第八章 北国の冬編 第一話
昨冬、『発動』による混乱の影響でスコットランド行きが直前になってから中止になった事に、足を踏み鳴らして抗議したBVIの子供達だったが、この年の十二月、スコットランドでのクリスマスに招待されて、皆興奮を隠せずに有頂天だった。
キッドは毎日尼僧に「スコットランドは雪降ってる?」と訊ねて相棒のアキに「それ昨日も聞いたよ」と突っ込まれて、ロドニーは「スキーとスノーボードってのをやるんだ!」と、瞳をキラキラとさせて借り出した本を眺めては雪原を想像してうっとりしていたし、人見知りのイブが外へ出るのを怖がっているのをエドナが一生懸命宥めている隣で、ジェマは体の弱い双子の兄のサイに着せる服を、せっせと選んで兄を達磨のように着膨れさせていた。
「みんな、おちつきがないわね」
大人びた口調で呆れ顔をしているのは、子供達の中で一番年下で甘えん坊だったビアンカで、小学校に入ってからは急速に大人びて、甘えん坊の面影は何処へやらだったが、そんなビアンカを横目に、元々冷静だったザックはフンと鼻で笑った。
「まぁな。俺はもう雪はいいけど、ご馳走は楽しみだな」
「お兄ちゃん、ショートブレッド出るかな?」
そのお菓子を気に入ったらしいザックの妹アデラが瞳をキラキラと輝かせると、ザックは「ああ」と頷いた。
「もっと色んなものが出るらしいぞ」
食いしん坊の兄妹は嬉しそうに、にっこりと笑い合った。
今回は出産を控えたローラでは無く、レオが付き添いに来る事を知ったロドニーは、途端に不機嫌そうな顔になり、伝えたマリアを下から見上げて睨んだ。
「なんでアイツなんだよ」
「ローラにはもう直ぐ赤ちゃんが産まれるので、無理なのですよ、ロドニー」
「じゃあ、クリスが来ればいいじゃんか」
剥れたロドニーに、クリスは済まなそうに苦笑を浮かべた。
「僕の家にも小さな赤ちゃんが居るし、それに今回は、クリスマスから年明けまでスコットランドに滞在するから、そんなに長い間、【守護者】と筆頭番人が二人共外へ出るのは好ましくないんだよ。ごめんね、ロドニー」
クリスを睨んでフンと鼻息も荒く、不満顔のロドニーであったが、それでも「なら行かない」と駄々を捏ねないのは、ロドニー自身がスコットランド行きを一番楽しみにしているからで、剥れて足音を立てて帰っていくロドニーの後ろ姿に、マリアとクリスは、二人で顔を見合わせてクスッと笑った。
「かすり傷のわりには治りが遅いな」
冗談めかして言ったマクダウェル中佐は、惚けた顔でそっぽを向いて、白を切っているレオをクスッと笑った。
「まぁいい。だが向こうでも鍛錬は怠るなよ。まぁ、弾丸が鎖骨と靭帯との僅かな隙間を通って、骨や靭帯に損傷が無かったのが幸いだったな」
マクダウェル中佐は口を滑らせてから「おっと」と口を噤んで、レオは堪えきれない苦笑をつい洩らしたが、直ぐに真顔に戻して、「何の事やら」という顔を装った。
嘗てSISの情報将校だったマクダウェル中佐は、レオの過去も、【核】と【鍵】の重要拠点であった『アルカディア』のメンバーの過去も全て知った上で、今回のケビックの動きをも察知して、事の顛末を推察して全て把握しているんだろうと思ったが、もしそれが明るみになれば、ワイアットは罪を逃れられず、それを誰も望んでいない事を知ってか、軍は一切を察知していない風を装ってくれているのを、レオは内心で感謝していた。
マリアに諭されて、あれ以降は軍の診療所で治療を受けていたが、口喧しい軍医も銃創だと分かって治療しながらも、「随分と頑丈なタンスにぶつけたな」とレオを苦笑いさせたのだった。
「それから、スコットランド軍特殊部隊からお前に面会の申し出が来ている。顔を出してくれ」
「了解しました」
軍人の顔に戻った中佐の指示に返答しながらも、まだ一介の兵士である自分に面会という異例の申し出にレオが少し顔を顰めると、マクダウェル中佐は察して言葉を続けた。
「ただの表敬訪問だろう。気にするな」
「はっ」
