第九章 第八話
一方のビリーとジャスティンは、オック村の港にある壊れた冷蔵倉庫前で、気色ばんだ十数名の男達に取り囲まれ、何とか宥めようと必死だった。
「ですから、我々は、北部復興を支援するために此処へと送られた先遣隊なんです。復興に際しては――」
「ならなんで俺らに移住しろって言うんだ! それが支援か!」
中央政府は自分達には何もしてくれない、インヴァネスの事しか考えていないと憤る男達を説得しようと、言葉を尽くしている二人であったが、その短絡的な思考に呆れて、苦笑いを滲ませた目線で目配せし合ってため息をついた。
「だから言ったでしょう。此処まで送電線を延ばす為の資材が無いんですよ。かといって太陽光を設置したところで、この天候じゃあ」
ビリーはどんよりと曇った空を見上げてフゥと息をついた。
「それは皆さん分かっておられると思いますが」
「分かってるってもんじゃねぇ! この冬は、寒さで年寄りが三人死んだんだ。産まれたばかりの赤ん坊が居る家じゃあ、此処じゃあ凍死しちまうって、仕方なく嫁と赤ん坊だけはインヴァネスに避難させたんだ。折角産まれた孫と引き離されて、苦しんでいる俺らの気持ちが、お前みたいな若造らに分かるもんか」
ペッと唾を吐いた男は、苛立ちを露に声を荒げて二人を詰った。
「お気の毒だと思いますよ。しかしですね」
「お前らは何時だってそうだ。一昨日、インヴァネスで俺に訊ねて来た軍人はじっくり話を聞いてくれたから、今度は何か良い方向に向かうのかと思ってたら、案の定だ。お前らは信用ならねぇ!」
その叫びに、一斉に「そうだ、そうだ」と追従の声が上がって、血走った目をギラギラとさせた男達が、ジリジリと二人に近づいて来て、ビリーとジャスティンは目配せし緊張した顔を向け合ったが、少しずつ後退りながら手を背後に廻して、何時でも発砲出来るよう警戒する仕草を見せた。
「俺らを撃ち殺すつもりか」
殺気だった気配に、ビリーもジャスティンも小さくゴクリと息を飲んだが、激しく鳴らされたクラクションにビクッと顔を上げて、其処に見慣れた軍用車が土埃を上げながら向かってくるのを見て、ホッとした顔をした。
怒りを露にした男達の前に降り立ったレオは、ゆっくりと男達に歩み寄って帽子を取り、深々と頭を下げた。
「部下達が大変失礼を致しました。厳しく指導しますので、どうかお許し下さい」
そのまま身じろぎもしないレオに、ビリーとジャスティンも何事かと顔を見合わせていたが、怒りの収まらない住民の矛先がレオに向けられた。
「お前らは、俺らをインヴァネスに集める為に中央が寄越したんだろが。エディンバラは、エディンバラとグラスゴーの事しか考えてねぇ。ハイランドには、インヴァネスしかないと思っていやがる。これから産まれて来る俺らの孫達は、もうオックっ子にはならねぇ。インヴァネスで育って、此処を故郷だと思えない子になっちまう。俺は、親父や爺さん、その爺さんやその爺さんと、ずっとオックで育ったんだ。『発動』が終われば世界は元に戻るなんて、誰が言いやがった。俺らは故郷を追われるんだぞ? 此処が、此処だけが、俺の故郷なのに」
最後は涙声になっていた漁師の男の話を、じっと耳を傾けて聞いていたレオは、ゆっくりと男に話し掛けた。
「『発動』が終われば世界は元に戻る、確かにそうですが少し違います」
「それ見ろ! やっぱりそうだ!」
喧々諤々となった男達を制するようにレオが黒い瞳で男達を一瞥すると、その鋭い眼光に一瞬で場が静まり返った。
「世界は元に戻るんではありません。【鍵】が望んだ差別も区別も無い豊かな世界に生まれ変わろうとしているんです」
レオの言葉に車の脇に立ちながらランスは内心で、何、綺麗事を言ってやがると嘲笑った。
「途中のB9161ロードでの不通箇所は現地で確認しましたので、今日中に軍を差し向けて邪魔になっている枝の撤去を行います」
