第十一章 第六話
ベント村の住民達の話に依ると、ホーエス・フェン=アイフェル自然公園内をこの先ベルギー側に渡って、幾つかの集落が同じ様に森に守られて細々と点在しているのだと言う。
「更に、ボン市街地及び周辺農村部は居住者が居ないようですが、ボン南部の山岳地帯に多くが避難しているらしく、メッケンハイム南部で当該地域の住民を見た事があると」
「……そうですか。其処まで行くと、もうボン周辺とは呼べないでしょう。ですが、再調査が必要なようですね」
面子を潰された形になったF班だが、クロード・ロッシュ中尉は気に留める風でも無く、ただフランス人らしく、さらりと言い訳を含めて首を竦めてみせた。
「そして貴君の提案の件ですが、これは、本国の本部に諮る必要がありますね」
レオが語ったケルン大聖堂の修復という大事業には、長い年月と膨大な費用を必要とし、一概に決められるものでは無いとは思っていたが、承認されるかどうか不透明な状況に、レオも緊張を浮かべ頷いた。
パリの国連本部で指揮を取っているブノア中佐と、ロッシュ中尉が無線でやり取りしているのを横目に、レオはさり気無く翻訳機のスイッチを入れた。
「二手に別れて、F班第一から第三班はボン南部山岳地帯へ移動し、F班第四班並びにS班はアイフェル地域の探索を継続せよ」
ブノア中佐の指示に班長二人が「はっ」と短く返した後、「時に」と付け加えたブノア中佐は、その後フランス語で話し始めた。
『我々の当初の目的は、独国内の被災民を全て国外に保護する事だ。街の再生は二の次の話で、軽々に約束をするなとザイア中尉に言え。あの大聖堂の修復なんて、一体幾ら金が掛かると思っているんだ。全額スコットランドが出すってんなら反対はしないがな』
『おっしゃる通りです』
『ドイツに関しては、周辺国で分割統治する案も国連内で出ている。そうなれば我がフランスが有利だ。F班はボン南部住民を全て仏国に移動させろ』
『はっ。ならばS班を単独行動させず、監視したほうがいいのではないでしょうか』
『そうだな。三、四名監視要員としてS班に配置しろ。余計な事をさせるな』
『了解しました』
レオは内心で沸々と湧いてくる怒りに声を出しそうになったが、腹に力を籠めてグッと堪え、レオに背を向けているロッシュ中尉の背中を黙って暗い瞳で見つめていた。
S班用テントに戻ったレオの黒い闇を纏った鋭い瞳を見て、S班の班員達は、彼がかつて『黒豹』と呼ばれていた所以を見出して、ビリビリと伝わる憤怒の感情に戸惑っていた。
「では仏国としてはドイツ国内を再生する意思は無く、分割統治で領土を広げる算段なのですか」
「そうらしいな」
それでも冷静に返すネルソンにレオは短く答えた。
「ふざけていやがるな。時此処に至って、まだ自国の事しか考えてないとは」
ギリギリと歯軋りしたランスが悪態をついたが、何時もは宥め役に回るネルソンも、今回は何も言わなかった。
「おい、ルドルフ。何かいい案はないのかよ。お前、この見えざる国境が良い方向に向かうかもって言ってただろが。何処か良い方向だよ。悪い方向じゃねぇか」
ジロリと睨んだニコラスの険を含んだ視線にルドルフはビクッと体を震わせて、身を縮こまらせた。
「逆にこっちもF班を監視した方がいいんではないでしょうか」
ルドルフの代わりに顔を上げたのはビリーだった。
「彼らは、強制的にでも移住させる腹積もりのようですから、彼らだけを単独行動させるのは危険かと」
「そうだな。F班から四名、こちらの探索に加わるとの事だから、此方も二手に別れて行動しよう。誰か、F班を押さえ込める自信のある者は?」
レオが声を掛けると全員が一斉に手を挙げ、真顔でレオを見つめ返した。
たじろぎもせず真っ直ぐに見返してくる部下達に、それまで闇を湛えて黒い光を帯びていたレオの瞳に柔らかい光が差して、思わず苦笑を浮かべたレオの心に暖かい光が戻ってきて、レオは穏やかさを滲ませた瞳を上げた。
