第十一章 第三話
ポーツマスを出た英国海軍フリゲート『ブリストル』は、最速の名を、若き指揮官コンラッド・アデス少佐率いる『エクセター』に奪われたが、それでも世界で二番目に早いこの高速艦は、仏軍軍港ブレストよりも会議開催地のパリに近いフランスのル・アーブルに、五時間ほどの短い航海で、夕暮れの街に到着した。
英国のポーツマスとの定期航路を有していたこの大きな港町は、破壊こそ無かったがひっそりと静まり返り、通りの家々の明かりもポツポツと点在している程度で、かつての活気溢れた港町の面影は消え、うら寂しい建物が夕映えの中、静かに佇んでいた。
「仏国も本国同様、農村部での暴動は然程では無かったようですが、人口の減少はやはり一緒のようですね」
仏軍が徴収したというマリーナ近くのホテルに案内されながら、街の状況を油断無く観察したネルソン・アトキンズ少尉が、並んで歩くレオに囁くと、「ああ」とレオも頷き返した。
「こうして破壊の無い地域でも、元の活気を取り戻すまで、何年、何十年掛かるか。気が遠くなりそうな話だな」
これから向かう事になるパリは、その中心地にあるノートルダム寺院の守護下にあるとは聞いてはいるが、栄華を誇ったパリの今の状況を想像して、レオは暗い気持ちになった。
翌朝ル・アーブルを出立した一行は、ノルマンディーハイウェイを東進し、長閑な農村地帯の車窓が広がる異国の光景に、のんびりとした空気が車内に漂っていた。
「あれ、葡萄畑だよな。てことは、まだ結構ワイン造ってるんだな」
「水よりワインだからな、此処では。最盛期よりはやはり減ってはいるが、まだ二割ぐらいの農家は機能してるんじゃないか」
ジャスティンの呟きにそう返したビリーは、母親がフランス人で何度も仏国を訪れているらしく、懐かしそうに目を細め、緑の葉を揺らしている葡萄畑に目をやった。
ところが、車がパリに近づき、車窓に中小都市が広がり始めると、一見して判る荒んだ雰囲気に、車内の空気も一変した。
「荒れていますね。居住者も少ないようです」
厳しい顔に戻ったネルソンにレオも顔を顰めた。
「何処も同じか」
そしてその光景は、パリ郊外ナンテールに入ると、あからさまにレオ達に現実を見せ付けた。
ナンテールは『ラ・デファンス』と呼ばれ仏国の都市再開発地区に位置し、超高層ビル群が立ち並ぶ近代都市だったが、破壊された窓ガラスが寒々とした空虚な穴を見せ、薄汚れた書類が風に舞っている姿はかつてのロンドンと同じで、打ち壊され、焼き尽くされた街の無残な姿にS班の一同も言葉も無く、埃に塗れた車窓に皆押し黙った。
しかし、車が環状道路と呼ばれるパリをぐるりと一周する通りを越えると、また風景は一変した。
何度か写真や映像で見たパリの光景が、その時と寸分変わらず、世界の異変などまるで夢の話であるかのように、平然とした街並みが続いているのを、レオは少し口を開けて、驚いて眺めているだけだった。
「ノートルダムの守護の力は、この環状道路内に働いていたようですね」
無傷で佇む凱旋門を通り過ぎ、シャンゼリゼ通りを東へ進む車窓には、変わらないパリの繁華街が、人も行き交う車も若干減ってはいるが、何事も無い日常に溢れているのを見て、ネルソンはため息と共に呟いた。
シャトレ座を過ぎた車はセーヌ川に掛かる橋を渡り、川の中心に浮かぶシテ島の、ノートルダム寺院に隣接して建つ国連本部の前で静かに止まった。
「遠路遥々、我がフランスへようこそ、ザイア中尉殿」
レオ達が、尻の座りの悪いロココ調の煌びやかな議場控え室の、ピンク色のソファに苦笑いしながら腰を下ろしていると、ノックの音がして、柔和な笑みを浮かべた男が入ってきた。
先ほど玄関先で、グレン大佐を始めとするAAS小隊S班一行を出迎えたのは、この仏国の特殊部隊に当たる特殊作戦司令部司令官バロー中将であったが、この男は、自分はその実働部隊の第一海兵歩兵落下傘連隊、通称フレンチSASの連隊副長アンドレ・ブノア中佐であると、流暢な英語で名乗った。
S班が出向の形で在籍する事になる国連援助隊は、その正式名称『Union Nation Aid Corps』よりUNACと呼ばれる事になっていた。
このブノア中佐が総隊長を務め、隊に参加する英国よりハリソン少佐、カナダ軍よりアランデル中佐が副長を担う事になっていたが、ハリソン少佐は国内復興の指揮もあるため事実上の名誉職であり、実権はこの仏軍が握っている事に、班員の中には少なからず不満を持っている者も居るようだった。
