胸中の拳銃 覚悟の弾丸 the Heart of Gun and Bullet of a Coward
マーク・ポーターは、その胸の内に拳銃を宿す類の男である。
その拳銃は、無骨な銃身に無闇に巨大な口径を持った中折れ単発式のもので、そこから放たれる銀殻被弾は、新大陸及び暗黒大陸に駆逐される事無く蔓延していたある種の因子によって人成らざる身になった保因者であろうとも、1878年以来、土壱から世界へと広まって行った革新的技術の恩恵者たる義体遣いであろうとも、まず倒す事の出来る様な代物であった。
何者であれ、何物であれ滅ぼしてしまうその拳銃と弾丸を、人々はこう呼んでいる。
即ち『覚悟』、と。
それさえあれば全ては恐れるに足りぬものとなる。
マークの五十年に渡る人生は、その拳銃、そして弾丸と共にあったと言っていいだろう。
無法極まりない、だが何処か憎み切れぬ荒くれ者達の中で、友と一緒にごっこ遊びをして過ごした少年時代から既に拳銃は輪郭を持って心の中にあり、赤褐色の岩と砂に覆われた大地を馬に乗り駆けずり回れる様になった頃から、形は更に明確なものとなって、がきりと鉛色の弾丸が装填された。
そしてそれは若気の至りが故の無謀さから一度、強引に放たれる事になる。
幼い頃からの親友達と共に強行された荷馬車強盗。酒の場で練られた計画は実にお粗末なだったが、マークも、その仲間達も、自分達による偉大な犯罪の成功と、その後の栄光を信じて疑わなかったものだ。
だが銃声と口笛を挙げつつ意気揚々と襲い掛かった馬車の中には、運悪く一人のガンマンが乗り合わせていた。後に『ネバーモア』の名で恐れられる様になる半人半奇の用心棒を前に、マークは腕からも胸からも拳銃を投げ捨てると、無様にも逃げ出したのだ。激痛にのたうち、苦悶の声を上げて助けを求める仲間達に背を向けて。
命からがら逃げ出したマークはお尋ね者として追われる羽目になり、西部の荒野を転々とした。
その事件、そして無法者との邂逅、保安官や賞金稼ぎとの命の遣り取りはマークの中で、一度は捨てさせた拳銃を再び生み出した。それはよりシンプルで力強い機構と形状を持ち、弾は一つのみだが大きく硬く、銀の殻に覆われたものへ変化した。
胸に風穴を開けられ、生死の境を彷徨った時ですら、それは揺るがなかった。
寧ろ逆で、より一層顕著になった程である。
かくして築かれた新たな拳銃と弾丸を胸に潜め、荒れ野を駆け回ったマークは、何時しか名うてのガンマンと称される様になった。彼は抜き撃ちを得意とし、如何なる相手よりも速く銀の弾丸をその者の身に撃ち込めたのだ。
そんなマークが、寄る年波の中で平穏の有難味を知り、引退を決意したのは今から何年も前の事である。
酒場の二階で出逢った十歳以上年下のジェーンを娶り、彼はアリゾナの片田舎で隠居暮らしを始めた。カタギの生活に最初こそ慣れぬものがあったがそれでも美しいジェーンに支えられて何とか生計を立てた。やがて二人の子供が生まれ、末の子の出産が祟り若い妻に先立たれるも、マークは子供達を愛し、堅実に育てていた。
醒歴1890年 九月 阿真利火南西部 アリゾナ州
そのささやかな生活は今、過去から訪れた一人の亡霊によって脅かされている所だった。
「酷ぇ臭いだ、マーク。全く持って、酷ぇ臭いだぜ。お前よくこんな所で暮らしてやがるな。」
「……俺がどんな所で暮らしてようが、お前には関係無いな。関係があるとすればそれはジョン、」
生え際の後退した額に皺を寄せながらマークは、悠然とボロ椅子に座る男ジョン・ウィルソンに言う。
「何十年も前に死んだ筈の俺の親友が、当時のままの姿で、なんで平然と俺の家の中に居るか、って事だ。」
