第五話
偉丈夫が傍らに侍る男に声を掛ける。
「ヌルはどうか?」
「はっ」
短く応えた男が俊敏な動作で赤城を回り込もうとする。止める気にはならなかった。
人の悪意の有無ぐらいならば、見ただけで手に取るように解る。
ちらりと背後を見遣ると、倒れていた外人風の男の傍に寄って、息を計るようにあれこれと手を忙しなく動かしている。
子供が居ない。と、思ったのも束の間。気付けば子供は赤城の真後ろに立って、赤城のジャケットの裾を掴んで俯いている。
おいおい……懐いてくれるなよ。説明が面倒だ、と思う。
「申し遅れた。私はチコ。ユウリ村のチコだ」
眼前の男、チコが自ら名乗った。その目線は、赤城にも同じそれを求めている。
「……あー、赤城だ。赤城辰也ってもんだ」
ふむと、厳しい顔立ちを僅かに傾げて赤城をじろじろと見る仕草は赤城の癇に障ったが、ここで癇癪を起こすほどに幼くもなかった。
殊更の悪意は感じられなかった為でもあり、ちらちらと赤城の背に隠れる子供に向ける眼差しの為でもあった。
「いけませんね……遅かった」
屈み込んでいた男が沈痛な面持ちでチコに語り掛ける。チコよりも一回りは小柄な男だが、切れ者に特有な鋭い目付きをしている。
「気を失っているだけではないのか? 傷は見当たらんが……」
「ええ……ひどい血の量ですが、返り血にしては辺りにそれらしい死体も無いですし……しかし、息が、有りません……」
「なんと……アンジュに合わせる顔が無い……」
「おう、それぐらいにしとけや。この嬢ちゃんの前でする話じゃあるめえ」
堪らなくなって赤城はつい、悪態をついてしまった。その拍子に、ぐっと裾を掴む力が籠められたのを感じる。
チコという男はばつの悪そうな顔をしてみせたが、なにが気に入らないのかもう一人は胡乱な目付きを赤城に向ける。
「あん? なんぞ意趣でもあんのか?」
「……いいや、貴方の言が正しい」
ふんとばかりに両者が顔を背けると同時に、チコは赤城の傍を離れない子供に屈み込んで、優しく声を掛けた。
「エンビ、だね? ジュシェンの戦士ヌルの子よ、わたしはチコという。父ヌルの、お友達だ」
こくりと、幼子が、エンビが頷く。
「……ニンゲン?」
「あぁ……人間だ。だが、お父さんとは大の仲良しだったんだ」
腰を上げたチコがわさわさと大きな手で、エンビの頭を撫でる。エンビは相変わらず赤城の上着の裾を掴んだままだが、チコもそれに気が付いた。
「ふむ……変わった装束だな。アカギ=タツヤ、か。家名をお持ちとは、な」
カメイ……仮名? 失礼な野郎だな、と思う。
「別に仮名じゃねえよ、本名だ。呼び辛いってんなら、辰也でいい」
「うん? ……いや、まぁ良い。では辰也殿。少し、ここでの事情を伺いたいのだが……」
そうこうしている間に、村内の家々に放たれていた火も次第に鎮静してゆく。ぐるりと周囲を眺めるが、電灯の類などは見当たらない。このままでは真っ暗闇になるだろう。
家屋の類も、見える限りはすべて破れ屋と化している。落ち着けるような場所もなさそうだ。
「む……ご頭首……」
小柄な男が周囲に目を向ける。
破れ屋の陰から、ぽつぽつと人影が姿を現す。夫婦なのか男女で寄り添う者、老人を庇うように固まって出て来る者。
彼らを護るかのように、先ほど赤城とエンビの前を駆け去った騎馬の者たちが三々五々に導いている。
「おお! 村長! ご無事であったか……相済まぬ。私が離れた隙に、みすみす……ヌルまで喪うとは……」
村長と呼ばれた年嵩の男は力無く首を振る。村長を隣で支えていた壮年の男が、チコに事情を話し始める。
「突然でした……みなが夕餉の仕度に家に戻り始めた頃合いに。ニンゲンの兵士どもが……ヌル殿は無法を咎めて。チ、チコ殿を探していたようです、ヌル殿は……奴らの道案内を断って……」
「なんたる……ヌルほどの戦士が、信じられぬ……」
村長が俯いていた顔を僅かにもたげ、つぶやく様に語る。
「致し方も無い……その後ろには、エンビがおった。いかなヌルとて……娘を抱えておってはな……」
きつく目を瞑るチコ。その様子を思い出したのか、村長もはらはらと涙を流しながら、しかし、しっかりとした声音で続ける。