レオはそう言ってネルソンに目線を送り、頷いたネルソンは車の中に体を入れて、慌しく本部と無線でやり取りを始めた。
「そして此処の生活を圧迫している電力不足については、具体案を本部に提出し、早急に対策に乗り出す方針です」
「何だ、その具体案ってのは」
レオの丁寧な説明に、戸惑いを隠せず顔を見合わせていた住民の一人が訊ねると、
「FCVを活用します」
レオは口元に小さく笑みを浮かべて、短く答えた。
「水素車? そんなもの此処にはありゃしねぇぞ」
困惑した顔を見合わせた男達を前にして、レオは帽子を被り直しキリッと顔を上げた。
「イングランドでは、現在FCVは殆どが使用されておりません。政府が国有化した旧自動車メーカー倉庫に、FCV車の在庫が利用されないまま眠っています。それを活用します。幸いインヴァネスの水素充填ステーションは十分余力があります」
ビリーとジャスティンは眉を寄せて顔を見合わせた。
「現在ご利用の車は全てFCVに入れ替えます。その上で家庭用の電力につきましては、軍用で利用されていた水素充電車を活用し、各家庭へのバッテリー充電を実施する事を申請する予定です」
「なんだ、その、水素充電車って」
聞いた事のない言葉に男達がざわめき、レオの発言の意図を理解したネルソンは「そうか」と珍しく目を見開いてポツリと呟いた。
そのレオからの視線を受けたネルソンが、小さく頷き返して顔を上げた時には、元の冷静沈着な表情に戻っていた。
「水素充電車とは、元々軍用艦船用に利用されていた水素から電力に変える変換用大型車両です。一般車両の充填可能量を遥かに凌ぐ量の水素を充填出来、且つ安全に、燃料電池に充電する機能を持ち合わせております。その発電量は、小型発電所に匹敵する一万キロワットに達し、凡そ二千世帯分の発電が可能です。その水素充電車をイングランド軍は五台所有していますが、現在は全て非稼動で、この車をこの地域に差し向ける事が可能です。水素ステーションにて充填を行い、各地域を廻って各家庭の蓄電池への充電を行えば、不足の電力の回復も十分見込めると、我々は考えております」
ネルソンの淡々とした説明を聞いた男達の間には動揺が走って、次第に強張った顔に赤みが差してくるのが分かった。
「でも、全部の家が太陽光化してるわけじゃないぞ?」
「それでは、この壊れた冷蔵施設の修理と共に、資源エネルギー庁より職員を差し向けましょう」
それでもまだ疑いの目を緩めない男の問いに、レオはゆったりと笑みを返した。
「そんな事言って、此処は何度も訴えたのに、ほったらかしだったんだぞ? そんな旨い話が」
「では、直ぐに連絡を取りましょう」
そう言ってレオはポケットから携帯電話を取り出した。
これから世界に出るレオへと、英国政府より供与されたこの電話を使うのは今回初めてだったが、呼び出しに応じた相手はのんびりとした声で「やあ、レオ」と明るく答えた。
「クリスか? 俺だ。いきなりで悪いが、親父さんに伝えて欲しい事があるんだ」
挨拶なしの突然の申し出にも、クリスは機嫌を悪くする事もなく「うん」と笑った。
「今俺は、ハイランドのインヴァネス北部地域に来ているんだが、この地域の未太陽光化の全戸の太陽光化と、一部破損している施設の修理に来て欲しいんだ。直ぐに」
唐突な、しかも強引な申し出ではあったが、クリスは気にする事も無くレオに訊ねた。
「その施設は何? 型番分かるかな?」
「冷蔵倉庫だ。型番は……」
「H2085‐1589BVだ」
住民がスラスラと答えた内容をそのままレオが伝えると、クリスは「ああ」と嬉しそうに笑った。
「親父の会社の製品だね。伝えておくよ。でも、明日出発したとしても、到着は夜遅くで、作業は明後日になるけどいいのかな?」
「ああ、十分だ。ありがとう」
「分かった。任務、ご苦労様。元気で頑張っているみたいだって、バーグマン尼僧に伝えておくよ」
最後はクスクスと笑ったクリスに、レオは「ああ」と苦笑を返し電話を切った。
