第九章 第六話
翌日の午後四時、インヴァネス指令本部に戻ってきた部下を前に、レオは会議室で腕組みをして其々の報告を黙って聞いていた。
「――図表の通り、農業は過去五年やや不作の状況が続いています。これは、ここ数年間のスコットランドの寒冷化の影響によるものと思われ、ローランドも同様に不作が続いています。漁業は稼動する漁船が微増したために、昨年はやや回復傾向にありますが、日照の少ないこの地域での太陽光化には限度があり、早急に対策が必要と思われます。畜産と林業はここ数年間各々横ばいで、高水準の安定した結果が出ています」
ネルソンの淡々とした声を聞きながら、レオはこの報告には口を結んだままだった。
「次に治安の状況ですが、概ね平常です。犯罪件数は微増ですが、これは主に軽犯罪で、大した変化は見受けられません」
次に立ち上がったニコラスが、作成した資料をプロジェクターに投影しながら資料を棒読みする口調で話し出したが、その先を遮るようにレオは小さく眉を上げて言葉を発した。
「昨年の警察の出動回数は?」
「えっと……約三百回ですね。人口比率にすると大した事ないかと」
「その警察の出動の案件の内訳は?」
「――えーと……」
指摘されたニコラスは、慌てて資料を捲って探そうとしたが見付からず、諦めて顔を上げた。
「其処までは」
「パトロール依頼が百五十三回、強盗・窃盗などが七十七回、喧嘩などの騒乱が五十回、暴動が二十回、殺人が七回だ」
答えられないニコラスに代わってレオが何も見ずに淡々と答え、ニコラスは口を開けたまま黙ってレオを見返しているだけだった。
「軍は昨年三十回緊急出動している」
レオはゆっくりと顔を上げて皆を見渡して言った。
「警察では対応出来ない出動が年に三十回だ。これを少ない数字と思うか?」
「それは……」
「『発動』以後に、これだけの数字というのは、俺は少なくないと思うが、どうだ?」
口篭ったニコラスを無視して、向かい側に座っているネルソンの顔を真っ直ぐに見たレオに、ネルソンは冷静な表情に少し戸惑いを浮かべて「はっ」と返答した。
「特に暴動二十回というのが引っ掛かりますね」
「ああ。その全てに軍も出動して鎮圧している。主にインヴァネス北部の農業漁業地域での事だ。其処に何か抑圧されたものがあるんじゃないのか」
「――直ちに調査致します」
書き留めたネルソンはチラリと横のニコラスに視線を送ったが、口をヘの字にして黙り込んでいるニコラスは、レオとは目を合わせようとはしなかった。
次にランスが検問の結果をプロジェクターに映し出して、手元の資料を繰りながら、レオを一瞥しただけで話し始めた。
「検問は午前十時より午後三時まで、五時間に亘って計二日間行いました。その間の車両台数は総数百五十七台、内トラックなど大型車両が九十五台、乗用車が六十二台です。インヴァネスへの流入車が九十三台、流出車が六十四台です。積荷は主に農作物及び漁獲物、インヴァネスの市場への搬入物が主なようです。各車両の入出地の一覧はお手元の資料の通りです」
「各地域の現状については?」
ネルソンが掛けた問いに、ランスは手元の資料に一度目を落としてから首を竦めた。
「概ね、特に何も無いようです」
大げさな検問を張らせた癖に、特段の成果も無かった事を強調したいが故に、ランスはわざと素っ気無く言った。
「検問調書を見せてくれ」
レオは手元の資料には目も暮れず、ランスを真っ直ぐ見て言った。
「はっ。しかし、細かすぎて資料にならないかと」
ランスがチラッとルドルフを一瞥して口元には薄っすらと笑みを浮かべると、ルドルフは一層身を縮込ませて俯いた。
「見せろ」
そんなランスにも介さず、レオは短く言った。
「了解しました」
不満そうに返したランスだったが、流石に露骨に上官に反逆する事はせず、レオに分厚い検問調書の束を差し出した。
細かい字でびっしりと書かれている調書を一枚一枚捲りながら、レオが目を通している隣で、ハリソン少佐も少し驚いてその調書を覗き込んでいた。
「随分と詳細だな」
「はっ。レッド二等准尉が時間を掛けて、懇切丁寧に聴取しておりましたので」
ランスの侮蔑の籠った言葉もレオは無視し、一枚に目を止めるとルドルフに向き直った。
「このオックから来たトラックだが、覚えているか」
声を掛けられたルドルフは、少し顔をビクつかせたが、それでも「はっ」と答えた。
「『これじゃあ魚を運べない』と言ったとあるが」
「オックは小さな漁港のある村なのですが、津波の被害で港の冷蔵倉庫が壊れ、その日の水揚げはその日の内に運ばないといけないのだそうですが、B9161ロードが途中の森の侵食により使えない為に遠回りをせざるを得ず、現状では漁獲物を運搬出来ない状況にあるそうです。何でも、この最近の天候不順により、ソーラー車のバッテリーが十分に充電出来ず、大型車は一日一時間しか走行出来ないのに、迂回すると一時間半掛かるとか」
「なるほどな」