「お主に協力すると決めた時から、こうなることも村のみなは覚悟しておったはずじゃ……あまり自分を責めなさるな」
会話の端々は漏れ聞こえてはいるが、赤城には事情がさっぱり分からなかった。いまはといえば、転がっている石に腰を下ろして煙草を吹かしている、二本目だ。
ちらちらと、周囲も連中がこちらを見ている事には気付いている。
だからといってはなんだろうが、赤城も無遠慮に周りの者たちをじろじろと見定める様に視線を巡らせている。
いよいよ周囲の灯りにも乏しくなってきた。現代人の故か、野外での暗闇は本能的に不安を感じる。
それ以上に、周りの連中にも不安と戸惑いを覚える。
日本人には見えないのだ。あのチコとやらは、ラテン系だろうか。浅黒い肌に赤茶けて短く刈り込まれた髪。しかし、傍らの小柄な男は、どちらかというとアジア人の風貌に近い。
いや、それより問題は、この村の住人と思しき連中だ。
金髪。それは、判る。男女ともに随分と美形揃いだ。羨ましい話しだが、外人さんは大概そう見える。
しかし、あの耳はなんだ。思わず二度見してしまった。それ程までに特徴的な、細長く横に伸びている。あれは、なんだ。
そう思いながら、隣に立つ女児、エンビの耳を掴んでぴこぴこと上下に揺する赤城の姿は、とても珍奇なものとして周囲の視線を一身に浴びていた。
「くそっ! くそっ! なんてざまだ……くそうっ!!」
鞍にしがみつくようにして、自らの馬を疾駆させている男。
コウキ=サトは襲撃した村を背にして、必死に道を急いでいた。
もうすぐ同僚の小隊が見えるはずである。
見習士官として三十人ばかりの手勢を率いて初の任務であった。
任務内容は、この数年前より帝国内で暗躍する反乱分子の捕縛、または殺害。
決して珍しい内容ではなかった。むしろ見習士官にとっては登竜門とも云える任務であった。反乱分子、つまりチコ=ユウリの一派の殲滅は、いまや帝国軍にとって唯一の軍役のようなものだ。
大陸全土を帝国の版図に収めて、およそ二百年。大陸外縁部に蟠踞する異民族は例外としても、その版図内で帝国と帝国軍に逆らう存在など、あの一派だけなのだ。
多くの士官がこの任務を端緒に、軍制の歯車に噛み合わされてゆく。そして数年後か、数十年か、あるいは任務後の非番の夜に同期の士官と語らうのだ。
俺の初任務は、何処其処の村で何人を、と。
まるで初めて貰った勲章を誇るかのように、彼らは一様に自慢げに語るのだ。
彼らは決して疑問を持たない。反乱は大罪であり、協力者も同罪。そして、その妥当な仕置は、死刑を措いて無い、と。
今迄にも獲物の発見が叶わずに、すごすごと原隊へ戻ってくる先輩士官の姿を見たことはあった。
しかし、この初体験を妨害に遭ってしくじるなど、前代未聞だ。
帝国軍士官としても、男児としても恥ずべきことだ。
略奪と虐殺を許して村内に手勢を散らせた事が、誤りであったとは思えない。一般兵にそれを許すのも士官の度量だと、先輩から申し送られている。
いまや部下の多くと別れ、一部は殺され、一人で落ち延びている。なぜこうなった。
見えてきた。
いけ好かない男だが、部下を纏める手腕は確かな男。
リオ=タタール率いる小隊だ。
くそ、俺を指差すな。襲った村が逆だったら、お前らだって同じ目に遭ってたかもしれないんだ。
この失点を取り戻す為の、大きな手土産は持っていた。
あの砂塵に包まれた中で、たしかに見たのだ。
帝国全土に流布された人相書きにそっくりな男。
チコ=ユウリの顔を、コウキは見ていた。
弟の顔が、思い出せない。
「なにしてんだ、お前?」
びくりと肩を震わせて、顔を上げた男。こいつは白人系だなと勝手に見定める。
赤城が声を掛けた相手は、あの兵士たちと同じ恰好をした、一人の若者であった。
男は崩れた家の脇に身を潜め、ぎらついた目で村人たちを、その中心にいるチコを睨んでいた。
エンビの耳で遊びながらも、その気配に気付いた赤城は流石である。職業柄と云うべきか、どうも周囲の気配に敏感であり、無意識の内に辺りに目を配るのが習い性になっていた。