「ご歓待痛み入ります。班員共々、全力を尽くしますので、宜しくお願いします」
立ち上がって一斉に敬礼を返したレオ達にブノア中佐は満足そうに頷き、一緒にやってきた傍らの男を紹介した。
「この彼は、フランス班の班長を務めるクロード・ロッシュ中尉だ。どうか仲良くしてやってくれ」
長めの金髪に琥珀色の瞳のロッシュ中尉が、柔和で気さくな笑みを浮かべて、レオに右手を差し出して「どうか宜しく」と挨拶し、握り返したレオも小さく笑みを浮かべて挨拶し返した。
「ザイア中尉殿は仏語は苦手と伺いましたが、ウチの隊員は皆英語を解しますので、どうかご心配無く」
鷹揚に笑っているブノア中佐に、ランス・ウィルソン一等准尉は小さく反応して眉を上げたが、隣に居たネルソン・アトキンズ少尉がチラリと目配せを送ってランスを牽制した。
「それは助かります。どうか宜しく」
ゆったりと笑みを返したレオも、内心を押し殺して表情は穏やかに頷き返した。
「どうしてフランス人って、ああなんですかね」
二人が去った控え室で、ランスが不満そうに口を尖らせた。
「まぁそう言うな。我々だってどの国でも英語は通じて当たり前だと思っているんだ。そこに余り差は無い」
冷静に諭したネルソンに、ランスは不承不承ながらも頷いた。
「それに隊の構成も、仏軍から二十五名、カナダ軍からは十九名、それに引き換え、我がスコットランド軍からは僅か七名ですからね。ハリソン少佐殿も本国に張り付きでこちらを指揮する余裕は無いし、仕方の無い事なんですかねぇ」
諦めたようにため息をついたニコラス・ティペット二等准尉が、ゴテゴテと装飾された天井を見上げ顔を顰めると、レオも苦笑いを浮かべたが顔を引き締め直した。
「どの国がイニシアチブを握っているのかなど、そんな事は微塵も無い。あっても、我々には関係の無い事だ。我々は、目の前に居る困窮している人を救う。ただそれだけだ」
レオの呟きに顔を上げたルドルフ・レッド二等准尉が嬉しそうな笑みを顔に浮かべ、
「意外と、各国の中にある見えざる国境が、逆に物事を良い方向に向かわせるかもしれません」
と、何気なく口にすると、「おっ」と顔を輝かせたジャスティン・ウォレス曹長がルドルフを振り返った。
「レッド二等准尉殿、それは予言ですか?」
「こら。この場でその話を口には出すな。何処に何が仕掛けられているか分からないんだぞ」
窘めたネルソンに、ジャスティンは首を竦めて「済みません」と侘び、手を上げて往なしたレオも、ルドルフの穏やかな顔を見て、その言葉の意味を噛み締めていた。
各国の国連代表並びに主力となる英軍、仏軍、カナダ軍を中心とした軍関係者が臨席し行われた『国連援助隊UNAC』の結成式で、専従となるレオ達S班を始めとした先遣隊チームが一同に顔を揃え、新たな船出を切ったばかりの世界を縦横断し、世界復興の最前線に赴く事を誓い合った。
大会議場での結成式が無事終了すると、AAS小隊S班の一行は、この国連本部内に設置されたS班用の控え室に案内されて、従前の依頼通りの簡素な事務机と、落ち着いたモスグリーン色の、単色のカーテンが揺れる室内に、一行は慣れ親しんだスコットランドでのS班作戦本部と似た作りを見て安堵を浮かべて微笑んだ。
「それでも、この電話台だけはフランスの意地ですかね」
真っ白に輝くロココ調の猫脚の電話台の上に、如何にも不似合いな黒いシャープなデザインの内線電話機が置かれているのを見て、ビリー・ローグ曹長は苦笑いした。
「細かい事には目を瞑れ。当面、此処が自分達の拠点になるんだ。それにどうせ此処には長居はしない」
エディンバラの本部と同じ位置の机をさっさと陣取ったネルソンが、運び込まれていた自分用の荷物の片付けに入ると、他の班員達も慌ててバタバタと動き出した。
あらかたの片付けを終えた一同が其々の席に着き、簡単な会議を終えるとレオは立ち上がり、それに合わせて、班員達も一斉に立ち上がって敬礼を返した。
「明朝九時より、第三大会議室にてUNACの作戦会議が行われる。全員遅滞無く参集せよ」
「了解しました」
全員のキリッとした精悍な顔付きを見渡し、ついに始まったなと、大海原に漕ぎ出したばかりの自分の船に、燦々と陽が注いでいるのを感じながら、レオも一層顔を引き締めた。




