第十章 第七話
今度は迷わずに無事にインヴァネスへ着いた一行は、直ぐに指令本部で会議に入った。
「ウィルソン一等准尉並びにレッド二等准尉は、インヴァネス北部復興支援計画に於いて、エディンバラ本部とインヴァネス指令本部の仲立ちを行い、インヴァネス指令本部の担当部隊と行動を共にし迅速に策を進めよ。ティペット二等准尉及びローグ曹長は、今朝方帰還した北部沿岸捜索隊より現地情報の収集を行え。ウォレス曹長はレイグモア病院に赴き、現在加療中のオークニー諸島島民の現状確認を行え。俺とアトキンズ少尉は総合作戦会議出席の後、其々が合流する。全員遅滞無く任を遂行せよ」
「了解しました」
疲れも見せず慌しく動き出した班員達を見送って、レオは目深に帽子を被り直し、隣のネルソンに頷き掛けて目で合図した。
インヴァネス指令本部大会議室には、インヴァネス指令本部長やオークニーの捜索隊として展開したスコットランド陸軍第三大隊、通称『ブラックウォッチ』の第二中隊の隊長であり、捜索隊を指揮したガイ・モクソン大尉らが集まり、そしてその場にイングランド海軍のコンラッド・アデス少佐も、険しい顔をして臨席していた。
モクソン大尉からのオークニー諸島捜索の概況が報告されると、場は重い空気に包まれた。
「本捜索ではメインランド島全域に渡って展開したが、AAS小隊S班隊により発見された五十五名以外の生存者を発見する事は出来なかった。域内にて凡そ百十一名の遺骨を収容し、カークウォール郊外にて埋葬を確認した七百二十三名と合わせ八百三十四名を数え、また周辺海域及び周辺島嶼部にて、イングランド軍所属フリゲート『エクセター』により五十二名の遺骨を収容し、確認出来た犠牲者は八百八十六名に及んだ。行方不明者は千五百名余りに上ると思われる。オークニー行政庁舎管内の島民情報は四階情報管理室内にてバックアップの確認が取れたが、現段階では犠牲者の特定は困難だと推定される」
損壊の無い建物は百棟にも届かず、逆に全半壊した建物の数は、もう推定出来ないと告げたモクソン大尉の報告が終わると、誰とも無くため息が漏れ、レオは顔を上げて鋭い眼差しで一同を見渡した。
「初動の遅れは、我々軍の失態であり怠慢であり、消し難い敗因だ。だが我々はそれでも尚、前を向いて進まねばばならない。現有情報より犠牲者の特定を進め、迅速且つ詳らかに報告する事が最優先だ。未だ行方不明の家族を探している者が、数多く居るからだ」
「しかし、九百名近いDNA鑑定となると時間が」
「時間が掛かったとしてもそれは我々がやらねばならない責務です。モクソン大尉殿」
レオの鋭い眼差しに、モクソン大尉は口を結んで黙り込んだ。
「そして今後の目標は、如何にしてオークニー諸島からの避難民を島に戻す事が出来るか、だと思うが」
「しかしあの状況では、カークウォールの再建は困難で、見通しが立たない。五十五名という数を考慮しても、他地域への移住を諮るのが妥当ではないかと」
困惑した表情のモクソン大尉にレオは顔を向けた。
「我々が島民に対して成し得るのは、出来うる限り元の生活に近い暮らしを取り戻させてやる事だけだ。誰の手も届かない状況下で、五十名ほどの島民が、津波被害を免れながらも無念の内に命を落とした。その命は、北部被害を我々が想定出来ていれば、失われずに済んだかもしれない命だ。その命に報いる為に我々に残されているのは、オークニー諸島再建へ全力を尽くす事だけだと、自分はそう思う」
「異議ありません」
すかさず声を上げたのは、コンラッドだった。それだけを言って、後はオブザーバーらしくムスッと黙り込んだコンラッドの澄ました顔をチラリと横目で見て、レオは内心で苦笑した。
「誰も異議は無いな」
