王子の感情
「王子、城が、城が魔王軍の手に落ちました!」
伝令のその声を、第二王子であり、指揮官であり、この国最強と呼ばれる戦士である俺は戦場で受け入れる。
俺の国は人間の国としては一番最初に魔王軍に狙われた。
やつらが国境近くの大きな街を突破しようとしているという情報が入り、こうして戦場に赴いているわけだが、罠だったのか。
「生存者は?」
短く尋ねれば伝令は一度口をつぐむも、意を決したように言葉を紡いだ。
「戦闘員ではない一般職務者も含めほとんど全滅・・・。
王、王妃を含め、王太子、第3王子、王族の方々も・・・別邸にいた王太子妃とお子様方もお亡くなりになりました。
生き残った王族は王子、貴方様おひとりでございます。
私を含め5人が伝令として逃がされましたが・・・。」
父母、兄夫婦とその子供、弟、みんな・・・。
それに伝令としてこの地へやってきたのはこの男ただひとり。
たぶん他はもう、この世にいないのだろう。
それが現実だ。
俺は瞬時にすべき事を考えた。
嘆くより大切な事は敵討ちでも何でもなく、できる限り生存者を増やす事だけ。
魔王軍の陽動作戦に引っかかって俺が城を離れ国境の防衛線で立ち回っていたのは悔やんでも悔やみきれないがそれはあとまわしだ。
幸い今、三副将と言われる魔族のうち最後のひとりを片づけた所だった。
陽動にしても俺ひとりここへ釘付けにする為、手ごわいのをそろえたらしい。ご苦労な事だ。
あとの二人は昨日のまでに倒している。
今倒したこいつに手間取った理由はこいつがアンデッド族だったからだ。
今回の戦いで昨日までに5回ほどあの世に送ったのに何度も何度も繰り返しよみがえってきては俺の仲間を自分の仲間にしてた。
要するに俺の仲間とも言える配下たちの多くは自分の意思を持たない死体にされたわけだ。
それまで俺についてきてくれていた部下を今度は敵として切らなければならない俺の気持ちをあざ笑うこいつは本当に許せなかった。
いや、許せないというよりか、心もボロボロで疲れ果て、どうにかして終わらせたいという欲求だったかもしれない。
不蘇の剣と呼ばれる対アンデッド用の剣を今朝ようやく手に入れ、ソイツを使ってトドメを刺したのが今現在の状況。
最後のボスを倒され、魔王軍は慌てふためいて混乱している。
アンデッドたちは自分を操る存在を失い、ただの屍と化し、動かなくなっていた。
それ以外の奴らは逃げ出したり逆に暴れ出したりと様々で統一性がない。
「生き残っている者はひとかたまりになれ!怪我人に応急処置を施したら馬に乗せろ!一番近い神殿に引き上げる!
俺が道を開けるのでついて来い!」
俺は不蘇の剣を腰に挿し、代わりに背中に背負っていた大剣を握った。
アンデッド相手でなければ扱いなれたこの剣の方が数をこなせる。
「うぉっしゃぁ!」
気合の雄叫びを一吠え。
「生きるぞ!」
命令と言うよりか言い聞かせるかのように怒鳴り、それでも勝利をまとわせるが如く笑い、全力で走りながら道を切り開く。
魔王軍は本能で戦っている者も多いので戦う前に逃げ出す奴もいるが、そこそこ戦闘能力が高い奴は後顧の憂いを断つために
飛びついて切り捨てた。
逃げる相手にと思われようと『魔王以上の魔王』と呼ばれようと関係ない。
俺は俺の国の人を・・・守る義務がある。
血に濡れた、などでは生ぬるい。
死に溺れた、ぐらいの表現か。
俺の赤い髪や鎧は魔物の青や緑の血に染まり、元の色がわからないほど。
睨まれれば震え固まるしかないと言われる深紅の目だけをぎらつかせ、俺は神殿に向かった。
そこには数人の見習い神官と、避難してきている一般市民の姿が。
そう、ここには今見習い神官だけ。
それ以上の実力の面々は俺たちに従軍してくれた。
アンデッド軍団に立ち向かう為だ。
神官たちの祈りと穢れを払う力のおかげで俺たちは全滅を免れたと言ってもいい。
不蘇の剣を見つけ出し、俺に届けてくれたのも神官だった。
ただ、彼を含めて神官のほとんどがその命を落としたのも事実だけれど。
しかし今はそれを報告している余裕などなかった。
見習い神官の中でも比較的落ち着いていてリーダー格の少年に声をかける。
「魔王軍三副将は倒した!このあたりにいるのは後は雑魚ばかりだが油断はできない!
