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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第十一章 国際連合援助隊~UNAC~先遣隊 ケルンの鐘よ再び編
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第十一章 第五話

 ベント村はケルンからルート264を西進し、デューレンの先で25ロードに入って丘陵地帯を抜けた先、黒々とした森に守られた水源地近くの小さな村だった。

 村に入る入口の交差点で車を止めた一行の前に、夕べレオの前に姿を見せた若い男が、村を守るようにバリケードで塞がれた前で、風に吹かれて一人黙って立ち尽くしていた。

「班長殿、警戒を」

 ドアを開けて一人で降り立とうとしたレオの背中に、ニコラスが警戒の声を掛けたが、レオには攻撃されるという思いは、不思議と湧いて来なかった。


「後ろの連中は自分の部下ですが、危害は一切加えないのでどうか安心して頂きたい」

 まずそう声を掛けたレオに若い男は悲しげな瞳でゆっくり頷いた。

「見た事無いマークだが、確か旧国連のだよな?」

「そうです。ですが正確には、現在の世界は国際連合を再結成しています。我々は、その国連の組織で『国連援助隊』UNACです。世界の崩壊により、甚大な被害を受けた地域を支援する事を目的として結成された組織で、我々はその先遣隊であり、連邦との戦闘で被害を受けたドイツ被災民の救助を目的としてやって来ました」

「わざわざ英国から?」

「ええ、そうです。我々はスコットランド軍です」

 レオがそう名乗ると男はあからさまに残念そうに嘆息をついた。

「……スコットランドか……そうか、イングランドじゃないのか」

「自分は、イングランド出身ですが、何か聞きたい事でも?」

 レオがそう名乗ると若い男は俯いていた顔を上げた。

「……ハドリー・フェアフィールドという人物の、今の状況を何か知らないか? 何でもいい。知っていたら教えて欲しい」

 真っ直ぐな黒い瞳を向けている男の、悲しみに満ちた瞳にレオは困惑を浮かべて黙り込んだ。


 この男はカール・クラウジウスという名で、嘗ては英国に住んでいたのだという。

「当時通っていたW校の同級生なんだ。俺と同い年で今は二十四歳の筈だ。俺は在学中このドイツに移る事になって、それ以降連絡はつかなかった。彼が無事で居るのかどうか知りたいんだ」

 レオも勿論良く知っているハドリー・フェアフィールドの最後を、この男カールは何も知らされていなかった。


 カールは、かつて友人だったハドリーの、【鍵】の最後を聞いて、その場に力無く崩れ落ちると肩を震わせて泣いた。

「知らなかった。俺は何も知らなかった……ハドリー……」

 どの様な込み入った事情があるのかは分からないが、戦火に巻き込まれて、情報を何も得られない閉ざされた村で生きて来ていて、彼は世界に『発動』が起きた事も知らなかった。

「不思議な光の粒が降って来たのは知ってる。だがそれが『発動』というものだとは知らなかった。ただそれから子供が産まれ始めたんで、世界が何か変わったのだろうと皆で話し合っていた」

 泣き止んだカールがポツリと言った。


 それからカールは、自分の事をポツリポツリと話し始めた。

 W校に在学していた当時に事件を起こし、医療監察処分となって祖父母の居るケルンにある医療施設に送られた事、ところが、突然戦争が起こり、何も分からないまま施設から逃げてこの村に拾われた事、そして、村人達との農作業の日々の中で、ゆっくりと自分を取り戻して行った事を、抑揚の無い淡々とした声で話した。

 自分が前世、現世と亘ってハドリーを愛していた事を告げた後、カールは泣き腫らした黒い瞳に寂しさを浮かべて目を落とした。

「そうだったのか。ハドリーとニナとの間には、そんな深い因縁があったのか」

「だが彼は、ハドリーは、俺達に希望を残していった」

 レオの言葉にカールが顔を上げた。

「彼は『全ての命を救って欲しい』と、そう俺達に願いを、希望を託して逝った。俺は彼のその願いを叶える為に此処に来た。お前も彼を愛していたんなら、その彼の最後の、最大の望みを叶えてやりたいと思わないか」

 距離を保って佇んだまま問い掛けたレオの真摯な顔をマジマジと見返して、カールは最後に口をキュッと結んだ。


 通されたベントの村は四方を森に守られ、人目を避けひっそりと佇んでいた。

 現在二十戸の家で三十世帯が畑を耕し、裏にある大きな貯水池で取れる僅かな魚を食糧に細々と生き長らえていたのだという。

「時には、ケルンやボン近くまで遠征して、生き残って野生化した家畜を捕ったりしてたんだ。けど、出掛けた男が偶然君達の仲間に遭遇したらしくて、撃ち殺された」

 カールの言葉にレオは帽子を取って頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

 S班の一同も一斉に脱帽して深々と頭を下げると、此処の村長だというラインハルト・シュテファンは諦めたように首を振った。

『こちらから発砲したんだ。幾ら軍人に酷い事されたとは言っても、相手を見極める事は我らにも必要だった。仕方の無い事だった』

「しかし」

『それに君達は、我らの知る軍人とは少し違うようだ』

 礼儀を崩さないS班一同を眺め渡して、ラインハルトは深い皺に刻まれた濃い蒼の瞳をゆったりと細めた。

 ペアを組んだS班班員達が各戸を回って聴き取り調査を開始し、今回ルドルフに「何個必要ですか」と問うていたジャスティンが、バックパックに忍ばせた哺乳瓶三個が示すように、此処でも新たな命が三つ誕生していた。

