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第八話

 「リッカ! よせっ!!」


 ただならぬ声色で叫ぶロッカ。

 

 双方の対峙の時間、いま少し保たせたかった。しかし、この膠着を打ち破ったのは、チコの同志である年若き少女による怒りの一撃によった。


 彼女はジュシェンの民とはさほど親しくはなかったが、やはりこの所業は腹に据えかねたか。

 いいや。違う。あの兵たちの隊長と思しき男、リオ=タタールが言い放った言葉に激昂したのだ。


 彼女と双子のロッカの境遇を思えば、無理からぬことではあった。むしろ弟、彼本人は兄と言い張るが、ロッカが激発しなかったことに感心もしている。


 振り返るまでもない。チコの頭上には赤々とした光球が、脈打つかのように球面を蠢めかせるそれが浮かんでいる。

 次の瞬間、それは宙空を滑空して、空気を斬り裂くように熱量を放ちながら、前方へと向かって斜めに飛び出していった。



 「総員、散開っ!!」


 隊長リコは眼前に飛び込んでくる光球、炎の塊を睨みながら叫んだ。慌てて手綱を引き馬首を伸ばして愛馬に次の動きを伝え、咄嗟に身を躱す。


 横殴りの熱風が飛び去ってゆく。着弾と同時に、地を揺らすような轟音。手勢は無事か。

 土埃が辺りに舞い上がる。背後はひどい有り様だが、手負いも死人も確認出来ない。くそ。いくらなんでも酷いだろ。


 「……ぁぁぁ」

 「……ほうだ!」

 「……がやられたぁ!」


 「奴らを殺せぇぇっぇ!!」


 立ち込める砂塵をものともせず、二十を超える兵たちが一時に飛び出してきた。みなが一様に剣や槍を構えて、恐ろしいほどに殺気立っている。

 その勢いに土埃は晴れて霧散し、リオの目に映ったのは五人ほどの死体、正しくは五人分の灰。もはや衝突は避けられない。



 「リッカはどうかっ!?」

 「駄目だよ! ちきしょう! あんな無茶な魔法っ、おいっ! 目ぇ開けろって!」


 ロッカが馬を寄せて、馬首にしがみつくようにして身体を支えているリッカの頬を張る。その痛みにも僅かに呻くだけで満足な応えは返ってこない。

 魔法力の極端な欠乏が招く心身虚脱の症状。一気に分が悪くなったとチコは判断する。


 「ロッカ、リッカを連れて落ち延びよっ! 村を抜けるまでは通りを行けぃ! 村人らには重なるなっ!」

 「俺たちだけ逃げられるかよっ! 俺も戦うっ!」

 「姉を守るのが今のお前の役割だっ! 聞き分けよ!」


 そんな二人を横目に、無言を貫いていた馬上の四人がゆっくりと前に出る。見た目には男女の区別もつかない。

 というのも、彼らは目深に被った頭巾と、それと一体になった外套で頭上から腰までを覆っている。

 その粗末な深草色の装束を馬上で揺らしながら、彼らはその外套の隙間から立派な拵えの剣を引き抜いた。


 彼らの背姿を頼もしげに見ながら、チコは続ける。

 前方で喚声が上がった。兵どもが突撃して来る。


 「行くのだっ……ロッカ!!」


 ちきしょうと吐き捨てて、ロッカは項垂れたままのリッカの両脇に腕を差し伸べ、自分の前に座らせるように引き上げる。

 右腕でリッカを抱く様にして手綱を握り、空いた左手で器用にリッカの馬の手綱も取る。


 しっと小さく掛け声を発し、二頭の馬を駆けさせて後方へと走ってゆく。前に目を向ければ、帝国兵どもが隊伍も整えずに突進して来ている。


 「ご頭首も……」

