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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第八章 第二十二SAS連隊A部隊 北国の冬編
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第八章 第三話

 エディンバラを真っ直ぐ北上した先、ケアンゴーム国立公園内にあるグレンシースキーセンターに到着したのは、途中で昼の休憩を取って暫くの午後二時頃の事であった。


 今年も雪が多いとの事で、ゲレンデ以外にも足首まで埋まる雪の積もった一面の雪景色が、珍しく天気のいい青空の下で、真っ白に輝きを返して、遠くに見える白銀の山々を前にして子供達は興奮を隠し切れず、降りた傍から雪を投げ合って、はしゃぎ合っていた。

 行く先々で、沢山の人々が待ち構えているのにはもう慣れたが、やはり此処でも大勢の市民達が子供達の到着を待っていて、普段はひと気が少ないというこの場所も今日は大賑わいで、色とりどりのスキーウェアを着込んだ人々が、到着した子供達を笑顔で出迎えた。


「希望者が多すぎてな。抽選制にしたんじゃよ」

 議長がカラカラと明るく笑い、レオは困惑した顔で出迎えの沢山の人達を眺め渡して苦笑した。

「エディンバラばかりでずるいという声が上がってのう。此処にはグラスゴーやその他の地域からも、大勢人が来ておる。皆子供達に逢いたくて堪らないんでな」

 もうスコットランドでも新たな命が産まれ始めているというのに、今でもこの子達を愛してくれている事に、レオは嬉しさを感じながらも、其処まで彼らを惹きつける何が子供達にあるんだろうと少し訝しんだが、当の子供達はそんな事も気にせず、スキーセンターで用意してくれていた子供達用のカラフルなスキーウェアに夢中で、キラキラとした笑顔を溢していた。


 直ぐにでも滑りたいロドニーを、もう直ぐ夕暮れになるからと、何とか説得して宥め、今日はリフトで上まで上がってみる事にした一行は、冷たい風に吹かれながら其々子供達に大人一人が付いて、スキーセンターから比較的近くの、なだらかな子供向けゲレンデに到着した。

 麓にも大勢の人が居たが、此処でも多くの大人達が子供達の到着を待ち侘びていて、大人達に抱きかかえられるようにして子供達がリフトから降りてくると一斉に歓声が上がった。


「わぁあ」

 頬を赤らめたロドニーが遥か上から滑り降りて来るスキーヤーやスノーボーダーに見とれると、上品なウールのコートを着たまま、足元にはスキーをしっかりと履いた議長は「ホッホッ」と嬉しそうに笑った。


 僅かに登っただけなのに積雪は一m近くもあり、踏み締める度にキュッキュッとスノーブーツを鳴らす新雪に、もう子供達は有頂天で雪を掛け合ったり、小山のように積み上げられている雪に体ごと埋まってみたりと、興奮を隠し切れずに遊び回っているのを見て、レオも初めてのゲレンデを、驚きを隠せずに見渡して苦笑いした。

「同じ英国内とは思えんな」

「本当に。でも、これだけ雪深いと、日々の暮らしもさぞかし大変でしょう」

 聖システィーナ育ちで、これほどの雪を見た事無かったマリアも背後を振り返って、山裾に広がる広大なハイランドの雪に覆われた黒い森を見渡して、心配そうに顔を曇らせた。

「でもさ。ここの人たちはすごいよ」

 また頭から雪だらけにしたロドニーが、雪塗れのままでマリアにしがみ付いて、キラキラと青い瞳を輝かせて嬉しそうに見上げた。


 怪訝そうに見下ろしたマリアに、ロドニーは遥か彼方の、さっき食べたケーキのような白銀の山々を遠くに見て、真っ白なゲレンデで楽しそうに遊ぶ人達を振り返った。

「こんなに雪があって、きっと俺達の村みたいにたくさん食べ物が取れたりしないんだろうけど、でもこうやって雪を自分達の楽しみにする事ができるんだ。俺達の島ではハリケーンが来ると、誰にもどうにも出来なかった。家に閉じこもって、ハリケーンが過ぎるのを待つ事しか出来なかった。でもここの人達は、こんな大雪でも、そんなのはね返しちゃって、こんなに楽しい遊びを思いつくんだよ。すごいよ、本当にすごいよ」

