番外編 S班の家族 2
「ホームパーティ? ウィルソン一等准尉の家でか?」
「ええ。イザベルが是非にって。レッド二等准尉の御宅や独身宿舎の班員の方々もご招待して盛大に開きたいって」
休暇中だというのに夜が更けても書斎に籠り一人仕事をしているネルソンに、熱い紅茶を運んできた妻ヘザーがにっこりと笑った。
「そうか。しかし、レッド二等准尉の奥方は」
「大丈夫だそうよ。私はつわりが酷かったけど、エリーはそれほどでもないんですって」
整然と整えられた机の定位置のトレーの上に静かにカップを置きながら、机上の淡い暖色のライトを浴びて光る、美しい金色の髪をサラサラと靡かせて、透き通る白い肌に浮かぶ伏目がちなコバルトブルーの瞳で、ヘザーは色の薄い口元にゆったりと笑みを浮かべた。
「そういう事では無く」
S班の妻達三人の中でただ一人イザベルにはまだ子が居ない事で、彼女が気に病んでいるのでは無いかと案じたネルソンは、妻に眉を寄せた顔を向けた。
「それも多分大丈夫よ。エリーが言ってたの。半年もしないうちにイザベルは病院を長期休暇する事になってしまって、自分の出産の時にイザベルが居ないのが心配だって言ってたから」
先に起こる事を予見する事の出来るエリーの言葉に、ネルソンは少し驚いた顔をした。
「……そうか」
窮地を脱した後に、ランスが妻と交わした約束の事をネルソンに明かしていたのを思い出して、絆の深さを感じ入った二人の間に、間もなく天使が降り立ってくるのだと、ネルソンは安心して寄せた眉を解いて妻に微笑んだ。
「ヒースは寝たのか」
「ええ。昼間あなたと沢山遊んだので、きっと疲れたのね。今は、ぐっすり寝ているわ」
もう直ぐ一歳を迎える息子ヒースは、自分に似た茶色の髪と妻に似た蒼の瞳を持ち、顔立ちはヘザーに良く似た我ながら天使のように思える愛らしい子供だった。
妻ヘザーには心臓の病があり体が弱かったがヒースは健康体で、太鼓判を押した老軍医に「仔犬みたいに太ましい子になるぞ」と、ケラケラと笑われた事を思い出して、ネルソンは抱き上げた息子の、確かにずっしりとくる重さを心地よく受け止めて、顔を擦り寄せてくる息子の、まだほんのりとミルクが香るような甘い香りが記憶に甦って、胸の内がくすぐったくなるような感覚に喜びを噛み締めて小さく思い出し笑いをした。
「あなた?」
「いや、何でも無い。ご招待をお受けしなさい。お前も無理の無い程度に手伝いをするように」
「はい」
顔色も良く、笑っている妻の様子に安心しながらも、ネルソンは目の前のPCに描き出されている文字に目を戻し、また難しい顔に戻った。
普段なら休暇中であっても、一日か二日ほど家で家族と過ごすと、直ぐに指令本部に出向き、雑用をこなす事の多いネルソンだったが、今回は家に引き篭もっているのは特別な事情があったからだった。
妻の入れた芳しい熱い紅茶を一口含んで、ゆったりと椅子に背を預けながらも、ネルソンは鋭い眼差しのまま、目の前のPCに打ち込まれた文字を追っていた。
――こうして記録に留める事で果たして確証が掴めるのだろうか。
ふぅと息をついたネルソンは目を閉じて空を見上げて、あの日の事を頭の中で反芻した。
フランスへ向かう『ブリストル』の船内で、班長が艦長室に表敬訪問に出向いた後自分だけが呼び出され、艦底に近い第四会議室で待っていたのはグレン大佐とハリソン少佐、そして何故か同席していた英国コミュニティ会議議長ケビック・リンステッドであった。
「お呼びでしょうか」
敬礼を崩さないネルソンに、グレン大佐は落ち着いた灰色の瞳を向けて、三人が各々腰掛けているソファに座るように促した。
背筋を伸ばしソファに座ったネルソンの前で、グレン大佐は何時もの冷静な表情を崩さずに淡々と口火を切った。
「先ず先に言っておくが、此処で話される事は、我が英国にとってトップシークレットであり、部外、部内問わず、誰にも明かしてはならない。例え自班の班員であってもだ」