俺はそのあたりの奴らを追い払ってくる!
避難してきている市民にも協力を要請して今すぐけが人の手当てに当たってくれ!
あとみんなに休息と食事を与える事ができるよう頼む!」
それだけ言うと俺は逆走し、みんなを神殿に送りこみながら追いかけてくる魔族を片っ端から切り倒した。
一振りで一匹では手間がかかるのでできるだけ狙いを定め、同時に3~4匹ぐらいは片づけていたら
魔物たちは神殿から遠く離れたところへと逃げ去り、神殿の中だけが喧騒に包まれていた。
俺は大きく息を吐く。
まだだ、まだ俺は休むわけにはいかない。
一度俺は神殿に戻る。
そこは別の意味で戦場。
だが、治癒や回復などの魔法を使えない、戦う事しかできない俺は必要ない戦場。
俺はゆっくりと周りを見回し、目的に相応しい人物を見つけた。
それは最初に声をかけたリーダー格の神官見習い。
彼は人に治癒魔法をかけすぎたせいで魔力が枯渇したらしく、小休憩中のもよう。
そんな彼を俺は門の近くに連れ出した。
ついでに1脚の椅子も持って。
疲れた顔をしていた少年は文句も言わず、俺についてきた。
俺の腰にある不蘇の剣を眺めながら。
「あぁ、これはここの神官長が届けてくれたんだ。彼は命を賭して・・・。」
「そうですか・・・。」
少年は祈るように目を閉じる。
俺は黙ってその様子を見守った。
やがて彼は顔を上げる。
話は何なのだ、と。
「ここでこれを持って座っていてほしい。何、休憩だと思ってくれればいいさ。」
そう言って椅子を門の外側に向けて置き、その前に大剣を突き立てた。
少年神官は目を丸くする。
俺は笑った。
俺が笑えばみんなが安心する。
俺が笑えばどうにかなるとみんなが信じる。
俺は今までの生き方としていつも笑う事が常となっていた。
だから今も笑う。
「ここで俺のフリをしていてくれ。」
そう、少年は背が高く、髪が俺と同じように赤かった。
俺の赤い髪は特徴的。
むしろ赤い髪で大剣を持った人間を見たら逃げろというのが魔王軍の中でも弱い部類に入る奴らの定説らしい。
だったら、赤い髪で大剣さえ持っていれば、少なくとも遠目には誰でも俺に見えるはず。
弱い魔族ならなおさら近づいてくる事もない。
「一日3回・・・そうだな、2時間ずつくらいでいいか。それで充分、牽制になる。
魔族の奴らも迂闊にここへ攻めてくる事はないだろう。」
「王子・・・。」
「俺はちょっと城に行って魔王を倒してくる。心配するな、すぐ戻ってくるさ。
魔王だってこう、俺にかかれば・・・知ってるだろう、俺が『魔王以上の魔王』と呼ばれている事ぐらい。」
にかっと全力で笑って見せる。
俺の髪は今、魔物の青緑色の血に染まっている。
この状態なら少なくともいつもの赤い髪よりかは目立たないはず。
それに不蘇の剣なら何度切っても効果がないと言われる魔王にもダメージが与えられるかもしれない。
「で、でも僕・・・。」
「大丈夫、俺の部下にもちゃんと言っておく。君の事は全力で守るよ。
ここに座っているのは、魔力を回復させる為の休憩。ただそれだけの意味で十分だ。
俺と勘違いしたうえで勝負を挑んでくるような奴が来た時は全力で逃げてくれ。いいな、命は大事にしろ。」
実際俺の作戦はすでに生き残っている俺の部下に伝えてある。
そう、ここに『俺』がいると思わせるだけでいいのだ。
城にいる魔王が油断してくれればいい。
「わかりました。」
少年は頷いた。
俺はその場に控えていた俺の部下に視線を走らせる。
心得た、とばかりにみんなが頷いた。
「ご武運を。」
その中でも一番付き合いの長い男が俺にそう告げる。
「あぁ。」
俺は用意された馬に飛び乗った。
回復薬を口の中に放り込み、瞬時に体力を満タンにする。
気が張っている今のうちに魔王を攻める。
もし今立ち止まってしまったら動けなくなる。
ただ、それだけ。
魔王を倒す、その事だけを考え、俺は王都に馬を走らせた。
今回は慎重に、慎重に。
できるかぎり魔族を避け、5日ほどかけて王都へ。
その間ほとんど眠らなかったにも関わらず、いつも目は冴え冴えとしていて自分でもおかしいと思ったが、気にする事もない。
妙に冷静な俺は頭の中がマヒしているのか、感情が機能していなかったのだろう。
さすがに馬は乗り潰してしまう事になったが、それはそれでなんとかして、王族だけが知る秘密の通路で城へ向かい、潜入に成功した。
魔王は玉座の間にいつもいるというのは情報として手に入れている。
俺は勝手知ったる自分の家・・・城の中でもひときわ豪華と呼ばれるその場所目指して歩いた。
・・・おかしい、魔族の1匹も出てこない。
なんだこの静けさは?