「その他の沿岸地域からも、ここの最近の天候不良により太陽光が十分稼動せず、電力不足が著しいとの声を幾つか耳にしました」
思い出したようにルドルフが付け加えると、レオはジャスティンとビリーを振り返った。
「この地域の電力事情は?」
「北部山岳地域での水力発電による電力は、A9ラインより山側、及びインヴァネスに供給されており、A9ラインより海側ではこの恩恵を受けておりません。現状では僅かな太陽光発電によるのみで、現在の天候不良の気候ではその能力は七十%程度に落ち込んでいるものと推察されます」
ジャスティンがすかさず答えると、
「暴動が起こっている地域と重なってるな」
ハリソン少佐も、該当の不満の声が上がっている地域を、目聡く調書から見つけながらレオに視線を送った。
「該当地域の太陽光化率は?」
「六十%に届いておりません」
こちらもビリーが手元の資料を手繰る事なくスラスラと答えると、レオはゆっくりと顔を上げた。
「比較的治安状況も良く、物資の需給も安定しているインヴァネスは問題無いが、その周辺がその一極化のあおりを受けている。その地域の安定化が最優先だと俺は思うが」
「異議ありません」
間髪を入れずにネルソンが答えて、困惑した顔を見合わせているニコラスとルドルフ、ランスの三人を横目で見て、ジャスティンとビリーは「はっ。自分もそう思います」と、淡々と告げた。
「――そうだな。俺もそう思う」
最後にハリソン少佐がゆっくりと顔を上げると、レオはまた一同をゆっくりと見渡した。
「各自の資料を持ち寄って、インヴァネス近郊の治安回復に於ける課題点とそれに対する軍としての支援策を纏めよ。期日は明日まで。明日午後五時、当会議室に参集せよ」
「了解しました」
一斉に立ち上がってレオに敬礼を返した部下達に、レオは内心で小さく息をつき、その安堵を顔に出さないよう口をギュッと結んだ。
「それにしてもよく細かく見ているな、レッド二等准尉」
会議が終わって立ち上がったルドルフは、レオに声を掛けられ、戸惑いと共に顔を振って「いえ」と俯いた。
「俺達の仕事で肝心なのは、其処に居る人間の『声』を聞く事だ。それも貴君のように真摯にだ。其処から一歩が始まる。忘れるなよ」
「……了解しました」
ルドルフは軍人になって初めて褒められた事に、戸惑いと同時に小さな喜びを感じていた。
――懲罰じゃなかったのか。
PCに向かうのは得意だったし、先遣隊の役目はその場所の情報をPCデータから引き出すものだと思っていたルドルフにとって、それは新鮮な発見だった。
あの時、一生懸命に訴えていた男達の顔が浮かんで、ルドルフは彼らの生活に思いを馳せた事を思い出した。
――そうなんだ。援助とは、其処に住む人達が本当は何を望んでいるのか知る事から始まるんだ。
自分の字で細かくびっちりと書かれた調書を手したルドルフは、今はもうそれに劣等感は抱いていなかった。
この人々の訴えの中から彼らが望んでいる事を見落とさないよう、もう一度目を通しながら、真剣に読み込む彼の目には小さな輝きが灯っていた。
ニコラスは自室へと戻ると自分の資料を怒りに任せベッドに投げ付けたが、薄い資料は頼りなげな音を返しただけだった。
「クソッ! 馬鹿にしやがって」
不得手な作業をさせて、その上でまるで揚げ足を取るかのように自分の不備を指摘したレオのやり方に、反発しか感じていなかった。おまけにアトキンズ少尉に「データの不備を明日午前中に補足せよ」と指示されて、仲間はもう纏めに入るというのに、自分だけ宿題を出された事にも我慢がならなかった。
その時若い二人の曹長が自分を哀れむ眼差しで見た様な気がしたのも、自分の気のせいではないとニコラスはペッと唾を吐いた。
「馬鹿にしやがって。見てろよ」
誰にも文句を言わせない物にしてやると、ニコラスは使うつもりも無かった作業用PCを鞄から引っ張り出し、ベッドに投げ付けた資料をもう一度手に取り、内容をチェックしながら充足すべき点をピックアップする作業に没頭していった。
一方のランスは、纏め作業を全部ルドルフに丸投げして、自分は自室で苦そうにお茶を飲んでいた。
学歴も軍人としての経歴も無いレオを愚鈍だと思っていたのに、カウンターパンチを食らわされたような気分で、不機嫌極まり無いといった顔でムスッと椅子に座り込んでいた。
――どうせあれが精一杯だ。
小心者のルドルフのご機嫌を取って、自分の味方にしようとしているんだろうとランスは内心で嘲笑った。
――あんな小物一人を味方につけたところで、アンタの周りには敵だらけなんだよ、ザイア中尉。
不敵な笑みを浮かべたランスは、どうすればあの男に泥を塗れるのか、それだけに思いを廻らせていた。
「どう思う?」
「面白い。実に面白い」
ビリーとジャスティンの若い二人は、食堂でのんびりお茶を飲みながら顔を合わせてクスクスと笑っていた。
「ああ。結構、面白くなりそうだな」
恐れを知らない若い二人は、この先自分達に矛先が向くとは思わずに、まだ暢気に笑っていた。




