表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

探偵、丹波汀の活動

火中に紛れた思惑と願い

作者:

初推理小説です。自分の書きたいものがやっと書けたと思える小説になりました。ただ読むだけではなく、並行して推理してみてはどうですか?

 空が赤みがかる夕暮れ時。

 生徒によっては帰宅する人、部活をする人、時間が許す限り教室で友人と雑談する人に分かれ、先生達は部活の顧問や小テストの採点などで学校に残る。時間が経てば教室を見回り、残っている生徒に帰宅を促す。

 だが、今は校門にも教室にもグラウンドにも体育館にも、職員室でさえ人がいないだろう。

 今日が休みだからという訳ではない。先生も生徒もここにいる。

 この道幅が狭い場所で、ざわめきながら、ただただ見ていた。

 見ている人全員の瞳が赤く染まっているのは空に見惚れているからではない。

 みんなの視線の先にある禍々しい炎のせいだ。

 その炎は、今は使われていない体育倉庫を包み込み、勢いを増して燃えている。

 この異様な光景に心躍らせながら見ている人もいれば、不安そうに見つめる人、一一九を押して消防を呼ぶ人もいるだろう。

 だけど、俺はどれにも当てはまらない。目の前で起きている現実を拒むように頭の中を真っ白にして、棒立ちしていた……。



 俺は眠たい目をこすりながら、教室の扉を開いた。


「おっ、はよー!」


 教室を入ってすぐに俺を迎えたのは女生徒のアホそうな挨拶だった。

 俺は溜息をつきながら声の主に視線を向ける。

 長い黒髪を一つに束ね、くりくりとした瞳で俺を見る、所謂(いわゆる)美少女の部類に入る女生徒が椅子に座り、机を挟んで向かいにはその女生徒にお似合いそうな茶髪の優男風の美男が立ってこちらを見ていた。


(なぎさ)、こっちこっち!」


 丹波(たんば)汀、それが俺の名前だ。俺に手招きをするこの女生徒は俺の幼馴染の結城(ゆうき)朱音(あかね)。そして、その向かいに立っていた美男は俺の親友の松田(まつだ)秋人(あきと)だ。

 俺はとりあえず、朱音達のいる席に向かった。


「……朱音、そこは秋人の席だろ」

「あ、そういえばここ秋人君の席だったね。席替えしたの忘れてた」


 アホの子だ。


「秋人も何か言えよ」

「僕も今来たばっかりだよ」


 秋人は苦笑しながら右手の人差し指で頬を掻いた。


「それより二人とも、まだホームルームまで時間があるんだから何か話そうよ」


 朱音はそんな事を言いながら俺と秋人を交互に見ている。

 正直ホームルームまでの間に、俺は持参した小説を読みたい。なので、俺はその誘いを断わる事にした。


「俺は忙し――」


 俺が断ろうとした瞬間、視線を感じた。反射的に俺は辺りを見回すが、誰もこちらを見ていない。秋人と朱音の美男美女がいるのだから視線を感じるのはおかしい事ではない。特に秋人に関しては成績優秀、スポーツ万能、見た目良しの優男。その人気は学年を越えるほどだ。

 しかし、先ほど感じた視線は憧れのような物とは思えなかった。どちらかと言えば、誰かを恨むような冷たい視線。


「汀、どうかしたの?」

「いや……何でもない」


 すでに消えた視線を追えるはずもないと思った俺は話を戻す。


「とりあえず、俺はパスだ。やる事がある」


 朱音は顔を膨らませながら俺に文句を言う。


「どうせ推理小説読むだけでしょ! いいじゃん、今日ぐらい!」


 急に朱音は何かに気づいたようにハッとした。


「もしかして……私に飽きたの!?」


 朱音の突拍子もない発言により、周囲の痛い視線が一斉に俺に注がれ、クラスの連中はひそひそと話し始める。アホのくせに誤解を生むような言い回しをするため余計厄介だ。

 俺はこれ以上目立たないように小声で朱音を止める。


「分かった、話すから声を抑えろ」

「わーい」


 朱音はまるで子供のように喜んでいる。自分が高校生という自覚はあるのだろうか。


「それにしても、汀は推理小説好きだよな」


 と、秋人は不思議な事を聞いてきた。

 当たり前だろ。犯人のトリックを探偵が言い当てる場面なんか毎回ドキドキするし、トリックを考える作者を尊敬するほどだ。

 しかし、推理小説をあまり読まない二人に熱く語っても向こうが退屈するだけと思った俺は高ぶる気持ちを抑えながら平然とした態度を取る。


「……まぁな」

「じゃあ、汀が探偵なら私は助手だね」


 朱音はキメ顔でそう言うが、こんなアホっぽいワトソン君が助手だったらホームズが抱える事件は全て迷宮入り確定だな。


「絶対お前を助手にはしない」

「何でよ!?」


 俺と朱音のやり取りを笑いながら見守る秋人。


「でも、汀は推理小説の主人公に向いてるんじゃないか?」


 自分が探偵か……確かに推理小説は好きだが、主人公達のように事件を解決出来るとは思えない。


「俺の頭はそこまで良くない。お前の方が向いてるよ」


 実際、俺の成績は中の中。平均点イコール俺の点数だ。秋人は全ての教科で一位を取るまさに天才。朱音は……アホな子なりに頑張っている。


「確かに汀の成績は良くも悪くもないし僕の方が上だな」


 オブラートに包まず、直球ど真ん中のストレートで言葉を投げつける秋人。だが、不思議と不快感がないのは秋人の人格が優れているからだと思う。


「でも、探偵は何にも囚われない自由な発想と頭の回転の速さが必要だと思う。その点は僕よりも圧倒的に汀の方が上だよ。それに、人が見落とすような小さな異変に気づけるのも凄いと思うよ」


 秋人みたいな周りから期待されているような奴に褒められるのは純粋にうれしいな。


「私は? 助手に向いてる?」


 秋人はにっこり笑う……ただそれだけ。一言も発しない。

 ちょうどその時、先生が入ってきたので俺達は自分の席に着く事にした。


「さて、自分の席に行くか」

「ちょ、ちょっと待って! 秋人君!? 何か言ってよ!」

「……朱音さん、自分の席に戻った方が良いよ」


 朱音は不貞腐れながらも席を秋人に明け渡し自分の席に座った。



 いつも通り四時間目までの授業を終え、俺は秋人を購買に誘いに行く。


「秋人、購買行くぞ」

「分かった、今行――」

「松田」


 秋人の発言を遮って秋人を呼んだのは、眼鏡をかけた如何(いか)にもガリ勉の男子生徒、黒田(くろだ)(まなぶ)だった。小テストがあるたびに秋人に突っかかって点数を比べてくる。

 俺から見たら、とても面倒くさい人物。さっきの授業で小テストがあったから十中八九テストの点を聞きに来たのだろう。


「点数を教えてもらおうか」

「ま、毎回確認しなくても」


 秋人もこいつが苦手らしく、苦笑を浮かべている。


「いいから見せろ!」


 黒田は秋人の机の上に置いてあった小テストを奪い取り、点数を確認する。

 次第に紙を持つ手に力が入り、持っている紙の部分にしわが寄っていく。

 顔もだんだん赤くなっている。どうやら点数は秋人の方が上らしい。

 これで秋人の全戦全勝の不敗記録がまた更新された。


「う、運が良かっただけだ! 今度は俺が必ず」


 毎度同じセリフを言う黒田にいい加減頭にきた。


「運がいいって、お前が勝った事なんてないじゃん」


 黒田は顔をさらに真っ赤にさせ鬼の形相で俺を睨むが俺はそっぽを向き心の中で舌を出す。


「お、覚えていろ、松田!」


 何故か矛先を秋人に向けた黒田はそのまま立ち去っていった。


「はぁ……汀、挑発するなよ」

「悪い悪い。お詫びに何か奢るからさっさと購買行くぞ」


 俺は秋人と二人で購買に向かって教室を出た。そう、二人(・・)で出たはず……。


「いつの間にか朱音がいる」

「汀が奢ってくれると聞いて」


 確かに秋人にお詫びとして奢るとは言ったが、朱音に奢るとは一言も言っていない。


「お前に奢る理由がない」


 朱音はやれやれといった表情で俺を見る。


「汀の将来の助手、つまりパートナーになってあげるんだから、そのお礼」


 俺がいつ朱音を助手にすると言った。あと、その発言も色々誤解を生みそうだからやめてくれ。

 そう思いながら廊下を歩いていると、向こうから見覚えのある生徒が三人歩いてくる。接点のないはずの俺がその三人に見覚えがあるのはその三人が生徒会だからだ。

 右側にいる黒い短髪の男子生徒が俺達と同じ二年書記の神谷(かみや)浩太(こうた)、俺達の同級生だがクラスは別。左側にいる栗色の髪にウェーブがかかった女生徒が三年副会長の西園寺(さいおんじ)日美子(ひみこ)。中央にいる漆黒の長髪をなびかせて歩く女生徒が三年会長の東条(とうじょう)佳那(かな)

 生徒会の三人が歩く姿は何処か威厳を感じる。

 すると、近くを通りがかった一人の男子生徒に生徒会長は声をかけた。


「そこの君。君の髪色は赤いが、ここの校則はそこまで許されていないはずだが」


 声をかけられた生徒の髪は確かに真っ赤に染められている。この学校の校則はそんなに厳しくないけど、あれは流石に度が過ぎてるだろ。


「……別にいいだろ」


 ぶっきらぼうに答える男子生徒。それを聞いた生徒会長は声を荒げる。


「良くはない! 自分勝手な行動で学校に迷惑がかかるかもしれない。そう考えた事はないのか!」


 秋人は慌てて、仲裁に入った。


「お、落ち着いてください。今ここで言ってもすぐには色を落とす事は出来ませんから。そっちの人も校則に違反してますから元の色に戻した方がいいですよ」


 顔色一つ変えない男子生徒は向きを変えその場を去っていた。一方、生徒会長は冷静になり、秋人に謝罪する。


「みっともないところ見せてすまない。君は……秋人君だね」

「え、なんで僕の名前知ってるんですか?」

「当たり前だ。君はとても優秀だからな」


 学年を超え、生徒会にまで認められているとは。秋人はどんだけ凄いんだよ。


「君には生徒会に入ってほしかったんだが……」

「すみません、僕は生徒会に入るよりこっちの二人と一緒にいる方が大事なんで」


 聞いているこっちが恥ずかしくなる事を平気で言う秋人。生徒会長は残念そうにしている。


「佳那ちゃん、いくらお気に入りだからって、無理を言っちゃだめよ」


 おっとりとした口調で話しかけてきたのは副会長だった。


「それに、今の生徒会でも十分優秀よ」

「そうです。俺だって会長の役に立てるように努力しているんですよ」


 神谷も話に加わり、生徒会長は仕方ないといった様子。


「それにしても……彼女さん可愛いわね」


 副会長は朱音に目線を向けて言った。朱音はその発言に動揺する事なく平然としている。

 俺からしてみれば副会長も十分可愛いし、生徒会長は大人っぽくて綺麗だと思う。しかもどちらも才色兼備と、文句のつけようがない。


「違いますよ。ただの友人です」

「そう……なら私、君を狙っちゃおうかしら」

「バカな事していないで、もう行くぞ。足止めしてすまなかった。私達はこれで失礼する」


 生徒会長は凛とした態度でその場を去り、副会長は手を振って去る。神谷は俺達に一礼してからその後に続く。

 結局、俺はほぼ空気の状態だった。べ、別に寂しいわけじゃないからな。ただ、ちょっと悲しいだけだ。

 この後、俺達は予定通り購買に着き、俺は秋人にパンを、何故か朱音には飲み物を奢り、自分のパンも買って教室に戻った。

 そして、俺達はすぐに昼食をとる。


「それにしても会長は誰かさんと違って大人っぽいよな。数え切れないほど告白されてるんだろうな」


 俺は隣に座っている朱音を見ながら言った。


「誰かさんって?」


 ミートボールのソースを口元に付けたあなたの事ですよ。

 俺はそっと持っていたハンカチを朱音に手渡した。


「口元拭け」


 朱音は恥ずかしそうにしながらハンカチで口元を拭き、俺に投げつけた。普通は手渡しだぞ。


「確かに大人っぽいよね。でも、朱音さんもこの前告白されてたよね」


 何それ、俺聞いてないんだけど。なんかモヤモヤする。


「うん。少し前に鈴木(すずき)(はじめ)君に告白されたけど、結局断っちゃった」


 朱音はペラペラと告白された事を話すが、せめて名前は伏せてあげろ。同じクラスの奴だろ。幸いにも誰にも聞かれてはいない。

 昨日は生徒会長にラブレターを渡したと言う噂が立って、あいつは大変な思いをしている。そこにこの話が加わったら、あいつのこれからの学校生活が黒歴史になっちまうよ。


「何で断ったの?」

「えーと……」


 朱音はチラチラこちらを見ながら少しもじもじしている。顔も少し紅潮しているのは気のせいだろうか。

 結局、朱音は断った理由を喋らず、無理やり話を変えられたが特に追求する必要はなかったので話を戻す事はなく、昼休みは過ぎた。



 鐘が六時間目の授業の終わりを知らせる。移動教室だった事もあり俺達が教室に戻ってきたのは授業が終わってから五分後だった。

 教室に戻ってすぐに帰りのホームルームが始まる。先生は配布物を配り、手短に連絡を済ませて終了。ほんの十分程度だった。

 すぐに帰る支度をすませた俺は朱音と秋人の三人で帰ろうと二人を誘う。


「秋人、朱音、帰るぞー」

「ごめん、今日は遠慮する」


 いつも一緒に帰っている秋人が珍しく断った。そういえば最後の授業の前に、教室に忘れ物を取りに行ってから様子がおかしい。

 気になった俺は秋人に聞こうとしたが、足早に教室を出て行かれてしまった。


「仕方ない。俺達二人で帰るか」

「そ、そうだね」


 朱音も何処か様子がおかしい。顔が紅潮してる。


「どうした、具合悪いか?」

「な、何でもない! 早く帰ろ!」


 荷物を持って教室を出る朱音。そんなに早く帰りたいのかと思いながら俺は急いで朱音の後を追った。



 校門を出てから朱音の歩みが遅い。それに歩幅も狭い。早く帰るんじゃなかったのか。


「歩くの遅くないか?」

「そ、そんな事ないよ! ……あ、あそこの和菓子屋さんに行こ!」


 朱音は和菓子屋に向かって走り出した。と、思ったら店の扉の前で急に止まってしまう。はたから見たら奇妙な行動にしか見えない。


「どうした?」

「これ、なんて読むの? しゅうかとうちゅう?」


 朱音が指を指した先は〝春夏冬中〟と書かれた看板がドアにかけられている。


「それは商い中って読むんだよ。つまり営業してるって事だ」

「へー、汀ってこういう知識だけはいっぱいあるよね」


 それは褒めてるのか、(けな)してるのかどっちなんだ。


「ほら、何か買うならさっさと――」


 俺は視界の端に一筋の白煙が昇っている事に気づいた。普段ならそんな事気にしない俺がこうして気になっているのは、それが俺達の通う高校から伸びているからだろうか。急に胸騒ぎを覚えた俺は全速力で学校に戻る。