インヴァネス指令本部長は苦悩の皺を深く眦に刻んで、それでも鋭い眼差しを一同に向けて見渡して、レオの顔で視線を止めると、ゆっくりと頷いた。
「之より本第三大隊インヴァネス駐留第四中隊は、北部沿岸並びに北部地域、オークニー諸島の復興に全総力を結して、この未曾有の災害に対し、困窮する住民の救出並びに支援を使命として全注力を傾ける事を最優先課題とし、全地域に全隊員を展開するものとする。各指令に於かれては、機動計画を速やかに策定し作戦を展開せよ」
「了解しました!」
一斉に立ち上がった一同が敬礼を返し、退任近い老齢の本部長は、これが自分の最後の使命だと胸に秘めて、ゆっくりと立ち上がって敬礼を返した。
任を終えてデボンポートへ帰港する『エクセター』を見送って、ネルソンにはニコラスらと合流するよう指示を出したレオは、一人レイグモア病院へと向かった。
各病室を廻ってジャスティンを探すレオに気付いたステファンが、顔を綻ばせ駆け寄って来て、血色の良くなった頬に笑い皺を浮かべ喜びを表した。
「中尉殿」
「Mr.ラインフェルト、皆の様子はどうですか」
「お陰様で殆どの者が、栄養状態が回復してきています。まだ乳児五名は観察が必要との事ですが、大人は殆ど」
並んで歩きながら、にこやかに話すステファンの説明を聞いて、レオも安堵の色を浮かべた。
ジャスティンは、その乳児と母親達が収容されている病室で質問攻めに遭っているところで、まだ点滴をつけている子が多かったが、元気良く泣いているのを見てレオは小さくホッと息をついた。
「で、汗疹って何なの?」
「だから。オルガは、赤ちゃんに着させ過ぎなんだってば。此処は十分空調が保たれてるから、島に居た時みたいに着ぐるみみたいにするから汗を掻いて、その場所に湿疹が出来るんだよ」
「だって此処も寒いじゃないの」
「それは、君の栄養状態もまだ回復し切ってないから、それで寒く感じるんだよ。赤ちゃんは君よりも体温が高い。だから暑く感じてるんだ。ほら、額に少し汗を掻いてるだろ?」
まだ少女のようにも見える若い母親を、困惑し切った顔で諭しているジャスティンが、レオに気付いてホッとした表情を和らげて、「中尉殿」と笑い掛けた。
「暫く育児講座を続けていてくれ。俺はまだ廻る場所がある」
途端に「えええ」と顔を強張らせたジャスティンにレオは苦笑を浮かべ軽く手を上げ、勢いづいた母親達に、また質問を浴びせ掛けられているジャスティンを置いて、目的の人物を求めてまたレオは歩き出した。
だが、何時も座っていたデイルームにも姿が見えず、レオは眉を寄せてステファンに訊ねた。
「あの少年は?」
「それが……」
するとステファンには言い難そうに言葉を濁して俯いた。
十分な食事を与えられているのにも関わらず、殆ど食べようとはしない少年は、此処へ来てから体力を低下させて、今はベッドから出る事が出来ないのだとステファンは顔を曇らせた。
「カウンセリングはやってはいるんですが、今もまだ彼は話さないそうです」
苦悩を浮かべた表情のステファンが病室の扉を開けると、夜八時を迎えても、まだほの明るい陽がうっすらと差し込んでいる室内で、窓辺のベッドに横たわり、それでもただじっと外を見ている少年の横顔が、前に見たより一層色を無くして青白く浮かび上がっているのを見て、レオも表情を固くして顔を強張らせた。
繋がれた点滴だけが栄養源の彼は、銀に近い金髪を陽に輝かせていたが、その薄い蒼の瞳は物憂げにうっすらと開かれているだけで、外を見ているようであっても、彼はひたすらに故郷と、その故郷に残したままの家族の姿を追い求めているのだと悟って、ゆっくりとレオは近づいて、ベッドの傍らの椅子に腰を下ろした。
レオが座っても、振り返りもしない少年の頑なな後ろ姿を、暫く黙ってじっと見ていたレオだったが、まるで独り言のように小さく話し始めた。
