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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
番外編
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番外編 S班の休日 3

 そして休暇の四日目を迎え、レオはネルソンに示唆された通り、心の中に引っ掛かっている事柄を自分自身のこの目で確かめようとベントレーのコンチGTCを駆ってグラスゴーへと向かった。


 旧時代の建物が多く残るエディンバラ中心部とは大きく異なり、ロンドンを思わせる近代的な建物が街部を整然と埋め尽くしているグラスゴー中心部はロンドンのような荒廃は窺えず、エディンバラ以上に車が行き交って活気に溢れている様子を見て、レオは内心で舌を巻いた。

スコットランド人(   スコッツ)は結束が強いと聞いていたが本当だな」

 世界崩壊時に起きた暴動は英国全土に広がっていた筈だったが、此処グラスゴーでは、幾つかの大規模商業施設は運営出来ずに閉鎖しているようだが小規模商店は営業している様子で、現在でも市街地内には百万人近く、域内を合わせると二百万近い人が住んでいる今や英国一の大都市に相応しく、明るい陽が降り注ぐ市内は多くの人で賑わっていた。



 難解な道路に戸惑って道に迷いながらもようやくラックヒル陸軍基地に到着したレオは警備兵に面会を申し出た。

「第九十九AAS小隊S班中尉、アレックス・ザイア、ダスティン・エイムス中佐殿にお目通り願いたい」

 IDを提示しながらレオが敬礼を返すと、警備兵もキリッと敬礼を返して「暫時お待ちを」と背後の警備室で連絡を取っていたが、「どうぞお通り下さい。三階の左手奥、三二三号室になります」とレオを誘った。


 ダスティン・エイムス中佐は、此処グラスゴーに駐留をしている第二大隊第二中隊の第七部隊長で、ニコラスがまだ此処に所属していた時の直属の上司だった。

 突然訪ねてきたレオに面食らったようだが、それでもにこやかに出迎えた中佐は少し横幅のでっぷりとした大らかな人物のようで、緊張した面持ちのレオににっこりと笑い掛けた。

「エディンバラから態々ようこそ。楽にして掛けたまえ」

 レオが此処を訪問した理由をまだ知らない中佐は、笑顔でレオにソファーを勧めた。

「ハイランドでの貴君の活躍は聞いているよ。流石グレン大佐殿は目の付け所が違うと此処でも評判でね。貴君においで頂いた甲斐があったと、皆高く評価しているんだよ」

「恐れ入ります」

 ニコニコと茶を勧めるエイムス中佐に恐縮して頭を下げたレオに、

「時に、グラスゴーに何か用事でも?」

 と、にこやかながらも中佐は油断無く探りを入れてきて、レオは「はっ」と顔を上げた。

「自分の班に居るニコラス・ティペット二等准尉の事で、お伺いしたい事がありまして」

 レオが本題を告げると途端にエイムス中佐の顔から笑みが消えた。


 六年前の二千百一年、世界連邦と同盟軍との間で戦争が勃発した四月の当時には、中尉として第二中隊の第七小隊の小隊長であったエイムス中佐は、まだ配属されて四年目のニコラスの直属の上司であり、其処で何があったのかを良く知っているのであろうとレオが見込んだ通り、エイムス中佐はレオが訪ねてきた本当の意味を知りため息をついた。

「……AASに異動してからの彼の評判は、余り芳しくないと耳にはしていたが……」

「今の彼に影を落としている原因が、此処グラスゴーにあるのではないかと自分は思ったのです。一見彼は、覇気が無いようにも感じられますが、AASに配属された以上、彼が有能な兵士である事は明らかです。自分は彼から覇気を奪っているものの正体を突き止めたいのです。中佐殿、ご存知なのではないですか」

 レオがニコラスの風評を真に受けて非難しているわけではないと知って、エイムス中佐は意外そうに顔を上げた。

「君は……」

 驚いた瞳を見開いてマジマジとレオを見返していたエイムス中佐だったが、小さく「そうか」と呟くと、手を組んで遠くを見ながら話し始めた。


 

 当時のロンドンは荒廃が激しく暴動も日常と化していたが、此処グラスゴーでは小競り合いや多少悪化していた性犯罪の増加などはあったがそれでも警察が機能していて多少治安が悪い程度で収められていたとエイムス中佐は言った。