「ちょ、ちょっと、汀!?」


 朱音の言葉を無視して俺は無我夢中で走る。校門の前に着いた俺は一度立ち止まって煙の出所を見た。煙は高校の敷地の何処かで昇っており、さっきまで白かったはずの煙が灰色に、そして、黒煙へと移り変わる。白煙の時とは比べ物にならないほど勢いを増していた。


「はぁ、はぁ……やっと追いついた……急に走り出さないでよ」


 俺の後を追ってきた朱音は息を切らしているが、俺は気にかける余裕がなかった。胸騒ぎが一層ひどくなる。俺は再び煙に向かって走りだした。

 煙に向かって走っていくと次第に生徒と先生の人数が多くなっていく。そしてたどり着いたのは校舎裏だった。金網と校舎のせいで道が狭められた道は生徒と先生でごった返している。

 体全体に伝わるほど強く脈を打ち、急かすように早い。

 俺の足は自然と前に進み、人ごみをかき分けていく。やがて、先頭に出た俺が見たのは倉庫が燃えている光景だった。

 頭から消えない悪い予感。そんな事あるはずないのに、あいつが中にいると何故思っているのか自分でも分からない。だが、消えない。俺は俺の中の悪い予感を消すかのように頭の中が真っ白になった。


「……さ……ぎさ……汀!」


 俺は朱音の声で我に返った。いつの間にか火は消されていたが、倉庫は真っ黒に焦げている。


「火は……」

「さっき消火が終わって、今は救急隊員の人達が中に入ってる」


 いつの間にかKEEP OUTのテープが張られ、倉庫の扉は開けられた状態になっていた。そこから二人の救急隊員が担架で何かを運んでいる。

 担架が近くまで来ると、俺の体は条件反射で担架にしがみ付き、被せてあった布を剥がした。

 そこには上半身に酷いやけどを負い、髪は半分以上焼け消え、体の所々が焦げている人間の死体。息はしておらず、死体の目は皮膚が焼けたせいで閉じられている。

 テレビのドラマやサスペンスに出てくる、虚像で出来た綺麗な死体とはかけ離れた、醜く、生々しい本物の死体。

 それを見た瞬間、俺の中の何かがはじけ飛び、胃の中のものを全て地面に吐き出した。

 むせ返る俺の背中を朱音は優しくさすりながら俺に怒鳴る。


「汀! 何してるの!?」


 救急隊員は俺の奇行に呆気にとられていたが、すぐに死体を救急車に運ぶ。その途中、死体を被せていた布の下から少し変形したスマートフォンがポトリと落ちた。


「……とだ……」

「え?」


 涙を必死に抑えようとしたが俺の意に反して涙は流れる。そんな状態になりながらも俺は朱音の方に顔を向けゆっくり、自分に現実を見せるように言った。


「さっきの……秋人だ……」


 理解出来ない様子で朱音の口から「……ぇ」とこぼれる。


「な、何言ってるの? 驚かさないでよ。あはは……」


 朱音は声を出して笑っているように見せるが、目線が乱れている。現実を受け入れていない、そんな風に感じた。

 しかし、現実を受け入れさせなければならない。朱音と……俺に。

 俺はポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかける。

 すると、近くで電話の通知を知らせる音楽が流れた。朱音は周りを見渡すと地面に落ちているスマートフォンが鳴っている事に気がつく。

 一歩ずつ近づき、朱音は死体のポケットから落ちてひっくり返ったスマートフォンに恐る恐る手を伸ばし、画面を見た。

 俺の位置では朱音の後ろ姿で画面は見えないが、自分が取った行動と震える朱音の体。そして、朱音のすすり泣く声。疑う余地はない、スマートフォンに浮かび上がっている文字は……。


〝汀〟


「いや……いやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 周囲のざわめきを掻き消すほどの朱音の悲痛な叫びは学校中に響き渡っただろう。

 そしてその悲鳴は朱音と俺が現実を受け止めた瞬間だった。



 数日後、警察が捜査した結果、事故の原因はある先生の煙草(たばこ)の不始末による火事だった。

 その先生は学校から処分を受け、この学校を去った。だが、不可解な事はいくつかある。扉には鍵がかかっていた形跡がなかった。だとしたら何故脱出しなかったのか。そもそも秋人は何故あんなところにいたのか。

 謎は深まる。しかし、火事の根源が判明した今、警察がそれ以上調べる事はなかった。


「ねぇ、汀」


 席に座っていた俺に朱音は話しかけてくる。

 事件直後は泣き続けていた朱音は、今は元の明るい朱音に戻っていたが、やはりあの事件の事は引きずっているのだろう。


「秋人君……なんで死んじゃったんだろう……」


 朱音は空席に置かれた花瓶を見ながら言う。

 俺にも分からない。しかし、秋人が逃げないなんてありえないはずだ。理由がない。きっと誰かが秋人をあの中に閉じ込めたんだ。


「……俺が突き止める」


 俺がこの手で必ず、その犯人を見つける。それがあいつにしてやれる事だと思うから。


「汀……私も手伝わせて」


 ダメだ……と言いかけたが俺はその言葉を飲み込む。朱音だって、あの時秋人の身に何が起こったのか、俺と同じくらい知りたいはず。


「分かった、次の授業で学校は終わる。放課後に聞き込みをするぞ」

「うん!」


 朱音はパァッと明るい笑顔になり、やる気に満ち溢れた様子で返事をして自分の席に戻った。

 放課後、俺と朱音はまず倉庫に近づいた人物を探した。倉庫に何か仕掛けたならば、必ず一度は近づいているはずと思ったからだ。

 だが、手掛かりもなく、たった二人であの日倉庫に近づいた人物を探す事は雲をつかむ事と大差ない。

 途方もなく廊下で立ち止まっていた俺達に声を掛ける人物達がいた。


「君達、一体何をしている?」


 振り向くとそこにいたのは生徒会長、副会長、神谷の三人だった。


「あなた達は……以前秋人君と一緒にいた」

「丹波汀です。こっちが結城朱音」


 朱音は軽くお辞儀をする。


「で、君達は何をしてるんだ?」


 俺は無理を承知で生徒会に協力してもらう事を頼む。すると、


「……二人はどう思う」

「私は構わないわ。むしろ、率先して協力したいくらいですし」

「俺も協力したいです」

「決まりだな」


 意外にも率先して協力してくれる生徒会。これも秋人の人を引き付ける魅力のおかげなのだろう。


「なら、生徒会長達は手分けして倉庫に近づいた人物を探してもらえませんか」

「お安い御用だ」


 三人は情報を集めにその場を去っていく。


「私達はどうするの?」


 倉庫に近づいた人物は生徒会に任せた。なら、俺達は倉庫に向かうべきだろう。


「一度倉庫に――」


 その瞬間、背筋がゾクッとした。前にも感じた事のある冷たい視線。俺は周りを見渡すが生徒や先生が数人歩いているだけで、こちらを見ている人はいない。


「汀?」


 心配そうに俺を見る朱音。


「……いや、なんでもない。早く倉庫に行くぞ」


 俺は冷たい視線から逃げるように足早とその場から倉庫に移動する。


「…………チッ…………」



 倉庫に着いた俺達。火事が起こってから誰も近づいていないため、あの日と同じ状態で保たれている。

 俺達は立ち入り禁止のテープを無視し、ドアノブを捻って倉庫の扉を開けた。

 中は殆ど焼け焦げ、扉から奥に行くにつれて酷くなっている。

 窓から倉庫内に入った風が、炭の臭いを乗せて扉へと吹き抜けた。


「やっぱり、ここにくると辛いね……」


 確かに辛い。しかし、そんな事を思っていては真実を知る事は出来ない。

 すぐに倉庫内を調べた。

 窓は壁一面に一つずつ高めの位置に取り付けられており、背伸びをすればギリギリ開けられる。窓のサイズは小さいため、子供や小動物以外が出るのは無理だろう。

 マットやネット、誰かが捨てたごみがかろうじて分かる程度には燃え残っている。

 スチール製のラックは無事だが、置かれていたものの半分以上は焼け焦げていた。

 俺は這いつくばってラックの下まで探したが、めぼしい手掛かりは見つからなかった。ただ手を炭で黒くしただけだ。

 頭の中では分かっていた。小説みたいにすぐ手掛かりが見つかるわけないと。探偵じゃない俺が見つける事は出来ないって。心の中ではそう思っているはずなのに……何も見つからなくて悔しい気持ちが抑えられない。


「汀、いったん戻ろ。何も見つからないし」


 倉庫内はある程度探した。これ以上は俺達ではどうにもならないかもしれない。

 俺達は諦めて扉の方に体を向け、歩き出したが俺はすぐに立ち止まった。


「どうしたの?」

「あそこ……何かおかしい」


 俺は扉に近づき、壁側にある溝を凝視する。

 本来は扉を閉めるためにある溝の中から銀色に黒いしみが混じった何かが垂れている。

 俺はそれに直に触ってみた。

 液体ではなく個体。何かが固まったようだ。


「これ、なんだと思う」


 俺は朱音にそれが見えるように体を退()ける。朱音も凝視し、必死に考えた結果に導きだした答えは、


「あの火事で鉄が溶けた!」


 まぁ、そう思うよな。


「鉄の融点は千五百三十五度前後だ。仮に鉄だとしたら、扉の金具も変形しているはずだろ」


 金具自体は変形した様子はなく、溝の中から垂れた感じだ。


「あの火事は鉄を溶かすほどの温度がなかった、あるいは溶かすほどの時間がなかったんだろう」

「なら、アルミニウムならどう?」

「それなら溶けてる可能性はある」


 しかし、アルミニウムだとしても何故こんな所に……。

 今考えても仕方がない。とりあえずメモしておこう。

 もしかしたら何も関係ないかもしれない。でも、どんなに小さいもの、些細な事でも、事件に関係している可能性があるなら見逃したくない。


「よかったね。手掛かりが見つかって」

「まだ、手掛かりと決まったわけじゃない」


 素っ気なく言う俺だが、微かな希望を見えた事に喜んでいた。


「そろそろ生徒会長達と合流しない?」


 倉庫を調べてから一時間ぐらい経っていた。朱音の言う通り一回生徒会の三人と合流した方がいいかもしれない。


「そうだな。生徒会長を探すか」


 俺達は倉庫を後にして生徒会長を探した。

 見つけるのに時間はかからなかった。生徒会の三人がたまたま廊下で話をしているところを見つける事が出来たからだ。


「生徒会長、どうでしたか」

「ん? あぁ、君達か。一応別れて聞き込みをしてきた。今ちょうど情報を共有しようと思っていたところだ」


 俺達もその情報共有に参加する。

 まず始めに口を開いたのは副会長だ。


「秋人君が倉庫に向かって行く姿を見た人がいました」


 いきなり真実に迫る情報が提示された。


「ですが、見ていた女生徒は倉庫に入るところまでは見ていませんでした」


 やはり、そう簡単にはいかないか。


「あと、その女生徒が言っていたのですが、二年の黒田学と言う生徒が秋人君の後をつけていたようなのです」


 黒田が秋人の後をつけていた? 何故、あいつがそんな事をしていたんだ。


「私からは以上です」

「では、次は私だ」


 次の情報を提示してくれたのは生徒会長。


「こちらも目撃情報だ。二年の鈴木元も放課後、倉庫に向かっているところを男子生徒に目撃されている」


 今度は元かよ。なんで俺が知ってるやつばかりなんだ。


「そして、同じく放課後。たまたま第三校舎にいた男子生徒が倉庫の裏で座っている三年の高田(たかだ)(けい)を目撃していた」

「高田圭?」


 聞いた事がない名前に俺は反応した。


「以前に私が注意していた生徒だ。君達もその時一緒にいただろ?」


 そう言えば、前に生徒会長が頭髪の事で注意された生徒がいたな。あの人か。


「まぁ、この生徒もすぐにその場を離れたらしい」


 次に俺達が倉庫について話し、溝から垂れて固まったものが気になっている事も伝えたが三人は何とも言えない表情を浮かべている。


「……私には今回の事に関係しているとは思えないのだが」

「私もそう思います。もしかしたら何かの塗料が垂れていただけかもしれません」


 生徒会長と副会長は自分の意見を述べる中、神谷は無言だった。


「さて、次は浩太だ」


 呼ばれた浩太は不意に呼ばれて、体をビクッとさせた。


「は、はい! ……あの……すみません。俺も聞き込みしたんですが、何も手掛かりが」


 落ち込んだ様子を見せる神谷。しかし、見つからない事は不思議な事ではない。手伝ってくれた、ただそれだけでも感謝しきれない。


「いや、手伝ってくれただけで十分すぎる。もし何か気が付いたなら俺に教えてくれ」

「汀君……」


 俺の言葉を聞いて、どうやら安心したようだ。


「それでは私達はこれで失礼するよ。何か協力出来る事があれば呼んでくれ。喜んで協力しよう」


 俺と朱音は感謝を込めてお辞儀をした姿を見た後、会長と副会長はその場を去るが、神谷だけは何故かその場に残っていた。


「どうした神谷?」

「浩太でいいですよ、汀君。……関係ないかもしれませんが実は事故があった当日に家庭科室の調味料が荒らされたらしくて。あと、これは噂程度ですが実験室も荒らされたと聞いています。ですが、どちらも詳細に何が消えたのかは分かりません。……どうですか?」


