71.「死なないで……」とね。
「……うむ、それでは一応話しておこうか。私にかけられた、聖なる呪いのことを……」
「聖なる……呪い?」
マルミラの屋敷の離れのベッドに臥したまま、俺たちはベルナルドの話の続きを待った。
誰一人として部屋を出て行こうとはせず、他の椅子に座ったり、ベッドに腰掛けたりして静かに耳を傾けている。
一人壁際に佇んでいた彼は、そっと目を閉じると、体を壁に預けて、遠い記憶へと意識を向けたようだった……。
***
あれはまだ、私がとある王国の正騎士をしていた頃の話だよ。
その国には、選ばれし政事を行うための『聖女』が存在した。私は騎士団の中で認められ、その聖女の護衛を行う任務を授かっていたんだ。
彼女は『聖女』だったとは言え、とても純粋で素朴な子だった。たまたま神に選ばれたというだけで、彼女自身には何の選択権も無かった。だから私は、いつも何故そこにいるのか分からないような顔をしていた彼女の話し相手になっていたよ。
当時の私はまだ若かったせいで、そんな彼女の内心を見抜くこともできず、ただ任務と時折見せる彼女のただの少女のような仕草の狭間に揺られながら、自分の立場を徐々に見失っていった。……簡単に言えばそう、「彼女に惹かれていた」んだ。
聖女の任務の一つに、『神託を告げること』があった。
聖女は神から授かったその力で、未来や不思議な世界のことを見通すことができる、と言われていたからね。私にはそれが本当かどうかはよく分からなかったが、確かに彼女は不思議な夢を見る、と言っていた。
そのお告げを聞いて「統治の方針を決めていく」というのが、王国の習わしだったんだ。
しかし、彼女は次第にその任務を嫌がるようになった。……嫌がるとは言っても、元々はおとなしい少女。表には出したりしないが、私には表情の陰りからそのことに勘付くようになった。そしてその頃には、私が彼女と一番時間を多く過ごす異性になってはいたよ。
ある時、彼女はぽつりと呟いた。
「もし私が聖女では無かったら、一体どんな暮らしが待っていたんでしょうね……」
……ははは、お伽話でよくある話さ。お姫様が普通の少女に憧れるっていうアレさ。
でも私と彼女は、そんなお伽話に夢を見てしまうほど、幼くて純粋な世間知らずの二人だった。その時、私は彼女に何の言葉も返すことはできなかったけど、その気持ちだけはしっかり伝わってきたよ。
……。
そうして、あの事件が起こった。
もしかしたら、彼女はそれに気付いていたから、あんなことを呟いたのかもしれない。今となってはそう分かるよ。
それは月が紅く染まるある季節の神託の時だった。
彼女は王に対して言ったよ。『この国の未来が見えません』とね。……それが本当だったのか、彼女がその役目を放棄するために言ったのかは誰にも分からない。だけど、それまで聖女の神託に頼って生きてきた王国は、それでは済まなかった。
それから王国は、ありとあらゆる手を尽くして、聖女の神託を授かろうとし始めた。
最初の頃はまだ良かった。精神をリラックスさせたり、働かせすぎたのではないかと、休息やご馳走を彼女に与えたりしていた。
しかしそれでも、彼女の神託は変わらなかった。
すると次第に、彼女に対する扱いが変わっていった。優遇が、何故か段々と拷問に近くなっていったんだ。強力な効果がある薬草を無理やり飲ませたり、精神を極限状態に追い詰めるため、断食をしたり苦行を強いたり。それらはどれも、年端もいかない少女に対して行うような所業では無かったよ。
無論、私は抗議をした。だが、所詮は単なる一介のお付き騎士に過ぎない。聞き遂げられるはずもなく、私の意見は却下された。任務から外される直前に見た、彼女の力ない笑みだけを覚えているよ。……結局、彼女は最初から最後まで聖女だった。
いや、たった一つ、最後の最後だけ彼女はその役割を自分から放棄した。
そしてその奇跡を、私に授けていったんだ。
……王国は最終的判断を下したんだよ。
「聖女を交替させるしか無い」とね。
以前から、聖女の力は一子相伝かつ、あるエリアに対して一人しか存在しないようになっている。その条件としては二つあった。つまりは『子を産む』か『聖女が死ぬ』かだ。子を産んだとしても、直接その子に力が受け継がれるわけではなく、誰か別の少女にその力が備わるようになる。
そのため、子を産む場合は、聖女の婚姻相手は決まっていた。王族直系の有力貴族だ。元聖女というのは権力の象徴としては申し分ない。政略結婚の相手として選ばれたのは、自分の父親より年上の愚鈍な男だった。
思えば彼女は、あまりにも純粋すぎたのかもしれない。町ではなく農村の生まれで、そうした汚れのような現実を全く見ずに育ってきたせいだったかもしれない。
彼女はその申し出を『拒否した』。
その先は……その……先は……あまり思い出したくはないが……、端的に言って最悪だったよ。
人間というのは、安定した未来が見えなくなると、あそこまで堕ちるものかと思ったね。彼女は『聖女』から一転して『魔女』と呼ばれるようになった。
王国を滅亡にもたらす魔女として、公開処刑が行われることになったのを知ったのは、私が騎士団を辞めようと思っていた矢先のことだった。
処刑が行われる数日前に、私は彼女の元へと忍び込んだ。……さっきも言った通り、よくある話だよ。そう「一緒に逃げないか?」とね。
彼女は寂しそうに微笑んだ。『ありがとう、でも行けないわ』と。『行ったら、もっと大変なことが起こる。それを防ぐためにも、私はここで死ぬの』……と。
まだあの頃は、私も熱い青年だった。彼女の台詞を、ただ自信が無くて弱気になっているだけだと思ったんだ。だから私は、無理やり彼女を連れ出した。彼女は何も言わず、それに従ってくれた。……ただ、少しだけ悲しい顔をして。
結果は、彼女の言った通りだった。
私たちは見つかって、私の同僚たちである騎士団に取り囲まれたよ。そこへ激昂した王がやってきて、その場で「二人とも死刑だ!」と叫んだんだ。
私は剣を抜いた。……例え、同僚たちを斬り捨ててでも、自分が死んでも、彼女だけは逃してみせる、と。
そう決意して、彼女の前に立った。でも彼女は、剣を構える私に対して近づいてくると、そっと口づけをして僕に言ったよ。
「死なないで……」とね。
そしておもむろに、両手で僕……いや、私の握っている剣を握りしめた。私は唖然として何もできなかった。彼女の血で真っ赤に染まっていく剣を見て、ようやく僕……私は、完全に誤った選択をしてしまったことに気付いた。そして、もうそれが手遅れだということにも。
彼女は、掴んだ両手の剣で、自分の喉を突いた。
……そこから、私には『死』が視えるようになったんだ。