「だが流石に連邦と同盟軍との戦争状態に突入すると、グラスゴーでも大規模な暴動が発生した。軍は総動員で出動して、重要拠点の警護に当たったが、そんな中、悲劇が起こったんだ」

 口篭ったエイムス中佐は項垂れて目を落とした。


 当時ニコラスは新進気鋭の兵士として頭角を現していて、向上心の強い彼はAASへの昇進試験に合格を果たして、その夏七月にはAAS小隊員として、エディンバラへ転属する事が決まっていたとエイムス中佐は語った。

「彼は義侠心が強く果敢であり勇猛であった。正にハイランダーの見本のような男だった。転属が決まった後も悔いは残したくないと、危険な任務にも率先して出動した。その日も指令に基づいて市街地にある行政府の家族宿舎への警護に出動したんだ」

 中佐は不思議な苦笑を浮かべて、ソファに預けていた背を起こし深く座り直した。

「だが、高官の奥方達は暢気でな。暴動の最中に買い物に出ようとしてニコラスに止められて『ハイティー用のアプリコットジャムが切れているのよ。イチゴジャムで我慢しろって言うの?』と食って掛かって宥めるのが大変だったそうだ」

 上流の人間は相変らずだなとレオも苦笑いを浮かべると、中佐はまた表情を曇らせた。

「ところが、警備が手薄になった軍用住宅が暴徒に狙われてな」

 部屋の窓の外に見える、赤い屋根が連なった住宅街に目をやって、中佐は物憂げな表情で思い起こすように目を細めて見ていた。




 暴徒達は、軍住宅には軍人の家族、それもまだ若い妻達が残っている事を知っていたのだという。だが勇敢に暴徒を退け、一般人である妻達を逃がしたのが、ニコラスの妻メアリー・ティペット軍曹だったとエイムス中佐は寂しそうな顔をした。


「……総動員ではなかったのですか?」

 ニコラスに妻が居て、しかもそれが軍人であったと初めて知ったレオであったが、ふと感じた疑問を呈すると、エイムス中佐が泣き出しそうにも見える表情に変わり、レオも一瞬口に出した事を後悔した。

「彼女には特別休暇が与えられていた。あの当時にしては奇跡的に、彼女は妊娠していたんだ」

 ポツリと言ったエイムス中佐の言葉に、レオは表情を固くした。


 安定期を過ぎ、四ヶ月後には産まれてくる我が子を二人はとても楽しみにしていたと、エイムス中佐は浮かべた涙を隠さなかった。

「他の兵士の家族は逃がしたんだが、彼女は暴徒に捕らえられた。軍が察知して救出に向かったのは十五分後の事だった。その僅かの間に彼女は陵辱され、腹を割かれて赤子が引き摺り出されていた。舌を噛んでいた彼女はもう絶命していて、何とか赤子だけでも助けられないかと我々も全力を尽くしたが……駄目だった」

 余りにも壮絶な現場の状況に、レオは言葉を失った。呆然としているレオの前で、エイムス中佐は尚も悲しそうに続けた。

「彼の悲嘆はもう誰も見ていられないほどだった。『俺があの暢気な女共の警護をしている間にメアリーは死んだ』と言って、人目も憚らずに号泣して、放っておけば、自死をしかねない様子だった。それで、このまま此処に居ても彼は廃人になってしまうと思ってな。グレン大佐殿も受け入れるとおっしゃって下さったので、予定通り七月にAASへ異動させた。彼女と赤子の救命を行った軍医殿も、今はエディンバラに居られるので、時折訊ねてはいたんだが、立ち直って前を向けというのも残酷な気がしてな」

 そう言って口を噤んだエイムス中佐の顔を、レオはまともに見る事が出来なかった。

 自分自身が当時ロンドンで同じような暴虐を繰り返していた事を思うと、自分にまたあの罪科の黒い渦が降り掛かってくるのを感じ、レオは小刻みに震える手を押さえ込むのに必死だった。