 少し驚いた表情をしたマリアだったが、直ぐに思い直したように微笑んで、

「ええ、そうですね。本当に豊かな場所ですね」

 と、嬉しそうに笑っているロドニーの頭を撫でた。


「ロドニー……」

 黙って聞いていた議長が、感極まって声を掛けると、ロドニーはまだ雪塗れのまま、議長に飛びつくようにして抱き付いた。

「議長さん、ありがとう。俺、ここに来られて最高だよ」


 嬉しそうに顔を寄せるロドニーを力一杯抱き締めて、何度も何度もうんうんと頷く議長は、盛んに目を瞬かせて、浮かぶ涙を堪えていたが、近くで見守って市民達はその涙を堪え切れずに、自分達の誇りを、全身で受け止めてくれる小さな子供達に感謝するように、潤んだ涙で真っ赤になった瞳で、はしゃぎ回る子供達を何時までも嬉しそうに眺めていた。





「もっと上まで行く!」

 子供用のスノーボードを小脇に抱えたロドニーが、頬を真っ赤にしてハァハァと息をつきながらも、青い瞳を輝かせて更に山の上を指して興奮を隠せずに叫ぶと、自身はスキーもせず小さな子供達の世話だけだであったが、それでもモコモコとした赤いスキーウェアを着込んだマリアが、困惑してレオを振り返った。



 昨日は、到着してから一時間ほど辺りの散策をして、麓のスキーセンターで一泊した。今日は、朝からインストラクターから指導を受けて、飲み込みの早い子供達は午前中のうちに其々滑れるようになり、緩やかな斜面でスキーやスノーボードを楽しんでいた。

 ちょっと苦手というエドナと体の弱いサイ、まだ大勢の人の姿に怖そうにしているイブと一番小さなビアンカは、スノーモービルに乗せてもらったり、市民達が作った大きな雪のドームの中でお茶を飲んだりと、マリアと一緒にのんびり過ごしていたが、ロドニーやキッド達運動神経バツグンの子供達に付き合わされているレオも、無鉄砲に滑り降りていくロドニーを追っているうちに知らずに上達していたらしく、

「貴方も筋がいい。初めてとは思えないぐらいだ」

 と、インストラクターに褒められて、照れ臭そうに頭を掻いたのだった。


「俺だって初めてだ。上までは無理だぞ」

 レオ自身、ウィンタースポーツをするのは初めての事だったが、インストラクターの指導もあって、もう既にストック無しで子供を抱えて滑れる程になっていたのは、元来の運動神経の良さの成せる技だと思えたが、それでも急峻なデコボコとした斜面を見せている上級者用のコースは、とてもじゃないが太刀打ち出来るとは思えなかった。

 ところがロドニーは、始めにマリアがインストラクターに懇願し、怪我しない転び方から教わったのが良かったのか、きっちりと減速と停止を覚えると、緩い斜面は難なく滑れるようになって、小さなコブでジャンプも見せると、大勢の観客がどよめいて拍手を贈り、それで調子に乗ったロドニーは、山の上にある中上級者用のコースで滑りたがって、ブーブーと不平を洩らした。

 それじゃあとインストラクター達が名乗りを上げて、実は英国を代表するトップボーダー達は、ロドニーと一緒に更に上のゲレンデを目指してリフトを上がって行った。




 リフト下の小さなカフェでようやく休憩を貰ったレオは、マリアの差し出したお茶を受け取って、熱いお茶をゆっくりと味わうと、今はテーブルに陣取って、熱々の豆のスープや、市民が大量に持ち込んだお菓子を嬉しそうに食べている子供達を見ながら、体に僅かに残る疲れにも、満足そうにフゥと息をついた。