「……それならば、班長殿をお呼びしたほうが」
戸惑いが浮かんだネルソンの瞳をチラリと見返し、グレン大佐は僅かに目を落とした。
「これから話す事は、そのアレックス・ザイア中尉に関する事だ」
余り感情を表に出す事のないグレン大佐のその声に、微かにだが緊張が含まれているのを感じ取ってネルソンは小さく眉を上げた。
「じゃあ、俺から先ず話すか」
堅苦しい軍服姿の男達の中で一人ラフな格好のケビックは態度もラフで、一人用ソファにゆったりと背を預けて尊大に座っていたが、元来この男はそういう人物だと班長から聞いていたネルソンは驚きもせず、背を起こして身を乗り出したケビックに視線を送った。
「アトキンズ少尉殿、ソフィー・フェアフィールドを知ってるか」
最初にケビックはネルソンを試すようにフフンと鼻で笑った。
「はっ、無論です。自分よりは二学年上で、大学もケンブリッジと異なっておられましたが、フェアフィールド嬢の名を知らぬ学生はおりませんでした。オックスフォードの教授間でも彼女との共著の論文を求める声が高く、学術的にも優れた論文が多数発表されたと聞き及んでおります」
大学の異なるネルソンだったが、彼女の名前は無論知っていた。僅か二年で修士課程を終え、生物学、電子工学、医学部の博士課程を次々と踏破していった才媛の名は、既に世界に轟いていたからだ。
「その彼女が【核の番人】の一人であった事は?」
「聞いております。【鍵】と【核】の再いとこであったとか」
ネルソンの返事を聞いてケビックは満足そうに頷いた。
「ソフィーは【核の番人】の中でも最上位に位置していたんだが」
ケビックは淡い緑の瞳を光らせた。
「【鍵】はまだ生きている。彼女がそう言ったんだ」
その言葉の意味を考え倦ねて眉を寄せたネルソンに、ケビックは薄い笑いを浮かべた顔を向けて、瞳だけは変わらず鋭い光を浮かべていた。
「……【鍵】であったMr.ハドリー・フェアフィールドは、彼の姉の子として生まれ変わったと聞いておりますので、その意味からすれば特異な事は無いように思いますが」
逡巡の後言葉を発したネルソンに、ケビックはまたソファに背を預けて踏ん反り返った。
「それが、ハドリーはもう【鍵】じゃあないんだ」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「それには先ず、ソフィーという存在の意味を知ってもらわないとならない」
座り直したケビックは、ネルソンに真っ直ぐ瞳を向けた。
ネルソンも、彼女が現世と前世更にその前の世に於いて【鍵】と【核】と深く関わりのある存在であった事は、軍の機密の一部として把握していたが、ケビック曰く、彼女にはまだ更にその底深く、綿々と引き継がれてきた大きな繋がりがあったのだと言う。
「ソフィーは過去、あのレオナルド・ダ・ヴィンチだったんだ」
余りにも壮大で受け入れ難い言葉に、ネルソンの眉間の皺は自然と深くなった。
彼女は元々、【核】の一番近くで【核】を守る番人として、代々再生し続けていたのだと、ケビックは言った。
「そもそも、【鍵】と【核】の魂も代替わりしているんだ。その先代の【鍵】と【核】は発動に失敗した。それに伴って、その役割がハドリーとニナの魂に継承された。ソフィーはその先代の【鍵】と【核】の時にも番人だった」
ケビックは組んだ両手の肘をテーブルにつき、時折視線を落としながら話し続けた。
「その当時、ソフィーの魂は稀代の天才レオナルド・ダ・ヴィンチに宿っていた。だがその器にはもう一つ魂が宿っていて、その魂はコンスタンス・ラングレーに引き継がれた」
「一つの器に魂が二つ?」
「ああ。異なる二つの思考回路を持っていたんだ。あれだけの天才だった事も頷けるよな」
ネルソンの問いにケビックは呆れたようにクスッと笑った。
