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八百八町鍋日記

作者:香上 之
 興味を持っていただきありがとうございます。

とびらのさま主催『清純ギャグ短編企画』に参加させて頂きたくタグつけています。よろしくお願いします。
 季節は冬! 十一月も末に差し掛かり、あともう月を跨げば忘年会に雪崩れ込む。そこからはクリスマス、年末、新年へと飲食業界には逃すことの出来ない怒濤のシーズンだ。 

「これ、白菜の葉は最後でよい」
「そちらの鱈はそろそろ食べ頃だろう」

奉行(ぶぎょう)うるせぇよ」
「まぁまぁ、確かにその方がおいしんだからさ」

 街に溢れる温かな光景と、そこかしこで鍋を囲む家族や恋人たちの語らい。まさに冬の風物詩だろう。そんな気合いの入った街の空気に、やや辟易しつつ家路を急ぐ。
 新見 忠(にいみ ただし)は、激務に追われる国家公務員だ。

 今夜もすっかり遅くなってしまった。それでも忠は(いこ)いを求めて暖簾(のれん)をくぐる。彼の愛する個人経営の小さな居酒屋。ここ半年の行きつけだ。

 その出会いはまだ初夏の頃。未だ体が季節に順応しない気だるく暑い夕暮れだった。飲んべの勘に従って路地の奥の奥に行き着いた。灰色に色の抜けた木造建築はよく言えば適度に枯れた、悪く言えばあばら屋ともいうべき外観だった。清掃の行き届いた店内は外観に反して居心地よく気づけば半年。常連というほどではないが、親父ともすっかり通じあっている。

「とりあえず生で」

「あいよ!」

 全部わかってるよ……と、言わんばかりのどや顔で間髪入れず大ジョッキを差し出す親父。そのガラスが白く霜に覆われる様に思わず頬を緩めながら一息にあおる。
 外はすっかりコートを手放せない気候だが、これがいいのだ。キンキンのビールをぬくぬくの部屋で頂く。これを至福と言わずしてなんというのだろう。ぐびりぐびりと音を鳴らして喉を滑り降りてゆく官能。体温に温められた液体が微かに放つ芳香が炭酸と共に鼻孔を駆け上がる。アルコールと炭酸に刺激され、空の胃袋も忘れていた空腹を訴え始めた。

「ぷっはぁ~」

 あえて声に出して言いたい擬音。一息のうちに半分も消失した命の水(生ビール)。半ば呆然(ぼうぜん)としながら無意識にさまよった手に温かいものが触れた。

 そういえば「おしぼりは冷や熱か?」との問いもいつしか無くなったな。認識の外では、いつの間にか熱々のおしぼりと突き出しがセットされていた。たった一人しかいないフロアのバイト君も見知った顔……その親父そっくりなどや顔やめろ。

 今宵の突き出しは(かぶ)と厚揚げを炊いたん。
 そっと歯をあてる。さっくりと割れる蕪の優しい触感。厚揚げからしゅんでてくるお出汁と相まって口中は幸せでいっぱいだ。

「わかっている!わかってるよ」

 声にならない声で呟きながら二口ほどで胃に納まってしまう。ここでまたビールを一口……至福。至福以外の何者でもない。

 ようやく人心地だ。親父がぶっきらぼうに差し出した漬物盛を受け取りながら、手書きの和紙に列挙されたお薦めを眺める。今宵は何をメインに、と思案するこの時間すらも完璧だ。


(ただ)っちゃん、ブリのいいとこ入ってるよ。お造り、照り焼き、塩焼きなんかもイケるし、ブリしゃぶなんかも小鍋で一人前から出せるよ!」


 ほほう、ぶりしゃぶ……鍋ですね。


 こくりと小さくうなづくと、親父も嬉しそうに微笑み、ギラリと照明を反射する細身の包丁を取り出した。柳葉とかいうものだろうか。
 いい加減慣れたが、包丁を構えてその笑顔はやめた方がいいぞ親父。と、またまた内心で思いながらもカウンターの向こうの手元から目が離せない。見事な柵からやや厚めに切り出されたその断面は脂にギラリッと輝き、角はぴんっと立っている。凶悪なまでの引力が視線を釘付けにする。

 ごくりっ…と喉が鳴った。旨いものに特有の何かに引き付けられながら酒を堪能できるこのカウンター席。親父の手元が見えるように冷蔵ケースと酒瓶の間に少しだけ隙間を開けた席が忠の定位置だった。
 カウンターの両端から二名座らせて一席開けてちょうど宙に浮く席というだけなのだが、忠自身が気に入っているので良いのだ。

 手元には、いつのまにかカセットコンロが設置され、おろしポン酢と水菜も準備万端。おろしの真ん中にそっと添えられたもみじおろしの赤がまた嬉しい。

「ぶりしゃぶ、お待ち!」

 華やかに盛りつけられたブリの身が照明を反射してテラテラとひかる。見事!と膝を打ちたくなる(ただし)は立派なオッサンだ。ふたたび喉がなる。

 心のダムはすでに決壊し、箸を手に取り準備は万端だ。
だが、もうひとつだけ、絶対に必要なアレがまだだった。アレが出て来ていない。

 そう、あれがなければ、俺はこの鍋を食すわけにはいかないのだ。親父は次の調理に取りかかっている。振り向くがバイト君も他の接客に忙しそうだ。そして、この店に他のスタッフは居ない。
 念のため取り出したメジャーで鍋の直径を図る。正式な手順で取っ手の端から21.7㎝……いわゆる五号鍋というやつだ。

