第一章 一話 いつもどおりの朝
サヨの朝は忙しい。
朝日が昇り始めるころには起床し、まずは部屋の掃除をする。
同じ学園に通うルームメイトであると同時に、サヨの仕え主であるマリアを起こさぬように静かに、しかし隅々まで丁寧に。この我が儘お嬢様は気になるものはあれもこれも欲しがる割に飽き性で、お世辞にもそこまで広いとは言えない学園寮の一室はマリアの私物でいっぱいだ。それを毎夜毎夜気まぐれに手にとっては散らかすだけ散らかしてから眠るため、朝一番に掃除をしないと足の踏み場も満足にない。
掃除が終わるころには早起きな学生は起き出す時刻で、上下左右のほかの寮室から物音がすることもあるがこの寝ぼすけお嬢様はどこ吹く風。暢気に掛け布団を蹴飛ばし寝間着からお腹が出ているのを気にすることもなくむにゃむにゃと幸せそうに眠っている。
そんなマリアを微笑ましく思いつつ、身だしなみと寝具を整えてからサヨが次にする仕事は湯浴みをすることだ。国の用人の子が多く通うこの学園の寮は、潤沢な支援金のおかげか、設備がとても良い。地下から水を自動で汲み上げる術式が組み込まれた魔法具と、熱を発し物を温める魔法具を組み合わせた高級な魔法具がありいつでも好きなときに温水を使うことができる。
2人で入ってもまだまだ余裕のある大きな湯船に湯を張り、体を入念に清めてから湯船に浸かると体の芯からぽかぽかと温かくて。サヨは湯船に浸かり考え事をしている時間が好きだった。
「いつまでもこうしてはいられないわね」
この後に控えている仕事のことを考えると湯船がとても名残惜しく感じるが、両手でお湯を掬い、顔にぴしゃりと掛けてごしごしと擦るとサヨは立ち上がった。
体についた水滴を肌触りの良い布で拭き取ると、一糸纏わぬ姿でマリアの眠るベッドの傍らへ歩み寄った。
「お嬢様。お嬢様、起きてください」
声を掛けながら体を揺すると、まだ寝ぼけているのだろう、何かよくわからないことをぶつぶつと呟いてまた瞳を閉じる。
サヨは溜め息を吐きながらマリアの耳元に顔を近づけそう呟いた。
「お嬢様。起きてください、朝食のお時間です」
瞬間、さっきまで眠そうにしていたのが嘘のようにはっきりと目を開き、マリアはがばっと起き上がった。10歳にも満たないような幼い見た目をした16歳のマリアは、ところどころ変なほうに跳ねてしまっている腰ほどまである綺麗な金色の髪を撫で付けながら、爛々と輝く金色の瞳でこちらを見るとにっこり笑った。
「もうそんな時間か。今日もいただくよ!」
そう言うとマリアはベッドの上に立ち、傍らに立つサヨに正面から抱きつく形で首元に顔を埋めた。風呂から上がったばかりのしっとりと湿った肌を狙いをつけるようにぺろりと舐め、牙を剥き出しに何の遠慮もなく齧り付いてくる。
まずは痛み、次に体から血を吸われている倦怠感、最後に襲ってくるのがなんとも言えぬ体の疼き。即効性のある媚薬を飲まされたような体の疼きが風呂上りで火照った体をさらに熱くする。吸血の際の痛みを感じなくさせるために吸血種が出すと言う麻酔のようなものだと聞いたが、食事のたびにそう言う気分でもないのに無理やり体を火照らされるのがサヨはあまり好きではなかった。
吸血をする側のマリアの方は裸のサヨから血を吸うのに興奮しているのか、10歳の見た目にはあまりに不相応なニヤニヤと嫌らしい目つきでサヨの顔を覗き込んでは「気持ち良い?」などと聞いてきたりする。
マリアは大層物好きでスケベなお嬢様なので、同姓だろうと関係なく手を出してくるのだ。「サヨのことが好きだからだよ」なんて口では言うが本当のところはどうなのか、サヨでは知る由もないところであった。
サヨの方はというと、マリアとの関係を別段特別に思ったことなどなく、ただの主従関係だと思っていて、無理やり迫ってくる主に拒否できない僕という図が出来上がってしまっているためか、サヨは1日の中で何度か訪れるこの時間がとても嫌いなのだった。
サヨはマリアの食事が終わろうとしているのを感じて溜め息と喘ぎの中間地点くらいの吐息を吐いた。
この後のスケジュールは簡単なもので、自分の分の朝食をとり、学園へ行く準備をするだけ。
サヨは自分の知らないことを学ぶことが好きなので、学園での授業や予習復習をしているときなどは、自分の殻に篭れる1日の中でとても安らぐ時間だ。勉強のことを考えて気を紛らわせていると、やっとマリアの食事が終わった。
吸血を終えた後のマリアは上機嫌に鼻歌なんかを歌ったりしてベッドの上でゴロゴロしている。このまま二度寝してしまうことも少なくないので注意が必要だ。
サヨはマリアの動向に気を配りつつ朝食の献立をぼんやりと考えていた。