 事故と同じ日に起きた二つの事件。俺には今回の事故と二つの事件が無関係とは否定しきれない。


「ありがとう浩太。明日聞いてみる」

「力になれてよかったです。それともう一つ。犯人がいたとしたら少なくとも放課後だと思います。昼休みに生徒会の仕事で学校の見回りをしたので」


 つまり、俺達に会った時は見回りの途中だったのか。


「生徒会の仕事って事は、五人は一緒に倉庫に向かったのか?」

「いいえ、俺と会長と副会長の三人の担当なんで、他の二人はいませんでした」

「そうか……詳しく聞かせてくれ」

「はい。俺が自分の担当の場所が終わって会長達と合流した後、三人で倉庫に入って煙草などを吸っている生徒がいないかをチェックしていました」


 うちの高校は服装や頭髪に関しての校則は緩い方だが、煙草を吸っていたり、酒を飲んでいたら即退学になりかねない。

 こっそりとするなら人気が少ない倉庫はうってつけなはずだ。


「誰もいなかったのか?」

「ええ、もちろん誰もいませんでした。会長が扉を閉めるまで俺は中を見てましたから、俺達の隙を見て入り込んだりは出来なかったはずです。昼休みが終わりそうだったので俺達の見回りはそこで終わりました」


 昼休みが終わる直前だったなら、何か仕掛けるにはその後になる。じゃないと、生徒会が入ってきた時点で仕掛けが起動してしまうかもしれないからな。


「浩太、ありがとう。これで少しは犯人に近づけるかもしれない」


 浩太はにっこりと笑う。


「お礼なんていいですよ、俺も見つけたいですから。それに自分を犠牲にしても、信じた正義を貫く会……あの人ならきっとそうすると思ったから」


 そう言い残して浩太は去っていく。

 俺達もこれ以上調べる事はせず、今日のところは帰り、翌日の昼休みに元と黒田に事情を聞く事にした。


 次の日の昼休み、俺と朱音はまず黒田に話を聞いた。


「事故当日になんで倉庫にいたか?」


 黒田は眼鏡をクイッと上げる。


「俺はそんなところに行った記憶はない」


 あくまで白を切るつもりの黒田に目撃証言をぶつける。


「お前を見たって奴がいるんだ。しかも、秋人をつけるお前を」


 黒田の体がビクッとなる。どうやら倉庫に行ったのは事実のようだ。


「やっぱり……倉庫に行ったんだな」

「い、行ったが、俺はただ松田の様子がおかしいと思ったから裏で何かしてるんじゃないかと思ってつけただけだ」


 俺の感情が顔に出ていたのか、黒田はビクビクしながらそう答えた。

 だが、これが本当かは分からない。俺はその日の事を深く問いただす。


「ならお前は事故が起こるまでずっと倉庫の近くにいたんだな?」

「い、いや……後から鈴木が来たから、つけているところを見られたら、俺の評判が落ちると思って、すぐに離れた」


 つまり秋人が倉庫について中に入り、黒田はその後をつけて物陰から見ていた。そこに元が来た事で黒田は逃げた……こんな感じの流れになる。

 やはり、元にも事情を聞かなければならない。


「分かった、ありがとう」

「話してくれてありがとう、黒田君。後、汀があんな態度でごめんね」


 朱音は黒田に謝ってから俺の後をついてくる。

 次は元だが、この時間は学食で食べていると他の人から聞いた俺は学食に向かい、元を探した。


「元!」


 俺は食事をしている元に声をかけると元はこちらに振り向く。

 黒縁眼鏡をかけ、可愛い顔立ちもあって、服を変えれば女と間違えられてもおかしくない。この男子生徒こそ鈴木元。


「どうしたの?」

「元君に聞きたい事があるの」

「あ、ああああ、あか、朱音さん!?」


 俺の後ろから顔だけを出している朱音を見て元は慌て始めた。そう言えば、元は朱音に告白したんだっけ。


「前の火事の時、お前は倉庫にいただろ。なんであそこに」


 俺の質問に目を見開き、視線があちらこちらに向けられる。相当動揺してる。何か怪しい。


「た、たまたまだよ! そう、たまたま。特に理由なんて……それに、すぐに帰ったし」


 チラチラと朱音を見ている。告白した手前、本人を前にして話しづらいのだろう。


「分かった。食事中に悪かった」

「また後で、教室で会おうね」

「う、うん」


 元と別れた後、教室に戻った俺達は授業までの時間が残り少なく、急いで昼飯を食べ、午後の授業を受ける。

 授業を受けている最中、俺はノートに分かった事を整理していた。


〝火事があったのは放課後、秋人は倉庫の中にいた。鍵はかかっていない。

 倉庫内の様子からして火は奥から扉の方に伸びていった。火に囲まれてはいないはず。

 何かが扉で押さえられていた? 扉に細工されていた?

 垂れていたのは塗料? 金属? 金属だとして何故あんな所に?

 放課後に倉庫に来た人物は黒田と元と三年の高田先輩。

 倉庫に来た順番は秋人、黒田、元。黒田は元が来たと同時に撤収。この後の元の行動と高田先輩がいついたかは不明。

 事故当日に二つの事件が発生。今回の事故と何か関係があるのか?〟


 俺は整理したノートを見るが、整理しているのか、ぐちゃぐちゃにしているのか分からないほど悲惨な光景。やはり慣れない事はするもんじゃないな。

 そんな事を思っているといつの間にか授業が終わっていた。

 いつも通り帰りのホームルームも済んで放課後になり、俺と朱音は生徒会長達に会いにいく。もちろん協力してもらうためだ。

 廊下を歩く生徒会長と副会長を見つけた俺達は、昨日と同様に生徒会長達に頼んだが、


「……すまない。今日は生徒会で会議があって協力出来ない」

「ごめんなさいね」


 今回は協力してもらう事が出来なかった。


「だが、浩太から話は聞いた。当日に起こった事件を調べているのだろ? この時間なら実験室には今村先生がいるはずだ。すぐに向かった方がいい」


 生徒会長から情報を貰い、その場から離れようとした矢先の事だ。近くの階段から誰かが壁を蹴るような音が聞こえる。

 俺達と生徒会長達は音がした階段に向かう。

 そこには気弱そうな男子生徒を不良の代名詞にふさわしい風貌の男子生徒達が囲んでいる。

 朱音は哀れんだ目でその光景を見つめる。


「あれ……助けた方がいいんじゃ……かわいそうです」

「放っておけ」


 俺は耳を疑った。


「……今なんて」

「イジメられている生徒が強く言えば済む話だ。だがあの生徒はそれをしない。自業自得だ」


 生徒会長からそんな言葉が出るとは思わなかった。尊敬している生徒会長からこんな言葉を浩太が聞いたら立ち直れなくなるだろう。


「で、でも!」

「汀君。助ける事がいい事とは限りませんわ。もし、ここで助けてもその後に逆恨みされて、さらにイジメが酷くなるだけです。それに汀君は助けられるのですか?」


 助けられるとは言えない。体格差からして俺が負ける事は分かり切っている。

 だからこそ悔しい。見て見ぬふりしか出来ない自分が。

 生徒会長達が其その場を離れ、俺と朱音は罪悪感に駆られながらもその場から離れる。

 視界の隅で下の階から赤い髪の人が上がってきたが、俺は気にせず実験室に向かった。

 実験室についた俺達は廊下から実験室の中を覗く。そこには薬品を閉まっている小太りの男性の先生がいた。


「ん? 君達、ここに何の用かね?」


 先生は俺達に気づき、俺達が尋ねてきた事を質問してくる。俺達は扉を開けて中に入った。


「今村先生にちょっと聞きたい事がありまして」

「なんだい?」

「少し前に実験室が荒らされていたって聞いたんですが」


 荒らされたという単語に今村先生の体がビクッと反応する。


「だ、誰から聞いた」

「それは言えないですけど、今は噂程度です。学校に報告しないので話を聞かせてください」


 言おうか言うまいか、迷いを見せて一度溜息をつく。


「誰にも言わないでくれよ」


 俺達は無言で首を一度縦に振る。


「数日前の火事の時だ。薬品を整理しているといくつか薬品なくなっていたんだよ」


 その話を聞いた後、俺は自然と薬品やら物質やらが入った棚に目がいく。

 見える限りで分かるのはエタノール、石灰水、金属ナトリウム、オキシドール、他にもあるがラベルが後ろを向いていたり、奥の方にあるため確証がない。


「ちなみにその薬品ってなんですか?」


 朱音が質問すると、当日の事を必死に思い出そうとしている今村先生。歳のせいで物忘れがひどいのだろうか。


「確か……塩素酸カリウムと濃硫酸だったかな。放課後に確認したら、いつもの場所になかったから。後日、いつも薬品の整理をしてくれる生徒に整理した時、薬品はあったか聞いたが昼休みにはあったらしい。だが、いつの間にか戻ってきてたよ」


 どちらも確かに劇薬だが、問題は何故その劇薬が一時的でもなくなったのかだ。誰かが適当に持っていっただけなのか、それとも意図的にその二つの薬品を持ち去ったのか。

 俺は質問を付け加える。


「なんで、先生はその日に聞きにいかずに、後日その生徒に聞いたんですか?」

「火事があったから外にいる生徒を落ち着かせたりで、忙しかったんだよ」


 なるほど。確かにあの日、多くの先生達は生徒を落ち着かせていたような気がする。


「ところで、何故そのような話を聞くんだ? 君達には関係ないだろ」


 流石にそんな事を聞いてくる俺達を不審に思ったようだ。

 ここで同じ日に起きた事故の事を話すのは得策ではない。場合によってはこのまま先生に止められるかもしれない。

 ここは隠した方が無難だ。


「事故の事調べてるんです!」


 朱音は正直に答えてしまった。

 なんでこいつはこんなバカ正直に答える。止められる可能性を考えないアホなのか? …………あ、こいつアホだった。


「な、何!? 君達はそんな事をしているのか! それは流石に見過ごせない。いいかい、すぐに止めなさい! でなければこの事を問題にあげて、しかるべき処置を受けてもらう!」


 やはり、先生という立場上止めるよな。本当はこんな事したくないんだが……仕方がない。


「……薬品の紛失」


 ボソッと発した言葉。今村先生はしっかりと聞こえたのか体を再びビクッとさせた。


「学校にバレたらまずいですよね」


 苦い表情でこちらを見る今村先生。やがて、項垂れてポツリと言葉を吐く。


「……分かったよ。君達の事は誰にも言わないでおく。だから……」

「俺達も誰にも言いません」


 俺はそれだけ言い残して、朱音と共にその場を去った。



 実験室の用事を済ませ、次は調理室に向かった俺達だが、実験室とは別の校舎にあり、三階の通路を使わなければならない。そのため、行くまでに少し時間がかかってしまった。

 調理室では調理部が料理をしている真っ最中だった。

 すると、調理部の部長らしき女生徒がこちらに気づき、笑顔で俺達に話しかけてきた。


「どうしたの?」

「あ、あの。数日前に調理室から調味料が荒らされたって聞いて。よければ、私達に教えてほしいと思って」

「ああ、あの事ね。いいわよ」


 その人は朱音の質問に嫌な顔一つせずに、快く答える。


「ちょうど火事のあった日に私達が料理をしようとしたんだけどラベルで〝砂糖〟って貼ってある容器の中身がごっそりと抜かれてたのよ。予備の砂糖はあったんだけど、この調理室は今の時期は授業で使わないから調理部の誰かが盗んだって、犯人探しが始まっちゃって。それを聞いた顧問の先生から数日間の部活停止をくらっちゃったの。で、今日やっとその停止が解除されたってわけ」

「誰も見ていなかったんですか?」


 今度は俺が質問するが女生徒は首を横に振った。

 頭の中で少し整理していると、調理部の部員の一人が声をかけてくる。


「部長、作り終わりました」

「分かった。よければあなた達も一口食べてみない?」

「いや、俺達は――」

「はい! いただきます!」


 俺の言葉を遮って朱音は調理部の集団の中に混じっていった。

 仕方ないと思い俺もその集団の中に入り込む。机の上には見た目はとても美味そうなチャーハンがいくつか置かれていた。


「どうぞ」


 先ほどの部長からチャーハンが乗った小皿を手渡され、俺と朱音はレンゲを使ってチャーハンを口に含む。

 流石調理部だけの事はあるな。米はパラパラになっている。

 味もどうやって出しているのか分からないがこの甘味が…………甘い?


