100.種を蒔く者
森は静かになった。
……いや、元々静かだったのかもしれない。
けど俺には、急に森が無言になったように聞こえた。
いや、無音になったというのに『聞こえた』と言うのはおかしいのかもしれない。
蛍のように仄かな光を放ちながら、小さなキツネが暗い森の奥へと消えてから、急に世界から音が消えたような気がした。
さっきから静かにノイズを提供してくれていた雨音も、気圧の変化とともに流れる風に揺られた葉擦れの音も、自分の呼吸や心臓の鼓動の音でさえも……聞こえなくなった。
もちろん、目の前からはルルガの姿は消えていた。
『お別れだ』
小さくそういうルルガの姿を思い出す。
今思えば、あの声は……震えていたのかもしれない。
そりゃそうだ。
……どこの世界に『自分がこの世から消えてなくなること』を望む奴がいるっていうんだ!
辛くなかったわけがない。
でも、彼女はそれよりも『巫女』としての役目を選んだ。それが……自分の生きる意味だとでも言うように。
「巫女……インストーラーだと……!?なんだよ……それ……」
体からは、さっきまでの倦怠感が嘘のように消えていた。崖から落ちた時の打撲傷も問題ない。しかし今度は、それ以上に頭の中が混乱していた。
「【種を蒔く者】だって……?」
上半身だけを起こして、辺りを見る。
さっきまでと同じ、オークの集落に行く途中の森の中であることに変わりは無い。
ゆっくりとさっきのルルガが言った言葉を思い出す。
(相転移?……百年に一度?エンジニアと……何だっけ?)
混乱して、うまく聞き取れない部分もあった。だが、ついに俺がこの世界に来たその理由が明らかにされたのだろう。
(『緑の手』……)
どっぷりと浸かったラノベ脳のおかげで、なんとなく言われたことは分かった。だが、俺に与えられたという能力の正体はよく分からない。
両手の平を見つめてみたり、意味なく空中からウィンドウを出そうとして色々やってみたが、人には見せられないような恥ずかしい仕草だけで終わってしまった。
……結局、俺の体には何の異変も感じられなかったので、立ち上がって辺りを見回した。
やはりもう、さっきのあのキツネはどこにも見当たらない。
(……ルルガ……)
納得していないことはたくさんあるが、とにかく今はみんなの所へ戻ろうと思った。
***
崖を何とかよじ登り、さっき走ってきた道のりを引き返す。
走り始めると、体がいつもより軽いことに気付いた。おそらく、ルルガのおかげだ。
しばらく遅れて、少し体が変化していることを実感する。
多分今の俺は、ルルガたちほどではないが、こちらの世界に適応できるぐらいの身体能力を身に付けられるようになった気がしていた。
体力もいつもよりも満ち溢れているし、体の各場所の筋肉の動きや力の入り具合が違う。これなら、技術さえ身に付ければ、ベルナルドのように戦闘で戦えるかもしれない……!
複雑な心情が俺の中に生まれる。
これまでは体力に劣る分、やることは限られていた。
みんなが思い付かないようなことを、現代人の知識として応用し、それを提供していれば良かったのだ。それが今度は、またやれることが増えてしまう。元々性格的に、争いごとは嫌いだっていうのに……。
『お前がこの世界を美味しい物で覆い尽くした時、うちはまた戻ってくるよ』
一瞬、怠惰な気持ちになる心を、ルルガの声が呼び戻す。
本当なんだろうか?……多分、嘘だろう。
でも、嘘だと信じきれない自分もいた。
(もしかしたら……いや、でもきっと……!)
走りながら、急激にインプットされた様々な情報を処理、蓄積、推論を行う。
全ては理解できていないが、おおよそのことは分かった。
巫女である彼女たちは、異世界から俺たちのような人間を召喚して、この世界の革新をおこなっていること。そして、それは俺の他にあと五人いること。
なんだかは分からないが、それらの人間たちには、巫女によって能力が与えられること。
とりあえず、分かったのはそれぐらいだった。
もっと情報を手に入れるには、マルミラに聞いたり、また黄金耳の集落へ行って巫女について聞くしかない。そうすれば、この世界のことがもっと分かるはずだ。
とにかくまずは、みんなと合流することにしよう。
複雑だが、ルルガのおかげで満ち溢れている体力を全開にして走り続けていると、向こうから人影が近づいてくるのが見えた。ん、視力も上がってるか……?
