第十一章 第二話
ポーツマスでS班とケイン・エバンスを降ろす『エクセター』は、デボンポートへ帰港後には暫くドック入りをするらしく、本当なら『ブリストル』から最速の名を奪ったこの艦で、華々しく仏国入りしてデビューを飾りたかったコンラッドは、不満そうな顔で文句を言った。
「ここんとこ、少しオーバーワーク気味でな。クリスの親父さんが『ドック入りさせろ』と五月蝿くて。上からの命令だから逆らえん」
「この先は長いんだ。艦を壊したら何にもならないだろ。大人しく言う事を聞いておけ」
窘めたレオに、コンラッドは艦内を案内しながら、フンと面白くなさそうな顔をした。
最新鋭の太陽光と、FCVの複合型循環発電システムを搭載した『エクセター』は、歴代最速の四十五ktを叩き出して、乗員数も『ブリストル』の半分程の八十名と、少数ながらも精鋭を集めて、文字通りの最強になろうとしていた。
コンラッドが艦長になるという噂を聞きつけた若手海軍兵達が、挙って『エクセター』入りを希望したために、人選には苦労したとコンラッドは得意そうに笑った。
「アイツも欲しかったんだがな。残念ながらムーアハウス中佐殿が手放さなくてな」
「アイツ?」
「訓練校の厨房要員だ。お前と同期じゃなかったか」
「ああ。アイツか」
レオ同様デボンポート海軍訓練校に放り込まれた仲間だった男は、元調理師の腕前で厨房改革を行い『海軍一飯が旨い』という評判を不動の物にして、今でも若い人材を集めているのだという。
「最強の艦に相応しい最高の厨房にしたかったんだが『若手育成のためには、彼は校に不可欠だ』ってんでな。あのクソ親父め」
「こらこら」
苦笑したレオに、コンラッドは悪戯そうに笑った。
サヴァイアー大佐が、将官への昇任をようやく受諾した事により海軍内で玉突き人事が行われ、それまで訓練校統括責任者であったマクガイア大佐が『ブリストル』の艦長に就任し、それに伴って、それまでサヴァイアー中将同様に昇進を固辞していたムーアハウス少尉が佐官に昇進して、訓練校統括責任者の席に座る事になったが、ムーアハウス中佐にはそれが不満なのだという。
「教官で無ければ一緒に訓練出来ないからな。『動かないならあの飯は食うな。太る』と嫁さんにきつく言い渡されているらしくて、中佐殿、散々ぼやいてたわ」
艦橋を見渡しながらケラケラと笑ったコンラッドに、レオも笑みを返して、豪快なムーアハウス中佐の笑顔を思い出していた。
「巣立った若造が目標にするには少尉ぐらいが丁度いい」が持論のムーアハウス中佐は、「何時かアイツの上官になって見下してやる」という対抗心を育てる為、これまで何回と無く昇進を断ってきたが、その回数は、今回の異例中の異例の五階級特進よりも数が多いと、コンラッドはニヤリと笑った。
――中佐殿らしいな。
内心でクスッと笑ったレオは、若手が中心ながらも活気の溢れる艦橋にこれからの海軍の明るい未来が見えるようで、穏やかな心でゆったりと精悍な男達に笑みを浮かべた。
その中に、同じ仲間であった男が、レオに気付いて敬礼を返して笑っているのに気付いて、レオは喜びを浮かべて敬礼を返した。
通信士になると言っていた仲間の一人が、今はもうあの頃の殺伐とした雰囲気も微塵も無く、テキパキと動いているのを、感心して見ていたレオだったが、
「あの男はまだ三等通信士なんだが、知識も度胸も抜群だ。通信長はローラだが、ローラはまだ産休中でな。本当は、夫婦で同じ艦はご法度なんだが、通信士としてのアイツの腕は一級品だ。アイツもこの艦には欠かせない」
と、コンラッドはフフンと笑った。
「息子も六ヶ月か。大きくなっただろうな」
「まあな。じいさんが頻りに手話で話し掛けてるもんだから、言葉を話す前に手話で話しそうだぜ」
「曾孫が可愛いくて仕方ないんだろう。孝行出来て良かったな」
「ああ」
少し照れた笑みを頬に浮かべてコンラッドは俯いて笑った。
長い孤独に耐えてきたこの男が、取り戻した家族の絆に守られて輝いているのを、レオは安堵と共にコンラッドの背中を小さくポンポンと叩いて笑った。
五時間ほどの航海で降り立ったポーツマスの軍港で、居住まいを正して敬礼を返したレオに向かい、コンラッドは目深に被った帽子の奥から緑の瞳を光らせ、厳格な顔付きでレオに敬礼を返した。
「本船は九月の正式着任を以って任に復帰する。貴殿らの任務終了に当たって本船にて収容予定であり、その間の奮闘と任務の遂行を祈念するものである」
勿体つけた言い回しにレオは内心で苦笑いしたが、ロンドンでの会議のために先行で来ていたAAS小隊長のグレン大佐やハリソン少佐、そして国防大臣であるサヴァイアー中将も居並ぶこの場では、流石のコンラッドも、シレッと軍人の顔をしているのに合わせて、レオも「はっ」と再度敬礼を返した。