「そして、ソフィーが言うには、その先代の魂も解放されて現世に戻って来ている。俺のコミュニティ内で産まれた赤ん坊の二人だ。ハドリーも戻って来ている。恐らくはニナも、何処かに戻って来ているんだろう」
「つまり、それは」
「そう、先代と現代、その二つの魂が同時に存在出来るという事は、【鍵】と【核】というのはあくまでも役割であって、魂そのものではないという事だ」
「なるほど。魂そのものであれば、消失した筈の魂が再生する事は無いと。では、その役割をまた継承した者が、何処かに居るという事でしょうか?」
あっさりと理解したネルソンの聡明さに、ケビックは嬉しそうに笑みを浮かべたが、また直ぐその笑いを引っ込めた。
「そうだ。だが、ソフィーが言うには、今度の【鍵】は少し意味が違うらしい。『発動』は成功した。しかも、其々の絆を繋いだまま、再び人類には子が産まれ始め、今までリセットされてきた魂の絆は引き継がれた。だからもう【核】は生まれない。なのに【鍵】だけが存在しているらしい」
「『発動』の必要性が無いのなら、【鍵】が存在する意味も無いのではないでしょうか」
考え込んだネルソンの問いに、ケビックも顔を顰めた。
「その筈なんだが、ハドリーは歴史を塗り替えた。歴代の【鍵】の中でも特異な存在だったそうだ。新たな歴史のページを開いた【鍵】の役割の、その意味が変わってきたらしい」
ネルソンは先を促すようにケビックを見た。
「今度の【鍵】は、先代の、ハドリーの残した希望を叶えるために、世界を導く存在になる、そうソフィーは言ったんだ」
ネルソンの頭の中には『羅針盤』という言葉が浮かんだ。
「では、その新しい【鍵】というのは、我らの班長殿だと……」
だがまだ信じられない思いでポツリと口にしたネルソンの言葉に、ケビックも、それまで黙って聞いていたグレン大佐もハリソン少佐も、ネルソンを見据えてゆっくりと頷いたのだった。
「だがまだ確証は無い、ソフィーはそう言っていた」
ケビックのその言葉まで思い返して、ネルソンはフーッと長い息をついた。
今はもうソフィー嬢も【核の番人】の立場では無く、【鍵】の影を追えないと言う。だが、あの光の飛礫が降ってきた日、その想いを受け止めた時に感じた事があったのだと言ったそうだ。
ハドリーは、この願いを叶えるために、その想いを誰かに託していった、と。
それが誰なのか、それを察知する事は難しかったが、少なくともこの後産まれてくる赤子ではないと感じたソフィーは、ハドリーの望んだ世界の実現に取り憑かれたように邁進する人物の中に、その役割を担った人物が居るのではないかと推察した結果、それが班長殿ではないかと思い至ったと、ケビックは話を結んだのだった。
その検証を依頼されたネルソンは、その重責を、誰にも話す事も許されず、班長殿の一挙手一投足を見守って、備に観察しなければならない義務を負ったが、もし班長殿がその【鍵】であるならば、世界はどう変わっていくのだろうかと、ふと思った。
少なくとも今は、班長殿の目指す道は、【鍵】であったハドリー・フェアフィールド氏の望んだという差別も区別も無い世界に進んでいるとネルソンは思ったが、一方で、だがしかしと思い直した。
あのフランス班が見せた過剰な自意識と、自国の利益だけを優先する頑迷な態度には、未だ存在する国境の影が浮かび、それがまた何時表面化するか判らないと、ネルソンは眉を寄せた。
――差別意識や特権意識は、まだ完全には失われてはいないのだ。
それを班長殿は、どう乗り越えていくのかと思ったネルソンは、自分がその一番近くで奇跡のような手腕を見る事が出来るのかと、背筋から這い上がってくるゾクゾクした感覚に、痺れたように頭を軽く振った。
それは期待から来る高揚感なのか、黒くねっとりとした不安から来るものなのか、まだどちらとは判りかねたネルソンであったが、それでも自分が新しい役割を得て内側から湧き立つ興奮が、珍しくネルソンの頬を少し赤く染めていた。




