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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第九章 第九十九AAS小隊S班 北の国への旅立ち編
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第九章 第二話

 五月ともなれば、イングランドでは木々も青々とした葉を繁らせ、花の香りの溢れる畑には植えたばかりの小麦のまだ小さな青い穂も揺れているというのに、此処エディンバラでは雪の多かった今年は四月に入ってようやく残雪が消えて、まだ裏寒い雰囲気の木々は、焦げ茶色の固い枝に僅かに青い蕾を覗かせているだけで、まだ冬の終わりといった感じで春と呼べるにはまだかかりそうだと、レオはまだ吐く息が少し白みを帯びる夕暮れの冷たい空気の中、固い靴音を響かせて、指令本部のある四階の廊下をゆっくりと歩いていた。


 四階の突き当たりの部屋の前で、一度居住まいを正したレオは、扉を開けて目の前の人物に折り目正しい敬礼を返し背筋を伸ばした。

「ご命令によりアレックス・ザイア、参上仕りました」

「ご苦労、ザイア中尉。まぁ掛けたまえ」

 スコットランド陸軍第九十九AAS小隊の小隊長アンドリュー・グレン大佐は、ゆっくりと立ち上がり傍らのソファを指し示した。


「どうかね。此処での暮らしにも慣れてきたかね?」

「はっ。大佐殿を始め、皆様に良くして頂いて感謝しております」

 レオが礼儀を崩さず答えると、グレン大佐は満足そうに少し目を細めた。

「では、そろそろ新しい任務を貴君に与えようと思うのだが」

 グレン大佐は変らず淡々とした表情で、目の前のレオを真っ直ぐに見つめた。

「現在我々は、三班を以って構成されている。ABC三つの班だ。これらは全て差異無く機動部隊であるが、今回新しい班を構築し、貴君にはその班長を務めて貰いたい」

「自分が、ですか?」

 まだこのスコットランドに来て一ヶ月ほど、軍人になってからも二年余り程度の自分に、班とは言え、長の役職は荷が重いと思ったレオは戸惑って声を詰まらせた。

「そうだ。まさか中尉を一兵卒にしておくわけにはいかないからな」

 戸惑っている様子のレオにも介さず、グレン大佐は平然と言った。

 軍に入隊して僅か二年余りの自分に付けられた不似合いな階級に、レオは内心で苦笑を浮かべて、このスコットランドに来た日の事を思い出していた。



 そもそも同じ英国内とは言え、組織としては別のイングランド軍とスコットランド軍間を転属するにあたり、イングランド軍を退役してスコットランド軍に新たに加わる事で、自分の階級も真っ新に戻ると思っていたレオであったが、その待遇は予想だにしなかった中尉というものであった。

 頑なに固辞するレオを前にして、グレン大佐は暫く黙ってレオを見上げて静かに言った。

「貴君は、現在の自分の階級が正当な戦果に対しての評価では無いという事に固執しておられるが、本当にそう思うのかね」

「はっ」

「我々の戦果とは敵と対峙しこれを撃破し、又は治安維持に於いて功績を挙げる事だと、貴君はそれだけだと思っているのだろうか」

 グレン大佐は指先でトントンと机を叩いた。

「我々に於ける戦果とは、『国又は国民に対して、その行為の結果どれだけ寄与したか』であり、何も戦闘行為に於ける戦勝効果だけでは無い。マクダウェル中佐がおっしゃっておられた通り、貴君の任務は限定的に貴君にしか成しえないものではあったが、それ故にその任務を確実に遂行し英国を危機より救った行為に対し、我々も同様の賛辞を与える事に異議は無い」

「しかし」

「その賞賛を白紙に戻すという事は、彼らが与えた賛辞をも白紙に戻すという事になるのは理解しているか」

 俺達のために受けてくれと言ったマクダウェル中佐の言葉を思い出したレオは、一瞬口を噤んだが、また真っ直ぐに顔を上げた。

「ではせめて同等の少尉で」

「我々が懇願して貴君に態々スコットランドまでおいで頂いたんだ。それに対して我々から褒賞を与えねば、我々の立場が無い事も理解して頂けないだろうか」

 グレン大佐は机を叩いていた指を両手で握り合わせ、ゆっくりとレオを見上げた。

「貴君は我々の羅針盤だ。この先の道筋を示すに当たり、最下層の一兵卒が上官にその指示を出せると思うかね。貴君は常に船の先頭にて、その先の道筋を、明確に照らし出す必要がある。その気概と責とを貴君には負って貰う事になる」


 淡々とした言葉ではあったが、レオは自分の背に負った荷の重さを感じて、俯きそうになる体を堪えようと背に力を籠め、居住まいを正した。

「ザイア中尉、世界は疲弊し助けを必要としている。躊躇している時間など無いのだ」


 最後に、レオを諭すようにゆっくりと話したグレン大佐の怜悧な灰色の瞳を見返して、自分は今、目の前にある崖から飛び降りて、その先に見える大海原へ向かい駆け出していかなければならないのだと、腹に力を籠めたレオは敬礼を返し、ただ一つの答えを返した。

了解しました(  イエスサー)




