番外編 S班の休日 2
エディンバラ指令本部の玄関を潜り、警備兵に敬礼を返し足早に通り過ぎようとしたランス・ウィルソン一等准尉は、自分と同時に隣に並んだ男を振り返って、「あ」と短く声を上げた。
「何だ、ウィルソン一等准尉。休暇中だろうに」
自分を棚に上げ怪訝な顔をしているネルソン・アトキンズ少尉に、ランスは苦笑を返して「少尉殿こそ、どうされたんですか」と笑い掛けた。
五日間に亘る休暇の三日目、さっさと出掛けた妻に置いてきぼりにされたランスは時間を持て余して、それならば身体を鍛えようと指令本部内にあるジムに行くために訪れたのだが、勤勉で知られるネルソンは多分任務絡みだろうと思った通りで、一階の大ホールを並んで歩きながら、ネルソンは平素の兵士の顔で淡々と言った。
「イングランドからのFCV車の移送手段について、少し気になる点があったんでな」
「久しぶりの休暇なのに、家族サービスは宜しいんですか」
同じ様に足早に歩きながら苦笑したランスに、ネルソンは表情を変えず淡々と言った。
「それは、一昨日もう充分に行った。貴君こそ、奥方殿がお一人で寂しがっておられただろうに」
「アイツは寂しがったりしませんよ。今日も、一人さっさと仕事に出掛けました。夫は元気で留守がいいんだそうです」
ぼやくように呟いたランスにネルソンは初めてクスッと笑って、
「それは、どの家庭でも同じだろう」
と、冗談だか真剣だか分からず返してきて、ランスはまた苦笑を浮かべて頷いた。
三階のS班作戦本部に到着した二人が部屋を開けようとした時、ランスは一瞬緊張した顔になったが、鍵が此処にあるという事は、中には誰も居ないという事だと思っていた通り、シンとした室内は薄暗く、ひと気の無い気配にランスは内心ホッとした。
「部下には出勤させて、自分はのんびり休暇ですか。婚約者にでも会いに行ったんですかね」
自分の机の引き出しを開けてジムの使用許可証を取り出しながら、暗にレオを指してランスは嘲笑を漏らしたが、ネルソンは「ん?」と振り返った。
「班長殿の事か? 毎日此処に来られているぞ。今日は、軍病院に行かれているが」
「え」
思いも掛けない返事にランスは戸惑った。
「昨秋怪我をされた傷の経過をみるためだそうだ。終わられたら、こちらに戻られるだろう」
ランスの内心を知ってか知らずか、淡々と説明をするネルソンに見られないように、ランスは強張った顔を逸らした。
軍人としてレオには負けたくないという思いに突き動かされて、今日も密かに己を鍛えるために指令本部に赴いたランスであったが、レオが休暇の間でも、毎日此処で北部視察の後処理や、次の任務についての事前調査を黙々と一人でやっているというその話は、彼の心に一層火を点けた。
――負けていられねぇ。
次第に自分の中で大きな存在となっていくレオの影を、挑む目で睨んで顔を引き締めたランスに、淡々とキーボードを操作しながらネルソンはまるで独り言のように言った。
「班長殿はご自分の経歴から、ご自分には他より劣っているものがある事を分かっておられる。だからこそ、足りないものは常に自分にあると考えておられる。それが我々との違いだ」
「違い、ですか」
困惑したランスに顔を向け、ネルソンは冷静な表情のまま頷いた。
「俺にも、そしてお前にも足りないものはある。それを、己の力で見出さないと班長殿は超えられない」
珍しく少し砕けた口調になったネルソンだったが、その後フッと笑みを浮かべた。
「鍛錬を怠らないのは良い事だ。貴君の戦闘能力の高さには一目を置いている。次の任務では必要になる事もあろう。期待している」
「ではやはり」
「ああ。我々が次に向かうのは、ドイツだ」
緊張した顔でランスは小さく息を飲んだ。
険しい顔に戻ったネルソンが頷くと、腹に力を籠めたランスは、目の前の壁の高さにも臆さずに、ネルソンに力強く頷き返した。
診察を終えたレオは白いシャツを着込み、老齢の軍医がおぼつかない手付きでカルテを打ち込んでいるのを見ながら、「どうですか」と問い掛けたが、耳が遠いらしい軍医が振り向きもしないのを苦笑して、もう一度声を高めて「傷はどうでしょうか」と問い直した。