俺はあっという間に玉座の間にたどり着く。
「・・・罠、か。」
扉の前で思わず苦笑い。こんな時でも笑いがこぼれる。
どうやら俺が生き残ってここを目指しているっていう情報はしっかり魔王に届いているようだ。
赤い髪の神官見習いは・・・逃げてくれていればいいがもうたぶん生きていない。
バカだな、俺は。
まだ若い命を犠牲にしたか。
愚かだ。
さて、これ以上愚かな事があるのか。
この扉を開ければさて、どうなっているやら。
だからと言ってここで引き返すのもムダにしかならない。
偵察の真似事にしかならないかもしれないけれど、やるしかない。
俺は表情を消すとまず扉を自分側に引き寄せ、さっと身を隠した。
扉は簡単に開いた。
玉座の間に何かいるのはわかるが、こちら側に出てくる事はない。
俺はゆっくりと玉座の間を覗き込み、無言でそれらを認める。
玉座には、たしかに人間ではない存在が座っていた。
しかしそれよりも、もっと俺の目を引いたのは赤い絨毯の上で俺を待ち構えるように立っている人影。
ふらり、と俺はその人たちの前に立った。
「父上、母上、兄上、義理姉上、セーダ、ホージョ、アスーカル・・・。」
父母兄弟や兄嫁に甥姪。
彼らが俺たちの目の前に立っている。
だが、それらの体はどう見ても生きている人間ではなかった。
変な方向に折れ曲がった手足、えぐれている体の一部、ぶら下がっているだけの首。
変わり果てた、俺の家族。
操り人形になったアンデッド。
「うぉうぉぉぅ・・・ォォォォォ!!」
「あーにーうーえぇぇぇ!」
「おじちゃまぁ、あそぅんでぇぇぇぇぇ!」
「おいじぞぉぉーーーー!!」
彼らは一斉に俺に襲い掛かってきた。
でも。
彼らの体は一瞬で切り刻まれ、光の粒となり、その場から消えた。
操られている魂ごと。
彼らに襲われる前に俺は感情を切り捨てていたから、迷う事などなかった。
彼らの死を聞いた時から俺はどうやら割り切っていたらしい。
涙も流れなかった。
心も痛まない。
彼らの死を聞いた瞬間から全部心の奥にしまいこんだから。
俺がすべき事は魔王を倒す事。
「さすが、我以上に魔王と呼ばれる男よ。アンデットの体とはいえ家族をためらいなく切るとは。しかも幼い子どもまで。」
魔王が笑う。
「それしか能がないんですね。」
俺は淡々と答えた。
「それで、ここには何の用があって来たのだ?我の軍門に下るというなら喜んで受け入れよう。
そなたの所為で優秀な・・・いや、人間如きにやられるなど、大した存在ではなかったのであろうな。
とにかくこの国を任せようと思っていた者がいなくなってしまった。
そなたに預けてもよいな。
そなた確かこの国の第2王子であったか。邪魔な兄がいなくなり、王となれるとは幸運であろう?」
その言葉を聞き、俺を突き動かしたのは感情ではなく本能に近い攻撃と殺意。
「幸運、ね・・・。幸運でなれるほど王は甘くない。」
俺は一気に魔王との差を縮めると不蘇の剣を魔王に突き立てた。
しかし。
魔王は不気味に笑ったかと思うと、不蘇の剣ごと俺を指一本でふっ飛ばす。
石壁が割れるかのような勢いで俺は扉の近くに叩きつけられ、不蘇の剣は真っ二つに折れた。
「ふははははは!バカか!勇者の剣でなくて、我を傷つけようなどと片腹痛いわ!」
魔王は、無傷。
「いやいや、こういうバカばかりだから人間は滅ぼすべき存在なのだ。しかし、しかし面白い。」
魔王のにやついた顔は俺の心を逆なでしているはずなのに俺は無反応。
「お前を我の思い通りに動かせばさぞかしおもしろい世界が出来上がるだろうな。」
魔王が俺に何をしようとしているのか即座に理解するも、体が動かない。
「お前は王とは何たるか、我がわかっていないと思っているようだが、我はわかっている。
王とは民を満足させる存在。
我は我の民たる魔族を満足させたいと思っているのだよ。
人間の悲鳴、血、肉、絶望、痛み、全てが我が民の為。それのどこが間違っている?」
あぁなるほど、確かに王として間違った事はしていないわけか。
それがこの魔王の絶対の自信と力になっている、と。
俺はここで終わるのか?
