32.どうしたどうした!コボルドなんてこんなもんかよ!
葛の草原は、沼を過ぎた後、森の中にある開けた草原のことだ。……昔、山火事が起きたのか何なのか、一帯がポッカリと開けている。そこへマメ科の葛が真っ先にはびこり、一大群落を築いている。
おそらく日本に住んでいる人間であれば、一度は葛を見たことはあるだろう。少し田舎の過疎化した地方へ行けば、いくらでも生えている植物だ。マメ科特有の窒素固定菌の力によって、痩せた土地でも空気中から養分を土壌中に固定、それを吸収して生長するため、繁殖力が非常に高い。
さらに、民芸品などでもよく見られるように、乾燥したツルは非常に固く、人の手では簡単には千切ることもできない。なので、農村で新しく畑を開墾する時に存在していると非常に厄介な植物の一つではあるのだが……。
「どうしたどうした!コボルドなんてこんなもんかよ!」
「お、おのれニンゲンめ……!行け!行くのである!」
沼を迂回してきたコボルドたちに対し、挑発気味に言葉を投げかける。さっきから思うようにことが進まないコボルドのボスは、斧を持った腕を振り回しながら周りの兵士コボルドたちに対して必死で指示をする。
兵士たちも同様、頭に血が上っているのか、ワーワーと大声を挙げながら俺を追いかけてきていた。その様子が俺には大分滑稽に見えたおかげか、幾らか冷静さを取り戻して次の準備にかかる。……何だかんだ言いながらも、やはりこちらも同じように、緊張のせいで頭に血が上るし、心臓の動悸が激しくなっていたからだ。
「そんな遅い足に捕まるかよ!」
そう言い放って、葛の中へと飛び込む。その後から、すぐにコボルドたちも追いかけてきた。
ハッキリ言って、ここのような葛で埋まったエリアは、体の大きい俺の方が動きにくくて不利だ。コボルドは穴の中に住むだけあって、身を低くした動きなどは得意な方なのである。だが、それでも俺がここを選んだ理由があった。それは……『トラップが仕掛けやすいから』である。
「ワッ!」
「ど、どけっ!」
「押すな押すなっ!」
「待てっ!逃がすんじゃない!」
後ろから再び、さっきの沼と同じような声が聞こえてくる。葛の中に飛び込んだ俺は、予め向こうからシバが目印の糸で導いてくれたルートを辿り、その道中でつっかえ棒をしておいたり、引っ張って開いておいた葛の中のトンネルの支えを切り、後から追いかけてくるコボルドたちに対するワイヤートラップにしていたのだ。
奴らはまんまとそれらに引っ掛かり、足を取られ、腕を絡みつかせてジタバタともがいている。鋭利なナタや鎌ならともかく、あいつらの持っている錆びた武器ではそう簡単にツルを切ることもできまい。
そうして俺は、コボルドたちに追いつかれること無く、葛の草原の向こうへと抜けることに成功した。後……少しだ。
「いた!いました奴が!」
「早く捕まえるのである!これ以上逃がすのではない!」
「ハッハッ!トロいぜ!」
ようやく少しずつ抜けてきたコボルドたちを再びスリングで狙いながら、追いかけてこさせるように挑発する。……予想では、これで半分ぐらいは脱落させただろうか?追っ手は十匹ほどになっているような気がする。だが、まだ多い。もうひと踏ん張りだと言い聞かせて、俺は次のポイントへと向かう。……もう、一度走りだしてからは最初の緊張感は大分無くなっていた。全身をアドレナリンが駆け巡っているのが分かる。
「やれる……やってやるぞ……っ!」
もう何度目かの自分へ対する言い聞かせの言葉を叫びながら、全力で走る。大分疲れは溜まってきているが、まだ走れる。大丈夫だ。あと少し、やるしかない……!
***
次に訪れたポイントは、『茨の道』だった。
これは読んで文字の通り、バラ科の低木である、通称イバラと呼ばれる種類の植物がたくさん生えているゾーンだ。日本にいた頃も、こんな場所は山の麓によくあった。大体、森の端の木が途切れる辺りや、小道の脇に生えていることが多い。
俺がいた長野でも、林道沿いに木苺が生えている場所があり、いつもシーズンになると道に生えている木苺を獲って食べたものだ。……残念ながら、ここに生えていたものは木苺では無いので食べられなかったが、それでもバラ科の鋭い棘はもちろん生えている。
まだ後ろからコボルドたちが追ってくるのを確かめた後、俺は身を丸くしてイバラの群落の中へと飛び込んだ。……さすがに体の一部が棘にかすり、チクチクとした感覚が伝わってくる。何とか肌の部分は隠しているため、引っかき傷にはなっていないが、時間の問題かもしれない。中腰のまま全力で走る、というやや無茶な動きをしているために、時折ふらついて棘の地獄の中へ飛び込んでしまいそうになる。
だが、ここも先ほどの葛と同じように、予め何とか人一人が通れるぐらいの道筋を作っておいたため、ギリギリ無傷で通ることができるのだった。
「どうした!早く追うのである!」
「で、でも族長……」
「行け!ニンゲンが通れるのだから、我々だって通れるに違いないのである!」
どうやらコボルドたちも入り口までは辿り着いたようだ。聞き覚えのある声が聞こえてくる。あの族長もまだきちんと追いかけてきていることを確認し、さらに挑発を繰り返す。
「早く諦めて逃げ帰るんだな!野犬以下のコボルドたちめ!」
「なにぃっ!?我々を野犬以下呼ばわりするとは……許さんぞサル以下のニンゲンどもが!」
……なんだか、地雷を踏んでしまったらしく、後ろのほうでコボルドたちがかなりお怒りのようなのが伝わってくる。犬っぽいけど、犬と比較すると怒るんだな……一つ勉強になった。
そうこうしているうちに、俺はイバラエリアの反対側に出た。そこには、俺より先に移動していたシバが待っていたのだった。
「ロキさん、お疲れ様です。順調に行っているようですね」
「そうか?……正直、あまり冷静に観察する余裕は無かったな。とりあえず無事にここまで来れて良かった。あと一息だぞ」
「はいっ!」
今まで一人でずっと切り抜けてきたからか、こんな子供みたいな外見だったとしても、一人でも味方がいるというのはすごく心強い気がしてきた。ルルガたちがいた頃はあまり感じなかったが、やはり仲間というのはいいものだ。……そしてここからが、最後のカードであるこの作戦の仕上げの部分だ。
いよいよ大詰めである。




