番外編 S班の家族 1
むっつりと不機嫌そうな顔のハナが、レオとジャスティンが顔を付き合わせている食堂のテーブルの上に乱暴にドンと置いた皿には、雉肉のローストが其々二人前と、山盛りのマッシュポテト、およそ二個分はあろうかというカブが添えられ、テーブルの中央に置いたスープポットも並々と溢れそうなコッカリーキが視界を遮るほどの湯気を立てていて、大籠に山と盛られたバノックは香ばしい匂いを漂わせていた。
「……ハナ、これ、多くない?」
目の前の雉肉の圧倒感に、ポカーンと口を開けたジャスティンが忙しく目を泳がせながら訊ねると、ハナはぶっとい腕をがっしりと組んで「フン」と鼻で息をした。
「なんだね、アンタらは。まるで痩せたエルクみたいに、みっともなくなっちまって」
「痩せたエルクって……」
「あっちで何食ってたか知らんが、此処ではそんなヒョロヒョロは許さないさね」
さっきからクックッと笑いを堪えているレオをジロリと睨んで、ハナはまたフンと憤慨を露にしてグイッと顎を上げた。
レオ達S班が二週間の一時休暇を貰ってスコットランドへ戻ったのは昨日の事だった。
陸路でスコットランドへの帰郷を目論んでいたレオであったが、ハイランドへと運ぶFCV車を積んだフリゲート『エクセター』がスコットランドを目指すという事で、艦長コンラッド・アデス少佐に有無を言わせず乗艦を命じられ、海路で帰る事となったのだった。
「マリアが今は英国に居ないからな。行っても意味がないだろ」
意地悪そうにニヤリと笑ったコンラッドを、レオはブスッとした顔で、横目で睨んだ。
「何時、ヴァチカンへ発ったんだ?」
「昨日だ。そろそろ着いただろ」
英国国内での、各宗派の連絡評議会の設置がほぼ決まった事で、今度は、その動きを世界へと広めるべく、キリスト教の総本山とも言えるヴァチカンへとマリアが出向いたのは昨日の事だと聞いて、まだ二人が共に歩く道は遠いのだと、すれ違う運命にレオはため息をついた。
「まぁ、でもマリアの道も着実に進んでいるんだ。見守ってやってくれ」
レオの心情を慮ってコンラッドが軽く肩を叩き「ああ」と頷いたレオは、遠ざかるイギリス海峡を振り返り、白い航跡の彼方の南の空に目を細めた。
食べても食べても、少しも減らない雉肉を前に、ジャスティンが「はぁ」とため息をつくと、流石に一人前を食べれば十分なレオも残った肉を前に苦笑いを溢していた。
「ティペット二等准尉は今頃、酒盛りだな」
「ええ。嬉しそうでしたからね」
ポツリと言ったレオに、ジャスティンはニヤリと笑い返した。
ニコラスは、亡くなった妻が好きだったというロゼのワインを、フランスで手に入れて、ご機嫌でグラスゴーへと帰って行った。
きっと墓の前で彼女と酒を酌み交わしているんだろうと思って、レオもフッと口元に笑みを浮かべた。
「ビリーも、フランスワインを大量に仕入れてママンへのお土産にしてましたし、みんな美人妻の元に帰りましたからね。野暮ったい宿舎で男同士で飯とは、寂しいもんですね」
最後にはブツブツと文句を言ったジャスティンの悪態を、耳聡く聞きつけ、ハナが眉間に縦皺を寄せて「野暮ったくて悪かったね!」と叱り飛ばすと、ジャスティンは「うへぇ」と首を竦め縮こまった。
「ところで、お前、故郷へ戻らなくていいのか?」
その様子に苦笑いを浮かべながら、まだ半分ほど残った皿を押しやって、体に染みる鶏肉とポロネギのスープを一口味わったレオが顔を上げジャスティンに訊ねると、途端に気まずそうな顔になったジャスティンは、夜だというのに寝癖が残った銀に近い髪を掻いた。
「えーと、それが、自分はちょっと親と喧嘩してまして」
「そう言えば、親の反対を押し切って軍に入ったんだったよな?」
以前ビリーが話していた事を思い出したレオに、ジャスティンは「ええ」と頷いた。
ジャスティンの話に因ると、ハイランドのアバディーン郊外で、産婦人科と小児科を専門とする個人病院を経営しているという両親とは、進路を巡って衝突があったのだと言う。
「自分が高校を出る頃にはもう出生率は壊滅的な数字で、実際親の病院で子を産む人はもう殆ど居ませんでした。小児科のほうも惨憺たる状況で。で、自分の親は、不妊治療を前面に打ち出して経営の建て直しを図ったんです」
若いジャスティンでももうギブアップらしく、残った皿には手をつけずにポツリポツリと話した。
「実際んとこ自分には、これは器質的な問題では無く、もっと別の、神の領域の世界で起きている事なんじゃないかと思えていて、自分の親も、本当はそう思っていたみたいなんです」
「つまり、治療を施しても子供が産まれる可能性は無いと?」
「ええ。でも自分の両親は、積極的に宣伝して、人を集めました。金のために」
険しい顔をしたジャスティンがギュッと拳を握り締めたのを見て、レオは彼の想いを知った。
「俺にはそれが許せなかったんです。それまで医学部コースで勉強をしてたんですけど、大学受験を蹴っ飛ばして、海軍の士官学校へ入ったんです。親には『顔も見たくない』と言われましたけど」
照れ臭そうにフッと笑みを浮かべ俯いたジャスティンに、レオも小さく笑みを浮かべたが、普段は飄々と明るいこの青年の心中に、ハイランダーの由縁たる義侠心が深く根付いている事に、内心では感服していた。