その言葉にジョンはふんと鼻を鳴らすと、唇を歪ませながらくつくつと笑った。
伸ばすに任せた金色の長髪の下、唇を歪ませるその顔は、どう見ても二十代の若々しい青年のそれである。
対して同年代である筈のマークの茶色い頭髪には白髪が目立ち、肌にも張りが無くくすみが目立っていた。
「……ジョン、俺の疑問を早く解いてくれないか。幽霊じゃ無いなら、喋れる口だってあるだろ。」
更に額に皺を寄せながらそう言うマークは、ちらりと目線を動かす。
長年の塵と埃、泥によって黒く汚れた隙間だらけの部屋の奥で隠れる様に、二人の子供が震えていた。
オーウェンとアリソン。
ジェーンが残して行ったこの世で最も大切な者達は、マークが街に出かけてから戻って来るまで、このどう見ても一般市民ではない男と共に居なければならなかった。その事を思うと、彼の胸はギリリと締め付けられた。
「口ならあるさ、ほらな。無いのはそこの坊や達だろぅ?俺が来てからずっと黙りこくったままなんだぜ。」
マークが僅かに目を動かした事に気付いたのか、ジョンが二人の方を見た。
びくりと飛び上がり、もっと奥へと隠れる子供達の姿に奥歯を噛み締めながら、マークは言う。
「そりゃそうだろう。誰だって、死人と話したいとは思わないからな。
さぁ応えてくれジョン。お前はあの時、ネバーモアの弾丸を喰らって倒れてたじゃないか。」
「誰が何時死んだって?ま、死んだかどうかなんて逃げたお前ゃ解る筈も無いがな。
最初の答えは『これ』さ。そら、見な。そうすりゃ直ぐに解るってもんだ。」
最早老人とも呼べる男の言葉に、青い粗暴さに満ちた青年はその上唇をぐいっと捲り上げる。
その裏側から、常人の歯とは明確に違う、牙の列なった乱杭歯が姿を現した。
「それは……成る程……お前、保因者に……化物に成ったんだな。」
ジョンはその台詞に、我が意を得たとばかりに牙を見せ付けながら、己の過去を語り始める。
「おう、その通りだ。理解してくれて実に嬉しいぜ。
マークよぉ。お前がケツまくって逃げてる最中にな、俺はあのネバーモアに挑みかかったのさ。
腕を撃たれ、銃を落とされ、腹を抉られても俺は怯む事無く突き進み、奴に喰らい付いたっ。
そして奴の血を吸ってやったのさ、肉ごとね。その結果がこいつって訳さっ!!!!」
そう喋り終えると、ジョンはさぞ愉しそうにパンパンと両手を鳴らす。
彼が言った様に、それが真実であるかどうかを判断する事などマークには出来かねた。
だが、保因者を保因者足らしめるある種の因子が体液の中でも血液を媒介にして他者へと感染するのだという、子供でも知っている御伽噺の様な事実によって、少なくとも最後のくだりは本当である事が実感出来た。
マークはぐっと首を縦に振ってその意を知らせると、更に続けてこう言った。
「……お前が若い姿のまま、ここに居る理由は良く解った。
それで、もう一つの理由はなんだ。何だってここに居るんだ。」
「『何だってここに居るんだ』?
おいマーク。お前はそう言ったのか?そう言ったんだよな?俺には確かに聞こえたぜ、おい。」
上機嫌に手拍子を打っていたジョンは、椅子から跳ぶ様にして立ち上がると、マークの胸倉を掴んで叫んだ。
「ふざけんじゃねぇぞマークッ。『何だってここに居るんだ』だと?よくもそんな事が言えたなっ。
てめぇは自分が何をしたのか覚えてないのか?え?違うだろうがこのタマナシ野郎ッ。
逃げたんだよてめぇはな、さっきも言っただろうが、ケツまくってな。
あのネバーモアの糞野郎がぶっ放して来た弾丸で、皆がばったばたやられて行く最中にっ。
そんな男がのぅのぅと生きてるだなんて話を聞いた日にゃ、生かしちゃ置けねぇと思うのが普通だろうがよぉ。」