「う……これ、甘いんですけど」


 感想を本音で話す朱音。俺と同様にハズレのチャーハンだったようだ。

 俺達の他に数人が甘いチャーハンを頬張ったらしく、顔を歪めている。


「ちゃんと塩入れた?」

「私はちゃんとラベルを見て確認したよ。もしかして、誰かラベル貼った時に間違えたんじゃない?」


 調理室の空気が少しずつ悪くなり始めていく。

 このままでは調理部内でまた言い争いが始まり、流れ弾がこちらにも来てしまうかもしれない。

 とりあえず砂糖がなくなった事だけは聞けたし、これ以上ここにいる必要はない。

 俺は朱音にアイコンタクトを取り、気づかれないようにその場を退散した。

 次は高田先輩に話を聞く事だが、何処にいるのかが分からない。

 事故当日は放課後に倉庫の近くにいたのだから放課後は少しの間学校にいる可能性がある。

 ここは聞き込みをして探すしかない。


「朱音、手分けして探すぞ。三十分後にここに合流」

「分かった」


 俺と朱音は手分けして聞き込みを開始。

 俺は三年生を中心に聞き込みをする。


「すみません。高田圭先輩が何処にいるか知っていますか?」

「高田圭? さぁ、知らないな」

「私もちょっと場所までは」


 諦めずに聞き込みを続けるが、誰も高田先輩の居場所を知る人はいなかった。

 時間はあれから三十分が経とうとしている。急いで指定の場所に戻って朱音と合流しなければならない。

 しかし、指定の場所に戻ってきたが、朱音はまだ戻っていない。

 遠い場所まで行ったと思った俺はその場で待つ事にしたが、五分……十分……二十分と時間が過ぎていくが未だに朱音が戻ってこない。


「あいつ、何処行ったんだ?」


 仕方なく今度は朱音を探すために聞き込みを始める。


「あ、ちょっといい。髪を一つに束ねた、少しアホっぽそうな女生徒探してるんだけど見てない?」

「えーと……アホそうか知らないですけど、さっき髪を一つに束ねた可愛らしい先輩が屋上に行くのを見ましたよ」

「ありがとう」


 急いで屋上に向かって階段を駆け上がった。


「ったく、あいつは何してるんだ」


 少し息を切らしながら目の前の扉を開いて屋上に出る。

 この高校では基本的に屋上は解放されているが、利用する人は多くない。放課後という事も加え、全く人がいない。

 辺りを見回すと、近くに設置されたベンチに座り、転落防止のための金網を背もたれにして涎を垂らして寝ている朱音がいる。

 俺はとりあえず両手共拳を握り、中指の第二関節を突き出して静かに朱音の蟀谷(こめかみ)に添えると、ゆっくりと力を加えていく。


「すぅ……すぅ……すぅ、いたいたいたいたいたいたい! 痛い!」

「なんでお前が寝てるのか教えろ」


 力を緩めると、涙目になりながら朱音は必死に経緯を自白する。


「人に聞くよりも高い所から見た方が見つかりやすいと思って。でも、高田先輩ってどんな顔だったか忘れちゃって。ベンチに座って必死に思いだそうとしたの…………でも、途中で寝ちゃった」


 右手で小さく拳を握って頭を小突き、舌を出す姿を見せつけられ、再び力を加えてぐりぐりと拳を動かす。


「こっちは聞き込みしてたのに、そっちはしっかりとタオルをかけて寝てたのか」


 スカートがめくれないようにタオルをかけている。これは確信犯にしか思えない。


「いたいたいたいたいたいたい! 私のじゃないよ!」

「じゃあ一体誰のなんだ?」

「それは俺のだ」


 朱音以外の返事が返ってきた事に驚いた俺はすぐに声の主の方に顔を向ける。

 建物の陰から赤い髪の男子生徒がこちらを見ている。

 間違いない。高田先輩だ。

 俺は朱音から手を離して体を高田先輩の方に向ける。


「高田圭先輩ですか」

「……ああ」


 建物の陰から出てきた高田先輩。

 俺はここで初めて高田先輩の顔をしっかりと確認した。

 赤い髪に吊り上がった目、頬についた青痣で一層怖さが際立っている。

 しかし、ここで怖気(おじけ)つくわけにはいかない。強気で聞かなければなめられて、真相にはたどり着けなくなる。


「……高田先輩、単刀直入に聞きますが、火事の事故が起こった日の放課後に先輩が倉庫の近くにいるところを見たって生徒がいるんですけど、何をしていたんですか? いつから倉庫に?」


 高田先輩は俺の問いに動揺するそぶりを見せず、こちらからでは全く感情が読めない。


「……忘れた」


 短くそう答えた高田先輩は朱音に近づきタオルを奪い取り、肩かけ鞄の中に入れた。

 あまりに予想外の答えに少し放心状態だったが、高田先輩が階段に向かって行く姿を視界の端で捉え、慌てて呼び止める。


「待! ……ってください」


 一瞬感情的になりそうだったが寸前のところで冷静になる。

 高田先輩は足を止めてこちらに向き直った。


「俺は知りたいんです。あの事故の真相を……だからお願いします。話を――」

「何かは分からないが……俺を疑ってるんだろ」


 鋭い目を向けられた俺は体が硬直して動けない。


「本当の事を言っても疑われるなら俺は何も言う気はない。お前達の探偵ごっこに付き合ってられるか」


 再び階段の方に体を向けて歩き始める。


「ま、待って……」


 俺の口から出てくる言葉は風に吹かれれば消えてしまいそうなほど弱弱しく、頼りなかった。

 高田先輩の耳に俺の声が届いていないのか、それとも耳には届いているが心までには届いていないのか、高田先輩の歩みは止まらない。


「お願いです! 私達の話を聞いてください!」


 俺よりも遥かに大きい声で高田先輩を呼び止める朱音。それでも高田先輩の歩みは止まらない。

 高田先輩の手がドアノブにかけられた。

 このままでいいのか?

 確かに俺はこの人を疑っているけど、それが悪い事なのか? 俺はただ真実を知りたい。

 なんで秋人が死ななければならなかったのか。

 秋人を閉じ込めた犯人がいるとして、何故そんな事をしたのか。

 知りたい、知らなきゃいけない……いや、違う。

 知りたいとか知らなきゃいけないとかそんな事で調べてるんじゃない。

 ただ…………。


「秋人が……親友が死んだのに! じっとしてられるかよ!」


 今まで生きてきた中で最も大きな声を出したのではないかと思えるほどの声量。

 もしかしたら、グラウンドにいる生徒達が奇妙なものを見るような目で屋上を見上げているかもしれない。

 でも、そんな事はどうでもいい。今は高田先輩だ。

 高田先輩はゆっくりとドアノブから手を離して、俺の前まで歩いてきた。


「……もしかして、お前の名前は汀か?」


 屋上に来てから自己紹介はおろか、会話の中で俺の名前が出ていないはずなのに高田先輩は俺の名前を的中させる。


「なんで俺の名前を……」


 鞄の中に手を入れ、ひどく汚れたノートを取り出し、俺に手渡した。


「事故で亡くなった……秋人君が亡くなる直前に渡されたノートだ」


 俺は驚きを隠せない。

 表紙は少し汚れていたが綺麗な字で〝松田秋人〟と書かれている。間違いなく秋人のノートだ。

 しかし、何故秋人がこの人にノートを渡したのか。そもそも、秋人が亡くなる直前に渡されたとはどういう事なのか。


「……お前達には話すべきだな。事故の当日に何があったか」


 高田先輩はあの日の事を話し始める。


「あの日、俺はたまたま体育倉庫に行った。そして、俺は木村先生が煙草の吸殻を見つからないように倉庫の窓に放り投げる現場を見た」


 木村先生とはおそらく事故を引き起こして処分を受けた先生の事だろう。


「木村先生が立ち去ろうとした時、前から来た俺に気づいたようだったけど無視して第三校舎に入っていった。その後、俺は倉庫の裏で座っていたんだ。それからすぐに誰かが扉を開ける音がしたが俺は気にせずそのまま寝た。だが、それから二十分ぐらいしてからガンガンとドアにぶつかる音が聞こえた。倉庫の裏から出ると、倉庫の窓から煙が上がっていた事に気づいた。中に誰かいる気配がしたからすぐに扉を開けようとしたが、ドアノブを回しても開く事はなかった。窓の近くに戻って俺が話しかけると、窓からこのノートが落ちてきて、中にいる奴にこう言われた。『これを汀に渡してください』ってな」


 話を終えた高田先輩は一呼吸した。


「これで、話は終わりだ。まぁ、この話を信じるかはお前たち次第だが」

「……俺は信じますよ」


 高田先輩は予想とは全く違った事を俺が言ったのか、目を丸くしている。


「高田先輩は悪い人じゃないと思います」

「そんな事、会ったばっかりのお前に分かるわけ――」


 高田先輩が言い終える前にキィーと音を立てて扉が開いた。そこには少し前に不良達に囲まれていた男子生徒が立っていた。そして、高田先輩を見つけると足早と近づき、勢いよく頭を下げる。


「さっきはありがとうございました! 先輩が来なかったら僕……」


 高田先輩は気恥ずかしそうに慌てて男子生徒の体を起こす。


「いや、お礼なんてするな。たまたま、階段を塞いで邪魔だからどかしただけだ」

「え、で、でも先輩は手を出して――」

「もう気にするな! いいからさっさと帰れ!」

「は、はい」


 男子生徒は扉に戻っていき、再度こちらに体を向ける。


「ありがとうございました!」


 と、気弱そうな雰囲気からは想像できないほどの大声で感謝した後、階段を下りて行った。

 一部始終を目撃していた俺と朱音に睨みつけるが、あの後だとそこまで恐怖は感じられない。


「その顔の痣は助けた時についたものなんですね」


 朱音は微笑みながら話すが、一方の高田先輩はばつが悪そうに頭を掻く。


「チッ……汀は知っていたような感じだが、いつからだ」


 俺は正直に答える。


「知らなかったです。……ただ、秋人を〝必死になって〟助けてくれようとした人なら、あの生徒を不良達から助けてもおかしくはないと思っただけです」


 再度、高田先輩は驚き、朱音も声を漏らして驚く。


「お、俺は助けようとは――」

「したはずです」


 俺は口調を強くし、高田先輩の手を掴む。そして、高田先輩の手の平を上に向けて朱音にも見えるようにする。

 手のひらには指の付け根を沿うように豆が一列に並び、小指と薬指の間を一直線に内出血を起こしている。

 他人からしてみればこれが必死に助けた証拠になるのかと疑問を浮かべると思うが、俺からしたら十分な証拠だ。


「この豆と内出血は一斉に出来たものです」

「え、でも汀、こんなのどうやって同時につくの?」


 朱音は理解していないが、高田先輩は気づいているようだ。


「痛みを耐えて、あるものを強く掴めばこの跡になるはずだ」


 豆が出来た部分は何かに強く押し付けていたから出来たもの。一直線状の内出血は角に押し付ければ出来る。

 これらの事から考えられる形を俺は一つしか思いつかない。


「ドアノブ……ですよね」


 視線を外している高田先輩の顔をジッと見つめる。


「……言っとくが倉庫じゃないぞ。ここに来る前に別の場所で扉を開けようとした時についたんだ」

「嘘ですね」


 高田先輩の発言を真っ向から否定した。もちろん、自分の中で根拠があっての発言だ。


「普通の生徒が扉を開ける場所なんて教室かトイレか屋上ぐらいです。でも、この学校の教室の扉は他の学校でも多く使われているスライド扉だからまずありえない。トイレを開けた時についたってのも論外。鍵がかかってるって事は使用してるって事だからノックすれば済む話。仮に中に誰もいないとしても学校の個室のトイレは上の方は開いてるからちょっとした台さえあれば簡単に中に入る事が出来る。そして、最後に屋上ですけど、これは他のところでも言える事なんですが、閉まっているなら先生に開けてもらえばいい」


 俺は一度を区切り、息を吐いた。高田先輩はもうこれ以上は否定する様子は見受けられないが、俺は話をやめるつもりはなかった。


「だったら何故、高田先輩の手に豆や内出血が起きたのか。簡単な話、時間がなかった。今すぐ開けなければいけない状況だったから。そりゃそうですよね、人が死ぬかもしれないんですから。だから高田先輩は痛みに耐えて必死に扉を開けようとして、手がそんな風になったんです」


 話を終えた後に訪れた静寂の時間。そしてその時間を破ったのは高田先輩だった。


「はぁ……お前は高校生版のホームズだな」


 笑ってはいるが、表情は暗い。


「確かに必死に助けようとした。でもそれがどうした? 結局はダメだったんだ。俺は今でもあの時途中で開ける事をやめたのを悔いてる。俺は結局何も出来なかったんだ」

「そんな事ないです!」


 朱音の大声に驚く高田先輩。近くで突然大声を出された俺は反射的に耳を塞いだ。


「近くで急に大声出すなよ」

「ご、ごめん。……高田先輩。そんなに思い詰める必要はないと思います。だって、高田先輩のおかげで新しい手掛かりがこうして私達の元に届いたんですから」


 手渡された秋人のノート。これが真実に大きく近づくものになるかは開いてみるまでは分からない。しかしこれは秋人が死ぬ前に俺に渡したかったノート。そしてこのノートが無事に俺達の所までたどり着いたのは紛れもなく、高田先輩のおかげだ。


