61.それでは説明しよう
「ここを辿っていけば、源流に着くんだな?」
「ああそうだ。およそ丸一日、慎重に行けば二日といったところか」
次の日、俺たちは旅支度をして川の上流へと遡っていた。
***
「謎は概ね解けたぞ」
「おおっ!ロキ君、本当か!?」
「さすがロキ殿。妻候補として鼻が高い」
「さすがですねロキさん!」
……謎は全て解けたのフレーズに突っ込みが入らないことが若干残念だったが、まあ異世界なので仕方ない。細かい部分への突っ込みは無視することにして、俺はかけていない眼鏡の縁を持ち上げる仕草をしながら、このトリックの謎解きを開始することにした。
「さっきも言った通り、ここの湖は栄養が多すぎて汚染されている。この水質汚染の原因は、もちろん呪いなんかじゃない。自然現象だ。地図を見る限り、この湖の源流は北部の山脈の方から流れてきているんだろう?そして、オークたちは盗んだ豚と走り出して北へ向かった……。なら、自ずと答えは見えてくる。後はそれを確かめるだけだ」
「なるほど……。我にはまだ分からないが、ロキ君には見える何かがあるのだな。画期的な考察だ。それでは早速確かめようではないか!」
「オークたちか……。コボルドよりはうまそうだな〜」
「ルルガ嬢、オークは食べるものではないよ」
またしても盗んだ豚の辺りで突っ込みが入らないことに引っかかりつつも、俺たちは早速この仮説を確かめるために旅支度を始めた。目指すはオークたちの住む集落だ。再び村にいた頃のジャングルとは違う森林部へと入っていくため、馬車は途中までしか使えない。
俺たちは御者を一人お願いして送ってもらった後、徒歩で川の源流を辿って進んでいたのだった……。
***
「で、そろそろ君の仮説の理由を教えてもらえるのかな?ロキ君」
「そうだな。大分頭の中もまとまってきた。それでは説明しよう」
強い陽射しが差し込む正午付近、俺たちは木陰で休息を取りながら昼食を食べていた。まだ一日目なので、食事は持ってきたパンとミミナたちが近くで獲った野鳥と野兎の肉だ。彼女たちが手早く解体したものを、シバが焚き火で炙り、塩を付けて食べる。……ふむ、淡白だがあっさりした味で悪くないな。やはり野生の鳥は内臓がうまい。でも寄生虫には気をつけろよ?
と誰にだか分からないモノローグを内心だけで語りつつ、さっきから熱心に尋ねてくるマルミラへ、俺は仮説の根拠を語ることにした。
「俺のいた世界では、昔こんな出来事があったんだ。……こことよく似た気候の国で、家畜を飼っていた地域があった。そこである時、子供の顔が青黒くなってしまう病気が流行ったことがあった。皆はその原因は何故かと調べた所、地下の水質汚染のせいだと分かったんだ。何故そうなったのかというと、家畜の糞が分解されていくと、終いには水に溶けるようになる。それらは植物にとっては養分になるが、人間や動物がそのまま体内に入れると毒となる。水が流れていくような地形だったら良かったんだが、運悪くそこは地下に水が溜まる所だったんだ。なので、井戸水の中に毒が溜まってしまった……というわけさ」
俺は彼女たちにも分かるように、専門用語は端折って説明したが、これはEUで実際に起こった出来事だ。あっちは冷涼な気候で、かつ雨量も少ない。そのため家畜糞由来の硝酸が溜まりやすくなってしまうという特徴があった。
そもそも家畜の糞は、自然界に放出された後は様々な微生物の力によって分解され、たんぱく質からアミノ酸、そして亜硝酸態窒素から硝酸態窒素へと変化していく。その最終的な硝酸態窒素が植物の養分にとって重要な窒素源となるのだが、その過程に発生する亜硝酸態窒素は動物にとっては毒だ。酸素との結合の相性が良いため、動物に必要な酸素を奪ってしまうことになる。
ある程度大人になれば、そのような物質も問題なく代謝できるようになるのだが、まだ子供のうちはそうした機能が発達していないため、必要な酸素が足りなくなってチアノーゼを起こしてしまう。つまり……痣などと同じように顔が紫色に変化するのだ。
ちなみにこれらの現象は、今ではほとんど起こってない上に、硝酸態窒素を含んだ水分を常温で放置しない限りはほとんど問題無いであろうことが分かっている。かつて起こった問題は、硝酸態窒素が多く含まれた井戸水を使ってニンジンのスープを作って放置していたことが原因だと言われている。
日本でも一時期、ネットでこの手のネタが流行って『化学肥料危険!無農薬最高!』……みたいな論調がはびこった事があったが、傾斜地が多く水が溜まりにくい上に亜熱帯気候である日本ではまず心配ないと言っていいだろう。むしろ同じような話で一般的に気を付けた方がいいのは、夏祭りの屋台などで出される『冷やしキュウリ』の微生物汚染の方だ。
まあ確かに、これまでのじいさん農家たちの間では時間が止まっているため、「肥料はやるだけやったほうがいい」などという都市伝説……じゃなかった田舎伝説みたいなものがはびこっているので、上記のような問題も起こり得る環境があると言えばあるのだが……。
「……ということで、俺たちは今、川の源流にいるはずのオークたちがどんな暮らしをしているのかを確かめる必要があるわけだ。俺の推測が当たっているとしたら、おそらく……」
「ニャッ!?誰だ!?」
そこまで言った時、突然ルルガが警告の声を発した。