「おーい、ロキ!」
声を掛けてきたのは、ミミナだった。
「大丈夫か、ロキ!?」
「ミミナ!ホントに来てくれたんだな!」
「当たり前だ。それより体は無事か?なんともないか?」
「ああ。ルルガのおかげでな。でも、ルルガが……!」
「ルルガがどうした?とりあえずこれを。毒消しだ」
そう言うとミミナが手を差し出してくる。
……見ると、何かの細かいお茶の葉のようなものを握っていた。
「これは……?」
「我が部族に伝わる薬だ。ほら、これで飲み干せ」
そうして同時に、水が入っていると思われる革袋も渡してきた。
俺は言われるままに、それを受け取る。
「ありがとう。悪いな。それより……悪かった。俺がもっとお前たちの話を聞いていれば、こんなことにはならずに済んだかもしれないのに。それに……ルルガのことも……」
「いいんだ。仕方ない」
ミミナは同情するようにかぶりを振った。
それを見た俺は、尚更、申し訳なくなって続ける。あの時俺がもっと彼女たちの意見を聞いて、慎重策を取っていれば、オークたちは勝手に自滅し、こんな謎の罠に掛かることも無かったかもしれない。
いっその事、ミミナが俺をもっと責めてくれればとすら思っていた。
そうしなければ、俺のこの気持ちの行き場がどこにもない。俺は悔恨を持て余し、持て余しすぎて持て余しすぎて、誰かに「お前のせいだ!」と攻めて欲しいぐらいだった。
「仕方ないことなんかない。俺が……俺のせいでルルガが……!」
「……ロキ。気に病むな。彼女も本望だったはずだ。私は彼女を誇りに思うぞ」
しかしミミナは、そんな俺のことを慮ってか、慰めの言葉を口にす……る?
「……?」
「それより早く薬を飲め。お前まで倒れられては困る」
更に薬の服用を急かすミミナ。俺の体のことを心配してくれているのは分かる。分かるが、だが……?
何かが、引っ掛かる。
「……ミミナ?」
目の前で心配そうな表情をしているミミナに対して、俺は疑問符を投げかけた。
何だろう、一体何が……?
『お前、……本当にミミナか?』
思うより早く、声に出てしまった。
一瞬、表情が固まるミミナ。
その瞬間、俺の頭に直感が閃く。これは……ヤバい奴だ!!!
即座に、手にした薬に目を落とす。
……するとその時、不思議な出来事が起こった。
(これは……!?)
『ナス科ハシリドコロ属ハシリドコロ。別名……【キチガイナスビ】』
(!!!)
誰にどうされるわけでもなく、頭の中に文字情報とイメージが浮かんできた。
と同時に、不思議とその情報が、手に取ったこの植物の情報なのだということが理解できる。
そして、それが自分の頭の中のデータベースと即座に直結し、この植物の正体が分かった。
ハシリドコロ。有名な毒草である。
そして最も有名な同種の植物の名前と言えば……!?
「ベラドンナ!?」
ジバッ!!!
その名前が思い浮かんだ瞬間、俺の目の前がスパークした。と同時に、全身に高圧電流でも流れたような衝撃を受けて、倒れる。
一瞬意識が飛び、我に返った時にはもう地面が目の前にあった。
堆積されていた枯れ葉の一部が、倒れた勢いで風に舞う。
……ヒラヒラと落ちてきた葉っぱ越しに見えたのは、『ミミナではない何者か』のシルエットだった。
逆光で顔は見えない。
辺りはもう、雨が上がっていた。
通り雨だったようだ。
「あーあ、残念だったなぁ。あとちょっとだったのに」
ぼんやりとした頭に、頭上からそんな声が降ってきた。
目が霞む。
体が動かない。
力が……入らない。
目の前の何者かが手に持っている物が、刺激的に光を放っていた。
あれは……『スタンガン』!?
「だ……誰だ……っ!?」
痺れて動かない口を無理やり開き、意思を伝える。
すると、目の前の人間は、身を乗り出して俺に顔を近づけてきた。そして、再び迫ってくるスタンガンのようなモノ。
「聞きたい?聞きたい?」
「……」
もう口も動かない。
駄目だ。こんな所で終わるわけには。
俺にはまだやることが……!
ルルガと約束したんだ……!
世界なんてどうでもいい。
俺は彼女のために、みんなのために、もっとうまい食べ物を……!
「【感染する者】」
「……!?」
……俺が最後に聞いたのは、そんな言葉だった。
にやりと笑うその口元が、新月の後のように細長く、真っ暗に移ろっていく視界に微かに光るのが見える。
その光に吸い込まれるように、俺の意識は遠のいた。
***
ピチャン……
頬に当たる、冷たい水の感覚で目を覚ます。
辺りには誰もいる気配が無い。
俺は慌てて身を起こすと、周囲を見回した。
そこは、ジャングルの森でもなければ、ガラットのような湖畔でもない。日も差さないようなジメジメとした暗い場所で、思わず口から呟きが溢れる。
「こ、ここは……?」
目覚めるとそこは、見知らぬ洞窟の中だった。
【お知らせ】
ご愛読ありがとうございました。
これにて『なろう』での異世界農家は打ち切りです。
同時に、筆者のなろう活動も終了したいと思います。
小説を書き続けていくこと、質を向上させること、読んでもらうこと……様々な部分で勉強になりました。
今後はこちらにて、不足していた部分を加筆修正して連載を続けるかもしれません。
http://agri-media.net/
読者になって頂いた方、協力を依頼して下さった方、本当にありがとうございました。
それでは。