「……そう言ってくれると、救われた気がする。ありがとう」


 高田先輩は後ろを向けて、今度こそ屋上を去るため扉を開いて中に入る。


「お前達が真実にたどり着ける事を応援している」


 後ろ姿のまま言い去り、風に(あお)がれた扉は軋んだ音を立てながらゆっくりと閉まった。

 屋上には俺と朱音の二人となり、受け取ったノートを俺がめくり、朱音はそれをのぞき込む。

 内容は今までの現代文の授業内容がびっしりと書かれ、秋人の真面目さが一目で分かる。だが、死ぬ間際に高田先輩に頼んでまで俺に渡す必要があるとは思えない。


「ただの現代文のノートにしか見えないよ」

「確かに…………ん?」


 俺がページをどんどん進めていくと、途中から文字が書かれていない。最後に文字が書かれたページを見ると、秋人が死ぬ前日にやった授業内容だった。


「ここで終わってる」

「結局手掛かりじゃないのかー」


 肩を落として見るからに落ち込んでいる朱音。

 しかし、このノート、持った時に何か挟まれているような違和感があるが……念のため、まずは全てのページをめくるか。

 段落分けされた線以外何も書かれていないページには目もくれず、左手にはめくられたページが積み重なり、右手には次々とページが消えていく。

 右手に最後の一ページが残されているが、明らかに何かが挟まっている。俺はその最後のページをめくった。

 目に飛び込んできたのは、一部分が大きく真っ黒にぬり潰され、隣には歪んだSの文字、最後のページと裏表紙に挟まれていたA4サイズ紙よりも少し長辺が短い手紙とハンカチ。そして、火を消すために先端だけが潰された煙草が一本。

 最後のページと手紙は濡れた後に乾いたかのようになっている。


「汀、これって」

「多分、これを俺に見せたかったんだ」


 ハンカチを手に持ち、観察した。

 色は淡い青色の乾いたハンカチ。

 ハンカチを一旦置いて、手紙を手に持つと、手紙からパリパリと音が立つ。

 丁寧に手紙を扱い、書かれている内容を見た。


〝突然手紙を書いてすみません。

告白してフラれちゃったけど、どうしてももう一回話がしたいです。

直接言いづらかった で手紙を書きました。ホームルームの後、第三校舎

裏にある体育倉庫の中で待っています。〟


 ここで手紙は終わっている。消しゴムで消したせいなのか一文字消えかかっているが、よく見ると〝言いづらかった『の』で〟と書かれている。名前はなく、手紙の最後の一行は何度も書いて消したのか、黒くなっていた。

 告白した女生徒がもう一度秋人と話がしたくて手紙を書いたと書いてあるが、本当にそうなのか? もしかしたら秋人を呼ぶための罠だったのかもしれない。


「朱音はこの手紙どう思う?」

「んー……ただの手紙だと思うんだけど、汀はどう思ってるの?」

「秋人を呼び出すための罠だと思ったんだが……俺の深読みかもしれない」


 今度はノートの最後のページに視線を向ける。

 最後のページに書かれているSと真っ黒に潰した部分はおそらく同じ時間に秋人が書いたものだが、それが何を示すかは今の俺達では分からない。

 煙草に関しても皆目見当もつかない。

 ただ一つ分かる事は、秋人が残してくれたこれらのものは重要な手掛かりだと言う事だ。


「とりあえず校舎内に戻るぞ」


 朱音は頷いて、俺の後に続いて階段を降りて行った。


「で、この後どうするの?」


 階段を下りる俺達の足音しか聞こえない中、朱音は俺に聞いてくる。


「今のところこのノートに書かれている事と煙草の意味は分からない。だが、手紙の方にはいくつか違和感がある」

「違和感って?」


 俺が一度足を止めて手紙を取り出す。朱音もつられて足を止め、手紙に目をやる。


「この手紙の紙、見覚えないか?」

「見覚えも何も……A4のノートを破って書いたものでしょ?」


 手紙に使われていた紙は秋人と同じようなノートの紙を破いたものだった。しかし、そうすると一つおかしな点が浮き彫りになる。


「だったら、なんでこの手紙と秋人のノートの紙のサイズが違うんだ?」

「そんなのA4のノートじゃなくて、他のサイズのノート……あれ?」


 朱音も俺がこの手紙に対する違和感に気づいたようだ。


「短辺は同じなのに、長辺の長さが違うっておかしくない?」

「ああ、その通り。よく見るとこの紙は上の部分が切られている。なんで切ったのかは分からない」


 手紙を丁寧にノートに戻す。

 俺達は再び歩き出し、階段を下りて行く。


「違和感はいいけど、私の質問の答えにはなっていないよ」

「……まぁ、とりあえず事故当日の犯人の行動を考える。そのためには生徒会長の力を借りたい。当日に見回りをしていたなら、何か分かるかもしれない」


 四階についた俺達は同じ階にある生徒会室の前にやってきた。ちょうどその時、扉が開かれそこから会議を終えた生徒達が出てくる。その中にはもちろんあの三人の姿があった。


「君達、まだいたのか」


 生徒会長は呆れた様子で俺達を見る。


「少し聞きたい事があって」

「何かしら?」

「なんでも聞いてください!」


 生徒会長の後ろにいた副会長が顔を出し、浩太は張り切った様子で俺に近づく。


「昼休みの見回りについて聞きたいです」

「いいだろう。中に入りたまえ」


 生徒会長に誘導されながら俺と朱音は生徒会室に入る。

 生徒会室に初めて入るが、他の部屋と比べて特質何かあるわけではなく、ホワイトボードと備品が入った棚、中央には隙間なくぴったりとくっつけられた机。

 それなのに厳かな雰囲気が漂うのは棚の上に置かれた花瓶のおかげなのか。

 花瓶には数輪咲き残った桜の枝が生けられ、凛々しさを醸し出している。


「そこに座りたまえ。見回りについてだったな」


 生徒会室の空気に動ずる事なく俺と朱音は椅子を引いて座った。

 会長は適当なところに置いてあった紙を数枚手に取り、シャーペンの先を紙の上で滑らせる。

 一枚描き上げたところで俺達の向きに合わせて紙を半回転させて見せてくれた。

 紙には横から見た第一、第二、第三校舎と事故があった倉庫が描かれている。

 生徒会長はシャーペンの先を迷わせる事なく、次々と絵を描き上げていった。

 最終的に描かれた紙の枚数は全部で三枚。

 一枚目は学校全体を真上から見た時の絵が描かれている。真上から描かれている事で、正門側から第一、第二、第三校舎と川の文字のように並んでいる事が分かる。第一、第二校舎は同じ高さだが、第三校舎だけが低い。そして、第三校舎の裏の角に位置するのがあの倉庫。

 二枚目の紙にはそれぞれの校舎になんの教室があるかが分かるように描かれている。

 そして、三枚目は最初に描かれた校舎を横から見た絵。

 これらの絵からは分かる事は、第一、第二校舎の階数は四、第三校舎の階数は三である事。

 第一、第二校舎を繋ぐ通路は一階と三階にそれぞれ一本ずつ。第二校舎と第三校舎は一階に一本ある。俺も通路を使った事があるから分かるが、三階を繋ぐ通路は雨を遮るために壁で覆われ、トンネルのようになっている。


「さて、見回りだが……どういった事を聞きたいんだ?」

「調理室と実験室、倉庫について教えてください」

「いいだろう」


 生徒会長は三枚の紙を使って、丁寧に当時の見回りについて話し始めた。


「私と日美子の二人は自分達の教室で食事を簡単に済ませた後、浩太を迎えに行くために二階に下りて合流した」


 四階を指し、なぞるように二階に指を持っていく。


「移動してすぐに、君達と会った。そしてその後、一階に下りて、下から上へと担当の場所の見回りを始めた」

「それで、誰が何処の担当を……」


 会長は顎に手を当て、その時の見回りを思い出そうとする仕草をした。


「私は調理室がある第二校舎を。日美子は実験室のある第一校舎。浩太は第三校舎を担当した。君達が聞きたい調理室は私が見た限りでは誰もいなかったし、荒らされた様子もなかった」

「そうですか。日美子先輩はどうでしたか?」


 生徒会長のそばで立っていた副会長は尋ねられ、その日の事を昨日の事のように思い出す。


「あの日は特に異常はありませんでしたが、眼鏡をかけた生徒が実験室から出てくるところを見ました。一応事情を聞くと、どうやらその生徒は科学部の部長らしく、いつもこの時間は先生の代わりに薬品を整理しているようでした」


 科学部の生徒か。もしかしたら、この事件に関わっているかもしれない。

 ダメもとで、その生徒について俺は尋ねた。


「その生徒の名前って分かりますか?」


 副会長は不思議そうな顔で首をかしげている。俺の質問に何かおかしなところがあったのだろうか。


「分かるも何も……黒田学って生徒よ? 同じクラスじゃないの?」


 それを聞いた俺の中で、あいつに対する疑惑は膨らみを増す。いや、決めつけるのはまだ早い。

 冷静になれ。黒田に聞かなければならない事が見つかったが、今は見回りについてだ。


「浩太、第三校舎はどうだった?」

「第三校舎は異常ありませんでした。特に目立った生徒はいませんでした。各自の見回りが終わった後は前に汀君に話した通り、倉庫の見回りをしました」


 一通りの事を聞いた俺は情報をノートに全て記入して、それを眺める。重要なのは黒田だ。まだ、あの事故と実験室の件が繋がったわけではないが、聞かないわけにはいかない。


「話、ありがとうございました」


 俺は席を立ち、頭を下げて感謝をした後、生徒会室を飛び出し、急いで黒田を探した。

 科学部に所属しているならもしかしたらまだ、学校にいるかもしれない。

 俺は同じ階の実験室に駆け込む。

 突然入ってきた事に驚いた今村先生は手を滑らせ、フラスコが落ちていくが、間一髪のところでキャッチした。手に収まったフラスコを動かし、ひびが入っていない事を確認すると、安堵の表情を浮かべる。


「き、君か。どうしたんだいそんなに慌てて」

「科学部の部長がここに来ませんでしたか?」

「その子なら少し前に帰ったけど、その子に何か用事でも――」

「ありがとうございます!」


 俺は再び走り出し、実験室を飛び出る。

 後ろから今村先生の注意する声が聞こえるが、俺は構わず階段を駆け下りて一階の下駄箱に向かう。

 下駄箱には黒田がちょうど自分の靴を取り出すところだった。

 俺は掴みかかる勢いで黒田を止める。


「黒田! 待て!」


 俺の必死な形相に怯えた黒田は持っていた靴を落として尻餅をつく。

 目の前で止まった俺を見て、怯えながらも大声を上げた。


「こ、今度はなんだよ!」


 俺は肩を上下に動かし、深呼吸を何回もして、呼吸を落ち着かせる。


「ハァ……ハァ……、黒田。お前、事故のあった日の昼休み。実験室に行ってたな」

「い、行ってたけど」


 やましい事があるのか、それともただ単に俺を恐れているのか。黒田の目は俺の目をまともに見ようとはせず、宙にさまよわせている。


「その時、塩素酸カリウムと濃硫酸は確かにあったんだな」

「な、なんでそんな事」

「いいから答えてくれ。頼む」


 俺の必死さが伝わったのか、黒田は覚えている限りの事を話す。


「絶対あったはずだ。実際に僕が手に持って確認したんだから」

「なんで手に持ったんだ?」

「実験室に置いてあった紙に書いてあったから整理したんだよ。たまに今村先生は置き手紙で頼み事をするから」

「その紙は何処にある?」

「いつもすぐに捨てるから、持っていない」


 今村先生も言っていたが、黒田は昼休みにいつも実験室の整理をしている。ならば、これは本当の事か? それとも、黒田が……。

 疑念が俺の頭をよぎるが、その疑念を一度振り払い、話を聞かせてくれた黒田に礼を言う。


「ありがとう」


 ただ一言だけ言い残して、俺は体を後ろに向けて下駄箱を離れた。


「……あっ」


 鞄を生徒会室に置きっぱなしだった。急いで生徒会室に向かう。その途中、三階から二階に下りてきた朱音とばったり会う。頬を膨らませ、抱えていた俺の鞄を投げつけてきた。

 咄嗟の事で反応出来なかった俺の顔に鞄が直撃する。

 一瞬視界がぐらついたが、なんとか倒れずに持ちこたえた。


「汀のバカ! 荷物を置いて、何処かに行くなんて!」

「悪かった。急いで黒田に聞きたかったんだよ」


 朱音はまだ納得のいかないようだが、ふくれっ面をやめる。


「で、どうだったの?」

「一応情報は手に入った、後は校舎を少し見てから帰る」


 もう一度一階に下りてから俺達は第一校舎と第二校舎を繋ぐ通路に着く。

 三階の通路とは違って、火災などの避難の事を考えられ、雨を遮るのは屋根のみ。そのため風が吹き抜け、心地がいい。

 校舎と通路が直角に交わっているところには排水管があり、屋上に溜まった雨水を排出する役割を持っている。

 しかしそれだけ。特にこれといって気づいた事はない。


「どう?」

「特になし。このまま調理室に行くか」


 通路を通って第二校舎に入り、四階の調理室に向かう。

 こっそりと調理室を覗くと部員達が顧問の先生の説教を受けている真っ最中だった。部員達は落ち込んだ様子で説教を受けている姿を痛々しく思い、すぐにその場を離れた。


「調理部の人達、大変だね」

「そうだな」


 俺は何気無く窓から夕日に照らされた第一校舎を眺める。第一校舎の廊下には誰もいない。


「……帰るか」

「そうだね」


 一階に下りて、下駄箱のある方に体を向けるが、扉が開いているのか後方の職員室から微かに声が聞こえる。そんな事気にする必要がないはずなのだが、何故か気になってしまう。