魔王は立ち上がり俺にゆっくりと歩み寄ってくる。
ここで一度殺され、アンデッドとして復活して今度は俺が人を殺すのか?
そんな事、俺は絶対に嫌だ。
そうなるならいっそ・・・。
俺は渾身の力を振り絞った。
久々に浴びた大ダメージの所為で体はしびれっぱなしだし全身がふらふらしている。
しかしこのまま俺の体を好きなように使わせるわけにはいかない。
俺は立ち上がる。
手にしたのは不蘇の剣の折れた刃。
「ん?そんな物で我にまだ対抗する気でいるのか?愚かな。」
違うさ。
この剣で切られた者は、二度とよみがえる事ができない。
つまり、だ。
「何だと!?」
驚く魔王の目の前で、俺は俺の左太ももを不蘇の剣で刺した。
おびただしい血の色は、赤。
痛みよりもその事に安堵する。
そう、俺はまだ生きているんだって。
これで俺は、復活不可の体になる。
少なくとも死んだってアンデッドになって人々を襲う事はない。
「なんでもかんでも自分の思い通りになると思うなよ、魔王・・・。」
にやり、と笑った後、俺は吹き飛ばされながらも確認していたその場所・・・そう、一か所だけ模様が違う床の上に立った。
「再戦を楽しみにしていてくれ。」
笑いながらそう言うとその床を強く踏み抜く。
すると床はあっという間に落とし穴となり、俺は落下。
しかしそれは俺を寝転がした状態で下へ下へと滑らせる。
床はもちろんすでに閉まっている。
あの床は王族にしか反応しないし、この行き先を魔王は知らない。
探査魔法で探すにも時間がかかるだろう。
みっともなく逃げ出しながらも奴の思い通りにならなくてほっとする。
少なくとも、俺が蘇らないっていうのはかなりおいしい。
とりあえず。
「絶対に、生き残るさ・・・。」
魔王にダメージを与える武器の名を、俺は少なくとも知ったのだ。
魔王を倒す、勇者の剣を見つけて、絶対に、この俺が。
その後俺は何とか脱出成功、傭兵として他の国へ渡った。
勇者の剣を見つける為に。
ちなみに俺の偽物がいた神殿は、やはり俺が不在の間に攻め込まれてしまっていた。
しかし・・・俺の偽物が魔物たちの目を引いている隙に大部分が隣の国に逃げおおせたのだそうだ。
俺の偽物は神殿長の息子だったらしい。
守られるよりも守りたい、死んだ父の分も戦うのだと、笑ってあの大剣を握ったそうだ。
持ち上げる事もできなかったらしいが、必死という言葉のとおり、俺のフリをして、彼も彼の父の元へ旅立ってしまった。
俺は結局、何もできない王子。
情けないダメ王子。
だから王子の名を捨てる。
王子という身分ではなく、俺自身という人間の手で魔王を倒さなくてはならない。
勇者の剣を探した。
探して探して探して、それでも見つからなくて、聖女が魔王にさらわれた国にあるのではないかという噂だけを頼りにある国に流れついて。
しかし、それは俺が手に取る前に、別の人物の所有物となった。
その人物はある日、食堂で昼食を食べていた俺の目の前に現れる。
「はじめまして戦士殿。私、勇者です。私と一緒に魔王を倒してもらえませんか?」
穢れなき美女の笑顔に一瞬で心を掬われ『落ちる』という表現でしか言えない感情に支配されたのは、その時。
肩につくかつかないかの長さである黄檗色の髪はさらさらと風に揺れ、太陽の光を反射させて輝き、
明るい茶色の瞳がまっすぐにきらきらとした眩しさを秘め、細いながらも、健康的な手足はすらりと伸びた色白の美女。
柔らかな声は希望と信念で体中からみなぎる力強いオーラが彼女を『勇者』だと俺に教えた。
清らかさと無垢さが同居して少年のような雰囲気を持ちながらも乙女の華やいだ甘さも兼ねている。
こんな存在がいたのかと息を飲む。
目を離せない。
彼女以外の全てがこの世から消えたと思うほどの衝撃。
「魔王を倒すのに貴方の力が必要なんです。」
俺を、俺の力を乞う、一生懸命な目。
彼女が、『勇者』。
