第十章 オークニーの悲劇編 第一話
オックの住民に別れを告げて慌しくインヴァネスに戻った一行は、直ぐにオークニー諸島への調査の準備を始めた。
「実は俺も、ずっと気になっていたんだ。調書に津波の文言があるのに気付いてからな」
オークニー諸島にて津波による被害の可能性有りと報告すると、ハリソン少佐も腕組みをして唸りながら顔を顰めた。
「二千九十五年の日本での津波被害を覚えているか?」
ハリソン少佐の問いにレオは思い出そうと眉を寄せて考え込んだ。
十二年前のその頃はまだ荒んだ生活をしていた頃で、確かネットで見た惨状に、この国にも津波が来て何もかも飲み込んでくれればいいのにと思った事を思い出して、レオは苦い思い出を噛み締めて僅かに頷いた。
「あの時、英国からの緊急援助隊に参加してたんだ、俺は」
ハリソン少佐も思い起こすように目を細めた。
日本の近畿地方と呼ばれる地域を襲った津波は数十mにも達していたらしく、二千十一年にも同様の津波被害を受けた日本は甚大な被害を出したが、その時には人的被害を最小限に留める事が出来たらしいが、それでも破壊された町の惨状は見るべくも無かったと、ハリソン少佐は語った。
「その時の余震で俺も津波に遭ってな。それも高が五十cmだった。だが日本の通訳の奴は、こう言ったんだ。『五十cmの津波でも、人が死にます。モロに遭えば逃げられません』とな」
当時を思い起こしたハリソン少佐の厳しい顔を見ながら、レオも破壊されて家の土台しか残っていない、全てが流された町の惨状を思い出して暗い表情になった。
「我が英国では、津波による被害報告は有史以来無く、被害想定は困難だ。あらゆる事態に備えられるように準備を怠るな」
「了解しました」
険しい顔を崩さないハリソン少佐に、レオも引き締まった顔で、敬礼を返した。
島への連絡フェリーが使えないとなると、移動用の船舶の準備が必要だったが、ファスレーン海軍基地から哨戒艇なら出せるという返事が来た。
「『ブリストル』はフランスへ向けて出動中だし、『エクセター』はまだ試験運用段階で運用は出来ない。哨戒艇となると車両は積載出来ないぞ」
ハリソン少佐はため息をついたが、現在英国で車両を移送出来る大型の船は『ブリストル』しか無く、それが使えないとなるともう諦めるより他無かったが、むっつりと考え込んでいる二人の上官を見て、ジャスティンが声を掛けた。
「ならばオック村の漁船を利用出来ないでしょうか。ファスレーンからサーソーまで哨戒艇を移送しても、実際にオークニーに渡れるのは翌日になってしまいます。現有の哨戒艇のフル充電量での走行可能時間は概ね八時間程度ですので」
海軍出身で詳しいジャスティンの提案に、レオもハリソン少佐も俯いていた顔を上げた。
「漁獲を移送出来ないという理由で、ここ最近は操業していないと言っていましたから、オークニーまで移動するだけの充電はされているんではないでしょうか」
「B9161ロード整備で派遣する要員から、一部をオックに派遣しろ。当該漁船の状況報告を速やかに上げるよう指令本部に伝えろ」
「了解しました」
踵を返し小走りに部屋を出ていったジャスティンの後姿を見送り、レオはそれでも表情の厳しさは変えなかった。
「だが、やはり車両は使えない。オークニーでは徒歩移動となる。ファスレーンには、哨戒艇を直接オークニーに送る手配をさせろ。怪我人の移送に備えるんだ。漁船には、予備のバッテリーの装備も忘れるな」
レオの指示に機敏に反応したネルソンがジャスティンの後に続き、残った四人に向かってレオは顔を向けた。
「ローグ曹長、インヴァネス北部地域での未太陽光化世帯の調査を指令本部に指示せよ。ティペット二等准尉並びにレッド二等准尉、ウィルソン一等准尉は、オークニー展開時に於ける装備品の調整、並びに調達を行え。全て徒歩移動で展開する事を忘れるな。七名が背負って歩けるだけの容量に、必要な物資を収めるんだ」
「七名? 六名では?」
当然の如くレオは行かないのだろうと思っていたランスが思わず口に出したが、レオはチラッと不思議そうなランスを見た。
「俺も行く。当然だろう」
何かを言い掛けようとして口を噤んだランスの隣で、ルドルフは緊張した面持ちで敬礼を返して、思いがけない展開にまだ戸惑っている様子のニコラスも遅れて敬礼を返したが、ランスは不服そうな顔を隠さずに、それでも不承不承敬礼を返して、三人が揃って出ていくのを見送って、レオはフゥと小さく息をついた。
「態々オークニーくんだりまで出掛ける必要があんのか?」
