87.『悩むのは、自分で道を選んでいないからだ』
「え……?は……っ?」
いきなり彼女がそんな台詞を口にするとは思わず、間抜けな返答をしてしまう。
だが、ルルガの表情はいたって真面目だった。
「もう止めようと言ったのだ。なあロキ。ここまでしなくともいいではないか。確かにうちらの村とこの町は交流はあるが、ここまでして何かを手助けする義理はない。もうこんなことは止めて村へ帰ろう。あそこへ行けば、食べ物はなんだってある。森からの恵みもあるじゃないか?」
「な……何言ってんだよ急に!ここまでやったのに!」
彼女が言っていることが急だったせいか、余りにも非情で無責任な言葉のように聞こえて、俺はいきなり頭に血がのぼり、叫んだ。
「おいルルガ、お前はそれでいいのかよ!こんな……こんなに色んな人が困ってるんだぞ!?何の罪もない人たちが苦しんでるんだ。それを……それを見捨てて逃げろっていうのかよ!」
突然大声で叫んだ俺に、その場にいたみんなは驚いたようだった。だが、その様子に気圧されることなく、さらに意見してくる人物がいた。
「ロキ殿……。申し訳ないが、こればっかりは私もルルガに賛成だ。ハッキリ言って今回は分が悪い。別にロキ殿の作戦がダメだというわけではないし、町の者に同情しないでもない。だが、私はルルガと森に入っていた結果から言うと、もう『あの森は死んでいる』。
この数日は全然獣たちも見なくなり、木の実などもあらかた取り尽くされているんだ。いくら狩人の我々でも、あの森で暮らし続けることはもう……不可能だ」
ルルガと同様に真面目な顔をして反論してきたのは、ミミナだった。
ルルガだけなら、まだお腹が空いて美味しいものが食べられないからだと、たしなめて説得することはできた。だが、ミミナも同意見だということは、おそらくそれほど森の様子が変化しているということだろう。
けどまさか、二人とも急に撤退しようと言い出すとは……!そんなに危険な状態なのだろうか?一応、マルミラを通じて報告は受けていたが、それほどの事態だという話は聞いていなかった。
なんだ……?一体何が起きてる……?
急にあの二人が降りるって言うなんて……。
急に血が上った頭が、今度は混乱してますます思考が回らなくなる。何が起きてるのか、よく分からない。理解できない。
慌てて俺は二人に対して口走った。
「あ、そ、そうだ!オークたちが、森の外れにまで現れたんだ。絶対、奴らの中で何か異変が起こってるはずだ!」
焦って俺は取り乱しながら叫んだが、二人の目からは、先日までの何か希望に満ちた光が消えていた。俺にはすぐに、何を言った所で、彼女たちにあの光を取り戻さない限り、意思は変えられないということが分かってしまった。
「ロキさん……」
シバが心配そうに呟くのが聞こえる。
……そうだよな。お前だけは味方だよな!
自分でも目が泳いでいるのが分かる。なんだ?なんなんだこれは……?何が起こっているのか、よく分からない。
とりあえずシバは、混乱した場の空気になんと言っていいのか分からずに、黙り込んでしまったようだった。
すると俺にはその煮え切らない態度がやけに目につき、さらに声を荒げる。
「お前ら……。お前らそれでいいのかよ!町がこんな風になって、飢えて困ってる人たちがいて……。それで、何もせずに帰るっていうのかよ!」
「……」
俺の必死の叫びに答える者は誰もいない。
食べ終えたばかりのテーブルの上の皿たちも、誰が片付けるわけでもなく食卓の上に放置されたままだった。
そこへ、一人の静かな声色が響く。
「……ロキ君」
……マルミラだ。
どんな表情をしていいか分からずに、振り向いた俺の情けない顔に、彼女は静かに語りかけてきた。
「いいんだ。……彼女たちの言う通りだ。君たちにはなんら関係のないことに巻き込んでしまってすまなかった。いや、むしろ今までこれだけ協力してくれたことに感謝している。後はもう我々だけで大丈夫だ。君たちには君たちの暮らしがあるんだろう?今ならまだ間に合う。早く元の暮らしに戻るんだ」
「マルミラ……」
彼女は、どこか諦めたような口調で俺たちに優しく語りかける。それが本当に心から言っていることが伝わってきて、俺の胸はさらに痛んだ。
見れば、ベルナルドも彼女と同意見だと言わんばかりに、腕を組み、目を閉じて無言を貫いていた。
「でも……そんな、お前たちだけでどうするっていうんだよ……?」
「ハハハ、なーに大丈夫さ。我々は、死神に見放された男と大賢者様だ。何とかなるだろうよ。それに、君が授けてくれた作戦もあるしな」
「けど……けど、それは……その作戦は……!」
失敗かもしれない、と言おうとして、俺は最後まで言えなかった。
言った瞬間に、全てが終わるような気がしたからだった。
例え空元気でも、その希望の元である俺がそれを口にした瞬間に、儚い未来への希望の火が消えてしまうような予感がしていた。
その雰囲気を汲み取ったのか、マルミラはかつてないほどの優しい微笑みを浮かべながら俺に話した。
「……そうだな。我は君に賭けてみようと思う。なんたって、その方が画期的だからな!本当に君には感謝しているよ。まさか生きている間にあんなに画期的な知識を得られるとは思わなかった。……残念ながら、どんな大賢者でも、死ぬまでに全ての知識を実現化できた者はいない。しかしその存在を知ることができただけで十分だ。未知への好奇心がある限り、我々の生きていく希望となる」
「なんでそんな……今生の別れみたいなこと、言うんだよ……そうだ!」
「……君たちは巻き込まれただけだ。ここで戻った所で、誰も文句は言わんよ」
君たちも一緒に行こう、と言おうとして、その言葉は先に遮られてしまった。
彼女には彼女の生きる道があり、それを曲げることはできないと言っているようだった。
……それはそうだ。俺だってきっと同じ立場ならそうするだろう。
そうでなければ、みんなから反対されても、農業なんて道を選ぶはずがない。
『悩むのは、自分で道を選んでいないからだ』
俺が就農して苦しかった時に助言をくれた恩人の言葉を思い出す。
……そうか。俺の中にあった不安はきっとこれだったんだな。
目の前にいる、自ら道を選んだ人たちの真っ直ぐな眼差しが胸に刺さる。
「あのさ……俺も、残るよ」
気が付いた時には、勝手に口から出てきたのはそんな台詞だった。