「えぇ、もちろん。よろしくお願いします。」
気が付けば俺は笑って頷いていた。
勇者の剣が発見され、勇者が同行者を探しているという噂は聞いていたので押しかけようと思っていた所探す手間が省けた、とか、
そんな大人の事情全部吹っ飛ぶほどに心を奪われる。
バカじゃないかと思った。
全てを忘れ頭の中が空っぽにあったあげく、親の仇より世界の平和より何より、この人のそばにいたいからと本能で頷いた自分が、本当にバカだと思った。
それでも抗えない何かが俺を彼女のそばに置く。
可愛い女、きれいな女、色っぽい女なんて今までいくらでも出会った。
それこそ最上級レベルの女をそれなり選び放題だった以前の俺。
あの頃伴侶を得なかったのは独身の自由という奴を謳歌したかったからだと思っていたし、今では魔王を倒す事が最優先でそんな気分になる事など欠片もなかったが、今は違う。
俺は勇者と巡り合う為にひとりだった。
勇者と共に歩むために俺は勇者の剣を探していた。
そう思うほどに惹かれた。
自分で自分が信じられない。
もしかして魅惑系の魔法でも使われたのかと思ったがそういう物は感じない。
なら別の誰かが・・・と思い、そこで俺は彼女が一人で俺の前に現れたのだと気が付いた。
彼女に同行者という二人の男・・・どちらも若かったが従者と神官だと紹介されるまで眼中になかったのだ。
いやむしろ目に入れたくなかったのか・・・。
若い男がこれほど美しい女につき従う。
どんな関係なのか、どういう感情を抱いているのか。
想像するだけで黒い感情がふつふつと小さく泡立って熱くなる。
完全にどうかしてる。
俺はお互いの自己紹介や、『導きの珠』という物で仲間を探す方法などについての話をしながらも、
ようやく自分の本来の目的・・・彼女の腰に挿している『勇者の剣』に視線を落とした。
鞘に納まっているので刀身は確認できないが、見た感じごく普通の片手剣。
特別な雰囲気は感じられない。
不蘇の剣でもまとわりつく霊気と神聖な力を感じたのに、それが全くない。
いや、鞘から取り出せば何か感じるところがあるのか。
彼女たちがとりあえず宿を同じところにしてこれからの方向性を考えようと提案してきたのに頷きながらも考えつつ、
勇者を探して旅に出るつもりだった俺は元々自分の荷物を全部まとめて持っていた事もあり、そのまま彼らの宿に向かう。
その間中神官が『その髭はなんだ、うっとおしい!髪もまとめろ!勇者の同行者として恥ずかしい!不潔にみえる!』とうるさく言ってきたがそれは軽く流した。
それに『えー、私ワイルドでカッコイイと思いますよー。』と勇者が言ってくれたのでこれで伸ばしっぱなし決定だ。
髭を剃るのも髪を整えるのもめんどくさいというか、そんな時間があれば別の事をしていたいと考える俺にとっては神の許し。
ちゃんと洗っているしそれなりに櫛もちゃんと通しているので不潔ではない、と、とりあえず神官に笑いながら言っておく。
何よりも勇者が褒めてくれたのだ。
それだけで俺の心が弾む。
こんな気持ちになったのは本当に久しぶりだった。
きっと勇者の剣が見つかって高揚しているのだと自分で自分に納得させる。
どす黒い思いとキラキラする思いが頭の中で絡まるのに混ざる事がないおかしさ。
そうしているうちに宿についた。
「勇者殿、まず貴女がどれほどの腕前か知りたいのでお手合わせしてもらっていいですか?」
荷物を置いた後、提案してみる。
「はい。でも、初心者なので・・・お手柔らかにお願します。」
初心者、か。
彼女に出会った時から手練れではない雰囲気は感じていたが・・・。
いや、勇者の剣に選ばれたのだから何かあるに違いない。
そう思いながら宿の庭を借り、剣を打ち合わせてみたのだが・・・。
「っん!!」
彼女は俺の一撃・・・いや、大剣で彼女の攻撃を軽く跳ね返しただけにも関わらず地面に転がってしまった。
何だこの劇的な弱さは?