 親父さん…

 悲しげな視線を向ける私に気付いた親父の怪訝(けげん)そうな表情。俺だってこんなことは言いたくない……言いたくないんだが、それは許されないことだった。

「……悪いがこの店は処分を受けることになる」

 新見忠は国家公務員。ついでに言うと文〇省なんて似合わないところに籍を置いてたりする。

 懐から名刺サイズの免状を取り出しながらそっとため息をつく。いい店だったんだが……

 残念だ。未練たらしくもブリの切り身から目が離せない。後ろのテーブル席では同じ歳ぐらいのオッサンと若い女性が同じくブリしゃぶに舌鼓をうっていた。もっと早く気づけよ俺。

「文化保護法〇項□□状により、当該店舗は違法営業の疑いがあります。有資格者は認定証を提示するか、居なければ即刻営業を中止してください」

 ガヤついた店内に満ちる一瞬の静寂…何度経験してもこの時ほど気まずいものはない。

「ちぃ、奉行か!おい、照明を落とせ!」
「やろう、ずっと内偵してやがったのかよ。常連だと思ってたのに……」


 20xx年、文〇省は我が国の文化を正しく伝えるため、新たな国家資格、

『卓上に於いて鍋料理等の美しい采配を指導する資格』を設置。

当該料理を提供する飲食店に対して有資格者の常駐を義務付けた。通称、鍋奉行(なべぶぎょう)だ。

 そして三年、その余計な人件費に(いきどお)る大衆店を中心に無資格営業が頻発。これを取り締まるべく営業停止など強制執行を可能とした上位資格『卓上に(略)~資格 乙種』を新設した。同時に前資格は『卓上に(略)~資格 甲種』と改名を定められる。取り締まり権限を持つ本当の鍋奉行の誕生であった。


 アホ言うな、俺自身、心の底からこの店を愛していたさ。歳をとると声に出さない独白が多くなっていけない。

 この時期、判で押したように大量発生する違法店を取り締まるべく、忠は残業に追われている。まさかこの一服の癒しでさえもが侵されるとは苦渋の思いでいっぱいだ。

 因果な商売だよなぁ。好きでとった資格だったのに……

 ブレーカーを落としたのか店内照明が一斉に落ちる中、カセットコンロの青い炎に照らされて突っ込んでくる若い店員の姿が見えた。これはあれだ。最近SNSで拡散されている取り締まり逃れの手法で証拠隠滅を図るやり口だ。だが、こちらだってプロだ。対策は日々話し合われている。
 すでに写真は撮影してGPSデータと共に専用サーバーに送信されている。今さら。♯飯テロ なんかではない……こちとらお仕事で撮影してんだ。

 スナップを利かせた菜箸で鍋に延ばされた手を打ち据える。証拠はすでに充分だが、火にかかった土鍋に手を伸ばすのは危ないだろ!

 ひるんだところで関節をとって()じりながら、カウンターと反対方向から足を払って床に押さえつける。スーツのポケットから常備しているタイラップを出して手首・足首を簡易に縛り上げて転がしておいた。熱湯の近くで暴れられると危ないしな。

 一瞬の手際に親父も他の客も言葉を失っている。そのすきに、スマホで応援要請を送信。サーバーに上がった時点で先行準備しているはずなので、最後の一押しに要請を入れれば店内になだれ込んでくるはずだが……そう思いながらも最後まで油断はできない。

 何かのきっかけで酔客が暴徒化すれば俺一人がタコ殴りに合うことだってありうるからだ。慎重に、ゆっくりと免状を顔の横に掲げながら声を張る。

「はい。ちゅーもーく! 店内の皆さんにはこの後、簡単な事情聴取を受けていただきます。特に悪質な事例でない限り、皆さんが罪に問われることは……」

 テーブル席のオッサンは頭を抱えていた。女性の金切り声が聞こえる……もしかして表に出せない関係だったのかもしれない。すまん。だが、ざまあーだ。

 新見忠は独身だ。身分を明かせばそこそこエリートと言われる路線にはのっているものの、忙しさにかまけて時期を逃した四十路男なのだ。仕事に私情は挟まないが、内心ざまぁと思ってしまうことぐらいはよくある。



 季節は冬! 十一月も末に差し掛かり、あともう月を跨げば忘年会に雪崩れ込む。そこからクリスマス、年末、新年へと飲食業界には逃すことの出来ない怒濤のシーズンだ。 

「これ、春雨は早く取り出しなさい」
「そちらのお肉はもうひとしゃぶで食べ頃だろう」

鍋奉行(なべぶぎょう)うぜぇ」
「でもまぁ決まりなんだし……」

 街に溢れる温かな光景と、そこかしこで鍋を囲む恋人や家族たちの語らい。まさに冬の風物詩だろう。
 そんな気合いの入った街の空気に、やや辟易しつつ家路を急ぐ。今夜はもうすっかり飲みに行く気力も失せた。スーパーで何か簡単なものでもと近所の地域密着の店へと足を踏み入れる。鮮魚コーナー脇には総菜や、あとはもう直接火にかけるだけに調理されたアルミの容器が並んでいる。

 ない……

 そこに掲示されているべき物がない。なかった……人のよさそうなオーナーの顔が脳裏に浮かぶ。

「はい。ちゅーもーく!」



 新見忠は、激務に追われる国家公務員だ。
四十を少し回った胸中に今夜も声に出せない独白が落ちて……よどむ。


「は、はらへった……」




おしまい。
お読みいただきありがとうございました。
2017/11/11、俺・私の混在を訂正しました。

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