 「お前たちばかりに苦労はさせられんよ。それに……お前には普段から鍛えられとるからな」


 そうと返された男、声で判るが、は無言で応じる。やや機嫌を損ねたようで、ぷいと前を向いてしまった。残る三人はくすりと声を漏らし、頭巾を震わせる。


 「あーあ……仕方無えなぁ、リッカの奴は。ここは一働きしなきゃいかんかなぁ」

 「こうなると、長柄を置いてきたのは失敗でしたねぇ。久し振りにお師匠様の槍術を拝める機会でしたのにねぇ」

 「ほーんとよねぇ。わたしなんて最近は全然槍の稽古つけてもらってないわぁ」


 三人は緊張感を感じさせぬ物腰でお喋りを始める。どうも先頭の男がお師匠とやららしい。その彼が口を開いたことで、彼らも普段のお喋りを解禁した、そんな雰囲気である。


 誠に頼もしい限りだ。チコは本心からそう思う。

 

 剣の一振りで一の兵を斬り、槍の一薙ぎで十の兵を屠る。そして魔法の一撃で百を討つ。そんな猛者たちが彼の傍には控えているのだ。


 彼らに続いて、チコがすらりと剣を引き抜く。


 「支えよ! 但し、無闇に殺すな!」


 師匠と呼ばれた男が肩をすくめることで応じた。


 そして五人は雁行に並んで敵勢に突入してゆく。どうっと馬体を躍らせるようにして、当たるを幸いとばかりに暴れ始めた。






 「見っけ……お前か、頭は?」


 赤城が煙草を咥えながら、路地裏から出て来た。反対側に伏せていた十人程の兵士は、みな意識を昏倒させて崩れた家屋の真裏で寝ている。


 トウマの眼から見ても鮮やかな手際であった。体術の腕は到底敵いそうにない。とにかく動きに無駄がない。それでいて軍の調練で覚えるような型は一つとして見られなかった。


 埋伏部隊の片割れが携えていた松明を顔の近くにまで寄せて、煙草に火を入れる。用済みだとばかりに、眼の前で慌てふためく連中に向かって松明を放り投げる。



 「よっしゃ! ここらで手打ちといこうや?」


 赤城は目論見通りに事を進めようとしていた。


 チコたちの正面の相手は数が多過ぎた。交渉には分が悪いと踏んだのだ。チコの周りの連中の考えも分からなかったので、下手に捕虜を前に引き出す訳にもいかなかった。


 しかし、赤城の鼻は別働隊の匂いを嗅ぎ付けていたのだ。眼と耳を凝らして確信もした。小勢が相手ならば押し切れると考え、都合良く更に別働隊は二つに分割されていた。


 いま眼の前にいるのは、例の兵士の恰好をした者が八人。全く問題にならない。この程度の数ならば、己の貫目で補える。


 ここで切り札を、捕虜を使う。相手の頭格と折衝のうえ、こちらは捕虜を手放す。その代わりに自分と、ついでにチコたちの退路を空けさせる。

 そもそもチコたちの面倒まで見る義理は無いとは内心考えているのだが、どうにもあの男は放っておけない気がしたのだ。


 ここまでは上々。相手が尋常であれば、問題は無いはずだった。


 「おら! 出て来いや。お仲間のトコに返してやる!」


 僅かに顔を横に向けて、後ろに居る捕虜、トウマに声を掛ける。こちらに来てから見知った、数少ない名前を覚えた男。名残惜しいと思ったのは気のせいだろうか。



 あっという間に仲間たちを打倒した赤城の姿に見惚れてしまった自分が、許せなかった。美しいとすら思ってしまった。まるでなんでもないことのように、冷徹な眼と酷薄な口許をしながら、瞬きを二つ三つ数える内の出来事だったのだ。


 しかも宣言通りに、一人として命を奪ってはいないようだ。まるでどこを打てば人が倒れるかを知っているかのようだった。

 