「ほんとに困ったものですよ」

「どうしたんですか?」

「実は、授業を抜け出す(やから)がいるんですよ。今日も第二校舎の四階の教室で授業してた時、トイレに行くとか言って出て行ったんです。十分経っても戻ってこないから見に行ったらいなかったんですよ。ふと、第一校舎の方を見ると四階に抜け出した生徒がいたんですよ。」

「その生徒達、かなり逃げ足の速い奴らなんですね」

「汀?」


 職員室の話に集中して足を止めていた俺は我に返り、前にいた朱音の元に駆け寄る。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない。早く帰るぞ」


 下駄箱で靴に履き替え、朱音と共に帰宅する。




 その夜。俺は自分のベッドの上に座って秋人のノートに穴が開くくらい見つめていた。


「んー……だめだ、分かんね。秋人は何を伝えたかったんだ?」


 秋人が残したてくれたノート、先端がつぶれた煙草、ハンカチ、そしてあの手紙。一体何なんだ。考えれば考えるほど、泥沼にはまっていく感覚に襲われる。

 頭の使い過ぎで疲れてしまった。力尽きたようにベッドに倒れ込み、体を右に向けて楽な姿勢をとる。


「秋人……俺に何を伝えたいんだ?」


 手に持つノートに再び目を通す。

 先ほどと変わらない歪んだSが目に飛び込むが、さっきとは違い、俺は何かに気づいた。しかし、その何かが分からない。

 すぐに起き上がってノートを見るがさっきまで感じていた感覚が薄れてしまい、結局分からずじまいだった。


「クソッ! 一瞬何か分かりそうだったのに!」


 不貞腐れた俺は明かりを消して、眠りにつく。



 翌日、授業を受けながら俺は昨日の感覚を思い出そうと秋人のノートを開いて、Sを眺める。

 もしかしたら、このSは素直にこのまま受け取って、名字か名前のイニシャルなのかもしれない。

 後は二つの事件。この犯人が秋人を閉じ込めた人物と同一だとすると、砂糖と薬品をいつ盗んだのかだ。昼休みじゃ生徒会が見回りをしているから盗むのは簡単じゃないはず。

 先生に指名された事に気づかず、何度も叱られながら昼休みになるまで考え続けた。しかし、真実には近づけず、徒労に終わってしまった。

 昼休みを迎え、すぐに食事を済ませた俺と朱音は、第一校舎の四階を目指して教室を出た。


「また実験室に行くの?」

「いや、実験室というか、四階の廊下に行く」


 四階の廊下に着いた俺は一直線の廊下の端から端へと視線を動かす。

 賑やかだった三階とは打って変わって廊下には誰一人いない。

 そこから第二校舎の四階の様子を見る。第二校舎も同様に廊下には人の気配がしない。


「次行くぞ」

「ちょっと待ってよ!」


 階段を上り、屋上に続く扉を開けた。

 屋上では生徒達が和気藹々(わきあいあい)と食事を楽しんでいるのが見て分かるが、十人にも満たない人数と有り余ったスペースからは寂しさを感じる。


「屋上使ってる人少ないね」


 屋上のギリギリのところまで歩き、金網越しに第二校舎の屋上を眺めた。

 学年の教室がない第二校舎という事もあり、一人もいない。


「あれ? 汀君と朱音じゃない。どうしたの?」


 振り向くと、声の主は同じクラスの(あおい)さんだった。


「ちょっとね。葵はゆいちゃん達と屋上で食事?」

「まぁね。雅人(まさと)も一緒だよ」


 葵さんは俺と朱音を交互に見た後、ニヤリと笑って朱音を見る。


「もしかして……お邪魔しちゃったかな?」

「ち、違うから!」


 邪魔されてはいないからその通りなのだが、そこまで必死になって否定する必要はないだろ。


「ごめんごめん。冗談だって」


 朱音はそっぽを向くが、向いた先の俺の顔を見た途端に顔を赤くし、逆方向に顔を背けた。


「で、何やってたの?」

「まぁ、ちょっと気になった事があって……葵さん、ここ最近なにか気になった事ない?」

「その質問、漠然とし過ぎるでしょ」


 自分で言っといてなんだが、確かに漠然とし過ぎていると思う。しかし、何が聞きたいのかはっきりしていない俺に出来る質問はこれぐらいしかない。

 漠然とした質問でも葵さんは腕を組んで思い出そうとしてくれるあたり、面倒見がよさそうな人格を持っていると分かる。


「んー……あっ、そういえばなんだけど、三日前ぐらい、たまたま朝早く学校に来たら、元君が何かビンみたいなのを後ろのロッカーから持っていくのを見たよ。なんか、焦ってたみたいだけど」


 ビンの単語を聞いた瞬間、俺の頭の中に浮かんだのは濃硫酸と塩素酸カリウム。しかも、持っていたのが関係者である元。


「葵さん、ありがとう」

「え? なんだかよく分からないけど、もっと感謝してもいいのよ」


 苦笑するものの、俺は再度言葉で感謝してからまだそっぽを向いている朱音に下に移動する事を伝えて、共に階段を下りた。

 四階に着いてから朱音は立ち止まって口を開く。


「元君、なんで持ってたのかな?」

「分からないが、元が濃硫酸と塩素酸カリウムを持っていったなら砂糖を盗んだのもあいつになる。だけど、なんでこの三つを――」

「君達、火事でも起こすつもりか?」


 薬品の整理を終えた後なのか、黒田が俺達に話しかけてきた。まだ少し俺に警戒しているのか、少し距離を置いている。


「黒田か。火事ってどういう事だ?」

「これだから平均点は」


 黒田の言葉に苛立ちを覚えるが、そこは冷静になって感情にそっと蓋をして話を聞く。


「塩素酸カリウムと砂糖(サッカリン)を混合したものに濃硫酸を加えると激しく燃焼反応をする。そんな事も知らないのか」


 黒田の余計な一言により蓋を吹き飛ばす勢いで感情が沸騰し、眉が自然にピクピクと動く。歯を食いしばらなければ何かを口走ってしまいそうだ。


「じ、情報ありがとう黒田君!」


 俺の感情の変化に気づいた朱音が俺の腕を引っ張り黒田から離す。

 黒田はそのまま下の階に下りて行った。


「……サンキュー朱音。あのままいったら気がおかしくなってた」

「イラついた事は何も言わないけど、次からはちゃんとしてよ。そろそろ時間だし私達も教室に戻るよ」

「……ああ」


 授業開始の鐘がなる前に教室に戻り、授業の準備をした。といってもこの後の五時間目は先生が急に出張が入ったため自習の時間に変わった。もちろん俺は真面目に自習する気などなく、今まで集めた情報をノートに整理していく。


〝砂糖+塩素酸カリウム+濃硫酸=燃焼反応

 元がビンを持って慌てていた。おそらく実験室から盗まれたもの。

 生徒会の見回り~放課後までに盗んでいるが、砂糖も取っているとしてどのタイミングに持ち去っているのか。

 手紙を書いて呼び出したのは元?〟


 ダメだ、元が犯人だとして閉じ込めた手段と動機が分からねえ。

 元に目線を向ける。俺と違って真面目に自習をしているが、時折朱音の方をチラチラ見ている。

 朱音はというと机に突っ伏して寝ていた。

 次に目線を移した先は秋人の机。そして、秋人と過ごした最後の日にした会話が頭の中に蘇る。

『探偵は何にも囚われない自由な発想と頭の回転の速さ、だと思う。その点は僕よりも圧倒的に汀の方が上だ。それに、人が見落とすような小さな異変に気づけるのも凄いと思うよ』

 何にも囚われない自由な発想か……。

 俺は静かに頭の中に取り込んでいた情報を取り払い、何度か深呼吸をする。そして、ゆっくりと目を開き、今まで集めた情報に目を通した。

 頭の中に全ての情報が入り込み、字が立体的に浮かび上がる。

 元・秋人・切られた手紙、生徒会の見回り・砂糖・塩素酸カリウム・濃硫酸・燃焼・倉庫に垂れていた銀色の何か、S・黒く塗り潰されていた・挟まれた手紙・先端だけ潰れた煙草・ハンカチ。

 今までノートに書いた情報や手持ちの手掛かりとは別に、今までの視覚情報、聴覚情報を加える。

 すると、集めてきた情報が化学反応を起こすように、隠れた真実へと変わる。

 そして、俺の頭の中で仮説が生まれた。この仮説が正しいなら全ての事象の歯車が、がっちりとはまり、歯車が回る。

 後は仮説を確証という最後の歯車に変えるだけ。

 授業の終わりを告げる鐘が鳴り響く。大きな欠伸をしながら朱音が俺の方にやってきた。


「ふぁ~。汀、何か分かった?」

「あぁ、分かった」

「あ~、やっぱり分からな……えっ」


 眠気が冷めるほど驚いたのか、目を丸くしている朱音。俺は口調を変えずに話を続ける。


「誰がやったかも全部だ」


 目線を移すと、朱音もつられて同じ方向に顔を動かした。ノートを片づけ教材を鞄に入れる元の姿が朱音の目にも映っているはずだ。


「俺はこの後、確認したい事がある。お前は生徒会の三人に最後の仕事を頼んできてもらいたい」

「分かった。何を頼めばいいの?」

「放送で、黒田と高田先輩、元を生徒会室に集めてほしい」

「了解」


 朱音の返事と共に担任が教室に姿を現し、ホームルームが始まった。

 いつもと変わらず進んでいく。だが、今までこんなに早くホームルームが終わってほしいと思った事はない。




 空が少し赤みがかり、校舎の窓からは夕日の光が差し込む。

 外からは野球部の威勢のいい掛け声が聞こえてくる。

 用事を終えた俺は一段ずつ階段を上っていき、足が階段を触れるたびに今までの出来事が映像として頭の中で再生されていく。

 結論から言うと、仮説は確信に変わった。今まで点で存在していた情報達がお互いを繋ぎ、真実に続く一本の道に変わり、俺の進むべき道を教えてくれる。

 その道の上を歩いている俺を遮るように生徒会室の扉が立ちはだかるが、俺は扉に手をかけ、静かに開けた。

 扉の奥には要望通り黒田と高田先輩と元。そして、生徒会の三人と朱音が、俺が来るのを待っていた。


「汀、頼まれた通りにしたよ」

「朱音、ありがとう」


 ようやくここまで来た。後は犯人の化けの皮を剥ぐだけだ。


「みんな、聞いてほしい」


 全員の視線が一気に俺に集まる。


「秋人があの火事で死んだ。でも、俺はあいつが逃げなかった理由がどうしても知りたかった。だからまず謝らせてほしい。関係ないのに疑って、すみません」


 俺は深々とお辞儀をして、体を起こす。


「でも、ようやく犯人を突き止める事が出来た」

「犯人は誰だったんだ?」


 高田先輩の質問には答えず、元を見つめる。


「元……お前、濃硫酸と塩素酸カリウムを持ってただろ」


 見るからに慌てだす元。その行動はどんなにうまく隠そうとしても肯定にしか取れない。


「ち、違う!」

「いや、お前は持っていたはずだ。そして砂糖と一緒に使って、金属を溶かした」

「ちょ、ちょっと待て丹波!」


 黒田が横から俺の言葉を遮ってきた。


「確かにその三つで燃焼反応が起きるが、倉庫にあるもので金属っていったら鉄だぞ! それを溶かすなんて不可能だ!」


 こいつの意見は正しい。確かに鉄は溶けない。


「鉄は溶かせないが、〝はんだ〟だったらどうだ?」


 はんだは融点の低い金属。ライターの火でも十分に溶かすことが出来る。


「はんだぐらいなら溶かせると思うが、どこにどうやって」


 その質問に俺はホワイトボードに扉の絵をかいて説明を加えた。


「ドアノブを捻ると動く部分がある。ラッチボルトって言うんだが、これがはまる溝に糸上のはんだをこんな風な形にして入れる」


 指に糸を巻いた後、形を崩さないように外すと、糸はバネのような円柱上の形になった。


「そして砂糖と塩素酸カリウムを円柱内に収まるように入れる。その後、扉を閉めて、秋人が入った後に濃硫酸をラッチボルト辺りにかければ溝に入り込み、燃焼反応を起こしてはんだを溶かし始める。溶けだしたはんだは溝からあふれ、外気に触れることによって自然と固まり、ドアを固定する」

「ち、違う! 僕はそんな事――」

「見苦しいぞ! いい加減罪を認めたらどうだ!」


 生徒会長の一括で萎縮してしまった元だが、それでも否定を続ける。だから、


「お前がこの方法でしか秋人を閉じ込めることが出来ない。そして同時に」


 俺は微笑んで、元の心が楽になるようにこう言った。


「お前が犯人じゃない……確かな証拠だ」


 元を含めてみんなが声を出して驚く。

 そりゃそうだ。自分も逆の立場だったら、間違いなく同じように驚くはずだ。


「君は何を言ってるんだ!」

「会長の言う通りですよ! 汀君、燃焼反応を起こすものは全て盗まれていたんですよ!?」

「もし元君が犯人じゃないとするなら、誰が犯人だと言うのですか!?」


 生徒会から怒声を浴びても俺は何も感じない。ただ、俺は真実を言っているだけだ。


「犯人はこの手紙を秋人の机に入れた人物です」

「汀。手紙は元が入れたんじゃないと思っているって事か?」

「その通りです、高田先輩」


 鞄から手紙を取り出して元に見えるように突き出す。


「お前は見覚えがあるはずだ」


 最初の内は俺の言っている事を理解していない様子の元だったが、手紙の内容を読んでいく内に顔を真っ赤にさせ、恥ずかしそうに視線を逸らした。


「この手紙はお前が書いたもの。そうだな」

「……うん」


 生徒会室がさらにどよめく。


「汀? 元君が書いたなら入れたのも元君だと思うんだけど」

「朱音。書いた人物=机に入れた人物とは限らない。例えば誰かに頼んだりしてな」


 俺は真犯人に語り掛けるように話を続ける。


「最近面白い噂が広まっているのを知っていますか?」


 俺は一歩ずつ真犯人の元に近づいて行く。


「元がラブレターを渡したって噂なんですけど、やっぱり渡した相手が学校の有名人だとすぐに広まっちゃいますよね」


 目の前で止まり、秋人をあんな目に合わせた犯人に対する怒りを必死に心の中で抑え込んで、しっかりと相手を見る。

 きれいな肌から微かに汗をかき、目は何かを恐れるように乱れていた。今まで築いてきたイメージが俺の中で崩れ落ちる。生徒の憧れであり、代表であるこの人の全てが気持ち悪い。