「あ? ああ。問題は無いだろ。筋肉や骨にも異常は無い。尤も、三十kgを背負って行軍したんじゃから、問題無いのは分かっとるだろ」
軍医はカラカラと笑いながら返し、レオは苦笑して頭を掻いた。
「まぁ、銃弾の跡が消える事は無いだろうが、別に大した事は無い。撃った相手に見せないようにすればな」
呆気らかんと言い放った軍医の言葉を聞いて、此処でも俺の情報は把握済みかとレオは呆れたが、ワイアットを気遣っている軍医の言葉を素直に受け止める事にして、レオは黙ったまま頷いた。
「ところで、お前さんの班に居るニコラス・ティペットは健勝か?」
レオが立ち上がって頭を下げて帰ろうとした時、軍医がポツリと呟いた。
「え? ええ。元気ですが。軍医殿、ティペット二等准尉をご存知なのですか」
レオは戸惑ったが、軍医はレオを振り向かず「それならいい」と独り言のように呟いた。
「それならいいんだ」
困惑したレオが、年老いた軍医の小さな背中をじっと見返しても、軍医がレオを振り返る事は無かった。
――ただ明るく暢気なだけじゃないのか。
軍人ならば怪我は付きもので、例え軍医がニコラスを知っていたとしても不思議は無いのだが、彼を慮るような軍医の言葉がレオの脳裏から離れなかった。
指令本部に戻って来たレオが想いを巡らせながらS班作戦本部の扉を開くと、ネルソンが居るのは分かっていたが、私服とは言え、班員が顔を揃えて、慌しく動き回っているの見て目を丸くした。
「お前達、休暇なのに何やってんだ」
思わず声が出たレオに全員が顔を上げ、バツが悪そうに苦笑して顔を見合わせた。
「レッド二等准尉殿が、宿舎に訪ねて来られたんです」
今日は白いVネックのカシミアセーターに、暗蒼色のチノパンツという出で立ちのビリーが、相変らず綺麗に整っている短髪に手をやって、悪戯が見付かった子供のように苦笑いした。
「ローグ曹長はドイツ語が堪能ですので、何かいい辞書は無いかと思いまして」
同じ様に苦笑したルドルフがビリーを見て笑い、今日もTシャツにジーンズのジャスティンが、まだ少し寝癖が残る銀髪をボリボリと掻いた。
「ビリー、いえローグ曹長が指令本部にあるというんで、それならちょっと皆で講習を受けようかと」
呆れ返ったレオはフッと苦笑いを漏らしたが、直ぐに思い直してネルソンをチラッと見た。
「アトキンズ少尉、次の赴任先の情報を洩らしたのか」
「いえ。ウィルソン一等准尉には明かしましたが、他には」
「班長殿。レッド二等准尉殿には分かっていたようですよ」
ネルソンは冷静に返したが、苦笑したビリーがルドルフに笑みを向け、顔を赤くして俯いたルドルフを見て、レオはため息をついて首を振った。
「まぁ、そういう事だ。但し広範なドイツ国内のどの地域かはまだ判明していない。市街地、山岳地帯、北海沿岸、全ての地域を想定せよ」
「了解しました」
敬礼を返し其々動き始めた部下達に、また苦笑いを洩らしたレオだったが、ふと室内を見渡し、その場にニコラスだけが居ないのに気付いて、ランスとFCV車の移送について話しているネルソンに声を掛けた。
「ティペット二等准尉は来てないのか」
「ええ。とは言え、今は休暇中ですから、来ていないのが普通なのでしょうが」
こちらも苦笑を返したネルソンに、「ああ」とレオも頷いたが、
「ティペット二等准尉殿はずっとご不在ですよ」
と、顔を上げたビリーがレオに向かって明るく笑って言った。
「休暇の度に何時もご不在で、休暇が終わると宿舎に戻られてますので、帰省されてるんではないでしょうか」
「彼は確か」
「グラスゴーのご出身です」
考え込む表情になったレオに、ネルソンは一瞬影を浮かべた表情になって、それを押し隠すようにポツリと言った。
「ティペット二等准尉はこのAASに配属されるまでは、第三大隊第二中隊所属でした。グラスゴー駐留部隊です。ご自身で確かめて来られては」
レオは不審げに顔を上げたが、ネルソンは何時もの淡々とした、内面を読めない表情に戻っていた。




