第十章 第二話
翌朝オックに到着した一行を、昨日の様子とは打って変わって、歓迎する笑顔で出迎えた漁師の男は、自分はブラウ・エリクソンというバイキングの末裔だとカラカラと笑った。
厳つい顔を覆う分厚い髭を蓄え、暗褐色の瞳は肌の色と似通って、ブラウはごつい大きな手を差し出してレオを出迎えた。
「宜しく頼みます、Mr.エリクソン」
「ブラウでいいさ。任せとけ。ここらの海は俺の庭だからな」
気さくに笑ったブラウに、レオは安堵の笑みを浮かべて頷いた。
既に港に準備されていた彼の船に必要な物資を運び込み、レオはもう一度部下達に告げた。
「オークニー諸島には、世界の崩壊にて連絡が途絶える前までは、凡そ三千人が生活をしており、その当時の人口の殆どが最大の島であるメインランド島に集約されていた。メインランド島とグレートブリテン本島とを結ぶ定期就航線は三航路存在していたが、何れも世界崩壊が起きて以降運行していない。それ以降僅かな漁船により安否の確認が取れていたが、『発動』以降メインランドからの漁船が途絶えたのは、諸君も知っての通りだ。尚、ウィックに到達した津波は推定で一m前後、それより推察するに、オークニーを襲った津波は三m前後ではないかと思われるとの事だ」
「三mって、その程度の波なら只の高波じゃないですか」
苦笑を浮かべたニコラスにレオは目を据えて背を伸ばし直した。
「そうだな。エディンバラ城の外周の壁が一部高さ三m前後だが、あの壁が時速四十kmの速さで迫ってくるんだ。しかも壁の厚さは数十cmじゃない。数十kmだ」
レオの言葉にニコラスはゴクリと息を飲んだ。
「常に最悪の被害を想定しろ。それに対して自分に何が出来るか、それを念頭に行動せよ」
「了解しました」
一斉に敬礼を返した部下達に、レオもゆったりと敬礼を返した。
殆ど凪いでいるローズマーキー湾を出発した船は、順調に北海へと滑り出した。
「ブラウ、出来るだけ沿岸寄りを通ってくれないか。沿岸の様子も確認したい」
「おうよ、そっちの方が近道だしな」
気軽に応じたブラウが軽快に舵を捌くのを見て、レオはネルソンに指示を出した。
「要員を配置して沿岸の被害状況を確認せよ」
「はっ」
既にその心積もりであったネルソンは、班員の内三名に、沿岸に異変が無いか探索するよう双眼鏡をもう用意させていた。
長閑な海岸線が続き、沿岸のバリントアやヒルトンでは港湾施設や海岸沿いの道路などにも異常は見受けられなかった。
ところが、ターバット半島を過ぎ、ドーノック湾を左に見ながらゴルスピー近郊に建つダンロビン城に近づいていくと、壮麗な城はそのままだったが、海に面した美しい英国庭園が、跡形も無く消え失せているのが確認出来て、見つけたジャスティンは良く知る城の荒廃の様子に悔しそうに唇を噛み締めた。
「恐らく一m近くの津波が来たんだろうな」
其処から先は沿岸部の植栽は薙ぎ倒されている物が多く、被害の爪あとが徐々に目の当たりになるに従って、班員達の中にも緊張が漂い始めた。
北海の沿岸には、海に注ぎ込む川沿いに町が作られている場所が多かったが、その先のフローラやヘルムズテールでは、破壊された家々と堆く積もっている瓦礫が見えるだけで人の気配が無い事に、同じく沿岸を確認していたレオも表情を曇らせた。
「予想以上の被害だな」
「ええ。これほどまでとは」
「アトキンズ少尉、指令本部に伝えろ。北部沿岸地域の被害状況の詳細な確認と共に、生存住民の行方の調査と保護を行う為の部隊を派遣するようにと」
「了解しました」
世界の崩壊によりインヴァネスより北側の町は荒廃し、居住している住民も少なくなっていたとは言え、それでも僅かに、その地で生計を立てていた人々が、荒ぶる自然の前でなす術も無く、流されていく故郷を見ている事しか出来なかったのであろう状況を思って、ネルソンも、何時も崩さない冷静な表情に翳りを浮かべていた。