「今の相手は……」
「聖システィーナ地域の【守護者】Mr.クリス・エバンスです」
「あの! 津波から此処らを守ったというあの方か!」
『発動』の時に、英国を襲おうとしていた津波を、クリスがその甚大な力で防いだ事を、流石にこの地域の住民は皆知っていた。
「彼の父親が資源エネルギー庁長官ですので、話は直ぐに伝わると思います。明後日には資源エネルギー庁からの職員が倉庫の修理に訪れる予定ですので、どなたか対応をして頂けますか?」
レオの問い掛けに、笑顔を浮かべ始めていた男が力強く頷いた。
「本当に、本当に俺らを助けてくれるんだな?」
「勿論です。我々はそのために此処に来ていますから」
さっきまでの荒々しい気配はすっかりと消え失せ、穏やかな顔に戻った海の男達が陽に焼けた頬を綻ばせて、嬉しそうに笑っているのを見て、レオも内心で安堵の息をついた。
「それで少しお伺いしたいんですが、この施設は津波による破壊と聞きましたが」
レオが顔を引き締め直して、心の中に引っ掛かっている疑問点を口にすると、男は途端に表情を曇らせて「ああ」と頷いた。
「此処には数十cmだが津波が来たんだ。その時たまたまこの施設の充電装置が入った設備室のドアを開けててな。海水が入り込んでダメになった」
「彼が、クリスが津波を防いだとずっと思ってたんだが」
口元に手を当てて考え込んだレオだったが、男はフルフルと首を振った。
「後から聞いた話なんだが、ノルウェーに向かった波が反射して、一部が僅かに英国にも来たらしいんだ。勿論、この国が津波に遭うなんて誰も考えてなかったからな。対策なんか何もしちゃいない。此処はまだマシな方で、北の方では家まで海水が入ってきた場所もあるようだ」
「ウィックはかなり水が来たようだな。僅かに報告が上がってた」
北海に面した町ウィックは、ウィック川沿いの小規模ながら空港も持つ町だったが、川を逆流するように入り込んだ海水により多くの家が浸水し、死者こそ出なかったが殆どの家が使用不能になって、残り少なかった住民は、全て内陸部のワッテンに移住したという、昼間行政庁舎で調べた資料を思い出してレオが呟くと、漁師の男は「そうそう」と付け加えた。
「サーソーは大した被害は無かったらしいんだが、オークニーは、もしかしたら被害が出たんじゃないかって、そこの奴が言ってたな」
「……被害報告は上がってなかったが」
そう言いながら、レオはネルソンの作った資料を思い出していた。
「アトキンズ少尉。確か昨年の農業実態の中に、オークニー諸島のデータは含まれてなかったな?」
「はっ。ですが、オークニー諸島は本島との連絡フェリーが七年前の世界崩壊時より欠航していまして、それ以降、オークニーからの連絡が途絶えておりますので」
「ああ、でもな。小型の漁船はたまに来てたんだよ、サーソーに。オークニー諸島は気候もいいし、農業も盛んだから、多分食うには困らなかっただろうけど、医薬品とかはな。でも『発動』以降は、一回も来てないと言ってた。だから何かあったんじゃないかって」
淡々と話す男の言葉に、レオは険しくなっていく眉間の皺を深く刻んで、無意識に噛み締めた奥歯がギリッと鳴り、バッとネルソンを振り返った。
同様に少し青褪めた顔をしているネルソンも、同じ結論を抱いているようだった。
「一度インヴァネスに戻るぞ。対応を協議の上、出発する」
「はっ」
即答したネルソンだったが、話が見えないニコラスとルドルフはポカンと顔を見合わせた。
「班長殿、何処へ?」
同じく怪訝そうな顔で問い掛けたビリーに向かって、レオは鋭い視線を向けた。
「サーソーだ。そして、オークニー諸島へ向かう」
クリスが全て防ぎ切ったと思っていた津波による被害が、思いもかけない場所を襲っていた事を知って、既に二年近く経過しているその場所が今どうなっているのかと、惨状を思い浮かべて、レオは悔しそうに顔を顰めた。