インヴァネス指令本部の備品部で、在庫品から必要な物をピックアップしてリストアップしながら、ランスが苦虫を噛み潰した顔でブツブツと文句を言っているのを、同じくピックアップをしているルドルフとニコラスは顔を見合わせた後、ランスを振り返った。
「この指令本部に、津波被害を受けた可能性があるから調査せよ、と指示すりゃ済む話じゃないか。それなのに『発動』から二年近く過ぎた今頃になって慌てて出掛けたところで、無事な奴はもう生活を立て直してるだろうし、死んだ奴は骨になってるさ」
ランスの嘲りにニコラスは「そうですよね」と相槌を返したが、ルドルフは「でも」と言い難そうに言い掛けて、ランスがジロリと睨むと怯えたように口を噤んだ。
「あのなぁ、俺らの本分を忘れてないか? 俺らは先遣隊であり、各地の状況を報告する事が義務であり、各班みたいな機動部隊じゃないんだ。なんで一々俺らが行かなきゃならないんだ? 此処には指令本部があって、動かせる要員が沢山居るんだぞ?」
「しかしですね」
それでもルドルフは勇気を振り絞った顔でランスに向き合った。
「実際に我々が展開するのは、崩壊が酷く国情も把握出来ていないような地域ばかりになるでしょう。其処には此処のような安定して稼動している軍が駐留しているとは思えません。全て自分達だけで調査する事になるんではないでしょうか」
「それもそうだよなぁ」
今度はルドルフに相槌を打ったニコラスに、ランスは呆れた口調で「やれやれ」と言った。
「軍でなくても生きてる人間が居りゃそいつを使えばいい。そんな事も思いつかないのか」
「その地に生きる人々は疲弊し、救助を求めている人々です。余力があるとは思えませんが」
オドオドした小心者だと思っていたルドルフが、一歩も引かずに言い返してくるのを見て、ランスは小さく眉を上げて不快そうな顔をした。
――こいつ、もうあの野郎に毒されてやがる。
班長が振り翳している理想論など、鼻持ちなら無いと切り捨てているランスにとって、最早ルドルフも、追い落とす対象にしか見えなかった。
――コイツも軍から放り出してやる。
不機嫌そうではあったが作業再開したランスを見て、ルドルフもまた装備品の重量計算に戻り、その二人のやり取りを、黙って見ていたニコラスも、軽口を叩いていい場面とは流石に思ってはいないようで、口を噤んだままピックアップリストの作成作業を、黙々と再開した。
インヴァネス近郊の復興支援策については、現有の資料を基に、ハリソン少佐が引き継ぎ、インヴァネス指令本部を中心として纏め上げる事になり、レオはオークニー視察の準備に奔走した。
地震や津波などとは縁の無いこの英国で、北部沿岸の津波被害を想定出来なかった事は致し方ない事だとも思ったが、これから展開する世界では、地震や津波の他にも火山噴火による被害や火山灰の降灰による被害も想定されて、あらゆる災害を想定した準備行動が必要だとレオは再認識した。
――まさかグレン大佐殿は、そこまで想定をしてこの北部視察を命じたんだろうか。
レオは深読みしてみたが、そんな筈は無いと首を振った。
もし北部にそういった被害が出ている事を想定していたのなら、大佐殿ならここまで待たず何か手を打っていた筈だと思い直して、やはりこれは想定外なのだろうとレオは思った。
――だが、世界へ出ればきっと想定外のオンパレードだ。それに如何に対応出来るか、その試金石だな。
S班用に宛がわれた作戦指令本部で、気を引き締め直したレオは取り寄せたオークニーの基本情報を眺めながら、その先の展開を、じっと考え込んでいた。
――アイツなら、そして【鍵】ならどうするだろうか。
また思いを馳せたレオは、やはり結論は一つしかないと思った。
迷う事無く赴いて、自分の目で確かめて、救いの手を差し伸べるだろう、そう思い至ったレオの瞳にも、迷いは浮かんでいなかった。
オックで、あのレオに噛み付いていた漁師からオークニーまでの移送は可能だという快諾の返事が届くと、既に各々準備を終え作戦本部に戻った部下達にレオは次なる指示を出した。
「本班は明朝七時、インヴァネスを発ってオックへと向かう。其処より地元住民の漁船にてオークニー諸島カークウォールへ向かう。そして現地にて、津波被害の実態調査並びに被害民の救出に当たる。全員心して任務を遂行せよ」
「了解しました」
其々が其々の思惑を胸に秘めているようだったが、自分も彼らも、この任務で何か得られる筈だという確信のあったレオは、部下達にゆっくりと敬礼を返して小さく頷いた。