同様に破壊されたウィックの町を確認すると船は沿岸から離れ、一路オークニー諸島の中の最大の島メインランド島を目指したが、最初にブラウが異変に気付いた。
「岩礁が無い」
強張った顔のブラウが言うには、オークニー諸島東南に位置するサウスロナルドセー島の手前に、幾つかの岩礁があった筈なのに、今はその中の最大のマックル岩礁が僅かに顔を覗かせているだけで、他の小さな岩礁は跡形も無く消えているのだと説明した。
海面の僅か下に隠れているのであろう岩礁に乗り上げないよう、ゆったりと回り込んだ船が、そのサウスロナルドセー島に近づいていくと、豊かな田園が広がっていた筈の島は、赤茶けた色の地面が広がっているだけで、人口建築物は何一つ発見出来なかった。
「班長殿、チャーチル・バリアが……」
オークニー諸島の中心部にあるスカパフローを守るように、島と島とを結ぶ土手道として建造されたA961ロードは、その通称を『チャーチル・バリア』と呼ばれていた。
その『チャーチル・バリア』が、サウスロナルドセー島と、隣のオークニー島とを結んでいたのだが、その道が島の海岸べりに残骸を残しているだけで、ぽっかりと穴が開いたように海が続いているのを発見したルドルフが呆然と呟くのを聞いて、レオも「うっ」と小さく唸り声を上げた。
土手道の消失はその次の島々でも見受けられ、根こそぎ洗われたかのように何も残っていない島を見ながら、この先の惨状を思って強張った顔をしていたレオだったが、その陰鬱とした気分を、更に悪化させるように、ブラウが船のエンジンにトラブルが発生したと告げた。
「どうした?」
「分からねぇ。分からねぇが、多分スクリューに何か絡まってる」
計器の異常をチェックしながら険しい顔で告げたブラウに、レオもグッと唇を噛んだ。これ以上の長時間の航行は無理と判断して、レオは一番近いホルムの港へ向かうように指示した。
「本班は予定を変更しメインランド島ホルムにて上陸し、徒歩にてカークウォールへと向かう。総員準備に入れ」
慌しく動き始めた部下達の中で、レオはビリーとジャスティンを捕まえると操船に苦労しているブラウを補佐するよう命じた。
「船を制御して桟橋に着けろ。海中浮遊物に十分気をつけろ」
「はっ」
操船はお手の物の二人にブリッジを任せ、近づいてくるホルムの町の、建築物が何も残っていない土色の大地に向き直って、自分の危惧が杞憂では無かった事に悲嘆を感じて、レオは目を細めて島を見つめていた。
瓦礫が堆く積もったホルムの町に何とか接岸出来た一行だったが、何も無いこの場所に、動かない船と共にブラウを残していく訳にも行かず、老年に近いこの漁師も共にカークウォール迄の数十kmに及ぶ行軍に同行させることをレオは決めた。
「一般人の、しかもこんな年よ……いえ、高齢の方を、行軍に同行させるのは」
訝しげな瞳で懸念を洩らしたランスであったが、レオが口を開くよりも先に、当のブラウがカラカラと笑い飛ばした。
「俺はバイキングの末裔だからな。お前さんのような青二才よりもよっぽど頑丈だ。オークニーにも何度も来て、道も知ってるしな。お前さんこそ、途中でへばるなよ?」
笑われた事に不満げな表情を隠さないランスを苦笑いで往なして、レオは全員に声を掛けた。
「先頭は、レッド二等准尉だ。ローグ曹長並びにウォレス曹長は、Mr.エリクソンを挟むように続け。そして自分、ウィルソン一等准尉、ティペット二等准尉、最後尾はアトキンズ少尉頼んだぞ」
「はっ」
「道中も辺りの警戒と監視を怠るな。生存者を発見したら、直ちに報告せよ」
「了解しました」
ブラウまでもが律儀に敬礼を返して皆の笑いを誘い、其々総重量三十kgに達する装備品を背負い、足元を埋める瓦礫を掻き分けるようにして、一行は島の反対側に位置するカークウォールを目指し北の荒れた大地を歩き始めた。




