98.何だよ急に。お前らしくないな……
「起きろ。起きるのだロキ……」
「る、ルルガ……?」
一瞬、これは夢なのでは無いかと思い直す。
だがいや、もしかしたらさっきのが夢なのか……?
それともこっちの世界が夢なんだろうか……。
最早、どっちが何でどっちが夢なのか分からず、困惑して思考が回らない。
唯一ひしひしと伝わるのは、全身からの痛みと未だに続く、猛烈な吐き気だった。
だが、もう胃の中のものは全て吐き出してしまったのだろう。もう何にも出てこない。ただ気持ち悪さだけが脳内にこびりつき、水ですら飲み込めそうにない。
……どうやら上の崖から落ちた俺は、下の地面にまで転がり落ちたらしい。幸いなことに、致命的な高さではなかったのと、斜面の傾斜が若干あったために、全身の打撲程度で済んでいるようだった。
体を少しでも動かそうとすると、全身のあちこちからやめてくれ、そっとしといてくれと悲鳴が上がる。
頭も若干痛いが、致命的なほどでは無さそうだ。
……それよりも、脳内にこびり付いているかのような倦怠感の方が強かった。
いつの間にか、小雨が降り始めている。
そんな中、頭の下から伝わってくる温かな温もりと弾力だけが、俺の感覚を和ませた。……ルルガの腿だ。
ようやく俺はさっきまでのことを思い出し、もしかしたらとうとう幻覚を見るようになってしまったのではないかと想像した。チョウセンアサガオなどの毒素はそうした効果をもたらすからだ。
「ルルガ……?本物なのか……?」
虚ろな頭で話しかける。
すると、懐かしいあの声が聞こえてきた。
「ああ、ロキ。大丈夫か?」
「はは……まあ、幻でもいいや……。ルルガが戻ってきてくれたんなら。……見ての通り、ボロボロだよ……っ!ハァ……ハァ……」
「そうか。そうか……。頑張ったなぁロキ……」
気が弱っているせいか、いつもは全く口にしないような台詞を口走ってしまった。しかしそれを聞いたルルガは何故か、少し寂しそうに微笑んでいた。
いつもの、天真爛漫で快活とした彼女らしくない。
「何だよ急に。お前らしくないな……」
「らしくないのはロキの方だ。いつもはあんなに自信たっぷりのくせに……!」
やっぱりいつものルルガとは違う。そんな感覚を覚える。
もしかしたら偽者か……?そんなことをうっすらと思いながらも、それでもいいと思っていた。なんだかんだ言って、俺は結局寂しかったのだ。
……それほどまでに、俺はもう、こちらの世界に馴染んでいた。
「まあいいや……そうだルルガ、大変なんだ。みんなが……ゴホッ!毒に……ゴホッゴホッ……」
『ロキ。お別れを言いに来た』
「……は?」
突然ルルガが、訳の分からないことを言い出した。
同時に、急速に俺の意識も覚醒し始める。
「知っている。我々は見ていた。いや……『視えていた』。みんなのことは心配するな。今はミミナが三人を救出に行っている」
「は?え?どういうことだ?……お前、本当にルルガか!?」
「巫女の力だよ。私は『お前の命に危機がある時、それを事前に察知できる』のだ……」
「……え……?」
これは間違いなくいつものルルガではない。口調からして違う。しかし、誰かがルルガに化けて騙そうとしているのとも違う。
言うなれば、これはこっそり覗いてしまったあの時の……!
『それが《巫女》の力なんだ、ロキ』
「……なんだって……?」
***
あんなに静かだった森は、今はささやかな音を立ててメロディを奏でている。
周囲の木々にしと雨が垂れ、地面からは霧が立ち込めて来ていた。
周囲には誰もいない。俺とルルガだけだ。
だから、もしかしたらこれは幻かもしれない。文字通り……『キツネに化かされた』って奴か。
でも、水玉を帯びるイネ科の草も、そよ風に舞い落ちる広葉樹の枯れ葉も、そして目の前で涙を浮かべるルルガの姿も、俺の目にはハッキリとした解像度で映り込んでいる。
そして俺はそんな中で、さっき耳にしたルルガの言葉が未だに飲み込めず、唖然とした表情で目を見開いていた。
「イン……ストーラー……?何言ってるんだ……?」
「そうだ。巫女は神託を受ける。その中での通称が、《組み込む者》(インストーラー)だ」
「な……何だよそれ……急にここに来てそんなラノベみたいな展開……やめてくれよ……?」
「巫女は世界を革新するために、異世界から《因子》を召喚する。それは巫女の周波数と同期できた者のみが対象となる」
「ま、待て待て待て……!お前ルルガじゃないだろ。俺の知ってるルルガは……!」
ルルガの言ってることが全然理解できない。頭が完全に追いついていかない。
急にパニックになりそうで、俺は彼女の膝の上でかぶりを振った。
「そうだ。これは私ではない。巫女となった私は、ルルガであってルルガではない」
「お、おい……」
「巫女は、異分子をこの世界に組み込む者。異分子はその力を持ってこの世界を革新する。そうして世界は……『進化』する」
「何……言ってるんだ……」
ルルガの口から、元の世界にいる時の俺ですら理解できないような言葉が次々と発せられ、再び俺はこれが夢の中なのではないかという感覚が芽生えてきた。
俺を膝の上に載せたルルガは、優しく俺の髪を撫でながら続ける。
「私には分かるのだ。同じ周波数を持つお前の命が危機に陥ることが。……見張っていて良かった。このままだったら、お前の生命力は尽きる所だった」
「う……ウソだろ……?」
「そして巫女には、もう一つ力がある。『自らの命を分け与えること』だ」
「……え?」
そう言うと彼女は、優しく、そして躊躇いなく俺に口付けた。