チコの姿に釘付けになっていた男の死角に立って、ちょうど周囲の者たちからの視線に被さる様に、家の壁際に背を預けている。
「やめとけや……兄ちゃん、一人だろ? 敵うわきゃねえだろ」
「うっ……ぐっ……」
「死にてえってんなら、止めねえがよ。たぶん、兄ちゃんがやりてえ事は叶わねえぞ?」
「あ……兄を……兄の仇だっ」
ほうと、目線を不自然にならぬ程度に下へ向ける。路地側の壁にへばりつくように、しかし全身を震わせている様は壁を崩すのではないかと赤城を心配させた。
「そうかい……不憫なことだがよ。機嫌が良けりゃ助太刀も吝かじゃねえんだが、俺の見立てじゃおめえらが悪党だろうが?」
「ふっ、ふざけるな!? あいつらこそ犯罪者どもだ! 俺はれっきとした帝国兵士の一員だ!」
てーこくへーし? また解らねえ単語だ。
つーか、言葉は解るし伝わってんだな。日本語だよな。
いよいよ解らんな、どうしたもんか。
赤城は急に面倒になった。思考が追い付かない時に、時折見せる振る舞い。つまり、手前勝手である。
ぐいっと右手を伸ばして、男の首根っこを掴み上げる。男には腰の剣を抜かせる暇も与えず、ぶんと力一杯に放り投げた。
「おーい。一人隠れてたぞ?」
「なっ、なっ!! き、貴様ぁ!!」
前のめりに受身も取れずに地面に放られた男は、機敏な動作で立ち上がり、赤城に恨みの目を向ける。恨まれて当然の行為だろうが、赤城にはそもそも目の前の若者の意志を斟酌する理由が無かった。
ざわりと村人たちが揺れる。チコと小柄な男が村人らを庇うように一歩前に出る。
若き兵士にとって運命の別れ道である。敵首魁が目の前にいる。自分は死ぬだろうが、兄の仇を取れるかもしれない。
しかし、兵士は若かった。目の前の的より、たった今しがたに自分の恨みを買った男を狙った。
それは、正しくもあり、誤りでもあったろう。
この瞬間に彼の行く末が決まるとは、本人にも分からなかった。
若者は剣を抜こうと鞘走らせたが、驚くべき反射神経で赤城は距離を詰めた。一撃。赤城の拳が若者の顎を打ち抜き、若者はあえなく崩れ落ちた。
「……お見事」
「恐縮しちゃうぜ」
チコの賛辞におどけて応える。
「どうする? 殺すか?」
「いや、捕虜だな。この辺りの軍の動きが知りたい」
そう読んでいた。捕虜にするとは思わなかったが、無用な殺しはするまいと踏んでいた。
感謝しろい、クソガキが。恩着せがましい赤城の胸中だが、誰にも覗い知ることは出来ない。
「チコ様ー!!」
「アンジュ!! 待って!!」
通りの奥から声が聞こえてきた。
女の声、次いで男の声だ。
馬蹄の響きが近づいて来る。相変わらず赤城の傍を離れようとせず、兵士を打ち倒した後を見計らって赤城の脚元に寄り付くエンビが反応した。
「……かあたま」
「あん? なんだって」
「い、いかん! アンジュには見せられぬ! 止めよ、バトゥ!」
チコの隣に立つ小柄な男、バトゥと呼ばれた男が駆け出る。しかし、そう考えたのも束の間、バトゥの制止をものともせず、馬ごとに集団の中に乗り入れて、一人の女が馬から勢い良く飛び降りる。
遅れて連れの男も馬を急かして飛び込んできたが、みなの視線は最初の女に向けられている。
不本意ながら赤城の視線も好奇の色を示して、女に向けられていた。
良い女だ、そう思う。白人風の顔立ちだが、例の尖り耳をしている。それすらも問題にならないほど、その姿形は整っている。
忙しなく周囲に目を向け、女はチコにぴたりと狙いを定める。
「チコ様! 主人は……ヌル様は何処ですの? 間に合ったのですか?」
「アンジュ……落ち着くのだ。ヌルは……」
チコが苦渋に言い淀む姿に、かぶりを振って女、アンジュは半狂乱に近い姿を示す。
「そ、そんな!? 私のヌル様が……ニンゲン如きに遅れを取るなど……有り得ませんわ!!」
そう叫ぶアンジュの視界の端で、ひとかたまりになっている村人たちを捉える。じろりとその村人たちを睨む。村人たちは囲んでいたのだ。村のみなが誇る、戦士の亡骸を。
