三年後
カンッ カンッ
二本の木刀がぶつかる。
片方は俺、天堂寺龍之介十二歳。
もう片方は俺の剣術指南役、南條十郎左衛門。
十郎左衛門は我が天堂寺家の武将で松平清康と共に越後で名を轟かしている豪傑だ。
さて、松平清康 って誰?と思う者もいるかもしれない。俺も松平という苗字には聞き覚えがあったが、清康は知らなかった。なんでも三河でやらかして水野忠何ちゃらに追い出されて、越後で岩船郡の小さな城の城主だった俺の祖父 天堂寺重盛の元に落ち延びて、祖父の命令の元 大規模な粛清を行い、十郎左衛門と共に天堂寺家の武将として岩船郡の城を攻めまくり、祖父に岩船郡を統一させた豪傑らしい。
その清康の亡くなってしまった子 松平広忠の子の名前が竹千代と言った。
これだけ言えばわかるだろう。
松平清康はあの徳川家康の祖父。
ついでに徳川家康は源氏じゃなかった(しかも現在は厚かましく藤原氏を名乗っている)。
しかもその竹千代君(十歳)は俺の小姓。
「本来の天下人が俺の配下になっている=俺は天皇になれるんじゃないか」とか思っちゃったりしている。
この三年間の合鴨農法、たい肥、二毛作などで我が岩船郡の石高は七万二千石となり、鉄砲は三百五十挺、軒猿のおかげで火薬は隣国に売れる程あり、兵力は二千二百、三年前に俺が提案した策は着々と進んでいる。
ヒュッ
十郎左衛門の木刀が俺の左肩に向かって突き込まれる。
(格下が格上に勝つには智謀と度胸をフル活用しなければいけない。ここは相手の意表を突けることをするべき。だからここはーーマジギレした生徒会長に立ち向かうスーパーボールが大好きなやり過ぎ風紀委員長のようにーー敢えて受ける)
ゴスッ
「グッ!」
「!?何をっ」
俺は肩に向かって放たれた突きを弾きも避けもせず、ただ受ける。
それに驚いた(というよりも驚愕した)十郎左衛門に隙ができる。
ーー今だッッ
「悪・即・斬 牙◯零式ィィイイイィイイイイ」
ゴッ
「グ、アァァア」
俺の木刀から放たれた突きは十郎左衛門の顎を打ち抜き、昏倒させる。
「南條十郎左衛門、討ち取ったりィィイイイィィイイ」
この後、マゾ戦術(敢えて受けるヤツ)についてたっぷり叱られた後に、よくこの私を倒せたな的な感じで褒められた。
義重の書斎
「父上、そろそろ戦ですか?」
「そうだな、…………とも同盟を組むことができた」
「そうですか。では、私が………に攻め込みます」
「うむ、初陣だな。しっかりやれよ」
「はい」
一ヶ月後、天堂寺軍は佐賀に攻め込んだ。