「ねぇ……生徒会長。いや、東条佳那」


 東条は一瞬動揺するがすぐに平然を装った。


「……こんなタイミングで冗談は笑えないな」

「笑わなくていい。そんなつもりなんてこれっぽっちもないからな」


 東条は俺を睨みつけるが感情的になり始めた俺には意味が無い。


「か、佳那ちゃんのはずがないわ! それにまだ元君がやっていない確証がないわ!」


 副会長が反論をするが、俺はその質問を答えないで、朱音にいくつか質問する。


「朱音。俺達前に調理室でチャーハンを食ったよな」

「う、うん……食べたけど、甘くておいしくなかった」

「なんで、そんなことが起きたか分かるか?」

「え?」


 朱音は腕を組んで難しそうな顔をしながら、少しずつ口から言葉を漏らしていく。


「塩を入れたと思ったけど……ラベルが間違って……砂糖を入れた」

「そう。そして、俺はさっき調理部に頼んで砂糖か塩のラベルが張られた容器の中身を確認した。調理部が言うにはラベルを張ってから中身の補充をしたのは事故当日になくなったものと間違って塩のラベルが貼ってあったものだけらしい。調理室は授業で使っていないらしいから、調理部ぐらいしか調味料の補充をしない。それで全部なめてみたんだけど。全部ラベル通りだったんだ」

「え? それは当たり前の事じゃないの?」


 殆どの人が気づいていないが、高田先輩だけはこの意味を理解したようだ。


「なるほど、確かに元が犯人じゃないな」

「高田君! あなたまで何を――」

「間違って塩のラベルを張った砂糖があるなら……間違って砂糖のラベルが貼ってある塩がないといけないはずだ」


 砂糖のラベルが貼ってある塩がない。これが意味することは……。


「事故当日になくなったのは砂糖じゃなくて塩。加えて、容器の中身全てを盗む必要なんてない事から、これは仕組まれた罠だと分かる。これらこそ元が犯人じゃない証拠です!」


 副会長は反論をしようとしているが、俺の発言を覆すことが出来ず、黙り込んでしまった。

 すると、東条が口を開く。


「私がどうやって、秋人君を閉じ込めたんだ? 君が言うことが正しいなら私はどうやって閉じ込めたんだ?」

「……金属ナトリウムを使ったんでしょ」


 金属ナトリウムを聞いた途端に東条の顔つきが険しくなる。


「金属ナトリウムは水に触れただけで燃焼反応を起こす。もちろん実験室に金属ナトリウムもあるよな? 溝に金属ナトリウムを入れ、水の含んだハンカチを扉に噛ませ、ラップか何かで溝に水が入らないようにする。扉を開けるとハンカチは落ちるが、ラッチボルトは水で濡れた状態になる。扉を閉めると奥にある金属ナトリウムとラッチボルトが接触。燃焼反応を起こして、はんだを溶かす。こっちの方が利口的だ。そして、元に罪を(なす)り付けるために元のロッカーの中に薬品を入れた」


 冷静を装う余裕すらなくなり、東条の表情が崩れていく。


「き、君の推理には問題点がある。私はどうやって調理室に実験室から金属ナトリウムを盗み、濃硫酸と塩素酸カリウムを盗んだんだ? 昼休みじゃ見回りしている日美子にばったり会う可能性があるんだぞ?」


「た、確かに……あの時、会長は副会長よりも早く合流していました。見つからないように移動するなら副会長が三階から二階に下りるまで待たないといけないから、副会長よりも遅くなるはず」


 東条はいくつも矛盾点を突きつけてくるが、俺は情報と可能性、証拠で論破していく。


「浩太、なんで下から上に向かう見回りなんて、非効率的な事をしたんだ?」

「え? 確か、会長からの提案で……で、でも! 上からも下からも変わらないはずじゃ」

「いや、下から上に行くと終わった時にまた下りないといけない。まだ、倉庫の見回りをしないといけないなら、なおさら上から下に下りた方が時間に余裕を持てる。なら何故、わざわざそんな見回りの仕方をしたのか。浩太が言ったような発言でアリバイを証明するため。……それも無駄だけど」


 怒りに満ちた目で俺を睨む東条。少しずつ化けの皮がはがれ始めている。


「第二校舎にいたあんたは一階から三階まで目もくれず、四階まで駆け上がり、調理室の砂糖のラベルが貼られた塩を水に流したか何かして消費した。次にあんたはそのまま第一校舎四階に移動した」

「だ、だから。それでは日美子と私が出会って――」

「それは三階の通路を通った場合だ。あんたは使ったんだ。〝存在しないはずの四階同士を繋ぐ通路〟を」


 黒田は頭を抱えだし、呆れた様子で話す。


「君の言っている事が理解出来ない。存在しないものをどうやって使うって言うんだ」

「おかしな事を言っているようにしか聞こえないと思うが、実際にあるんだ。四階の窓から下りて三階を繋ぐ通路の真上を走ればな」


 四階から通路の上は少し距離があるが十分に下りられる。通路の上を歩いても、四階以外からは通路が邪魔するから見られる心配はない。見えたとしても生徒会長だとは思わない。

 しかし、俺の発言に東条は付け加える。


「確かに、それなら簡単に移動出来るが、窓にどうやって入る? 通路からは高さがある。運動神経のいい私でもさすがに無理だ」


 勝ち誇ったかのように俺をあざ笑っている。この顔をすぐにも止めたいが何も言えない。なぜなら、東条に言われてその事に初めて気がついたからだ。

 記憶の中から四階から見た光景を探り出す。東条の言う通り、確かに窓から通路までの高さは三メートル近くある。下りる事は出来ても上る事は出来ない。

 縄を使って下りた……いや、ありえない。縄を前もって両方の窓から垂らしていたら、誰か一人は不自然さを感じて必ず見に行く。誰かが見に来る前に縄を処理するのも無理だ。縄は人間一人を支えるほど固く結ばれ、引っ張られた際に結び目はより固くなる。(ほど)くなんて至難の業。切るにしても時間がかかってしまう。

 言い渋っている俺の姿を見て、優越感に浸ったような笑みを浮かべている。今すぐにでもその胸糞悪い顔を歪ませたいが俺の持っている情報と証拠では東条の発言の隙を突けず、論破出来ない。

 もう諦めるしかないのか。発する気力すら失われていく。

 すると、予想外の人物が東条の質問に答えた。


「あ、あのー。屋上まで伸びた排水管を使えば登れる……なんちゃってー」


 朱音は照れ笑いをしている。生徒会室にいた殆どの人は朱音が場を和ませようとしたと思ったのか、失笑をしたり、声を出して笑っている。

 だが、俺にとってその一言が現状をひっくり返す逆転の切り札となった。

 排水管は支えるため等間隔で壁と排水管を金具が繋いでいる。排水管と金具をうまく使えば十分窓に入り込める。

 笑みを必死に抑えようとするが耐えきれず口角が上がってしまう。一方の東条は先ほどの余裕の笑みから一変して青ざめている。


「どうした東条? 朱音が的外れな事を言ってみんなを笑わせてるぞ。お前も笑えよ。それとも……図星か?」


 俺はギロリと睨みつけるが、顔が鬼の形相のように変わった東条は俺に目もくれず、朱音を凝視していた。


「また、君が邪魔をするのか」


 東条の言葉を理解していない朱音は体を震わせ、俺の背後に回る。

 朱音に怒りをぶつけるのはお門違いにも甚だしいぞ、東条。今も、そしてあの日の事も。


「第一校舎に入り込んだあんたは、前もって開けておいた窓から入り込み、実験室にある紙を置いた後、金属ナトリウムをくすねる。すぐに第二校舎に戻って、浩太達と合流して倉庫に向かった」


 黒田はハッとする。


「紙って、もしかして」

「今村先生を装って書いた黒田宛ての頼み事だ。黒田は今村先生だと思いこみ、塩素酸カリウムと濃硫酸を別の場所に動かした。結果、いつもの場所にある薬品が消えた事で盗まれたと今村先生が思い込んだ。実際は場所を移動させただけだったけどな。こうして、同日に二件の窃盗事件を発生させた東条は倉庫の中を見た後、扉を閉める時に素早く金属ナトリウムを入れ、あらかじめ濡らしておいたハンカチと溝に水が入らないようにラップを挟んで教室に戻った。五時間目終了後、東条は手紙をある人物の机の中に手紙を入れた。手筈通りに進んでいる……そう思えた。しかし放課後、あの火事が起こった。あんな火事が起きたんだ。当然生徒会は見に行ったよな?」

「もちろん見に行きました。でも、あまりに人が多くて会長達とは別々で行動しましたが」

「わ、私も……」

「予期しない事態に焦った東条は実験室に向かい、自分に疑いが向けられないようにする準備にすぐ移った。黒田が移動させた薬品を持って俺達の教室に入り、元のロッカーの中に入れた。これが事件当日のお前の動きだ。もう諦めて罪を認めてくれ。謝るべき相手に謝ってくれればそれでいい」


 それが、秋人が望む事だから。

 だが、東条は金切り声を上げる。美しい漆黒の髪は掻き乱されたせいか、どす黒いと表現した方が正しく感じてしまう。

 醜態を(さら)してでも罪を認めようとはしない。


「私じゃない! そもそも、私がなんで秋人君を閉じ込めるんだ! 私は秋人君が好きだったんだぞ!?」


 生徒の代表だった東条の変わりように生徒会ですら引いている。


「……出来ればここで諦めてほしかった」


 秋人のためにも。そして……朱音のためにも。

 手に持っている手紙を再び見せて確認する。


「元、お前には恥ずかしい思いをさせちまうかもしれない。もしかしたら、一番の被害者はお前なのかもしれない。でも、頼む。真剣に答えてくれ。この手紙に不審点があるな?」


 俺の目を真っ直ぐ見ている元は俺の気持ちが伝わったのか手紙を見る。先ほどとは違い、恥ずかしさが一切消え、真剣なまなざしで手紙に目を通している。


「僕の名前が消えてる。それに場所も倉庫の〝中〟じゃなくて倉庫の〝前〟。それに、僕は宛名をちゃんと書いたはずだよ」

「ありがとう元。全員聞こえたと思うがこの手紙には宛名がない。なぜなら……秋人が切り取ったんだ」


 東条も含めて全員が驚いていた。


「ど、どうして秋人君がそんな事をしたの!?」


 朱音が俺の服を掴んで問いただすが、俺は答えるのを渋っていた。俺はまだ迷っている。本当に話していいのか。秋人が隠そうとした事を話すべきなのか。

 ……いや、話さなければならない。じゃないと、東条は罪を認めない。

 閉ざしていた口を開く。


「お前に知られないためだ」


 俺の服からするりと朱音の手が離れた。朱音は俺の言葉を受け止めきれず茫然としている。


「え……それって……どういう……事?」

「東条が呼び出したかったのは秋人じゃない。お前だったんだ。だからこそ、元の手紙を利用したんだ」


 俺は放心状態の朱音を椅子に座らせた。


「東条。お前は偶然元が朱音に告白した事を耳にした。そして、こんな風に『最後にもう一度挑戦したらどうだ? 今度は手紙で呼び出して。例えば今使われていない体育倉庫の前に呼び出してみたらどうだ? あそこならめったに人が来ないから邪魔が入らない。出来た手紙を私に渡してくれれば誰にも見られないようにその子の机の中に入れておく』みたいな事を言ったんだろ?」


 元は顔を俯かせる。


「あんたは受け取った手紙を開いて、元の名前を消しゴムで消した。朱音が手紙の事を元に聞かないように。さらに、倉庫の〝前〟ではなく〝中〟と書き換えた。その際にすぐ上にあった〝の〟を消してしまった。そして、事故当日の六時間目の授業前、俺達が移動教室で移動する時間を見計らって、朱音の机の中に入れた……つもりだった。だがその机は秋人の机だった。おそらくあんたは手紙を入れる日、朝から俺達の教室に訪れて朱音が座っている席を確認した。その時、朱音が秋人の席に座っていたから勘違いしたんだろう」


 今思えばあの時感じた視線は東条の嫉妬を含んだ視線だったのだろう。そして、生徒会に頼んだ時の視線も。


「だが、あんたはある人物にその現場を見られていたのに気づかなかった。そして、見ていた人物は……秋人」


 予想外の人物の名前が出てきた事で事実を受け止められない東条の目は小刻みに震えている。

 他の人もきっと内心は驚いているはずだ。しかし、表情に出す事をやめて、俺の話をただジッと静かに聞いていた。

 この話が終わりに近づいている事を感じ取っていたのかもしれないのだろう。


「忘れ物を取りに戻った秋人は偶然見てしまった。あんたが教室を出てから自分の席に入れられた手紙を確認し、宛先が朱音と書かれ、元からの手紙なのに、あんたが持っていた事に不審に思ったのか、朱音の席に入れず、宛先を鋏で切り取り、机の中に戻した」

