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第四話

 「クソアマー!!」


 意識の覚醒とともに、大きく目を見開いたままにたたらを踏んでしまった。見も知らぬ場所で叫んだ自分の姿に気付き、やや気恥ずかしさを覚える。


 いや。それどころではなかった。


 見下ろせば未舗装の路地。正面に手を伸ばせば全く加工の跡も無い、粗末な造りの板張りの壁。

 家か、或いは小屋か。


 いずれにせよ先刻まで居た筈の事務所ではない。


 夜だ。しかし、明るい。煙っている。


 路地を抜けた先では随分と騒がしく、なにかが燃えている空気を全身で感じ取る。数年前、商売敵が国道沿いに新装開店させようとしたパチンコ店をオープン前日に火を放ってやった時と同じ空気だ。


 あの時は火災保険を弄ってデカく稼いだもんだ、そんな取り留めもない事を思い出す。


 帝国暦一八四年 三月二日 

 現代の極道、赤城辰也が、異世界に降り立った瞬間である。



 ざらついた地面を一歩ずつ踏み締めながら、路地を抜けようと歩を進める。皆目見当もつかない場所に己が居る、それだけが解る。

 路地を抜ける間際に、傍らの板壁に身体を張り付けて通りの様子を伺う。


 酷い有り様が視界に飛び込んで来た。

 小屋とも家ともつかぬ建屋の多くが、無惨に打ち崩され燃えている。所々には倒れ臥している人影らしきものも目に映る。


 死体、なのかと訝しむ。しかし、ぴくりとも動かぬそれらからは生き物の気配を感じない。遠目に転がっているのは、首だろうかと想像を巡らせる。


 流石にこれしきの光景で肝を冷やす程に初心ではない。

 死体ならば、見慣れている故に。


 しかし、うっと喉を鳴らしかけて動きが固まった。


 二十歩ほど離れた先で、死体と思しきものに寄り添うように、もぞもぞと動く人影が見えた。

 

 見えた。ガキか? ……小さい、ガキだ。

 くたばってんのは、親か……くそ、観たくもねえ……


 ひょいと顔を戻して、壁により掛かる。

 懐を探ると、愛すべき煙草のパッケージがあった。愛用のライターも同じくポケットに収まっていた。


 そういや、あの女は空になったパッケージにどうやって煙草を詰めたんだ。手品みてえな真似しやがって。


 やや場違いな事を思い出しながら、一服を付ける。


 必死になって思考を巡らせる。

 目が覚めた瞬間から取り留めもない事ばかりを考え、また思い出すばかりで、現状が一向に掴めない。

 しかし、そればかりでは駄目だと、本能が告げている。


 好きにしろと、あの女は言っていた。


 俺はヤクザだ。いまも、そのつもりだ。なにも変わっちゃいない。

 ここは何処だ。解らない。ちきしょう……くそったれ。

 あのガキは……クソが、知ったことか。警察はなにしてやがる。

 

 思考は千々に乱れ、一向に纏まらない。ここまで悩まされるのは久し振りだ。

 煙草を地面に叩き付け、ぐりと踏み潰す。思う様にならぬ苛立ちを込める様に。


 

 「……ぁにうえ!!」


 咄嗟に身体を下げて、一歩を飛び退る。

 人の声だ。間違いなく、誰かがいる。やや遠い。

 壁に背を付けている、その向こう側から聞こえた。

 