「ご期待に添えるべく、全力を尽くしてまいります」
その言葉に、先に行ってるぜ、という思いを籠めたレオの本音を読み取って、コンラッドは帽子の下に隠れた眉を、小さくピクリと動かしたが鷹揚に頷いて見せ、上官達に敬礼を返し頭を下げた。
「分かっちゃいるが、軍は堅苦しくていかんな」
『ブリストル』艦内のラウンジでエールの小瓶を片手に、仏頂面でぼやいたケビック・リンステッドにレオは苦笑いを返した。
今回の国連援助隊結成式典に、国際コミュニティ会議準備委員会委員長として招聘されているケビックは、来年行われる予定のその国際会議の打ち合わせを兼ねての今回の渡仏だったが、国連本部はこの秋英国の『ガイア2100』へ移転予定で、打ち合わせの度に渡仏しなくて済むとケビックはカラカラと笑った。
「そういや、クリスが世話になったな」
そう言ってエールをグイッと飲んだケビックの、ぶっきらぼうな言葉とは裏腹の感謝を籠めた眼差しに、レオは苦笑して小さく首を振った。
――どいつもこいつも、クリスの心配してるんだな。
内心では、十年来の友人を慮っているケビックのそ知らぬ顔に、傍若無人なこの男の心根の底にある優しさを感じて、レオはフッと笑みを浮かべた。
「そう言えば、Mr.リンステッドはW校のご出身と伺いましたが」
同席をしていたルドルフが『ブリストル』名物の香り高い紅茶を味わいながら訊ねると、ケビックは「ん?」と顔を向けた。
「自分の妻も途中まではW校に通い、貴方様と同学年でしたので、もしかしたらご存知かと思いまして」
「美人なら覚えてるぞ」
ニヤリと笑ったケビックにルドルフは苦笑を返して言った。
「エリー・ホワイトという名前でしたが、ご存知でしょうか」
「あのエリーか。それなら勿論覚えてるぞ。栗色の巻き毛が艶々としていて、大きな栗色の瞳は少し目尻が下がってコケティッシュで、フワフワとしたまるでぬいぐるみのような愛らしい女子だったな。一度ダンパで踊る約束してたんだが、土壇場で振られたんだった」
細かい部分まで正確に覚えているケビックにレオは苦笑したが、ルドルフはそれを聞いて少し驚いたようだった。
「お相手は貴方様でしたか。それが、その時」
思い出したように小さく笑ったルドルフにケビックは目を向けて、小さく眉を上げた。
「上級生の女子から、何やらお菓子を勧められたようなのですが、彼女は『それを食べてはいけない』と思ったようで、腹痛を理由にした為に、結局はダンパそのものを諦めなければならない事になり、お相手に申し訳なかったと述懐しておりましたので」
「ほお、あれにはそんな裏話があったのか」
感心したケビックが瞳を輝かせて身を乗り出し、レオは怪訝そうにケビックを見た。
「その上級生ってのが実は策士でな。多分何か仕込んでたんだろ。随分と鋭い子だな」
「幼い時分から、度々そういう事があったようでして、それで難を逃れた事が何度もあると言っておりました」
「予知能力か」
早速察したケビックが唸ると、レオはクスッと笑った。
「その彼女が伴侶として選んだのが、このレッド二等准尉だ。彼も『それがあって』彼女を伴侶に選んだんだろう」
「じゃあ、彼も予知能力保持者なんだな」
キラリと瞳を輝かせたケビックの聡明さに、内心で舌を巻いて、レオは頷いた。
「今回の任務には彼の能力の検証も含まれている。但し、この件は諸外国には内密にな。まだ明かす段階ではない」
「そういう能力者が先遣隊に居るってのは便利だな。危機回避にはもってこいだ」
またエールをグイッと飲んだケビックは、レオをニヤリと強かな目で見て笑った。
その後も、ラウンジでのんびりと談笑していた一行であったが、レオの赴任先がドイツになると知っていてか、ケビックはドイツに関する情報をレオに惜しげもなく披露した。
「ドイツ人は頑迷だ。だが、信仰に厚く律儀で規律正しい民族だ。誠実さを持って接すれば、誠実で応えてくれる。過去に敗戦という苦難を負ったが、希望を大聖堂に託して逞しく甦った民族でもある。表面だけの言葉尻で彼らを宥めようとしても、通じないぞ。だから彼らを説得しようなんて思うな。彼らの要求に対して誠実に応える、それで結果が出る」
「流石だな、ケビック」
「おうよ。俺は知識の出し惜しみなんてしないからな。それが役に立つんであれば、何でも惜しげも無く供出するぜ」
空のエールの瓶をトンとテーブルに置き、ケビックは見込んだ男へ向ける信頼の光を浮かべて、不敵な笑みを浮かべフフンと笑った。
自分より遥かに年少であるケビックであったが、そう言えば彼は前世で有能なプロデュサーだった過去を持っていた筈だと思い出し、内面では自分よりも遥かに年長であるケビックに敬服して、レオは首を竦めて苦笑を浮かべ微笑んだ。