「今日の会議でオークニーの復興計画が承認された。これから軍は、まずストロムネスの港の再建に取り掛かり、そして、比較的被害の少なかった丘陵地帯を中心として街を再建する。何れ希望者全員に島に戻ってもらうつもりだ」
レオの言葉にステファンは「おお」と嬉しそうに頬を染めたが、少年はピクリともせず聞いているのかいないのか反応しなかった。
「君達を此処へ運んだ船の艦長は、俺の友人でもあるんだが、彼はあの船でメインランド以外の島も廻った。ノースロナルドセー島にも行ったそうだ」
其処で初めて、少年の肩が小さく震えたのにレオは気付いた。
「沿岸被害は酷かったそうだが、内陸部には羊達がまだ生き残っていたそうだ。あの羊達は海藻を食べるそうだな? だから、牧草に被害が出ていても食料には困っていないようで、数百頭が穏やかに暮らしていたようだ」
静かに語り掛けるレオの言葉を、少年は変わらず振り向かないが、じっと聞き入っているようだった。
「だが、弱っている仔羊が一頭居たそうで、保護して連れてきたと言っていた。此処の西スミストンにある家畜総合センターに預けてあるそうだ。その仔羊に会いに行ってみないか」
その言葉に初めて少年はゆっくりとレオを振り返った。
その表情にはやはり感情は無く、淡い蒼の瞳でレオを探るように見返している少年の瞳から目を離さず、レオは真顔で見つめ返した。
「ベッドから起き上がれるようにならないと、外には出られない。少しでもいい。食べてくれないか」
真剣な表情のレオを黙ったまま見つめる少年に、レオはゆっくりと頷いた。
体力を取り戻した島の大人達は、インヴァネス行政庁が使われていなかった行政庁舎職員用の職員宿舎を用意して、聖アンドリュー大聖堂裏手の集合住宅へ移る事になったが、少年とまだ経過観察が必要な乳児とその母親達は病院に残った。
毎日足繁く通ってくるレオに、少年は変わらずに何も話そうとはしなかったが、それでも毎日の食事を少し食べているという報告を受けて、レオはまた考え込んだ。
「肉類を少し、野菜を少し食べるだけでバノックには手をつけようとはしないんです」
同じ様に毎日通い少年を見舞っているステファンも、暗い表情でため息をつくと首を振った。
少年は、ノースロナルドセー島の唯一の世帯の生き残りであり、彼の普段の暮らし振りなどは誰も分からないのだと、ステファンはため息交じりに言った。
周辺島嶼部からの移住民は、協力し合ってコミュニティを作り、その中では少年の家族も交流が有ったようなのだが、その移住民の住宅の多くが少年の家のあった港近くに有り、生存者の中には少年以外に周辺島嶼部からの移住者は一人も居なかったと、ステファンはさらに表情を暗くした。
「エディンバラにある兵宿舎から、ベアー麦が送られてきたんです。何でも、バノックを恋しがる兵士達用にと備蓄してあったそうで。それを使って島のバノックを作って出しているんですが、あの子はそれでも食べようとはしなくて」
あのハナの豪快な笑顔が浮かんでレオは苦笑したが、それすらも少年に受け入れられないという事に直ぐに顔を顰めた。
――何か、何かが足りないのか。
じっと考え込んだレオは、マクダウェル中佐の言葉を思い出していた。
――きっと、事象のどこかに情報が隠されている。何処かに。
その時、レオの頭の中で柔和な笑顔が思い浮かび、もしかしたらという想いがレオの脳裏を駆け巡った。
一縷の望みを掛けてレオは携帯電話を取り出し、急き込むようにその相手、エディンバラ指令本部に告げた。
「至急、連絡を取って欲しい人が居る」
その返事を待ち侘びて、エディンバラのある南の空を振り返り、眉を寄せたままの険しい顔を崩さず、其処に答えがある事をレオはただ願っていた。