 しかし、オークニーの時のように酷く衰弱している様子でも無く、母親の栄養不足から若干生育状況が悪いと判断したジャスティンが、高栄養ミルクを適宜飲ませるように指導しているのを、ニコラスが流暢なドイツ語で同時通訳して伝えると、母親達は警戒を解いて、安心した顔で笑みを溢して頷いた。


「若干の栄養不足はありますが、概ね健康状態は良好のようです」

 軍医の資格を持つアトキンズ少尉の診察の結果を聞いて、気候の良いこの地で、水にも恵まれて農耕を行ってきた村人達の顔色も、然程悪く無い事に安堵したレオだったが、

「しかし医薬品は底を尽いているようだ。必要なものを調査して、配布する手続きを行え」

 とネルソンに指示した。

「はっ。しかし、幾ら気候の穏やかなこの地とは言え、狭小な農地ですから、人口の増加と共に、食糧事情は後に逼迫して来るものと思われます。早期に仏国等への避難が適当かと」

「だが彼らは移住を望んでいない」

 ネルソンの指摘にレオは表情を曇らせた。


 此処で肩を寄せ合って暮らしている六十名の大人全員が、此処を離れるのを拒否した。ケルン空爆で郊外に逃れた軍兵達に追い立てられ、暴徒と化した軍に襲われ多くが殺害された近郊の農村地区の住民達にとって、悲哀に満ちたこの土地であっても、自分達の住む場所は此処しかないという思いは消えないようで、国を捨て国外へ出るという選択肢は、彼らの中には存在しなかった。


「隣国ベルギーも、ドイツの崩壊と同時に崩壊を起こして、現状は似たようなものだそうですし、かと言って、このまま此処で暮らしても、医療も教育も十分に受ける事は出来ません」

「ケルン郊外に街を再生出来ないだろうか」

 難しい顔をしているネルソンにレオはふと呟いた。

「幸い郊外の家々は無傷な物も多く、水にも土地にも恵まれた地だ。広大な農場もあり牧畜も可能だ。医師は、援助隊から派遣出来る。そこから始められないだろうかと思ってな」

「ケルンの再生をですか?」

「ああ、先ずはケルン大聖堂の再生だ」

 ゆったりと目を細めたレオの横顔を振り返り、傍らで聞いていた村長のラインハルトが驚いた眼を開いた。英語と独語ではあっても同じ『大聖堂( カセドラル)』という言葉に彼は気付いていた。


「嘗て世界大戦があった時にも、大聖堂は同じように大きな被害を受けたが、奇跡的に外観は保たれていたそうだ。其処に希望を見出した人々は大聖堂を修復した。それがケルンの街の人々の誇りでもあり、再生への希望だったんだ」

 『ブリストル』の船内で、ケビックから聞いた話を思い出して、レオはこの地に生きる人々の希望の証を、黒く焼け焦げた大聖堂に見出していた。

「当面はこの地で、必要な物資の配給を続けながらケルン郊外への移住を模索し、そして先ず大聖堂の修復作業に着手する。大聖堂が甦れば、国外に避難している多くのドイツ国民も、自分達の故郷の復興に目覚めるんじゃないだろうか」

 レオの言葉をネルソンがラインハルトに伝えると、唇を強く噛み締めたラインハルトは、レオの手を取って固く握り締めた。

『ありがとう、中尉殿。ありがとう』

 レオでも解る「ありがとう( ダンケ シェーン)」を何度も繰り返すラインハルトに、レオは微笑みを浮かべて何度も頷き返した。


「そうか。ケビックやクリス、スティーブは元気なのか」

 森の中の道をゆっくりと貯水池に向かって歩きながら、カールは少し嬉しそうな顔をした。

「ああ。ケビックとはフランスまで一緒に来たんだ。彼は今、国際コミュニティ会議という国際会議を開催する為に奔走していてな。その議長に就任する事がもう既に決まっている。クリスは英国で、世界を守る聖システィーナ修道院の【守護者( パトロネス)】として、家族と共に穏やかに暮らしてるし、スティーブは親父の後を継ぎ医師になった。皆、ハドリーの遺した希望を叶えようと其々が懸命に生きている」

「そうか」

 レオの説明にカールが薄雲のたなびく青い空を見上げてポツリと呟くのを見て、レオも空を見上げて言った。

「ケビックが言っていた。『今生ではハドリーはもうリンダの子として生まれ変わってきたが、何時かの世でまた俺はハドリーと同じ時代を生き、その時の俺は迷わずアイツを親友に選ぶだろう』と。お前もハドリーとの間に絆がある。何時かの生で、きっとまた巡り合えるだろうさ」

「ああ、きっと」


 適応障害と診断されて、長い間施設に隔離されていたカールが、ハドリーへの想いを昇華させ己の道を取り戻すには、彼自身が強く生きる事を願うようになるしかないだろうと思ったレオだったが、カールはそんなレオの内心を知ってか穏やかな黒い瞳を向けた。

「その時には、俺もハドリーの親友になれるかな」

「ああ、なれるさ」

 ゆったりと笑ったレオに、カールも、久しぶりに見せる穏やかな屈託の無い笑顔を見せた。

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