「……秋人君が分かるわけない。だって元君の名前は消したんだから」


 放心状態で微かに声を発した東条。


「文字を消せても筆圧で出来た跡までは消せない。秋人は消した跡に気づいて、鉛筆で黒く塗りつぶして文字を浮き上がらせ、そして消した。それの跡がこの少し黒くなった一行だ」


 手紙の一番下の行に指を指す。


「秋人は俺と朱音に悟られないように倉庫に向かった。そして、秋人はあんたの目的を理解した」


 手紙をしまい、今度はノートを取り出し、ページの最後に挟まった先端だけが潰れた煙草を取り出した。


「この煙草も朱音をこの学校から追い出すためにあんたが用意したものだ。手を使って消したらこんな潰れ方はしない。足でやったとしても先端だけ潰すのはおかしい。むしろ、跡形もなく潰すはずだ。この学校は基本的に校則が緩いが、飲酒と喫煙に関しては即退学にする。朱音が閉じ込められた後、教師を連れて倉庫に向かうつもりだったんだろ? そして、無理やりでも倉庫を開けて、偽の証拠で退学にする。この事に気づいた秋人はいずれやってくるあんたを待った。しかし、あの火事が起こった。秋人はすぐに出ようとしたが、その時には、はんだが固まったせいで脱出は不可能だった。秋人は脱出を諦め、あんたと関係しているものをその場から集め、持っていたノートの最後のページを開き、名前を書こうとした。だが、秋人はあんたの名前をすぐに黒く塗りつぶした。こんな風にな」


 ノートの最後のページを見せる。


「あいつは優しすぎた。もし、このまま書いてこのノートが教師の手に渡ったら、あんたと元が腫物の扱いをされると思ったんだろう。秋人は迷っていたが、火はお構いなしに倉庫内を燃やしていく。次第に衰弱していく秋人は二人の名前からある事に気づいてこのSを書き残し、集めたものをノートに挟み、たまたまそこにいた高田先輩に、俺に渡すように頼んだ。俺だったら気づいてくれると信じて」


 そして同時に、俺は選ばされたのかもしれない。東条を許すか許さないかの選択を。


「秋人が残したこのS。本来はこう見るものだった」


 ノートを横に倒す。当然Sも横に倒れる。


「これはSじゃなかった。ひらがなの〝い〟がくっついたものだったんだ」

「それがどうした。私の名前にも元君の名前にも〝い〟は入ってない」


 弱弱しくだがまだ否定し続け、ぶつぶつ言いながら俯く姿に苛立ちを覚える。


「……文字ってのは色々な読み方をする。〝春夏冬〟と書いて〝商い(秋ない)〟と読んだりする。この〝い〟もそうだ。これは〝い(い)〟じゃない。苗字で使われている〝い(かなはじめ)〟だ。東条と元の名前を合わせれば同じ読み方が出来る。」


 その瞬間、東条の独り言はピタリと止まった。




 自分で言うのもなんだが私は完璧な人間だ。全校生徒の憧れの的。もちろん、告白は何度もされたが、私はそれに対して首を縦に振った事はなかった。

 しかし、一年前の春。私は一人の男子生徒に出会った。私の胸の鼓動は一瞬大きくなったのを覚えている。所謂一目惚れというやつだ。

 それからの私はその生徒、松田秋人を見つけるたびに目で追う日々。でも、いつも視界には彼だけではなく彼女もいた。

 結城朱音。私は彼女に対してひどく嫉妬した。見た目は良いが成績はお世辞にも良いとは言い難い。そんな彼女が何故彼と一緒にいれるのか。何故、その隣にいるのが私じゃないのか。どうすれば、私が隣に立つことが出来るのか。

 ……そうだ……彼女がいなくなればいいんだ。

 そう思った私はチャンスを窺っていた。そして鈴木元が彼女に告白をしたことを聞いた私はすぐに彼と会った。


「もう一度挑戦したらどうだい? そうすれば、諦められるかもしれないし、もしかしたら付き合うことが出来るかもしれない。今度は手紙でも書いて呼び出してごらん。例えば今使われていない体育館倉庫の前に呼び出して。あそこならめったに人が来ないから邪魔が入らない。出来た手紙を私に渡してくれれば誰にも見られないようにその子の机の中に入れておくよ」


 渋っていたが、彼は私の提案にのってきた。

 これで、彼女をこの学校から消せる。私には時間がなかった。だから、すぐに行動に移した。

 早朝に彼女の席を確認するために教室に行った。そこには秋人君と楽しく話す彼女の姿が。私の嫉妬は一層大きくなった。

 大丈夫、明日には全てが終わっている。

 昼休みにたまたま彼と出会った。恥かしいところを見られたが、彼に会えて、言葉を交わせただけで私の心は満たされた。でも、彼の隣には彼女が。……憎い。

 彼と別れた後、見回りを始めた。もちろんそれは名目上だ。本当の目的は今日のための準備。

 私はすぐに四階に駆け上がって、通路の上に飛び降り、排水菅を使って入り込んだ。そして、いつも来る男子生徒に嘘の指示に従ってもらうために紙を置く。本命の金属ナトリウムを一欠片ティッシュに包んでポケットに入れ、また通路を渡って戻った。

 これで塩素酸カリウムと濃硫酸が紛失したと錯覚される。

 調理室の砂糖を水で溶かして流し、ラップと水に濡らしたハンカチを重ねてもう一方のポケットに入れた私は二人と合流して、あの体育倉庫に向かった。

 体育倉庫から出る際に煙草を一本落とした。扉を閉める時、金属ナトリウムと糸はんだを入れて、ハンカチとラップを一緒に扉に挟んだ。二人には気づかれていないようだった。

 あとはこの手紙を書き替えて、鈴木元の名前を消して、彼女の机に忍ばせれば終わり。

 放課後の見回りで体育倉庫に向かい、閉じ込められている彼女を見つけて、落ちている煙草を押さえる。

 すべてが完璧だった。しかし、予想外の事にあの倉庫で火事が起こった。このままでは私にまで被害が来てしまう。そう思った私は計画を早めて、実験室から塩素酸カリウムと濃硫酸を取り、鈴木元のロッカーに入れた。

 少なくともこれで私は疑われない。

 でも次の日。秋人君が死んだ事に絶望した。何故彼が……。

 そして、ある日。彼の親友である丹波汀が私に協力を求めてきた。疑われる事を危惧した私は、平静を装って協力する事にした。

 しかし、彼と別れた際、私は平静を装う事をやめてしまった。

 何故なら、彼の隣には……無事な彼女がいたのだから。

 何もかも、あの子のせいなんだ。



「いい加減に諦めてくれ。あんたはもう――」

「チガウチガウチガウチガウ! 私のせいじゃない! 全部あの子のせい! 私は秋人君に危害なんて加えてない! あの子が私の気を逆なでタカラ!」


 東条は突然、顔をバッと上げ、狂ったように口走っていく。朱音は怯え、生徒会はその姿に絶望し、他は哀れみを含んだ目で東条を見ている。

 東条が醜態を晒すたびに俺の体を怒りが包み込む。やがて憤怒に変わり、俺の体を突き動かし、東条に殴りかかった。

 乾いた音と共に東条はその場で膝から崩れ落ち、目を丸くしながら赤くなった右の頬に手をあてる。

 東条にまで届かなかった拳を静かに下ろし、呼吸するたびに肩を上下させる高田先輩の後ろ姿をジッと見つめる。

 高田先輩は東条の襟元を掴み、無理やり立たせ、怒声を上げた。


「いい加減に認めろ! お前には分からないのか!? 秋人君がお前を守ろうとしたように、汀もお前を守ろうとしているんだ! お前が死にたいと思えるほどの苦しみを与える事だって出来たはずだ! だが、あえて俺達に聞かせるような事をした。それはお前を救う以外に理由があるかよ!」


 高田先輩が離すと東条は自分の脚でしっかりと体を支え、目に涙を溜める。


「私は……なんて自分勝手な事を……秋人君の隣にいた朱音さんに嫉妬して、こんな恐ろしい事までして……」


 朱音を見つめる東条。今までと違い、憎しみや嫉妬を含まない優しいまなざしだった。


「朱音さん。許してはもらえないとは思う。だけど、これだけは言わせてほしい。ごめんなさい」


 窓からさす赤色のグラデーションに包まれ、漆黒の髪をより美しく輝かせる。罪を認めた今の東条……いや、生徒会長は、生徒の憧れの美しく綺麗な生徒会長だと思う。

 そして、いつの間にか俺の心の中から怒りが消え、この結末を心の底から喜んだ。



 一週間、生徒会長は高校を去った。転校は少し前から決まっていた事だった。

 あんなに否定をしていたものの、心の奥では罪悪感で押しつぶされていたらしく、感謝を行動に表わすように俺に抱きついた。そして、涙を流しながら受け取り切れないほどの感謝の言葉を俺に送った。

 それを見てから朱音の態度が変わったが、特に支障はなく生活を送っている。

 元は朱音に振られた事を引きずらずに過ごしているが、あの日の帰り際に「やっぱり朱音さんが選んだ人だ」と言われた俺は、未だにその意味が理解出来ていない。

 生徒会はというと、生徒会長は副会長でも浩太でもない人物になった。

 今まさに、その新生徒会長の発表のために全校生徒が体育館に集まっている。

 先生達がざわつく生徒を鎮めると、舞台の袖から新生徒会長が現れた。舞台で待っていた他の生徒会に温かい目で迎え入れられ、集められた生徒からは驚きの声がちらほらと上がった。

 もしかしたら、あの日から最も変わった人物なのかもしれない。

 赤だった髪を黒に戻し、以前についていた痣は綺麗に消え、吊り上がった目は優しさを含んでいる。


「新しく生徒会長になった。高田圭です。生徒全員が過ごしやすい学校づくりに全力を注ぎますので、どうぞよろしくお願いします」


 生徒の拍手が体育館全体を包み込んだ。

 あの日の後、俺が知った事がいくつかある。

 浩太が言っていたあの人とは東条先輩ではなく、高田先輩だった。

 実は浩太と高田先輩は同じ中学の出身で、その時一緒に生徒会をやっていたらしい。

 高田先輩が生徒会長になったのも、浩太の推薦があっての事だった。

 他には高田先輩が何故髪を赤に染めていたかというと、


「不良達になめられないため」


 との事だったが、自分自身が不良に見られたら本末転倒だと思う。


「汀! 何ボーっとしてるの?」


 体育館から帰ってきて、すでに帰り支度を終えている朱音が話しかけてくる。


「いや、色々あったなー……と思って」

「そうだね。色々あったね。当たり付アイスが二連続きたり」


 おい、色々の部分がしょぼすぎる上に昨日の帰りの事プラス事件と全く関係がないぞ。

 もう溜息しか出てこない。だがまぁ、朱音があの事件から完全に立ち直ってくれたのは嬉しい事だけどな。


「で、どうした? もう帰るか?」

「それもあるけど……汀、四月って色々と始まる時期だよね?」

「ん? まぁ、確かに。入学式やら入社やらは四月にあるがそれがどう――」


 にっこりと笑って、期待したような目でジッと見つめてくる朱音。すでに嫌な予感がする。


「それでなんだけど……私達で探偵団をしようよ!」


 なんとなく分かっていたが、いざ聞くと頭を抱える以外の行動が出来ない。


「それで、行く先々で殺人事件が起こって、それを私達で解決するの!」


 行く先々で殺人事件が起きてたら、俺達は死神か実行犯だよ。


「俺はやるつもりはないぞ」

「………………え?」


 何だ、今の間は。不安しか感じれないぞ。


「朱音、お前何かしたな」


 朱音は明後日の方向に顔を向ける。


「えーと……もうメールで探偵団をやる事、クラスに回しちゃった……てへっ」


 俺に同意もとらずにそんなことしたのか。そういえば朝にメールが来ていたような。

 スマートフォンを起動させ、メールのチェックをすると、朱音からのメールが一件届いていた。

 恐る恐る開くと、半分近くを絵文字などでデコレーションされたメール文にこう書かれていた。


〝私、結城朱音と幼馴染の丹波汀は探偵団を結成しました! 何か困り事があったら気軽に相談してね!〟


 現実を受け止めれず震えているのか、怒りで震えているのか分からないが、手の震えが一向に収まらない。

 今日一日中、生暖かい目でクラスの奴に見られていたような気がしたが、こいつのせいだったのか。


「あー、これはやるっきゃないよね」


 サムズアップを見せつける朱音。怒りを通り越して呆れてしまい、どうでもよくなった。


「もういい、やってやるよ!」

「うん! その意気だ!」


 黒歴史は確定するだろうが、もういい。俺はまだ高校生だ。黒歴史の一つや二つ作ってやろうじゃないか。


「さて、帰るぞ」

「うん!」


 そして、俺と朱音は教室を出て、いつものように帰宅するのだった。

 秋人見ているか? 俺は朱音と探偵団をする事になっちまった。こいつは相変わらずアホの子だ。これからどうなるか分からないけど、お前も応援してくれよ。

 ふと、隣を見ると秋人の笑った顔が見えた気がした。

長い小説を読んで下さりありがとうございました。

この作品はシリーズとして、続きを書くかもしれません。連載で書いてみたい気持ちもありましたが、定期的に投稿できず、ちゃんとした終わりを書くことが出来るかも分からず、前回の二の舞になりそうだったため、やめました。

最後になりますが、感想を書いてくださるとうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