ジョンの激しい剣幕にしかしマークは何も応えようとはしなかった。
正しく彼の言う通りであったからである。
あの日仲間達を捨てて逃げた事は紛れも無い事実であり、そこに弁明の余地は無かった。
そう、『弁明』の余地は。
「……だが俺は違ぇ、俺は違ぇんだぜ。」
ジョンは苦虫を噛み潰した様な顔をさせて、あの日と比べくも無い程に老いたマークを突き放す。
そしてふいに、長々とそそり立つ犬歯を剥き出して笑って見せると、更に続けてこう言った。
家の外、沈み掛けの太陽によって黄昏に染まり行く大地を指差しながら。
「俺はお前みたいな卑怯者じゃねぇ。こんな時に言うべき台詞位知ってるつもりだぜ。
そいつぁこうよ、『表へ出な。何時かの決着をつけよう』だ。」
昔の親友の言葉を、誠実なる復讐者の態度を、否定すべき台詞をマークは思い付く事が出来なかった。
「……いいだろう。やってやる。」
代わりに、ただそれだけが、髭も無くカサカサに乾いた唇から紡ぎ出された。
オーウェンとアリソンの二人が無言で見詰める中、マークは決闘の準備を始めた。
こんな事を悠長にさせて貰えるのだから、ジョンもなかなかにお人よしである。
いや、奴は元々そんな青年だった。
口も手も悪く、決して善人とは呼べぬ男だが、それでも一本筋は通している。
自分がいない間、子供達に手を出さなかった事もその証拠の一つだ。
出そうと思えば直ぐにでも出せたろうに。
その事を素直に感謝しながら、マークは古ぼけた棚からかつての商売道具を取り出した。
スミス&ウェッソン社謹製、モデル3リボルバー『スコフィールド』。
長年良く手入れをされて来た為か、殆ど新品同然といった様子の中折れ式拳銃を手に取るとマークは、鈍色に輝く四十五口径の弾丸を六発、手際良く回転弾倉に装填し、痛んだ皮製のホルスターへと入れた。
それを腰に巻き付け、銃創が至る所に出来たコートを羽織ると、昔に戻った様な気分だった。
家庭を持たず家族を知らず、荒々しき日々こそが人生だと硬く信じていたあの頃に。
彼はカウボーイハットを被りつつ、キチキチと高鳴る胸を抑えた。
深呼吸をし、無理矢理心拍を整えると、こちらを見上げている子供達の方を向いた。
「大丈夫だ。大丈夫……大丈夫。」
「……。」
まるで自分に言い聞かせる様に二人へ言うと、マークはばさりと裾を翻しながら、外へと出る。
そこには既にジョンが、収穫の時を間近にして良く熟れたトマトの如き夕陽を背に、腕を組んで立っていた。
吸血鬼が血と錯覚しそうな朱を纏わせ、砂煙を上げる風に金色の髪を靡かせるその姿は、正に悪魔である。
尤も、外見と中身は必ずしも一致などしない。それはこの世の一つの理だ。
「なかなか様になってるじゃねぇか、マーク。
確か渾名は『早撃ちマーク』だったかなぁ?
かく言う俺にも異名があってね、なかなかイカした奴さ。」
ジョンは現れたマークへそう言いながら、ホルスターから自分の愛銃を取り出す。
『ピースメーカー』の通称を持つその拳銃は、通常よりも遥かに口径の大きいモデルだった。
「凄ぇだろ?ネバーモアのを真似た特注品さ。
つっても、大分小さいがね。あいつのあれはもう大砲だよ。
だが、それでもこいつでズドンと撃てば、同類だって倒せるぁな。
こいつとこの俺の歯で、皆は『シャークトゥース』サメの牙って呼ぶんだぜ。
まぁ、俺はサメなんて生まれてこの方一度だって見た事ぁ無いがな。」
彼は言い終えると、再び黒光りする銃身をホルスターへと戻し、今度は一枚のコインを取り出す。
黙ってジョンの言葉を聞いていたマークは、それを見て初めて口を開いた。
「それが合図……という訳だな。」
「あぁそうだぜ。やった事ぁあるだろ?
