第十一章 第十一話
一ヶ月半以上に及んだドイツ西部の状況視察は、総勢一万名近くの避難民の発見と応急の救済、そして国際コミュニティ会議による支援体制の構築という成果を持って、パリの国連本部に齎された。
「それでは、先ずは残留ドイツ軍兵に対する掃討作戦からだな」
内心では、腸が煮えくり返るような憤怒を抱いているのであろうブノア中佐の、一見淡々としているようで無愛想な顔を見ながら、レオは「はっ」と短く返した。
「ですが、あくまでも、現状説明を試みての投降の呼び掛けです。またその点に付きましては、ドイツ国内に残留している住民達も、率先して行うとの事ですので、くれぐれも慎重に、事を運んで頂くよう願います」
「……分かっている」
恐らくは、この先遣隊による視察から一気にドイツ分割を図って、豊かなドイツ南部をフランスの統治下に置くよう命じられていたのであろうブノア中佐が、次回の派遣の時には、果たして今の地位に居られるだろうかと思いながらも、レオは敬礼を崩さなかった。
「いやいや、貴君の辣腕には敬意を表しますよ」
やけに大げさな身振りでレオを賛辞したクロード・ロッシュ中尉も、内心は心穏やかではないだろうに、おくびにも出さないところがフランス人気質なのか、それとも只の強がりなのか判りかねたが、レオは淡々と「いえ」と返しただけだった。
「貴君らと行動を共に出来た事は、一部の我がF班にとって財産になったようで、次回の派遣でも是非ご一緒したいとそう申しておりますよ」
「それは是非、こちらからもお願いします」
嫌味でも無く真顔で返すレオに、ロッシュは何と返せばいいのか一瞬黙り込んだが、鷹揚な笑みを浮かべると握手を求めて「では」と足早に去って行った。
――本当に、彼らが変わるといいんだが。
今回変化を見せたF班の班員達もまだフランス軍内では極一部で、強固な圧力に遭えば簡単に屈してしまう可能性もある事に、レオは不安を感じていた。
――中々、想いってのは伝わらないもんだな。
【鍵】が望んでいたという、差別も区別も無い世界の実現には、この世界に生きる全ての人の理解が無ければ到底成し得ないのだが、その道程が果てしなく遠く思え、一人取り残されたような寂寞感を覚えて、レオは飾り彫刻が五月蝿いほどの天井を見上げてため息をついた。
「第一陣は、あと数日でオランダのドルドレヒトを出航する。十日以内にはケルンに届くだろ」
「済まなかったな、ケビック」
パリの宿舎に戻ったレオは今はもう英国に戻っているケビックに早速電話を入れた。
「力のあるドイツが復興すれば、コミュニティ間の連絡も密になる。ドイツは欧州の要だからな。それに」
ケビックはしみじみとした声で言った。
「カールの事、済まなかったな」
学友だったカール・クラウジウスが、ドイツで無事だった事に、ケビックは安堵しているようだった。
「彼は穏やかな良い目をしていた。きっと祖国ドイツの復興の為に、あの優秀な頭脳を生かしてくれるだろう」
独語と仏語の他英語にも堪能なカールが、対外的な交渉役として積極的に前に出ようとしている姿を見て、【鍵】の齎す不思議な因縁の深さにレオは少なからず驚いていた。
「で、フランス班は、少しは懲りたのか?」
ケラケラと電話口で笑っているケビックに苦笑を返して、レオは「いや」と困ったように頭を掻いた。
「先遣隊の中でもまだ第四班だけだ。ベント村に頭を下げに行った少尉は、逆に態々謝りに来てくれた事で村人から慰められたようで、深く感銘していたそうだ。少しは、地元民との相互理解の重要性を解ってくれたとは思うが、まだ上がな」
「頂上は俺が押さえ込む。ただトップダウンもヘタくそなフランスだからな。中間部が投げ遣りにならないように注意してくれよ」
「ああ。しかし、俺達の仕事を見て貰えれば分かって貰えるという自信は、俺にも班員達にも芽生えた。俺達は淡々と、救うべき人を救う、それだけだ」
フッと笑ったレオには、電話口でニヤニヤ笑っているのであろうケビックの姿が見えるような気がして、照れ臭そうに顔を上げた。
「で、こちらからは、皆変わりは無いか?」
思いついたように投げたレオの質問に、ケビックは意地悪そうに返した。
「皆、じゃなくてバーグマン尼僧は、だろ? ああ、何とも無い。今度、連絡評議会設置のための、第一回の連絡会議を開催する事になったそうだ。毎日忙しそうに飛び回ってるよ」
「……そうか」
あの不安がマリアの事ではなくて良かったと安堵をしながらも、レオには一抹の不安があった。
――もしそれが本当にマリアに何か起きた証だったら、俺はどうすればいいんだ。
「そん時には俺が連絡する。何もかも全部すっ飛ばして戻って来い。世界の存亡に関わる事だからな。それがレオにとって最優先事項である事は、既に関係各所に根回し済みだ」
レオの内心を読んだかのようなケビックの言葉に、レオは小さく眉を上げた。
「ケビック、お前も読心出来るのか?」
「阿呆か。俺は湖水の番人だからな。お前とは繋がってないから、お前の心象なんか読めるわけがないだろが。だがお前の考えている事なんか、丸分かりだ。どうすれば世界を救えるのか、どうすればバーグマン尼僧を救えるのか、そのどっちかしか考えてないからな」
クスクス笑っているケビックに脱帽して、レオはボリボリと頭を掻いた。
「まぁ、その時は宜しく頼む」
「任せとけ。ってか、その時には、一番先にクリスから泣きそうな声でお前の頭ん中に届くから、直ぐに分かるだろ」
聖システィーナ地区の【守護者】クリス・エバンスの、穏やかな笑顔を思い出してレオは声に嬉しさを滲ませて「ああ」と笑った。
「ってか、もう直ぐ一度戻って来るんだろ?」
「ああ。九月に入ったら、アイツが迎えに来る」
陽光を浴びた『エクセター』が満を持して疾走してくる姿を思い浮かべて、レオはゆったりと微笑んだ。
「船で直帰せずに、聖システィーナと湖水には寄れよ。歓迎するぜ」
フフンと笑ったケビックに頷き返し、たわわに実った小麦の穂が揺れる聖システィーナの丘の上で、瞳を潤ませて立って待っているマリアの姿が見えるようで、チラチラと明かりがセーヌ川に映って煌いている外の光景に、その日が近い事をかみ締めるようにレオは頬に笑みを浮かべた。