 限界まで身を潜めたまま、壁越しに通りの向こうを路地から覗き込む。


 見えた。人影だ。十人かそこらだ。

 無意識に腰の後ろに手を廻す。確かな手触り。あの時、持ってはいたがついに使う気にはなれなかったが。


 一人がこちらに指を指している。気付かれたか。

 いや、違う。その先だ。


 指差す先、自分を挟んで連中の反対側を見る。


 あのガキが、呆けた顔をして突っ立っている。


 もう一度、連中に目を遣る。首が千切れる様な速さで見返す。


 連中の中から、二人が飛び出して来た。



 おいおい……なんて恰好をしてやがる。

 ありゃなんだ。ポン刀にしちゃ品がねえ。

 ……なにするつもりだ。あの野郎は。

 笑ってんのか……汚え面だ。あのガキに、なにしようってんだ。

 汚えな……汚えよ。

 よーし、よしよし。

 俺が教えてやろうじゃねえか。弱い者イジメはいけねえってな。

 任侠道ってのは、こういうもんだ。

 くそったれ……どうかしてやがる。弱きを助け強きを挫くってか。

 Vシネじゃあるめえし。



 エンビは己を不幸だと思ったことは無かった。

 お腹いっぱいに食べ物に恵まれた事は無く、自由に村の外を出歩く事を許された事も無かったが。


 父と母に恵まれていた。

 村の同年代の幼子らには片親が、或いは両親ともに欠けていることも珍しくはなかった。

 父母からの愛情を一身に受けて、ともすると過保護にも見える程に大切に育てられた。

 両親に甘えられる時間はとても幸せで、明日も明後日も、そんな時間が訪れる事を疑った事はなかった。


 でも最近の父は外出が多くて、とても寂しかった。

 父や村の皆とは違う、ニンゲンと仲良しだからと母は言っていた。

 でも、村のジジババはニンゲンと仲良ししちゃ駄目だと言っていた。


 一週間ぶりに父が帰宅した。

 今夜は父と同じ寝床で寝るのと駄々を捏ねて、疲れていた父を困らせたが、やっぱり父は優しく撫でてくれて許してくれた。



 でも、父は。

 とおたまが。

 ぶしゅうっと血を出したの。怖いニンゲンが怒ったの。

 とおたまも怒ったの。

 でも、ニンゲンがぶんってしたら、ぶしゅうって血が出たの。

 血が出たら痛い痛いなんだよ。エンも転んだら血が出て痛かったもん。

 せっかく、とおたまとお家でねんねしてたのに。

 お外でとおたまはねんねしちゃった。



 あれは誰。ニンゲンだ。怖いニンゲンだ。

 お馬に乗ってる。とおたまもお馬が上手。

 エンを見てる。こっちに来たよ。

 怖いよ。とおたま、おっきして。

 抱っこして。おんぶして。なでなでして。ちゅうして。

 とおたま。とおたま。とおたま。とおたま。


 あっ……



 赤城は駆けて来た男たちを一つ睨み、大きく啖呵を切った。

 突然現れた赤城の姿に戸惑う兵士然とした男たちを尻目に、ゆっくりと赤城は前を遮る様に足を運ぶ。


 更に向こうに目を遣ると、まだ数人の者たちがこちらを注視していることが判る。

 手早く片付けて、ガキを掻っ攫って、バックレるか。そんな雰囲気になっている。


 「おう。兄ちゃんら。とりあえずその物騒な刃物は仕舞いな。ガキの前で振り回すもんじゃねえ」


 赤城の登場に面食らっていた二人の兵士は、声を掛けられた事に驚き、ついで問い質す。


 「なっ……お前、人間だろう。亜人を庇うのか!?」

 

 最後の方は声を荒げているが、当の赤城には然程に響いていない。


 あじん? ア人? なに言ってんだ。


 「構うなよ。この村にいるってことは、こいつも反乱分子だろう! やっちまえ!」


 問い質してきた男の相棒が、興奮して捲し立てる。赤城に剣を向けて、威嚇する。

 もう一人の男も気を取り直したのか、先程までのように下卑た笑みを浮かべて、赤城を挟むように動き始める。


 やっちまえって、殺っちまえってのか。

 上等じゃねえか。


 路地に転がっていた棒切れをぎりと握り込む。ぴくりと棒の先が動くのを見た一人が剣を上段に振り上げた恰好で飛び込んで来た。

 視界の端で、回り込んだ男も一拍遅れて動くのが見えた。


 ひょいと棒切れを右側の男の足元に差し込むように投げ捨てる。

 勢い込んで剣を掲げていた兵士は足を掬われるようにして前のめりに転がった。


 赤城は左手を腰の後ろに回す。常に変わらぬジャケットの背をはためかせる様に、驚くべき速度で探り入れた左手を抜き出して、左の男に向かって突き出す。


 タン!


 乾いた甲高い音が通りに響く。

 狙いを過たず、眉間に吸い込まれた銃弾。

 普段は持ち歩く事は少ないが、一人歩きが多い赤城へ護身用にと若頭が無理やりに持たせていた、その拳銃から放たれた。


 銃弾は兵士の眉間を穿ち抉り、後頭部から飛び出す。

 粗製の薄い鉄板で頭部が覆われていたが、ばちんという音と共に、銃弾は甲も突き抜けていった。


 繰り糸が切れた人形の様に兵士は崩れ落ちる。

 地面で藻掻きながらその有り様を見せつけられた兵士は、恐怖をその表情に湛えて口走る。


 「あ、はっわ。ま、魔法使いか。な、なんで亜人の味方……」


 ちらと地面を一瞥した赤城は興味も無さそうに背を向ける。

 殺した兵士が握っていた剣を拾い上げ、ぶんぶんと感触を確かめるように上下に振る。いまいち手応えが悪いのか、無言のまま首を僅かに傾げる様子は、生きて地面を這っている兵士には、堪らなく恐ろしい光景のように見えた。