 新しく構成される班はS班だとグレン大佐は言った。

斥候(Scout)という意味だ。我々が展開する地域に於いて、先んじてその場所の偵察を行い、それ以降の機動計画を立案して、部隊を円滑に展開する責務を負う」

「はっ」

「S班の構成は班長並びに副班長、そして班員は総勢五名だ。貴君にはその班長を務めて貰う。貴君に対する直接の命令は、小隊副長オラフ・ハリソン少佐より下される。詳細についてはハリソン少佐より指示を仰げ」

了解しました(  イエスサー)

「昇任式は、明日午前十時より、当指令本部第四会議室にて行う。遅滞無く参集せよ」

「はっ」

 まだ緊張を瞳に浮かべたレオに、グレン大佐はこの日初めて瞳に笑みを浮かべた。

「精鋭達を招集してある。貴君の奮闘を期待する」

 穏やかそうに見えて何処かに違和感のある大佐の笑みに、レオは困惑したまま敬礼を返していた。



 

 この日の訓練を終えた兵士達が、私服に着替え終わって三々五々帰宅の途に付く中、レオも長袖のTシャツに黒い細身のジーンズに着替え、黒のジャケットを無造作に羽織ると、ひと気の無くなったロッカールームを出た。

 入口のキルトの警備兵に軽い敬礼を返して外へ出ると、長くなり始めた陽は、まだ緩やかにほの明るい気配を漂わせて石畳で揺れていたが、厚い雲の上からの陽差しは望むべくも無く、曇天の空の下、レオはブーツの踵をコツコツと鳴らしながら、冷たさを感じる手をジャケットのポケットに突っ込んだ。

 独身用の兵士の宿舎は、指令本部から西に徒歩三分のところで、ローリストン通りに面したこの地区では新しい建物は、歴史の浅いAAS部隊用に後年作られた物だと聞いた。

 AAS各班二十名ずつ総数六十名の兵士の内、半分はこの独身用宿舎に住んでおり、既婚の兵士達は、指令本部から南に五分ほどの新興住宅街に作られた、兵士用の戸建宿舎に家族で住んでいた。



 大きな木製の扉を開けてレオが宿舎に入ると、装飾と言えば壁に掛かった絵と大きな観葉植物の鉢が幾つか置いてあるだけの簡素なロビーを、力任せにモップでゴシゴシと擦っている、大きな身体を丸々とさせた女が顔を上げて、レオを見て丸い顔を笑い皺で一杯にしてにこやかに笑った。

「おかえり、レオ」

「ああ、ただいま。ハナ」

 このハナ・ウィロックは、住み込みで夫ルロイと共にこの宿舎の管理をしており、まだ若い者が多い独身兵士達の母親のような存在でもあり、面倒見のよい気風の良い女性だった。

「時化た顔してるじゃないか。大佐殿に叱られたのかい?」

 モップを手にカラカラと豪快に笑うハナに、レオは苦笑を浮かべ頭を掻いた。

「いや」

「まぁいいさ。夕飯は十九時からだからね。ちゃんと下りて来るんだよ。ほっとくとアンタは食わずに寝ちまうからね」

 そう言ってハナはまた、ぶっとい腕に抱えたモップで、もう磨くところなど無いように見える綺麗な床をゴシゴシと擦り始めた。

「ああ」

 苦笑いを浮かべたまま、レオは自室に宛がわれた最上階の五階の部屋へ上がっていった。

 

 通りに面した窓からは、古い建物の合間に、所々近代的な建物が肩身狭そうに建っている隙間を埋めるかのように、まだ僅かに葉を覗かせている落葉樹の木立と、その奥にはエディンバラの到る所にある公園の一つが、常緑樹を従えて青々とした緑を繁らせているのが見えて、ポーツマスで兵舎になっていた旧大学の寄宿舎からの、整然とした街並みの向こう側に港の明かりが見えていた前の住みかとの違いに、ようやくレオも最近慣れてきた。


 ジャケットを入口脇のスタンドに無造作に掛け、履いていた黒いブーツを室内用のデッキシューズに履きかえると、レオは全館空調が効いて暖かな室内を見渡した。

 前の宿舎では、ベッドと小さなタンスしか無かったが、此処では机がありPCも設置してあって、軍指令本部のサーバーと繋がっていて必要な情報にアクセスする事が出来た。

 シャワールームの他に小さな冷蔵庫と簡単に湯を沸かせるポットも設置されていて、レオは冷蔵庫から冷えたエールを取り出すと、一気に半分近く呷った。



 この一ヶ月間は、此処での暮らしに慣れる事と、イングランド軍とは若干異なるスコットランド軍の規律や組織の構成を学んだり、兵士達の基礎訓練に一緒に参加したりと、試用期間のような扱いであったが、明日からはそんなのんびりとした暮らしともお別れだ、とレオは思った。


 ――この俺が、期待に応えられるんだろうか。


 軍人としての経験も浅く、士官候補生というわけでも無い自分が、僅かな人数の班とは言え、纏めきれるのだろうかと、レオは不安を飲み込むように残りのエールも一気に喉に流し込んだ。

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