 魔法が使えて、体術にも優れて、胆力に溢れる。

 敵う訳がない。まったく格が違う男だ。


 自分では到底敵わない。兄ならばどうだ。自分よりずっと軍人として優れた兄ならば。

 いいや。無理だろう。兄は軍人として評価が高い。それは聞き知っている。しかし、その評価の基は、軍務によるものではないと自分は知っているのだから。


 兄は無事だろうか。どんな立場になろうと、兄は兄だ。


 赤城の声。ふと我に返るトウマ。こんな状況だというのに内向的な癖を出してしまう自身に苦笑してしまった。やはり、自分は軍人に向いていないのだろうか。

 そんなことを思いながら、足取りは重いままに路地から姿を現した。



 「な……あ……ぐっ! き、貴様は!! どこまで恥を晒すっ!?」


 あの異彩を放つ男の後ろから、もう一人の姿が松明の灯りに照らし出される。その男が先に現れた男にぐいと前に引き出された瞬間、コウキの感情が爆発した。


 もともと辛抱強い性質ではない。しかもここに来るまでに散々な目にも遭っていた。相当の不満が溜まっていたのだ。


 しかし、その不満が見当違いだということには気付けていない。

 コウキの不満はただ一つ。なぜ自分がこんな目に合うのだ、という一点に尽きた。


 家柄は中の下がよいところの出だ。軍人を志すしか、栄達の道を知らなかった。とにかく上官には愛想を振り撒き、それなりに早く士官への道が開かれたところだった。


 順調だと思っていたのだ。駐屯地を出て、二日の行軍を経て、細々とした雑務は補佐役に充てた弟が片付ける。亜人の村を焼くまではなんの不満もなかったのだ。


 それがどうだ。よりによって自分の率いる小隊が反乱分子の奇襲に遭い、好きでもない同期に加勢を頼まざるを得ず、あろう事か身内が捕虜になるとは、


 人間は誰しも不満を覚えることについては限りがない。また、その不満をぶつける相手は目敏く区別も出来る。

 不出来な弟は、格好の相手であった。


 「者ども! 怯むな! 敵は一人だ! 捕虜は認めんっ!」


 眼の前の男が目を剥いている。ざまを見ろ。こんなところで俺は躓けないんだ。くそ。馬鹿共が、遠慮なんてすることないんだ。俺が手本を見せてやる。


 コウキは弟に向けて剣を振り上げながら、両親に伝える言葉を考え始めていた。



 赤城は先刻打ち倒した兵から奪った剣を腰に佩いていた。しかし、隊長格が先頭切って向かって来たことには驚いてしまい、剣を抜くには至らなかった。


 どんとトウマを横に突き倒し、その反動で赤城も横飛びに距離を取る。ぶんと剣が空を斬る音が響く。本気で捕虜を殺そうとした斬り込みに見えた。


 咄嗟のことで体勢を崩してしまった赤城だが、足元には放り投げていた松明。そして周りの兵たちも動き出す。松明を拾い上げて、向かって来た一人の顔面に投げつける。


 ぎゃあと叫びを上げて顔を押えた兵士の横を、右手で剣を引き抜きながら駆け抜ける。切っ先は頸元を捉えていた。鮮血が迸り、また地面に落ちた松明の火にかかり、じゅうと生臭い匂いをたてる。


 日本刀よりやや重い。しかも両刃というのは慣れないが、案外便利であった。とにかく動きを止めれば殺られるという考えから、赤城は右へ左へと転がりながら、少しずつ包囲の輪を崩しにかかる。


