74.……本当にそれでいいのか?
「……奴らは毒に弱い」
「毒?」
マルミラの回答を聞き、正直俺は嫌な予感がして、思わず驚いた顔で返してしまった。
口調はともかく、彼女のような見た目が可愛らしい女性が口にするには、その単語はあまりにも物騒すぎたからだ。
その尊大な口調とは裏腹に、マルミラの外見はやや子供っぽい。……いや、子供っぽいと言うと本人からクレームが来てしまいそうだ。『少女っぽい』と言い直しておこう。
もしかしたら、自分でもその容姿にはコンプレックスがあるのか、それを尊大な口調で補っているような気もする。けど、それなら言葉の前に、もっと服装とかを何とかすればいいのに……。
とか思っていると、少女っぽい見た目の魔術師から、続きの説明が。
「そうだ。正確に言えば、我々の仲間が次々と病に伏せ始めた頃、奴らにも同様に病気で倒れる者が出始めていた。……ということが、後で分かったのだ」
「オークたちも……?インフルエンザみたいなもんか……?」
日本でも、最近は鳥インフルエンザが脅威になっている。
愛媛の地鶏を飼っている知人の養鶏農家さんから聞いた話では、インフルエンザウイルスは、鳥から豚を経由して人間へと感染し、その過程で悪質に変異してヒトに対してどんな影響を及ぼすか分からない……ということが、ここまで鳥インフルエンザが脅威となっている理由らしい。
そのために各地域の養鶏農家は、野鳥のみならず、人間の出入りも厳重に管理し、必ず鶏舎に入る時には靴などを消毒する、という手順を設けている。
あまり日常生活では意識をしないが、この辺りのバイオハザード対策に関しては、結構業界関係者は気を使っているのが現場の話だ。
しばらく前に、北海道のジャガイモ農家たちがカメラマンや観光客を対象に、厳重注意をしたニュースは耳に新しい。
あれも日本一のジャガイモ産地である北海道において、気軽な外部の人間が畑へ立ち入ったことによって、ジャガイモに病気を蔓延させてしまったという問題があったからである。
このように、自然……特に菌類の管理に関しては、第一次産業というのは結構気を使うのが常だ。そういった部分は、異世界だったとしても変わりがないのかもしれない……。
「貪り大王は、君たちも見た通り、単独ではただデカいだけでほぼ何もできない存在だ。だが、周りのオークたちを率いることで不死身の化け物となる。つまりは奴らは群れであるからこそ脅威だということも言える」
「確かにな……」
マルミラは続ける。
先日の貪り大王との一件を思い返してみたが、本人に関しては大した脅威では無いように思えた。確かに彼女の言う通り、オークは群れであるという部分が最も問題なのだろう。
「そして付近全体に病が広がった結果、オークたちの数は激減し、奴らの中心的存在だった貪り大王もその力を行使することができなくなって撤退した……というのが、先の戦の結末なのだ」
「そんなことがあったのかよ……」
「我はそれを観察し、魔法や物理攻撃には滅法強いオークたちも、自然由来のものであれば弱らせることができるのではないかと考えたのだ」
彼女の話を聞いて、ようやくこのガラット周辺で起こった事件の概要がやっと分かってきた。つまり、人間たちはオークたちを実力で排除したわけではなく、争いの間に起こった感染症によって、無理やり決着が付いたということだったのか……。
歴史において度々取り上げられる、遠征においての流行り病によって戦が集結するというのは、確かによくある話だ。しかも、指揮官が病気に感染して遠征の道中で死んでしまうということは、歴史のターニングポイントにおいて起こったことでもある。
そしてそのことを敵軍に知らせないために、指揮官の死を隠して行軍する……といった話もあったな。
「そしてその後の観察の結果、我の仮説は正しいことが分かった。奴らは病気や毒に対しては、普通の人間と何ら変わらない耐性しか持たない。……ということで、オークたちに有効な猛毒の成分を抽出してできたのがこれ……『マルミラスペシャル』なのだ!」
「おおーっ!」
そう言うのと同時に、彼女が棚から取り出した小瓶を俺たちに見せる。そこには、無色透明の液体がコルクの蓋によって、小さな小瓶の中に閉じ込められていた。
『毒』という単語の恐れと驚きで、一同は歓声を挙げる。
「ただし、これには弱点もある」
「弱点……?」
「その毒性は、オークたちだけに留まらないのだ。水系を伝わって、その水を摂取する全ての生物に対して効果を発揮してしまう。だから、人々に水の利用を禁止するか、この町をしばらく捨ててもらわなければならない」
「そんな……!?」
説明をしながら目を伏せ、どこか奥歯に何か挟まったような物言いをするマルミラに、俺はどこか違和感を感じていた。
一見、それは彼女が最初に言ったように、まさしく最終手段とも言えるような解決方法なのだろう。だが、俺が気づくぐらいだから、おそらくみんなも僅かに気づいたはずだ。
マルミラの些細な表情の曇りが気になった。
彼女は、果たして本当にこれが画期的な解決手段だと思っているのだろうか……?
『賢者とは何か分かるかね?ロキ君』
俺が病気……こちらで言う『呪い』によってベッドに伏せていた時、一人看病してくれた彼女と、色々な話をした。そこで出てきたのがこんな話だった。
『賢者とは、知恵を人々のために役立てる者のことだ。……決して、暴力や破壊行為に思考を委ねることではない。それらを超越した、画期的な解決方法をありとあらゆる知識を用いて編み出すもの。……それが賢者なのだよ』
賢者とはどういうものかということについて熱く語る彼女の様子を見ていて、そこに彼女が大事にしている『何か』を、俺はあの時確かに感じたのだ。だからこそ、攻撃魔法を避け、それ以外の知識を蓄え、研鑽を積んで彼女は大賢者を目指しているのだろう。
確かにあの時の彼女は、暴力的な何かを否定し、『知識』を信奉する厳かな何かのような雰囲気があった。しかしそれが数日後に、まさか毒を持ち出してくるとは、一体何があったんだろうか……。
「……本当にそれでいいのか?」
疑問を持った俺は、彼女の方を見て言う。
「……。何がだね?」
一瞬の躊躇いがあった後、しかしそれでもマルミラはしっかりと返事を返してきた。それだけで、俺たちの間にはすぐに通じた。
……なるほど、そこはもう自分の中で腹が決まっているということか。
「……いや、何でもない」
そうであれば、俺に言えることは何も無い。
結局依頼を受けたにせよ、今回の件で、俺にできるようなことは何も無かったからだ。全く役立たずの男が、覚悟を決めた女性に対して何かを語る権利は、多分どこにもないはずだ。
俺がそれ以上何も言わないことを見て、マルミラは新たな行動指針を提示してくる。
「そうと決まれば、この町の領主に許可をもらいに行かなくてはならない。一緒に来てくれるかね、ロキ君」
「……分かった」
決して晴れやかな表情ではないが、何かを決意したマルミラに俺は何も言葉にすることができず、ただ頷くしか無かった。