 ――ニコラスも、俺の被害者なんだ。

 自分が直接手を下した訳では無いのだが、自分もニコラスの妻を葬った側に居ると感じ、レオは見開いた目の奥で鼓動がドクドクと蠢いているのを感じて顔を強張らせた。

「幸い、グラスゴーでは軍も警察も正常に機能していた。暴徒達は逮捕され法の下に適正に裁かれた。もう罪は罰せられているんだ、ザイア中尉」

 そのレオの表情を読んだのか、エイムス中佐は穏やかな声でレオに語り掛けた。

「彼が、しょっちゅう此処へ戻って来ているのも俺は知っている。彼の両親も悲嘆の内に相次いで病死し今は誰も住んでは居ないが、戻って来ては両親の家の手入れをして、毎日メアリーの墓を訪れているようだ。俺も毎月メアリーの墓に花を手向けに行っているが、そうか……もう六年にもなるのか」

 寂しそうな顔で遠い目をした中佐に、レオは顔を上げた。

「先月も行かれましたか?」

「ああ。何時もそうなんだが花が切れている事も無くてな。とても綺麗にしてあった。そんなにしょっちゅう帰って来ているようでは、昇進は望めないだろうな」

 僅かに苦笑を浮かべた中佐だったが、レオは目を見開いたまま、黙り込んでじっと考えていた。



 ラックヒル陸軍基地より一km程離れた場所のサイトヒル墓地の一角に、その軍用墓地があった。

 春の盛りを迎えつつあるグラスゴーにも、青々とした緑の芝生と、淡い緑を輝かせている落葉樹の低い木々の間に穏やかな風が揺れ、ひと気の少ない墓地をゆったりと流れていた。

 花を手にしてゆっくりと歩いているレオの眼前に、小さな潅木に守られるかのように立っている一つの墓石の前で芝生の上に胡坐を掻いて座り込み、墓石を黙って見つめているニコラスの姿が見え、レオは一度唇をギュッと噛み締めた。

 近づいて来た足音に気付いて振り返ったニコラスは、驚愕を顔に張り付かせて慌てて立ち上がり、身体に染み付いた敬礼を返して、それでも此処にレオが居る事への戸惑いを隠せず、呆然と目を見開いていた。

「……班長殿、何故、此処を」

 普段の陽気さの欠片も無く苦悩が刻まれたニコラスの顔を見て、レオは悲しげに目を細めた。

 レオもメアリーの墓に花を手向けて、まだ戸惑いながら立ち尽くしているニコラスの前で静かに祈りを捧げていたが、顔を上げると振り返らずにレオは言った。

「休暇の度に此処に来た時には、何時も花が手向けられているのにお前は気付いていたか?」

「……はっ」

 考え込んで短く返答したニコラスに、レオは「今日は無礼講だ。ざっくばらんでいい」と言いながらゆっくりと振り返った。

「毎回毎回、花が手向けられ綺麗に整えられていただろう」

「……それはそうだが、それはエイムス中佐殿が」

「中佐殿が来られていたのは、月に一度だ。毎日、この墓を守っていたのは」

 レオは真っ直ぐに、怪訝そうに眉を寄せているニコラスを見た。

「お前が暢気だと言ったあの婦人達だ」

 二人の間を吹き過ぎた涼風が互いの髪を揺らしたが、ニコラスは信じられない思いに顔を歪めたまま、目に掛かる髪の存在にも気付かないかのように凍り付いていた。


 ニコラスがAASへ転属して行った後、軍用住宅で起きた悲劇を知った彼女達は、それが自分達を警護していた軍人の妻だった事を知り、己の無知を恥じたのだった。

「それで、その行政宿舎内の婦人会のメンバー達は、毎日この墓を守る事にしたんだ。代が変わって、その時にはまだ其処には住んで居なかった新人の妻達も、戒めと啓蒙のためそれに倣った。市井の人々の苦しみを忘れないように、そして、それを守る軍への感謝を忘れないようにと。入口にある管理事務所で聞いた。グラスゴーでの暴動による悲劇を忘れないようにと、関わりの無い多くの市民も、暴動のあったその日には花を手向けに来るそうだ。何時もメアリーの墓は、その日にはまるで花の絨毯が敷かれた様になっていると、そう言っていた」