介添え人はいないからな、それともあの子供達にやらせるかい?」
その問いに無言で首を横に振ると、マークはジョンとは距離を取った対極側へと移動した。
二人の間に一陣の風が吹き、その上では悠然と赤い雲が流れて行く。
斜陽の影にその身を沈めながら、ジョンが口を開いた。
「一つだけ聞きてぇ事がある。何だってお前はあの時逃げたんだ。俺達を置いて逃げ出したんだ。」
「……生きたかった。あんな所で死にたくなかった。もっと人生を愉しみたかった……それだけだ。」
マークは薄っすら瞳を閉じた。
そうすれば、あの時の光景が如実に思い出せる。
仲間を捨て、誇りを捨てても、彼は己の生に縋りついたのだ。
危険と隣り合わせでも、決してその一歩先には踏み込まなかった人生。
その果てに辿り付いた子供達との憩いの時を、手放す気など毛頭無い。
マークの胸の中で、ガギリと撃鉄が起きる。
後は引金を引くだけだった。
「けっ……やっぱ許せねぇな、このチキンが。
お前だけゃ、俺の手で倒さねぇと、な。」
ジョンの方も、心の準備が整った様だ。
ぎりぎりと乱杭歯を軋ませると、コインを握り込まれた親指の上に乗せる。
吹き抜ける風にコートを羽ばたかせながら、マークはそれをじっと見詰めた。
金髪が顔に掛かるのも気にせず、ジョンもまた合図の証であるそれへと視線を注ぐ。
暫しの間、活人画の如く二人は静止し、荒野の書き割りだけが動き続けて行く。
そして、まるで示し合わせた様に風がぴたりと止んだ。
その瞬間、コインはぴんと弾かれた。
地平線の向こうへと消え行く日の光に照らされて、きらきらと輝くくすんだ金貨。
それが音を立てて地面に付いた瞬間。
決闘者は己が獲物を抜き放ち、その引金を引いた。
「が……は、あぁ……。」
轟音が鳴り響き、絵画から抜け出したかの様に再び止まった二人の内、先に動いたのはジョンの方であった。
ピースメーカーをずり落とした片手で胸を押さえ、苦しげな吐息を吐き出すと、そのままがくりと片膝を付く。震える指の間からは、どろどろと濃厚な血が流れ落ち、紅の陽光に染められた赤土へ更に朱を塗りたくった。
マークは、それが当然とばかりに颯爽とコートを翻す。
既にスコフィールドは役割を終え、彼の腰元へと戻っていた。
その渾名、『早撃ちマーク』が示す様に、何時抜いたのかも解らぬ速さであった。
そうして彼がこの決闘場から静かに立ち去ろうとした時。
ジョンがあらん限りの力を振り絞って叫び声を上げた。
「てめぇ……てめぇこのマァアアアアァク・ポォオオオオォタァァアアアァそのコートの下の胸倉を見せやがれぇぇぇええっ!!!!」
『胸倉』という単語を耳にして、マークの足がぴたりと止まる。
その背中を、ジョンは喰らい付かんばかりに睨んでいた。
彼の、その保因者としての人間離れした感覚器官は、確かに捕らえたのだ。
『抜き撃ちを得意とし、如何なる相手よりも速く銀の弾丸をその者の身に撃ち込めた』というマーク。
そんな彼が、実は銃を抜いても居なかったという事を。
ほんの少しだけ銃底を触ると、ただ腕を振り上げ、振り下ろしただけなのだという事を。
そして一発の銃声は、僅かだがコインが堕ちるよりも早かったという事を。
「は、ぁぁ……は、ぁぁああ……。」
ジョンがその事実を指摘出来た、撃たれた後に息があったのは、ただの人間ではないその肉体が故である。
だからこそ、彼の体は心臓に撃ち込まれた銀の弾頭に犯され、滅びようとしていた。世界各地の伝説伝承或いは宗教神話がそう告げている様に、多くの保因者達に取って銀は忌むべき毒物以外の何物でも無いのである。
しかし、その弾丸を放った拳銃は今、何処にあると言うのだろうか。
くるりと振り返ったマークの胸を、ジョンは睨んだ。
「……『これ』か?『これ』が見たいのか?ジョン。いいだろう見せてやる。さぁ見るがいい。」
その視線を真正面から受け止めながら、マークはコートを広げた。
外套によって覆い隠されていた彼のシャツ、その胸には、ぽっかりと円形の穴が開いている。
更にそのシャツを捲り上げると、そこだけやや白い胸板が露になった。
それが行き成り真ん中で裂け、文字通りに二つとなった胸板はその横へとずれる。
陶器製の外皮が取られ、現れたのは鉄柵で覆われた義心臓。
更にそこには、一丁の拳銃が収まっていた。
装飾も何も無い、唯の短い筒同然である無骨な銃身。
親指大のカートリッジを収める事が出来る単発中折れ式の弾倉。
拳銃は銃者の手に握られ、その引金を引く事で弾丸を発射する装置。