「よし、分かった。アトキンズ少尉、ウィルソン一等准尉とレッド二等准尉と共にF班二名と行動を共にせよ。ティペット二等准尉とローグ曹長、ウォレス曹長は俺とだ。但し、決してF班への警戒に踊らされるな。俺達の本分は、被災民の救出だ」
「了解しました!」
険しい顔で敬礼を返した部下達に、レオは腹の中がくすぐったくなるような、それでいて心地よい感情を覚えていた。
「なんで自分はこっちなんですか。信用されてないって事ですか」
歩きながら小声でブツブツと文句を言ったのはジャスティンで、不平不満が直ぐ顔に出るジャスティンの剥れっ面を見ながらレオはニヤリと笑った。
「俺とお前は仏語は駄目だと思われてるからな。油断して腹ん中を吐露する事もあるだろう。それにレッド二等准尉にミルクを持って行けと言われただろ? そういう事だ」
離れて歩く二人のF班には聞こえないように、小声で囁き返したレオにジャスティンは思わずニヤリと笑って、また小声になって、「了解しました」と囁き返した。
再びホーエス・フェン=アイフェル自然公園に出向いたS班一行は、予定通り二組に分かれて探索を開始した。
国境の街レートゲン北部に位置するロット村近くのキャンピング場近辺で、凡そ百名ほどが、難を逃れて生活しているのを発見したレオ達を、ベント村からの情報が届いていたのか、住民達が笑顔で出迎えた。
『遠い所からようこそ』
この村のリーダーは、ケルンの郊外で農家を営んでいたという、アルブレヒト・バウアーという壮年の男で、武骨な髭がハイランドのオック村で出会った漁師ブラウ・エリクソンに良く似ていた。
『何かお困りの事はありませんか』
独語が堪能なニコラスが声を掛けると、
『幸い此処には医師は居るんですが、医薬品がもう底をついていて、乳児も七名居るのに重い病気にでもなったら』
とアルブレヒトは顔を曇らせた。その表情を見て、F班の二人がチラリと横目を見合わせたのにレオは気付いた。
『それはお困りでしょう。幸いフランスでは、十分な医薬品が用意出来ます。暫くの間避難されては? 我々が安全に移送致します』
すかさず、にこやかな笑みで声を掛けたのはフランソワ少尉で、眦の下がった柔和な顔にアルブレヒトは困惑した瞳を向けた。
『ケルンの大聖堂を修復して、ケルン郊外から街の再生を始めると聞きましたが』
『それには長い年月が掛かります。その間、安全な場所に居られた方が、産まれてきた子供達の為にもなるでしょう。医療の他にも、教育も必要ですし』
『此処には年寄りも多いんだ。言葉の通じない他国に態々避難しなくても、小さな農地だが、人数を養うだけの作物は得られている。ただ、今は医薬品が少ないだけだ』
途端に顔を強張らせたアルブレヒトに、フランソワ少尉は穏やかな笑みを崩さなかったが、その口の端に現れた侮蔑の感情は安易に読み取れた。
『此処はフランスとは距離があります。物資の移送も今は簡単じゃありません。十分な量をお届け出来るかお約束出来かねます。より安全な場所で生き長らえれば、何れドイツの復興も叶うでしょう』
『約束が違う! ケルン大聖堂を復興すると言ったんじゃなかったのか』
頑迷なドイツ人の気性も露に、強張らせた顔を赤くして怒鳴ったアルブレヒトに、哀れみの籠った目線で二人目配せをしたフランス兵達は、済まなそうな顔で笑い掛けた。
『別の隊員がそう口走ったようですが、廃墟となったケルンの街をご覧になりましたか? そう簡単な事では無いのは地元の皆さんが一番ご存知でしょう』
言の葉にレオへの侮蔑を含みながらも、おだやかに説得を試みるフランソワ少尉は、怒りを顔に浮かべ口を挟もうとしたニコラスを目で制して、階級が下のニコラスを威嚇した。
――なるほど。俺は会話に加われないと分かっていて、態々階級が上の人間を寄越したのか。
フランス側の意図を悟ったレオは、口惜しそうに横目を寄越したニコラスに頷き掛けて、ゆっくりと胸ポケットに手を伸ばし小さなスイッチをカチリと入れた。