 くるりと振り返った赤城は、氷のように固い表情を見せ、凄惨な笑みを浮かべた。


 「知ってるか? 刺されたら痛えんだよ? 俺は知ってる。お前も、経験してみろや」


 そう言って兵士を見下ろしたままに距離を詰める赤城。

 その風情に心底の嫌悪を覚えて、兵士は咄嗟に剣を手放して立ち上がろうとするが、足元がおぼつかず、腰をぺたんと下ろし無様に座り込む。


 必死に両手で藻掻いて後退るが、赤城の歩みをほんの僅かに速めるだけの効果しかなかった。


 「往生しろや。俺の前でカタギに手を出そうとしたおめえが悪い」


 ざぐっという生臭い手応えとともに、赤城の右手に握られた剣の先が、兵士の喉元に吸い込まれてゆく。僅かに手首を返して、抉ることを忘れない。

 

 ぢゅぷっとくぐもった水音を立てて、剣先を引き抜く。

 ぴっぴっと先濡れた刃から血を散らせる。

 ぼこぼこと気泡の潰れる音が兵士の喉首から聞こえるが、赤城の興味を引く程ではなかった。



 「ば、ばかな……こんな、奴は……」


 小隊長を囲む同僚たちも口々に驚きの声を上げている。

 こんな亜人の寒村に潜む人間が、あの犯罪者の他に居た事が驚きであった。


 帝国の威光いまや著しく、かの犯罪者の他に、帝国兵士に逆らうニンゲンがいるとは。

 ましてや魔法! 目にも留まらぬ速度で放たれたそれは、一瞬で一人の兵士を殺害したように見えた。

 あんな魔法は知らない。殺傷力を持つ魔法は、帝国魔法院で厳しく取り締まっている筈ではないか。


 隊長補佐のトウマは、轡を取っている馬の背に乗る兄、小隊長を見上げる。

 兄のコウキは、自分と違って優秀な軍人である。

 目を疑う様な光景ではあったが、兄であればこの状況も適切に対応出来る筈だ。


 「辺りの兵どもを呼び戻せ。リオ小隊に、この無様は見せられん」


 小隊長の命令が周囲の兵士に伝わり、口々に近場の同僚たちを呼び戻すよう声を張り上げる。


 「しかしあに、いえ小隊長。相手は魔法使い。我々だけでは……」

 「ならば、貴様はここで震えていろ。軍に臆病者は無用だ」


 実の弟に向ける台詞と視線ではなかった。

 手綱を引き絞り、愕然とした部下を置き捨てて騎馬を進める。


 次第に周囲には十人を超える兵士が群れ集って来た。

 あの不穏な輩は時折こちらを睨みながらも、あの亜人の子供の傍に屈み込んでなにごとかを仰々しく話し込んでいる。


 「逃げないとはな……いいだろう。者どもっ! あれは誇り高き帝国軍人の命を奪った反乱分子である! 決して逃がすなっ!」


 剣を引き抜き、切っ先を前方に振り向けたと同時に、叫んだ。

 その号令とともに、部下たちが一斉に飛び出してゆく。

 その中に、弟の背は見えない。これほどか、と落胆する。


 「あ、小隊長!!」


 弟の叫びが背後から聞こえる。周囲にはもう誰もいない。


 「くどいぞ、トウマ! みすみす反乱分子を取り逃がす……」


 弟の怯懦を叱ろうと振り返った兄の視線は捉えた。

 弟の背中。弟も振り返っている。

 さらに後方から、なにかが迫って来ていた。



 「だからな、嬢ちゃん。おめえのとおたまは、あー、もう!」

 「怒っちゃ、めーよ。エン良い子にしてるよ」


 いっそ本当に置き捨ててやろうかとも思うが、中途半端は己の矜持に関わる。とはいえ、眼の前の幼子に、ヒトの生死を教え諭すほどの気持ちの余裕はなかった。


 ふと地面に仰向けに転がっている男の顔を見る。

 どう見ても日本人の顔立ちではない。この幼子もそうだが。

 外傷は見当たらないが、上半身は酷く汚れている。おそらく本人の血であろうと思うが、そうなると外傷が無いのが気にはなる。


 しかし、ぴくりとも動かぬこの男が、再び起き上がる事はないであろうことは見て取れる。


 検死も子守も俺の仕事じゃねえと胸中で悪態を吐きながら、例の兵隊のような連中にも気を配る。