そんな当たり前の事実を嘲笑うかの如く、指先と更にその先のみを注視して来た幾多のガンマンを欺き葬った胸中の拳銃は、今また黒煙を上げながら、一人の純真なる決闘者へ冷酷にして無慈悲な死を齎したのである。
「……この、糞野郎……そんな……あり、か……。」
まざまざと見せ付けられた事実を否定するかの如く首を振りながら、ジョンは呻く。
その身は銀との科学反応による猛烈な発熱の所為で、生きながらに灰へと変わって行く。
「てめぇ……そんな……手で……そこまで……生き残りたい、のか……よぉ。」
それでも彼は、残された力を駆使し、唇を一文字にして見下ろしているマークへと這って行く。
下半身が音を立ててもげながらも進んだジョンの小刻みに震える手が真に憎むべき相手の足首を掴んだ時、彼は零れ落ちて行く喉から最期の言葉を発した。
『早撃ち』『抜き撃ち』の敗北者達が、決して言えなかったその言葉を。
「この……卑怯者、が……。」
そう言い終えたと同時に、ジョンの体は完全に灰へと化した。
マークは、かつての友であり己が葬った男、であったものを見下ろすと、ゆっくりと首を上に傾げる。
偽りの心臓に、男の最期の言葉が木霊していた。
「ミスター・ポーター。君の提案は、君自身の名誉を大いに傷付ける。
真実を知った者達は君を必ずこうなじる事だろう。
卑怯者、と。
それを解っているのかね?それでも尚、私にそんな改造を施せと言うのかね?」
この台詞を言ったのは、今マークの胸に収まっている義心臓を造ったエドワード・ホップスである。
賞金稼ぎとの抗争の最中胸を射抜かれたマークは、近隣の街に滞在していた義体職人によって幸運にも助けられ、新たな心臓を得る事で九死に一生を得た。その後で、彼は職人にこう提案したのだ。
「俺の心臓に、拳銃をつけてはくれないか?」と。
勿論エドワードは反対した。
技術的な問題もある。身体的な問題もある。
だが西部に生きる者として最も重要な、精神的な問題でそれを拒んだのである。
そんな事をすれば、どれ程粗暴な者であれ持ち合わせている、一抹の矜持を捨てる事になるのだ、と。
それでもマークは押し通した。
彼のまだ若い体も心も、暴力が与えてくれる興奮無しでは生きて行けなかった。
けれどもそれ以上に、生きる事への渇望が、その魂には宿ったのだ。
たとえ卑怯者と呼ばれようとも生き抜いてみせる。
そんな覚悟の弾丸は、この瞬間から現実において明確な形を持ち、胸中の拳銃へと装填されたのである。
今思えば、若かりし頃のそんな考えは、虫がいいにも程があった。
死の恐怖を愉しみながらも絶対に飲まれぬ様にするなどとは。
それも一歩間違えば、たちの悪い笑い話として延々と語り継がれる様な方法によって。
運良く誰にも気付かれず、演技を突き通せてきたが、もし生きている誰かに真実がばれるか、多数の者達によって取り囲まれでもしていたら、一発しか撃てない拳銃に意味など無かっただろう。
それでも今は、もっとマシな意味を見つける事が出来た。
ジョンの様な、怨恨によって現れた者は初めてだが、僅かな栄誉を求めてマークの前に現れた者は少なくない。懸賞金が掛けられていたのは最早過去の話であり、殆ど自己満足の世界で『早撃ちマーク』を倒しにやってくる気取り屋の大馬鹿どもは、一対一からの抜き撃ち勝負を好むものである。自分が絶好の標的とも知らずに。
それ以上に大きい理由は、やはり子供達だった。
マークが歩んで来た灰色の年月と比べれば、家族との暮らしなど実に短い。
だがその短い歳月は生涯のどの時よりも華やかで色濃かった。
そしてそれは、彼自身がかつて抱いた『生きたい』という望みの前に言葉を付け加えるには充分過ぎた。
即ち、『子供達の為に』。
最早この世にはいないジェーンとの愛の結晶、それを護る為に。
この胸に、弾丸は、幾らあっても不足こそすれ、足りる事は決して無いのだ。
卑怯者だと?良かろう、好きに呼ぶがいい。
だがそんな生易しい言葉が百万発撃たれようと、この想いただ一発にすら勝てはしないのだ。
その射手がたとえ、共に栄光の未来を語り合った者であったとしても。
ジョンだった灰が天高く舞い上がり、何処かへと消えて行くのを眺めながら、マークは振り向いた。
見た目は豚小屋、だが心の内では城同然の我が家より、オーウェンとアリソンが駆け寄って来る。
シャツを戻し、老いが蝕んで行く顔に満面の笑みを浮かべながら、マークは子供達をその胸に抱き締めた。