村人たちは言葉も無く、アンジュの視線を避けるように身体を逃す。彼らの足元から露わになる、一人の男。眠るように、地面から仰向けている。
「あっ……い、いやぁぁっぁ!! あぁぁっ……あ、あなたぁぁ」
アンジュは夫の死体に取り縋って、地面に膝を着く。一部の不心得者はその様すらも美しいと見惚れているが、さすがに表情には出していない。
チコは静かにアンジュの背に並び、優しく語り掛ける。それと同時に、僅かに赤城に向けて目配せする。
「アンジュ……ヌルは残念だった。だが、エンビは無事だ。エンビを抱いてやれ」
その言葉を聞いて、赤城の裾を掴む手をぶるりと震わせるエンビ。手だけではない。小さく、全身を震わせている。
母親の登場に泣くでも甘えるでもなく、この年頃のガキはなに考えてんだ。
赤城はようやく子守は仕舞いかと、背を押してやろうかとも考えたが、エンビの様子からやや躊躇ってしまった。
こんな子供の表情は、前にも見た事がある。あまり、愉快な思い出ではない。
エンビの様子に不審を覚える赤城。
アンジュを口々に慰めるチコと村人たち、それに応えようとせず嘆くばかりのアンジュ。
そのアンジュが、びくりと身体を起こす。
その表情には、驚きの色が浮かんでいる。むしろ戸惑いか。
「む……どうした?」
「お、夫は、死んでいたのですか?」
「あ、あぁ……無念だが、帝国軍に、っっ!」
チコも気付いた。
死体の、ヌルの指先が震えた。ほんの僅かに、動いた。
そっとチコが手を差し伸ばす。ヌルの頸元に、指を添える。
驚き、無言のままバトゥを見る。
「い、いえ……たしかに脈も息も無く……」
無言で問い正されたバトゥも納得がいかないのか、ヌルの傍に駆け寄る。
おいおい……そんな馬鹿な話しがあるかよ。
どう見たって死んでんじゃねえか。
エンビには聞かせられないような悪態を内心で吐きながらも、好奇心から歩み寄る。エンビは赤城の後ろに控えて、こっそりと覗き込んでいる様子だ。
「ご頭首ーー!!」
「チコ様ーーー!!!」
アンジュらが駆けて来た反対側の通りを、最初に駆け抜けて行った二人だろうか、慌てた様子で声を張り上げている。
その様子にただごとではない雰囲気を感じ取ったのか、チコもバトゥも腰を上げて通りの向こうから馳せ戻る二人を認める。
慌てているのか遊んでいるのか、二人の内の一人が鞍の上に器用に立って跳ね、後ろを指して叫ぶ。
「マズいよ、ご頭首ーー!! 新手だー!!」
「村に散っていた兵たちも合流しそうです! お逃げ下さいー! ロッカ! ふざけないの!」
生き残りの村人たちに動揺が広がる。ヌルもそうだが、他にも多くの村人が殺されたのだ。無理もない。怪我人も多くいる。
アンジュも立ち上がり、敵が来る方角へ目を向ける。可憐な顔立ちに、憎しみの炎を目に宿らせながら。
チコの決断は素早かった。
「村長、みなを纏めて逃げる! バトゥ、お前が先導せよ! 隠れ家で落ち合うぞ。彼らならば、山林の道も進めよう」
「ご頭首は!?」
「私は殿軍だ! 幸いこちらは騎馬だ。うまく引きつけられよう」
「なりません! 私が殿軍を! ご頭首が彼らと!」
「お前の腕では、まだまだ巧く馬を御せまいよ……問答の暇は無い、行けい!」
おいおい……まだなにか来んのかよ。どうすんだよ、このガキはよ。ってかこいつの母ちゃん、まだ見向きもしやがらねえな。
赤城はがりがりと頭を掻く。
エンビはもはや定位置であるかのように、赤城の背に立って上着の裾を掴み続けている。ぼんやりとした表情で、倒れ伏している父親の死体を見ている。
どうしたもんかな……バックレるか。しかし行き先も無えしな。ってかここがどこかも判らねえしな。くそ……ままならねえな。こっちのモンも殺っちまったしな、マズかったかな。
取り留めもなく考え続けている。しかし、切迫感は感じさせない。一人ならばどうとでもなるという思いがありながらも、いまここで捨て置かれるのも御免蒙りたい、という気持ちもある。
そんな赤城の思考を断ち切ったのは、一人の男の言葉だった。
「ん……あ……あれ? あ、兄貴?」
聞き慣れた呼び名が、赤城の耳に届いた。
死んだ筈の男が、身体を起こして、こちらを見ていた。