第十一章 第十話
翌朝、昨日野営地の警護に残ったフランス班の二名を加え、S班が民間人が居るというアーヘン周辺部へ出立すると、野営地警護で残されたランスは、今日は雲の広がるケルンの空を見上げてフゥとため息をついた。
「しかし、班長殿はお優しいんだか、厳しいんだか」
クスクス笑ったフランソワ少尉にランスは「ん?」と顔を向けた。
「敢えて脱走兵を一人救った事を賞賛されたかと思えば、その行為にはこうして罰則を科すとは、相反しているのではと思いまして」
眦を下げた穏やかな顔をしているフランソワ少尉の言質に含めたレオへの揶揄に、ランスは一瞬小さくピクリと眉を上げたが、逆に鷹揚に笑った。
「そりゃあ、それが軍ってものでしょう。勝手な行動をした自分は咎められるべきですからね。でももしあの場に班長が居られたら、きっと自分達と同じ様に彼を庇ったか、いや、班長殿なら貴殿らの兵をボッコボコにしてたかもしれません」
ケラケラと笑っているランスにフランソワは不快を眦に浮かべて、あからさまに嫌そうな顔をしたがランスは気に留めなかった。
「だが、班長殿は撃った兵を咎めなかった。貴君だけ罰とは納得がいかないのでは?」
まだ食い下がるフランソワ少尉にランスはニヤリと笑って返した。
「それは、相手の銃には実弾が装填されていなかった事を気付けなかったのは、彼の落ち度だと理解していると受け取って宜しいんでしょうか」
口を噤み黙り込んだフランソワ少尉を見て、ランスは明るい表情で空を見上げて言った。
「それを、一番重く受け止めているのは、彼自身だと思いますよ。見ていて気の毒なほどしょげ返ってましたから。だが自分は、彼にそういった教育を十分に施して来なかった上の立場の人間が、一番負うべき物だと思いますがね。だからこそ班長殿は、貴殿に残留を命じられた。違いますか?」
静かな瞳ではあったが僅かに怒りを籠めているランスの眼差しに、フランソワ少尉は何か言い掛けたが諦めたように黙り込んだ。
「『発動』後の世界には戦争は起こり得ません。いえ、我々自身が決して起こしてはならないのです。その時に、我々が自分の意思で何を考えどう行動するべきなのかを、班長殿はそれを我々に示して下さっているんです」
「……貴君は、この人選に納得されていないと伺ってましたが」
「はて? 何処の偽情報ですかね、それは。自分は班長殿について行きますよ。世界の果てであっても」
クックッと笑っているランスにフランソワ少尉は憮然とした顔になってそれ以上言い返そうとはせず、「では歩哨にまいります」と声を掛け、ランスが「ご苦労様です」と敬礼を返すと、苦虫を噛み潰したような顔のまま敬礼を返してプイッと歩き出していった。
「ほんと、ご苦労様です」
その後ろ姿に笑みを溢し、ランスは満足そうにまた空を見上げた。
昼が近くなると野営地入口に現れた車から、ベント村のカールがマルセルを伴って姿を見せた。
交替で歩哨に立っていたランスに気付き、若者二人は人懐っこい笑みを浮かべて、気軽に手を上げたランスに笑い掛けた。
『どうしたんだ? 何かあったのか』
『いえ。村でシュトレンを焼いたんだ。UNACの皆さんにもって』
少し恥ずかしそうに顔を見合わせた二人に、ランスはにこやかに笑い返した。
『クリスマスでも無いのにシュトレンか』
『今は、ナッツもドライフルーツも手に入らないからケシの実だけなんだけど。今日は、ザイア中尉殿は?』
『今日はアーヘン周辺へ出向かれた。夕刻には戻られるだろう』
少し残念そうな顔をしたカールだったが、離れた場所から此方に歩いて来るフランソワ少尉に気付き、体をビクッと震わせた。
『心配するな。こんな場所で行き成り発砲したりはしない。それに俺がさせない』
ランスはクスッと小さく笑ったが、少し強張った顔で、カールはぎこちなく微笑んだ。
近づいて来たフランソワ少尉に敬礼を返すと、ランスは改まった口調で報告した。
「ベント村住民より、差し入れを頂きました」
「それは、それは」
愛想のいい顔で笑ったフランソワ少尉は、帽子を取ると若者達ににこやかに笑った。
『ありがとう。皆で頂かせて貰うよ』