 穴が見えた。斬り抜ける。また一人、左脚を膝から断ち切った。包囲から転がり出る。


 すぐ先にはトウマ、そしてあの頭株の兵士。

 トウマには傍目にも判るほどに絶望の色を表情に浮かべている。視線は眼の前の兵士に向けているのか。このままでは斬られる。


 「馬鹿野郎っ!! 死にてえのかっ!?」


 左手を腰の後ろに廻す。本能で嗅ぎ取っていた。無駄撃ちは避けるべきだと。しかし、身体が反応してしまった。銃把の感触。


 ぎりと奥歯を噛み締めた瞬間、視線の先からなにものかが飛び込んで来た。






 「無事かよ!? おっさん!?」


 まだ少年とも呼べる男が、巧みに二頭の馬を操りながら赤城らの乱闘の輪の内へと躍り込んだ。


 ひらりと鞍から飛び降りるが、手にはなにも持たずに素手で兵士たちに向き合おうとしている。


 「なにしてんだガキっ! 手ぶらで来るたぁどういう料簡だ!」

 「おっさんこそっ!! わけわかんねえこと言っておいて、死にそうじゃんか!?」

 「ばっ! そりゃお前! ちょっと計算が狂って、」


 赤城が言い終える前に、おもむろに背後で熱風が吹き荒れた。コウキも堪らず距離を空けて、トウマは反応が薄い。僅かに眉をしかめた。


 少年、ロッカに向き合った不幸な兵士たちはみな一様に全身を炎に包まれ、もがきながら一人またひとりと倒れてゆく。


 「ちぇ……俺ももう限界近いかも。でも、あと一人っ!」


 ばっと手を前に向けたロッカ。その掌を向けた先には怯えた表情のコウキがいる。


 「ま、待ってくれ! やるなら私を殺してくれ!」


 トウマが飛び出して、叫んだ。兄を庇い、代わりにその身を灼かれる事を選んだ。その決断は兄に劣らず早かった。


 兄の決断。弟が叫びを終えた瞬間、両手で弟の背を力の限りに突き飛ばした。そして背を翻して路地裏に飛び込んで消えた。


 獲物の前に飛び出した男に気を取られ、しかもその男が覆い被さるように飛び込んできた。慌てて身を避けるロッカ。


 静けさが戻った。



 「ま、待ってくれ! い、痛いぃぃ……殺さな、」


 づがっと地を穿つ音とともに、赤城の剣が左脚を失った兵士の首を斬り落とした。勢い余って斜めに斬り下ろした刃が地面にぶつかり、刃が欠けてしまった。


 さしたる感慨もなく剣を取り捨てる赤城。それを横目にしながらもロッカに動じるところは無い。


 「なぁ、おっさん! あんたも逃げるんだろ? こっちの馬を使ってくれよ! 俺もしんどいんだ、こいつまで走らせるの」

 「俺は、馬に乗ったことがねえ……」

 「はぁ? ホントかよ……置いてくぜ?」


 存外に躊躇わない性分のようだ。身軽に自分の馬に飛び乗って、馬の首にしがみついているリッカの身体の位置を確かめる。左手を伸ばして、リッカの馬を引き寄せる。


 「なぁ、どうする? ご頭首も直ぐに来るとは限んないぜ?」


 赤城はちらとロッカを見上げ、そして自分の足元で蹲っているトウマを見下ろした。

 この男が庇った者は、兄だったようだ。随分と落ち込んでいる。それは無理もないことだとは思うが、慰めるなど柄ではない。


 「おい……おい! トウマ、トウマっつったな? しっかりせんかい!」


 トウマの眼の前に屈み込み、びしりと頬を張る。トウマが顔を上げる。眼には色が無い。しかし、不満げにじろりと睨む。


 「……もう……構うな……俺は、もう……もう……」


 「トウマ、お前馬に乗れっか?」


 なにを言っているのか分からない。素直に表情に表れている。十分な反応だった。


 「……乗れる。田舎育ちだからな。小さい頃から、」

 「よし。ニケツだ。行くぞ」


 ぐいっと腕を引っ張り上げて、赤城はトウマの鼻先に触れそうなほどに顔を寄せて、囁いた。


 「ここで投げるんじゃねえ。テメエも男だろ。見返してやれ」


 「……捕虜だからな。好きにしてくれ」


 ぼんやりと、しかし確かに、トウマの眼の奥に光が灯った。


 「えぇ!? 本気かよ、おっさん? こいつは帝国兵だ!」

 「捕虜だっつってんだろ! チコのおっさんも言ってたじゃねえか! おら、行くぞ! 案内しろや!」


 二頭にそれぞれ二人が乗り合って、村落を抜けてゆく。

 彼らの背後で起こっていた争闘も、徐々に終わろうとしている頃だった。



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