 少し目を離した隙に、数が倍に増えていた。

 こいつは無理だなと、がりがりと頭を掻いて腰を上げる。


 無理かもしれねえが、仕方ねえ。

 いよいよヤバくなりゃ、逃げちまおう。そうしよう。

 あー……なにをやってんだ俺は……


 右手に剣を、左手に拳銃を。その背には見知らぬ幼子を。


 ヤクザ気質も楽じゃねえ……

 そんな感慨が胸に沸き起こって来た。



 どうっと喚声を上げながら十人を超える兵士が駆け出して来た。

 みな手に手に剣を握り、お揃いの簡素な甲冑に身を包んでいる。


 気を抜いたら直ぐに死ぬよ。


 あの女が言っていたなと、この期に及んで思い出した。

 実感は無いが、死ぬ気はしない。

 まだまだ、これからなのだから。

 拾った命だが、ここで捨てる気にはなれなかった。


 「……来いや」


 眇めに兵士たちを見据えた赤城の視線の先で、きらりとなにかが光った。


 どごぉうん!!


 兵隊たちのさらに後方で轟音が響き、地煙が立ち昇る。

 兵士はみな振り返って、背後の異変に気を取られてしまった。自分たちの背後には小隊長が控えていた筈だが、立ち込める砂塵でなにも見えない。


 なにごとかと赤城も目を見開いて前方に目を凝らす。

 

 彼らの視界を覆っていた砂塵を切り裂く様に、なにかが飛び出して来た。馬、に乗る人。剣を抜いていた。


 「切り捨てろっ!! 突破して村の生き残りを探すのだ!」

 「応っ!!」

 「ロッカ! 深追いは駄目よ!!」


 三人の勇ましい者たちを先頭に、十騎ほどの集団が彼らの前方を塞ぐ兵隊たちの群れに突き込んでゆく。


 馬上から切られ血煙を上げる者。逞しい馬の蹄に掛けられ、踏み潰される者。そして、突如として火炎に包まれ消し炭と化した者。


 まさに突風の如くに兵隊を蹴散らして、まずは二人の若者がそれぞれ馬を急かして、赤城の眼の前を通り過ぎて行った。


 次いで、数人が二人の後を追うように駆けて行き、通りの角々で向きを変えて一人ずつ散ってゆく。


 「遅かったか……なんという……」


 一人の偉丈夫が馬をゆっくりと進めて、赤城に近付いてきた。

 視線は赤城の背後を捉えているが、赤城の姿に気を配っていることが解る。その男を守る様に、また別の男が馬を寄せる。


 底知れない目付きをした男だと、赤城は感じる。

 引き締まった体躯に、彫りの深い顔立ちだが、片目が潰れている。

 その全身から立ち昇る気配は、なみのヤクザでは太刀打ち出来ないだろうと思わせた。


 しかし、赤城は己こそが真の極道だと信じる男だった。

 ここが何処だろうと、眼の前の男が誰であろうと、気圧される事はなかった。


 赤城も抜かりなく、背後の幼子を気に掛けながらも、馬上の男たちの前に立ち塞がる。

 怪訝そうに、片目を潰した男が赤城を見下ろして言った。


 「……貴殿は?」

 「きでんだかおでんだか知らねえがよ。上からモノ言うなぁ行儀が悪かねえか?」


 臆すること無く言い放った赤城の態度に、馬上の二人は顔を見合わせ、小さく頷いてからひらりと馬から飛び降りる。


 「失礼をした、許されよ」

 「良いってこった……んで、」


 しっかりと視線を闘わせながら、赤城は拳銃を隠して空いた左手で煙草を取り出して、火を付ける。

 美味そうに煙を吐き出し、その目付きを鋭くした。


 「おめえさん方は、俺の敵か? 味方かよ?」


 思いもよらぬ問いだったのだろう。

 男たちは呆気に取られ、次いで正面の男が快哉して笑った。


 「はっはっはっ! むろん味方のつもりだが、それを聞く貴方は何者か?」


 「……俺が聞きてえよ……」


 赤城は、誰に言うともなく、小さく呟いた。

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