俺は驚きを隠せない。
「あの、もう一度、お願します!」
彼女がそう言いながら立ち上がり剣を構えるのを見て俺は慌てて頷く。
いや、今のはきっと間違いに違いない。
そう思ったがやはり結果は同じで、俺は一歩もその場を動く事なく、しかも自分から仕掛ける事なく彼女をねじ伏せてしまった。
俺は強い、強いのはわかっている。
しかし彼女はあまりにも弱い。
確かに普通の女の子や令嬢と比べるなら体さばきも悪くないし練習したんだろうな、という雰囲気はある。
しかしこの程度で魔王を倒すというのは無謀という言葉に失礼ではないだろうか?
せめて女騎士ぐらいの実力が必要だと思う。
彼女の攻撃を跳ね返しながら俺の戸惑いだけが膨らんでいく。
これが勇者?
こんなか弱い乙女に魔王を倒せと?
途端に湧いてきたのは神への怒り。
ふざけるな、こんな事許されるはずがない。
俺が、俺が彼女の代わりに。
そんな俺に彼女は剣を打ち込み続ける。
最初は黙って見ていた神官と従者も、『邪魔をしては悪いので』と言って部屋に引っ込んでしまった。
どれだけ経っただろう。
太陽が大地の向こう側に沈みかけた頃。
「・・・はぁ。」
彼女は何度目かわからない地面との抱擁に身を投じていた。
俺は相変わらず立ちっぱなし。
あぁ、彼女があおむけで寝転がっているのを見ながらあの状態であれなら胸も結構デカいな、とか煩悩に少々侵されてはいたけれど。
とにもかくにも彼女は空を見上げ、苦笑い。
声もままならないらしい。
俺は彼女の横に座った。
「剣、見せてもらっていいですか?」
そう言いながら彼女の返事を待たずにそれに手を伸ばす。
拒否されるかもしれないと思っていたが、彼女はあっさりと『いいですよ。』と笑った。
俺は探し求めていた物をようやく見つけた喜びで震える手をなんとか押さえ、ごく普通を装いながら彼女の剣を握った。
観察を重ねればその分だけ、普通にしか思えない片手剣。
キレ味もそれなりだろう、としかいいようがない。
打ち合いをしていても特別な硬さを感じる事もなかったし、特殊効果も感じない。
それとも普段は普通だが魔王を倒す時だけ何か力を発揮するのか。
だから俺は発見できなかったのか?
本当にこんな物が魔王を倒せるのか。
これさえあれば俺は・・・。
そう思いながらも剣を色んな角度で観察しようとして、俺は自分の手に血がついている事に気が付いた。
もちろん俺はケガをしていない。
よく見れば剣の握り手部分にそれはまとわりついている。
「・・・手のマメ、潰れてるんじゃないですか?」
尋ねれば彼女は上半身を起こし、へへっと笑った。
彼女の手の平にはいくつかのマメがあり、それらが破れて血が滲んでいる。
「こんなにも剣の打ち合いをしたのは初めて。王都でちょっと習ったんですけど、魔法とか身の守り方とか、そっちの練習もしなくちゃいけなかったから。」
そう言うと腰についた小さなポーチから包帯を取りだし、患部を覆う。
「神官殿に治してもらえばいいのに。」
そう言うと勇者は首を横に振った。
「そうしたらまた手が柔らかくなっちゃうじゃないですか。
そんな事になったらいつまでも手が痛いままでしょ?