「ロドニーは流石だな」

 上へ行ったきり降りて来ないロドニーに呆れながらレオが苦笑いすると、マリアもクスッと小さく笑った。

「議長様が、将来オリンピックが復活したら、スコットランド代表としてあの子を選手に出来ないだろうかとおっしゃっておられて」

「アイツなら、きっとサッカーでも同じ事言われるぞ。本当に全身バネみたいな奴だからな」


 南の島から此処英国にやってきても、物怖じせず前に進んでいくロドニーは、きっと将来も独りで突っ走っているように見えても、それが英国の子供達の牽引役になるだろうとレオは思った。


「アタシはお菓子を作る人になるの」

 大好きなショートブレッドを手にした十歳のアデラが嬉しそうに笑うと、ロドニーと同い年の兄ザックは妹の頭を撫でて、

「それじゃあ、俺はシェフになるかな。で一緒に店でもやろうか」

 と笑い掛け、仲の良い兄妹は嬉しそうに笑い合った。

「あたしは洋服を作る人になりたいわ。ここの服は、みんな地味な色ばかりなんだもん」

 おしゃれが好きな八歳のジェマは、今は綺麗なオレンジのスキーウェアに満足そうだったが、普段の服の地味な色合いに不満らしく口を尖らせ、

「僕は、とりあえず丈夫な人になりたい」

 と、ジェマの双子の兄サイは、自分の病弱な体がコンプレックスらしく、小さな声で呟いて俯いた。

「大丈夫ですよ、サイ。栄養のある物を沢山食べていれば、直ぐに体も丈夫になっていきますよ」

 優しく声を掛けたマリアに、サイはヒョロッとした小さな体で、それでも小さく笑みを浮かべて頷いた。


「エドナはどうするの?」

 ジェマがアーモンドの載ったカスタードパイを口に運びながら、最年長の十四歳のエドナを振り返ると、エドナは困り顔で眉を寄せ苦笑した。

「まだ分からないわ。もっと勉強もしたいし、それに島の事も……」


 島の崩壊後の記憶しか残っていない小さな子達とは違い、七歳位まで穏やかな島の暮らしをしてきたエドナには、暖かい南の島でののんびりとした暮らしへの郷愁も失われていないらしく、緊急避難で仕方がなかった事とは言え、見知らぬ英国に来たエドナの胸中を思ってマリアは表情を曇らせた。


「ビアンカは?」

 そんなエドナの心中にも気付かず、ジェマが隣のビアンカに話を振ると、ビアンカはフルフルと首を振った。

「わたしも、もっとべんきょうしなきゃ。それに、大きくなったら恋もしたいし、おしゃれもしたいし、おいしい物もたくさん食べたいし。それに好きな人とけっこんして、こどももたくさんほしいの。じゃあ、やっぱりおよめさんかなぁ」

 明るい未来を思い描いているらしいビアンカがそっと頬を染め、ジェマもうんうんと笑顔で頷いたが、ビアンカの告白を聞きながら、マリアはそうなのだと思った。


 卓越した能力の片鱗を垣間見せながらも、ビアンカはまだたった七歳で、これからの将来は彼女自身のものであり、その運命が例え自分の後継に向いていたのだとしても、それを強要する事は決して出来ないのだと、マリアは改めて思い知らされた。


「あれ、ビアンカは院長先生の跡継ぎになるんじゃなかったの?」

 運動神経はバツグンだが、ウィンタースポーツよりはサッカーの方が好きだとぼやいていたキッドが、そんな事何処で小耳に挟んだのか不思議そうにビアンカの顔を覗き込んで訊ね、マリアは子供達に悟られないように内心で臍を噛んだ。