「それにしても、お前とローグ曹長は見た目とはまるで正反対だな。奴は女性にモテたいから、お前は反骨心から、だとはな」
「班長殿、それは無いでしょう」
途端に口を尖らせたジャスティンを、レオはクスッと笑った。
「何時かは、お前のご両親も間違っていた事に気づいてくれるさ。そうしたら会いに行けばいい。例えどんな親でも親は親だ。大切にしろよ」
自分自身で殺した母親を思い出したレオが、俯き加減で、残ったスープをかき混ぜて口に運ぶのを見て、ジャスティンは殊勝な顔で「はっ」と言葉少なに頷き返した。
「で、その皿はどうすんだい?」
まだ不機嫌そうなハナが、大量に残った皿を見て苦笑いしている二人を見下ろすと、レオはハナにゆっくりと笑い掛けた。
「手間を掛けさせて済まないが、明日の昼食用に、サンドイッチにしてくれないか。コイツの分も。明日はジムで汗を流すそうだ」
「ええ?」
「あいよ。てか、お前さんも鍛え直したほうがよさそうだね。筋肉が落ちてるよ」
レオを横目に皿を手に取ったハナに、レオは困り顔で頭を掻いて「了解しました」と降参を示して両手を挙げて笑った。
裸のままベッドを出ようとしたランスは、此処が気候の穏やかなケルンでは無く、夏でも肌寒いエディンバラだったと思い出して、ブルッと震えの来た体に、脱ぎ捨ててあったスウェットのズボンを穿き、フリース素材の軽い上着を羽織ってようやくベッドから立ち上がった。
キッチンの冷蔵庫からエールの小瓶を取り出し、まだ熱が残る肌を冷ますように呷って、満足そうに喉を鳴らした。
ベッドルームに戻ると、妻のイザベルが寝乱れた長い赤毛を掻き上げて、白い肌にほんのりと赤みが残る肩を毛布から覗かせていて、戻ったランスに潤んだ瞳で微笑み掛けた。
「ねぇ」
「何だ」
毛布を手繰り寄せて、上半身を覆ったイザベルは起き上がると、キラキラとした瞳でランスの顔を覗き込んだ。
「この休暇の間にホームパーティをしない? アトキンズ少尉殿やレッド二等准尉殿のご一家をお呼びして」
「ホームパーティ?」
イザベルはランスが手渡したエールの小瓶に口をつけて、冷たいエールを喉に流し込むと、「ええ」と明るく笑った。
「だって、アトキンズ少尉殿もレッド二等准尉殿も、あなたの命の恩人だもの」
ほんのりと頬を染めたイザベルは、嬉しそうに笑った。
無事にエディンバラに帰還した後、ケルンでドイツ軍の訓練兵と遭遇した時の話を妻に聞かせたところ、イザベルは血の気の引いた顔でランスに抱き付き、小さく震えながら離れようとはしなかった。
何時もは気丈な妻のそんな儚い様子に感極まり、抱き締め返したランスはそのままベッドに押し倒したが、夫の無事を全身で感じたイザベルはそれで安堵したのか、聡明でよく気の付く何時もの妻に戻っていた。
「そうだな。賑やかなものいいな。だったらウォレス曹長やローグ曹長と、それに班長殿もお呼びしたらいい。一層賑やかになる」
フッと笑った穏やかなランスの横顔を見て、イザベルは灰褐色の瞳をキュッと細めた。
「……あなた、変わったわね」
不思議そうに振り返ったランスに、イザベルは優しい笑みを浮かべていた。
S班への召集が決まった時、毎日家では不機嫌そうに押し黙っているか、新しくイングランドから来るという上官への侮蔑の言葉を口にするかだけだった夫の、その蔑んでいた上官に対する感情が、微妙に変化している事に、イザベルは直ぐに気がついた。
「別に俺は何も変わってないぞ?」
まだ自分では気付いてないらしいランスにクスッと笑みを溢して、イザベルは「いいの」と首を振った。
「しかしだ。確かレッド二等准尉の家は、奥方が、その今は具合が悪い筈で」
「ええ。エリーが懐妊したわ。今三ヶ月かしら」
ランス達の帰還前に軍病院を訪れたルドルフの妻エリーに懐妊の兆候があった事は、看護師であるイザベルは把握していた。
言い難そうに言葉を濁しているランスは、自分の事を気遣っているのだとイザベルには分かっていた。
「心配いらないわよ。つわりはそれほど酷くないようだし、準備は全部自分でやるわ。勿論あなたには手伝って欲しいけど」
呆気らかんと笑っているイザベルに困惑して、ランスは隣の妻の顔を振り返った。
「で、明日もゆっくり出来るんだし……」
イザベルがキラキラと瞳を輝かせ下から見上げ、ランスは途端にムスッとした顔になった。
「また買い物か」
「違うわよ」
イザベルは不機嫌そうな夫の頬にゆっくりと手を伸ばし、潤んだ瞳で見つめ返した。
「……嬉しいのよ。あなたが約束を忘れないでいてくれて」
「イザベル」
「私の元に帰ってきてくれて」
自分の頬を優しく撫でている妻の手の少しかさついた感触を感じ、ランスは妻のその手を自分の手で覆った。
家を守り、看護師として多くの患者の命を守り、体の弱いヘザーやその幼子まで甲斐甲斐しく面倒を見て一日中働き尽くめの妻の、その気高い精神の表れだとランスは思った。その手が、誰よりも、何よりも愛おしかった。
もう一度、イザベルの体を抱き締め直したランスは、この愛しい女性の元に戻って来れた喜びに震える胸の高鳴りと共に、甘く香る妻の唇を貪るように味わった。




