41.だから……だからボクは、絶対に逃げません!
「やめてくださいっ!」
「シ……シバ……!?」
かすれたような声で、その名を絞り出す。
聞こえてきた声は、どこかへ消えていたシバのものだった。声の聞こえた方を見ると、震えるシバが俺とは反対側の茂みの前に立っている。……どうやら、今まではその茂みの中に隠れていたらしい。
「あぁん?……なんだ、ハグレもんか」
ゴウダツはそちらを一瞥しただけで、特に興味もなさそうにしている。何の脅威にも感じていないようだ。だが……。
「おい……シバ!ハァ……ハァ……何……やってる!は、早く……逃げるんだ……!」
「ロキさん……」
何とか力を振り絞って、シバへと叫ぶ。
自分の身すらどうなるか分からないというのに、咄嗟に出てきた言葉がそれだった。いくら魔法が使えるとは言っても、どう見てもシバに奴の相手は荷が重い。ルルガですら太刀打ちできなかった相手なのだ。さっきまでの様子を見ていれば分かるだろう。何で逃げなかったんだ……。
「ロ、ロキさん……ボクは、に……逃げません……」
「え……?」
今にも逃げ出しそうな、全く口とは正反対の格好をしながら、それでもシバは確かにそう言った。思わず、驚きの声が漏れる。
一体何を言ってるんだ。この場の誰も敵わなかったあのゴウダツなんて化け物に対して、あんな小さなハグレコボルドができることなんて無いだろう……?もうとっくに逃げ出してたっておかしくはない。それなのに、なんでアイツはそんなことを……。
「ろいを……くれたんです……」
再び呟くシバ。
「は……?」
その小さな声を俺は聞き取ることができず、聞き返した。
「ロキさんは……ボクの呪いを……解いてくれたんです……!」
相変わらずシバの体は及び腰だった。だが、さっきまでとは違い、その瞳には明らかな決意の色が浮かんでいるのが見える。その瞳を見た瞬間……俺は、何も言えなくなってしまった。
「ボクはずっと、弱くて臆病で人の顔色ばかりを伺ってきたコボルドでした。……でも、この前初めて人の役に立てて、人を喜ばせることができて。そして……誰かに必要とされてようやく分かったんです。
こんなボクでも、できることがあるんだって。勇気を出すことで、ずっと闇ばかりだったボクの人生にも……光が見えてくるんだって。
ホントはすごく、怖いし逃げたい……です。
でも、ここで逃げちゃったら、また元のボクに逆戻りしちゃうんです。弱くて、情けなくて、何も自分で選べない……そんなボクに。
だからボクは、ここで逃げるくらいなら……死んだ方がマシなんです!ロキさんを見捨てて逃げるくらいだったら!だから……だからボクは、絶対に逃げません!」
「……シバ……」
子供のように小さなコボルドが発した、心からの言葉が、俺に刺さる。その目を見る限り、シバの決意は本物だった。
今にも崩れ落ちそうな膝を必死に奮い立たせて、今にも泣き出しそうな表情を必死にこらえて、シバはあのゴウダツと対峙していた。
逆に体の方が着いてきていないからこそ、その決死さが伝わってくる。ルルガもミミナもやられて、俺だって満身創痍状態なのにも関わらず、シバはたった一人でも立ち向かうことを決意したのだ。
逃げるくらいなら……死んだ方がマシだ。
その言葉が、やけに重く響く。
ぼんやりと重くなった頭で、ふと昔のことを思い出していた。
『……一体これはどう責任とってくれるんだよ!?』
若い頃働いていたバイト先で、理不尽なクレームを付けてくる客がいた。上司に命令され、仕方なく土下座をさせられた日。……あの日はずっと悔しくて、眠れなかった。そして、心に誓ったんだ。
『自分の心を曲げるくらいなら……死んだ方がマシだ!』
あの頃決意した記憶が、農業へと繋がり、今に至っているのをぼんやりと思い出す。
……誰にも指図されたくないし、誰にも支配されたくなくて……俺は独立して農家になったのだ。それを今、こんな異世界でコボルドからまた……教えられるとは。
体の底の方に、熱い何かが湧いてくるのを感じる。
「うるせぇハグレチビだな。……殺すか」
意外にも今まで静かに聞いていたゴウダツが、いよいよ聞き飽きたとばかりに吐き捨てた。だが、ゴウダツが行動を開始する前に、心に火が灯ったシバの方が動いた。
「ボクはチビでも……ハグレでもない。ボクは……精霊使いのシバだ!……わあぁっ!【火蜥蜴の舌】!」
先日、ルルガを襲った火の玉の魔法が発生する。火は確かに獣にとっては警戒すべきものではあるが、さすがにゴウダツのあの体と、先ほどまでの身のこなしを見ていると、焼け石に水であることは否めなかった。だが。
「……チッ!」
咄嗟に身構えたゴウダツは、ミミナの矢と同じように手で払いのけるのかと思いきや、身をよじって避けた。火の玉は、すんでのところで的を外し、地面に落ちて弾ける。
しかし……そのゴウダツの姿は、さっきまでの無双状態と較べてみても、明らかに違和感があった。
(……避けた?アイツは炎が苦手なのか?)
「てめぇ……!」
だが、それはある意味逆効果でもあったようだ。
ついにゴウダツの目に本気の炎が灯る。……マズい!
「逃げろシバ!」
咄嗟に俺は叫ぶ。と同時に、残った僅かなエネルギーを振り絞って、頭をフル回転させた。弱点が分かればまだ戦いようはある。
(……火。炎か。それを何かで増幅させることさえできれば……!?)
油……菜種か?いや、種を絞っている暇など無い。脂分を含んでると言えば、アボカド……?いや、この辺りには生えて無かった。なら樹木はどうだ?松か……針葉樹?いや、これらは熱帯には無い……!
ダメだ。間に合わない。
痛む体を必死で我慢し、持ちうる知恵と知識の全てを持って考えた。……が、どうしてもダメだ。今この瞬間に使うことのできる方法など、有りはしない。もしくは、思いついた所であとほんの僅かの時間で、シバが……シバが……っ!!!
……。
ゴウダツの意識は、完全に向こうに行っているようだ。こっちのことなど、見えていない。もう完璧に、戦意喪失していると思っているのだろう。
気が付いた時には、俺の両足に力が入っていた。
……全身に激痛が走る。
が、そんなのには構ってられない。
なんとかしないと、シバが殺される。
弱々しくて、生きるのを諦めていたシバ。
俺にうまい飯を分けてくれたシバ。
そして、勇気を振り絞って俺を助けようとしてくれたシバ。
そんなシバが……っ!
……いつの間にか俺は、もう一度立ち上がろうとしていた。