 ――尼僧達に、子供達の耳には噂話を入れないよう、厳しく指導せねば。


 マリアや【守護者( パトロネス)】クリスの他、尼僧(シスター)達もビアンカが守護の光を纏っているのを気付いており、もう院内に次の院長はビアンカだと噂が流れているのは知っていたが、まさか子供達の耳に届く場所でその噂が囁かれていたとは知らずに、何気ない風を装ってマリアが否定しようと顔を上げたが、その前にエドナから鋭い声が飛んだ。

「そんなのはただの噂よ。ビアンカの将来はビアンカが決めるのよ。誰にも強制出来ないわ」

 少し冷たさを含んだエドナの声に、マリアは瞬間顔を強張らせた。


 エドナはもう気付いているんだろうと、マリアは思った。自分が何時かレオと一緒になるために院長の職を退きたいと願っている事、そして、その自分の後継にビアンカを指名したいと願っている事を、ビアンカを親代わりとして育ててきたエドナは、気付いているのだと感じて、雛鳥を守る親鳥のように、少し険を含んだ視線を投げて寄越すエドナの黒い瞳に、マリアは真っ直ぐ目を合わせる事が出来なかった。


「わたしはシスターにはならないわよ」

 温かいココアを飲みながら、ビアンカが冷静に言うのを聞いて、漠然と描いていた未来像が、音を立てて壊れていくのをレオは感じていた。

 もしこのまま本当にビアンカが後を継がずに、マリアが今の場所から解き放たれる事が無ければ、自分はずっとマリアとは一緒にはなれず、遠くから見守っていくしかないのかと、どう答えればいいのか眉を寄せて考えている様子のマリアの厳しい横顔を、チラリと横目で見た。

「シスターにはイブがなればいいのよ。なりたいって言ってたし。ねぇイブ」

「うん」

 ビアンカに話を振られて小さく頷いたイブは、人見知りが激しく大人しくて穏やかな性格で、尼僧ばかりの修道院での暮らしが気に入っているのか、「大きくなったらシスターになりたい」と言っていたのを思い出し顔を上げたマリアを、ビアンカは大きな蒼の瞳でじっと見返して、まるでマリアを諭すようにゆっくりと言った。


「わたしは、大きくなったらけっこんもしたいし、こどももほしいけど、毎日しゅうどういんに通えばいいのよね。クリスみたいに」

「あ」

 そこで初めてマリアは気付いた。


 ――ビアンカは、ビアンカは番人の後継では無くて、【守護者】の後継者だったのね。


 

 聖システィーナ地域の【守護者】が、今迄のようにこの修道院の院長で無くても成立する事を、クリスが証明した事を思い出して、マリアは驚愕で小さく唇を震わせた。


(クリス様が男性であったからこそ、院内の職務は与えられないと思っていたけれど、そうでは無いんだわ。力のある者ならば院外であっても構わない。そういう事だったんだわ)


 ならばビアンカが言う通り、彼女がクリスの後継を担えるのかもしれないと思ったマリアは、既にビアンカにはその自覚が生まれている事も含めて、テーブルからようやく頭だけが見えている小さなビアンカを改めて驚嘆の眼差しで見つめた。

「でもまだじかんはかかるわね。それまでには、かべがなくなってないと」

 淡々と話すビアンカの指摘に、マリアはもう一度自分が成すべき使命を思い起こした。


 ――私はやらねばならないのだわ。対立を生む壁を壊し、其々の価値観を相互理解出来る、新たな宗教世界の確立を。



 それは遥か遠い道程にも思えた。霧の彼方にそのゴールが霞んで、その先に居る筈のレオの姿を見つけられない事にマリアは寂しげな顔を一瞬見せたが、マリアの内心の葛藤を知らないレオは、これで自分とマリアが添い遂げる事が出来るのかと、まだ不安ながらも、見えてきた道に安堵していて、マリアは真実をどう告げるべきかと、暗い影を落とした顔を、燦々と差し込む冬山の穏やかな陽の光から逸らして、レオに悟られないように小さく息をついた。

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