マリアとの旅行という浮ついた気持ちにならないためにも、少し緊張感があったほうがいいだろうと思い直したレオは、敬礼を返しながら、自分を戒めようと顔を引き締め直した。
あの秋の日、マリアをこの腕に抱いた事も、今ではあれは、夢か幻だったんじゃないかと思えるほどに、また修道尼としての日々に戻ったマリアと、あれ以来体の関係は無かった。
だが、白い頂の小さな蕾や、天使の羽の存在を感じた滑らかな背にも、あの夏の日に何時かは口付けたいと願ったしなやかな脚にも、確かに自分は口付けたと、濃密な時間を思い出すと顔に熱が浮かぶのを感じるレオだったが、「今暫く」と言ったマリアの言葉を信じて、時が満ちてまたあの美しい裸身をこの手に抱ける日を待つしかないとレオは思っていた。
今の自分に与えられた任務を、忠実に確実にこなす日々の中で、レオはふとその先の事も思い浮かべるようになっていた。
――もしマリアと二人で暮らせるようになったら、俺はその先の未来で何をすればいいんだ。
コンラッドが抱いていた悩みは、レオ自身の悩みでもあった。
世界はもう一度動き出そうと国連が中心になって各国との協調と相互協力を打ち出して、草の根のコミュニティ活動も終に国際会議が開かれる事が決定していた。
新暦四年に設定された初会合へ向け、初代議長に選出される事が内定したケビックが、東奔西走、疲れを見せずに走り回っているのを知っているだけに、最早紛争も戦争も無く、今はもう暴動や些細な喧嘩すら検挙する事も無くなったこの英国で、要人警護や見回りぐらいしか任務の無い今の軍で、これ以上自分に何が出来るのか、レオで無くても軍人皆其々が行く末を案じているだろうと思った。
重要な交通路である海路で、安全に大量輸送を可能とする海軍には未だすべき事も多いだろうと思ったが、自分が所属する陸軍では現在は機能していない警察の代行のような任務しか無く、このまま軍は警察組織になっていくんだろうかともレオは思った。
だが、それすらも犯罪件数が激減した今の世の中にとって、必要不可欠かと言われれば、レオにはまだ疑問が残った。
――俺に出来る事があるんだろうか。
多くの罪科を抱え、その贖罪すら済んでいない自分が、この安寧な世の中で自分の罪科を償って生きていくには、今の自分にはまだ足りないように思えた。
「どうすりゃいいんだ」
答えの見付からない問いがつい口を出たレオは、フゥとため息をつくと、明日に控えたスコットランド行きが、何かの切欠になるんだろうかと、今年も冷たい風が吹くポーツマスの街を見下ろして、じわりと痛みの走った左肩を押えた。
前回同様、村人からの盛大な見送りで聖システィーナを出発した小型マイクロバスは、予備バッテリーを積んだお陰で今回は湖水で一泊せず、産まれた孫に会いに行くアシュレイ夫妻をピックアップするだけで、直ぐに『アルカディア』を出発した。
「チェッ! シスルと遊んでやろうと思ったのに」
尊敬するサヴァイアー中将の娘シスルを気に入っているロドニーが詰まらなさそうに愚痴を溢したが、
「ダメですよ、ロドニー。シスルには、赤ちゃんが居たでしょう。お世話が大変なのですよ」
と、苦笑したマリアに諭されて、また「チェッ」と呟いて不機嫌そうに車窓に顔を向けた。
「お兄ちゃんはね、心配なのよ。たくさん赤ちゃんがうまれてきて、もう自分たちはかわいがってもらえないんじゃないかって」
イブと顔を見合わせてクスクスと笑ったビアンカを、ロドニーは「うるさい!」と珍しく怒鳴りつけ顔を真っ赤にしたが、此処からの運転をベンジャミンに代わって貰って、少しの休憩を取っているレオがカラカラと笑ってロドニーを振り返った。
「行ってみりゃ分かるさ」
「フン。俺は別に、約束通りにハイランドってとこに連れていってもらえればいいんだ」
強がってそっぽを向くロドニーに微笑みを溢したマリアの横顔を見て、レオは苦笑を浮かべた。
次第に寒々とした雪景色が広がり始めて、遠くに雪を被った頂を見せている山々を眺め直して、そう言えば自分も、雪を殆ど見た事無かったなと、己の荒んだ過去を思い出して、レオはフッとため息をついた。