『ご心配には及びません。我々はライン川移送計画を持っています。オランダ側よりライン川を使って遡り、大型輸送船にて物資を供給します。この地で営みを続けながら、再びケルンの鐘を鳴らす事が出来るでしょう』
突然背後から掛けられたレオの流暢なドイツ語に、フランス兵達は強張った顔で振り返った。
『国際コミュニティ会議が、全面協力を約束しています。世界中で人々の営みを守っている全てのコミュニティがあなた方の味方です。既に医薬品の手配が始まっています』
黙り込んだフランス兵を前に、レオはゆったりとアルブレヒトに微笑み掛けていた。
ソフィーが改良を施したこの翻訳機は、耳に付けたイヤホンから自分が発した声の振動を拾って、従前に登録したレオの声色通りに、正確に翻訳して発信する機能を新たに備え付けていた。
フランス兵は驚愕を顔に貼り付けたまま固まっていたが、
『ああ、ウチの班長殿は仏語も独語も、何語でも解されますので、ご心配には及びませんよ』
してやったりと、笑みを浮かべたビリーの掛けた仏語の言葉も、耳に入っていないようだった。
オランダのコミュニティが保持している自走可能な大型輸送船を既に手配してある事、英国を始めとした各国のコミュニティから、物資提供の手配が始まっている事を話すと、此処を追われずに済むと分かって安心したアルブレヒトはまた笑顔を浮かべた。
独語を自国語のように話すニコラスとビリーが明るく笑い掛けて会話が弾んでいるのを見ながら、レオはどうしたものかと思案顔のフランス兵二人に話し掛けた。
『帰って自分の隊に報告しても構わない。だが復興支援については国際コミュニティ会議から国連本部に話がもう通っているだろう。F班も我々と同じ路線を行く事になるのだから、それに意味があるとは思えないがな』
今度はレオから仏語で話し掛けられた事で、自分達の思惑が全て筒抜けだった事を知り、フランス兵二人は顔を顰めて俯いた。
国連とは共同歩調で歩みながらも、一線を画して活動をしている国際コミュニティ会議を利用する事を思いついたのは、ルドルフであった。
「そもそも、ドイツ国内の小コミュニティであってもコミュニティなのですから、コミュニティでの協調の道を模索したほうが」
「そうか、その手があったか」
納得したネルソンが感心してルドルフを振り返った。
「各国の利害関係に囚われない国境を横断した組織ならば、各国の思惑の外で活動する事が出来ます。そしてその組織と此処とを繋ぐ糸は、班長殿の手の中に」
ゆっくりと振り返ったネルソンの視線を受けて、レオはポケットの中の携帯電話を握り締めた。
レオの報告を聞いたケビック・リンステッドは、「ドイツの国内にコミュニティが存在する以上、彼らもこの組織の一員として参加する義務と権利を有する」と言下に言い切った。
その上で、国際協調の第一歩としてドイツ復興を掲げて、来年の第一回の会議にドイツ代表も招聘する事を当面の課題として各国の理解をさっさと取り付け、その書面を国連コミュニティ管理局局長エドガー・リードの鼻先に突きつけたのだった。
「どこぞの国間で、ドイツ分割を目論んでいるようだが、感心しないな。そもそも現在の国際連合は暫定組織であり、『発動』を受けて再び世界融和を図るという方向性は、前回の会議で確認した筈だ。それともその時の議事録を鼻紙にでもしちまったのか?」
「ケビック、そんな事は無い。ただ無政府状態にあるドイツを放置するわけにはいかないという事であって」
「ドイツは無政府じゃない。政府機関はポーランド及びフランス内で自国民の自治を行っている。それをドイツに戻せば済むだけだ」
「しかし、ドイツ国民の殆どが国外に移住しているんだぞ?」
「移住じゃない。避難だ。ドイツ人が自国に戻りたくないと思っているとでも思ってんのか? 誰もが、守りたいものを持っている。それを思い出させるために、その為に鳴らすのさ、ケルンの鐘を」
ケビックは、エドガーの鼻先に突きつけていた書類を、机の上に叩き付けてニヤリと笑った。