紳士的な態度にカールもマルセルも安心したように息をついたが、フランソワ少尉はにこやかな顔のままランスに仏語で話し掛けた。
『後で廃棄しろ』
それを聞いて「え?」と驚いて振り返ったランスに、フランソワ少尉は笑顔を貼り付けたままの顔で、
『何が仕込まれているか分からない。油断をするな』
と、声色だけは優しそうにランスに微笑んだ。
『しかしですね』
顔を強張らせたまま仏語で返したランスを無視して、フランソワ少尉は若者二人ににっこりと笑い掛けて、再び独語に戻した。
『彼一人でこっそり食べるつもりだったようだけど、ちゃんと皆で分けて食べるからね』
まるで子供を諭すような口調にマルセルはキョトンとしていたが、冷たい表情に変わっていたカールの変貌に、フランソワ少尉は一瞬たじろいだ。
『ええ。ちゃんとスコットランドの皆さんで食べて下さればそれで結構ですよ、ムッシュ』
淡々と仏語で返してきたカールにフランソワ少尉は凍り付いた。
『僕らはS班を、ザイア中尉殿を信じています。きっと、ケルンの鐘を鳴らしてくれると。もしそれを邪魔するなら、僕らドイツ人は貴方達と対峙しても構いません』
『いや、これはそういう事では無く、軍人なら誰もが警戒する事で』
『ならどうして、ウィルソン一等准尉殿は笑顔で受け取ってくれたんですか』
気色ばんだカールと、オロオロと見守っているマルセルを見て、ランスは真顔になって答えた。
『そりゃ、俺達はお前たちを信じているからだ』
そう言って首を竦めたランスを見て、やっと少し笑みを浮かべたカールは、フランソワ少尉には冷たい視線を投げて踵を返した。
慌てて後を追ったマルセルは、訳が判らないままピョコンと頭を下げて、先を行くカールの後をまた追って行った。
「折角自分達が築いた地元民との信頼関係を、ぶち壊すお積りなんですかね」
二人の乗った車が走り去って行くのを見送りながら、ランスは、横のフランソワ少尉を見ずに嘲りの浮かんだ言葉を投げ付けた。
「だが、実際に何か仕込まれていたら」
まだ苛立ちを隠さないフランソワ少尉の目の前で、ランスは紙袋に入ったシュトレンを取り出し乱暴に引き千切り、事も無げに口の中に放り込んでムシャムシャと食べた。
「これで自分が何とも無かったら、少尉殿、ベント村までお詫びに行って貰いましょうか」
固まったまま、繁々とランスを見返しているフランソワ少尉を、ランスはフンと鼻で笑った。
「で、少尉殿は詫びに行ったのか?」
アーヘン周辺では千人単位の大規模なコミュニティを見付けて、近隣地域と連携を取りドイツ復興への協力を取り付けて来たS班が野営地に戻り、夕食の席で振舞われたシュトレンを皆美味しそうに頬張っている中、呆れたレオは得意そうなランスに問い掛けた。
「ええ。行かせました」
その時食べていながら今回もちゃっかり分け前を貰ったランスは、ほんのり甘いケシの実が香ばしいシュトレンの最後の一切れを口に放り込むと、満足そうに顔を綻ばせた。
「行かせたって、相手は少尉殿だぞ?」
こちらも呆れたネルソンが、自分の分のシュトレンが皿に残っているのを皆が目聡く狙っているのに気付き、慌てて手を伸ばし確保しながら訊ねると、ランスは指についた甘い残り香を味わうようにしゃぶって、平然と言った。
「ええ。約束ですから」
「って、一人で行かせたのか? F班は、余りいい感情を持たれていないんだぞ?」
「それが、昨日一緒だった一人が『自分が同行します』って、渋る少尉殿を説得してくれて。先ほど出発したようですが」
F班に生まれ始めた変化に気付きレオが顔を上げると、ネルソンの分のシュトレンを狙っていたルドルフが顔付きは残念そうなままこっそりと呟いた。
「F班第四班は、少尉殿以外は変わったようです」
今日の探索でも、昨日ネルソンらと一緒だった二人の兵士が率先して動き、自隊の班員達にもテキパキと指示をして、機敏な動きを見せていた事を思い出して、レオも「ああ」と頷いた。
「で、きっと少尉殿も変わると思います」
ルドルフはようやくシュトレンを諦めてにっこりと笑った。
ベント村で、その切欠が掴めればいいんだがと、レオも村人達の誠意の籠ったシュトレンの、素朴な中にも噛み締める毎に甘く香るじっくりとした深い味わいに、ゆったりと目を細めた。