 黙ったままメアリーの墓を振り返ったニコラスは泣き出しそうな瞳をしていたが、それでも何も言えず口を強張らせたままだった。

「だから、彼女達を許してやってくれないか。そして、俺を憎め」

 真顔のレオをニコラスは眉を寄せたまま振り返った。



「俺はロンドンで同じ様な事をしていた。女を犯し人を殺し、家を壊し、その全てに高笑いをしていた人でなしだ。お前の妻を殺した男達と変わらない、只の虫けらだ。だから俺を憎め。怒りの全てを俺にぶつけろ。お前がもし殺したいと願うなら、そうすればいい。俺はそうやって裁かれて当然の人間なんだ」

「何を……」

「お前には裁く権利がある。お前の中では、あの日がまだ終わってないからだ」

 一陣の風がレオが手向けた花束を揺らして、ガーベラの花びらが小さく揺れた。



「……アンタを殺しても、俺のあの日は終わらない」

 ようやくポツリと言ったニコラスは、不思議と穏やかな瞳をしていた。

「アイツは女だったが、優れた軍人だった。誇り高いハイランダーだった。自分が先に逃げる事も出来たのに、逃げなかった。軍人としての任務を全うした。俺は、俺は解ってたんだ」

 ニコラスは風に吹かれた髪をようやく掻き上げて空を見上げた。

「此処へ来る度に何時もアイツに叱られた。『何やってんの』ってな。でも今回初めて褒められたんだ。『よく頑張ったわね』って。アイツが褒めてくれたんだ」

 そう言って少し頬を染めたニコラスの横顔を、レオは黙って見ていた。

「暴徒だったというお前も、その暴徒に女房を殺された俺も、立場は逆であっても、やらなきゃならない事は同じで、たった一つだけなんじゃないのか」

 ポツリと言った後ニコラスは寂しそうな瞳を空に向けて、誰かに問い掛けているように見えた。

「それを成し遂げた時に、アイツが、アイツがまた笑ってくれる、俺はそう思うんだ」


 フッと笑って俯いたニコラスはゆっくりとレオに向き直って踵を鳴らして敬礼を返し、勇猛果敢だった当時の精悍な顔付きでレオに真顔を返した。

「班長殿、ご指導を宜しくお願い致します」


 その顔に同じ様に引き締まった顔を返すしか無いレオも、この男がその目標を達成するのを、共に同じ道を進んで見守る事が自分の道の一つなのだと悟って、敬礼を返してゆっくりと頷いた。






『だから、そうじゃないって。滑舌が悪いな、お前』

「あの、英語で言って下さいよ、ティペット二等准尉殿」

 たじろいでいるルドルフに睨みを効かせた顔を近づけたニコラスは、フンと鼻で息をして口を尖らせた。

『聴き取りぐらいは出来るようにならないと、現地で使い物にならないぞ?』

『ティペット二等准尉殿、早口過ぎますよ。それだと、初心者には難しすぎます』

 ドイツ語で苦笑を返したビリーをニコラスはジロリと睨んだ。

『現地人は皆ドイツ語なんだぞ? 普通にこれぐらいしゃべるだろ。それを聞き取れないと話にならないだろうが』

 正論に頭を掻いたビリーは、戸惑っているルドルフに首を竦めて笑ってみせた。



 休暇を終えたS班の班員が全員顔を揃えて、次の任務へ向けての準備に入ると、S班作戦本部にはニコラスの何時もの明るい大声が響き渡っていた。


「ティペット二等准尉もドイツ語が堪能というのは初耳でしたが」

「ああ。AASを目指していた彼に、亡くなった奥方が猛特訓したらしい。ドイツ語とフランス語は出来るそうだ」

「それは心強いですね」

 安堵を浮かべた表情になったネルソンは、レオに小声で囁いた。

「班長殿、彼の苦しみを取り除いて頂いたのですね」

 恐らくは、ニコラスの過去を知っていて憂慮していたのであろうネルソンの安堵の見える表情に、レオは「いや」と苦笑いして首を振った。

「アイツを救えるのは、アイツのカミさんだけだ。アイツはそれを自分で思い出しただけだ」


 早口の独語で互いに遣り合っているビリーとニコラスの双方を、首をブンブンと振り困惑して見ているルドルフに笑みを溢しながら、ようやくスタートラインに立った自分の前に白波を立てる大海原が広がっているのを感じて、共にその海に漕ぎ出す仲間達の明るい顔を見て、穏やかな風の吹くエディンバラの空を確かめるように目を細めてレオは小さく笑った。

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