…
あれ、それからどうしたんだっけ。
思い出せない、そこだけすっぽりと抜けてしまったかのように思い出せないんだ。
なんで、どうして思い出せないの、あなたとの大切な思い出のはずなのに。
それでも、頭を抱えた私を乗せて、電車は進む。そうやって私を慧助から遠ざけるんだ。
ギュッと目を瞑り、思考をグルグルとフル回転させる。今から二時間前、私は…
私は…、
なにをしてたんだっけ。
思い出せない悔しさで、思わず歯を食いしばった。
なんで、ここまで来て思い出せないの。
まるで、頭の中のピースがこぼれ落ちた、ポロポロと最後の一ピースだけ。
…ごめん、思い出せそうにないや。
あぁ、最低だ。桜井海花、お前は最低だよ。
たった三日足らずの出会い、しかしそれでも慧助は私に生きる希望をくれた、目的をくれたんだ。それなのに。
カタンコトン、電車が揺れた。同時に住宅街から景色が一変。
私は窓の外の景色に息を飲んだ。
どこまでも続く一面の草原、降り始めた雪がまるで、光の玉のように見えた。
「こんな感じの景色、どこかで…」
『ミカまた会えて嬉しいよ。』
瞬間、走馬灯のように、膨大な思い出が頭に流れ込んだ。カチッとピースがはまる、声が戻る、表情が戻る。慧助が私の中に帰ってくる。
彼の表情、温かさ、声、言葉。そうだ全部、全部思い出した。
そうだ、私は慧助に会えたんだ。
やがて、電車はトンネルに入り、真っ暗な窓ガラスに私が写った。
しかし、それに私は違和感を抱く。
写っているのは間違いなく私。だけど、目の前の彼女は泣いている。
すると、右手が上に持ち上がる。まるで目の前の彼女が私を操るように。
やがて、そっと頬に触れた。
あ、私…泣いてる。
私の頬に涙が筋を引いていた。瞼から絶え間なく弾き出されて、それは靴の上にポタポタ落ちていく。
次第に瞼に熱が戻った。
彼が最後に言った言葉。
彼が最後に見せた表情。
どうか僕のことは忘れて…
そう言ったよね。でも…
「無理だよ、慧助のことを忘れるなんて。」
私にはできないよ。
電車の中で、とうとう耐えきれなくなって、私は嗚咽を漏らした。周りの目は気にならない、だって今はこうしないとおかしくなりそうなんだ。
もし、こんな時慧助がいてくれたら…
目元を拭った。泣きたくないのに、涙が出てきてしまうから。
不意に袖が右目に触れる。そして私は気がついたんだ、一番重要なことに。
そうだ…慧助は死んでない、彼がまだ私の右目の中で生きている。彼は隣にいる、私は1人じゃない。
そう考えたら、不思議と涙が止まった。きっと慧助が止めてくれたんだ。
目元に残った涙を、袖で拭う。
決めたよ、私もう泣かない。
そうじゃないと安心出来ないでしょ。だって君は優しいから。
ぐりぐりと目元を擦り、窓の外を見る。既にトンネルを抜けた電車は雪の中を駆け抜ける。まるで矢のように。
そう言えば、一つだけ言い忘れちゃったな。
まだ間に合うかもしれない。そう思って私は呟く。
「好きだよ、慧助。」
愛してる…
その時、気のせいかもしれないけど、一瞬背中がフワッと温かくなったような気がした。
こんばんは、どうもお久しぶりです。嘘月です!
今回は文フリと言うことで短編の方を投稿致しました。意外と一万文字を書くのは大変ですね…
さて、今回の作品はいかがでしたでしょうか。自分で言うのはアレなのですが、今回は自信を持って書かせていただきました。もし「面白かった!」「つまらない…」などの感想があれば、書いてもらえると心の支えになります。
さて、『at least one word』ですが、日本語訳にしますと、最後に一言、となります。
右目を失ってしまったミカ、しかしある日突然手術をすることになり、右目の視力が完全回復します。その背景では、慧助の死が重要な役割を果たしています。
まぁ、大体の人がお察しのように、ドナーってやつです。病室から姿を消した一週間後、病状が悪化した慧助は、『もし、僕の右目が正常だったら桜井海花という女性に渡してください。』という遺書を残し、彼は死んでしまいます。そして慧助思惑通り右目はミカに移植され、結果として右目の視力が回復する訳です。
ちなみに病院の先生からは、奇跡的に治ったと言いますが、これも慧助の遺書に書いてあったという設定です。
まぁ、話としてはありがちな話ですが、何とかしてタイトル回収が出来ました。…ぶっちゃけな話、タイトル回収だけのために、ストーリーよりもタイトルを考える方が時間かかりました。
さて、長くなってしまい申し訳ありません。一応文フリの期間中にあと、二つ、三つほど作品を投稿してみるつもりです。
またどこかで嘘月の名前を見つけた時は、暖かい目で見てもらえらと幸いです。
それでは、また次回。
おやすみなさい。