今我慢して乗り越えたら手の平も堅くなって、剣を振るっても平気になります。」
あぁ、そういう事は理解しているのか。
俺はまじまじと彼女の手を見た。
利き手の中指がずいぶん堅いように思う。
俺がそのタコをじっと見つめれば彼女は笑った。
「えっと・・・私、元はおじいちゃんがやってる時計やさんの売り子兼お手伝いだったんです。
子どもの頃から修理とか教えてもらっていて・・・このタコは道具を毎日使っているうちにできちゃいました。
凄くね、好きだったんです。時計をいじるの。つい夢中になっちゃって・・・。」
雑談の中、彼女の身の上話を聞けば聞くほど俺の心は複雑になっていく。
彼女は勇者として選ばれるまで剣を握った事もないただの町娘だった。
思わず俺は尋ねる。
「勇者にはどうして選ばれたんですか?勇者になって辛くないんですか?」
辛くないわけがない。
戦う術も知らず抗う方法もわからず、いきなり戦えと言われ、血みどろの戦場に引きずりだされて、怖くないわけがない。
「うーん・・・まず最初に勇者の剣は私のおじいちゃんが持っていたんです。
昔、私の父が生まれる前、おじいちゃんのお友達がおじいちゃんにこれを預けたそうです。誰にも言わず隠し持っていてほしいって。
『いつか勇者がお前の前に現れる。その時に渡してくれ』って言い残して立ち去ったそうです。
おじいちゃんのお友達って凄く不思議な人だったらしく、それから一度も会ってないって言ってました。
それである日ぱぁぁぁって剣が光って・・・。
何が起こったかわからない内に私の手元に勝手に来て、こう、気が付いた時には握ってしまっていたというか・・・。」
なるほど、俺が見つけられなかった理由は無名の町民が預かっていたから、か。
そして彼女の祖父の友人という人物が鍵だが、彼女は何も知らないらしい。
むしろ最初は思い切り戸惑ったと苦笑い。
それはそうだ。俺も彼女の立場なら戸惑う。
「そうしたらそれから3日後ぐらいに王都の神殿から導きの珠を持った人達がいっぱい来て、『貴方が勇者ですね』って。
導きの珠が貴女の出現を教えてくれたのですって言われてそのまま王都に連れて行かれて・・・。
なんだかわからないうちに訓練受けたり、導きの珠の使い方教わって、はい、どうぞ、っていう感じでした。」
・・・有無を言わさず、か。
「でも、それが私のできる事ならいいかなって思うんです。
それに、ひとりじゃないから辛くもない、かな?
最初は神官殿が一緒に旅をしてくれる事になりました。
従者さんは最初、導きの珠も反応しなかったんですけど事情があって私たちについてきてくれている内に導きの珠が反応して仲間になりました。」
導きの珠、ね。ある程度執念を持てば違う反応をみせるって事か?
だったら例えば、勇者の交代もあるのか?
様々な可能性が俺の頭の中を駆け巡る。
そんな事も知らずに彼女はまっすぐ俺の目を見て微笑んだ。
「あとね、私、戦士殿に出会えて嬉しいです。
戦士殿が強いの、私わかります。すっごく頼りにしてます。
でも、今日みたいに剣の相手をしてください。私、強くなりたいんです。
守りたいんです、この国を。魔王を倒して聖女を取り戻したいんです。」
彼女のまっすぐな瞳がきらきらしている。
純粋な強さを求める穢れなき思い。
きっと大切なものを本当の意味で失った事がないのだろう。
そんな彼女をあの魔王の前に引きずっていく?
神はいったい何を考えている?
この国もこの国だ。
こんな、戦う事に疎い乙女を剣が選んだというただそれだけの理由で戦いに駆り出すのか?
それが世界の為なのか?
彼女一人を犠牲にしてそれで平和を得られるのか?
あの魔王に勝てると思っているのか?
俺にはわからない、理解できない。
それでも。
「わかりました。その前にこの剣をもっと大切にした方がいいですね。
手入れ、ここのところもっとしっかりした方がいいかなって。刃の部分はきちんとできてますけどほら、柄の部分。
ここちょっと緩んでますよね。しっかり刺し込んで固定させておかないと。布を巻いた後俺が持ってる固定剤を使いましょう。」
「そうだったんですね!ごめんなさい、気が付かなくて。」
「いいんですよ、勇者殿は初心者なんですから。」
「これからも色々教えてください。よろしくお願いします。」
「もちろんですよ。」
静かに周りは暗くなっていく中、俺はにっこり微笑むと彼女を立たせて部屋へ向かう。
とりあえず食事の時間にはなっているはず。
今日から俺はこの人と時間を刻むのだ。