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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第五章 第二十二SAS連隊A部隊 アフロディーテ降臨編
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第五章 第四話

 翌日、マリアを迎えに行ったレオは、昨日のあの様子じゃ今日は起き上がれないかもしれないと心配していたが、その予想に反して、少しまだ節々に痛みがあるようだが、マリアがちゃんと歩いて院を出てきたのに、逆にレオは驚いた。

「……大丈夫なのか?」

「ええ。少し痛みますけれど、きっとあのマッサージの効果なのでしょうか。思っていたよりも楽です」

 穏やかに笑っているマリアに安堵したレオは、助手席にマリアを乗せると、またW校に向かって車を走らせた。


 その日の空手の訓練も過酷ではあったが、僅か一日でも体が少し慣れてきたのか、終了の合図が告げられてもマリアがへたり込む事も無く、レオも思ったよりも軽い体がよく動いて、昨日は繰り出されるベルの拳を一度も避けられなかったが、今日は最後には何度かベルの拳を避ける事が出来た事に、レオも僅かにだが安堵を感じて午前中の訓練が終わった。


「本当は、合気道の方が護身術には向いているのよ。力を使わずに相手の力を利用してかわすのは、力の弱い女性に向いているの」

 今日も涼しい顔のベルがマリアとレオにタオルを差し出しながら笑うと、「じゃあ、なんで空手を?」とレオは首を傾げた。

「残念ながら私は、合気道は有段者じゃないの」

「でも、Mr.ケビック・リンステッドが合気道も習ったと」

「教えたのは私じゃあないわ。生徒の一人よ。とても武道に優れた子でね。空手の他にも、合気道・柔道・レスリングやフェンシングも強かったわ」

「その子も『アルカディア』のメンバーなんでしょう? その子が来ればいいのでは」

「……アゼリアは、死んだのよ。此処でSASに殺されたの」

 悲しげに目を伏せたベルに、レオはハッと気付いて済まなそうに自分も目を落とした。

 事情を知っているらしいマリアも痛ましそうに眉を寄せ、渡されたタオルで顔の汗を拭っていたが、その汗を拭っているかのような仕草でそっと目頭を押えた。

「今日も十四時に体育館に来て頂戴。ジニアが待ってるわ」

 悲しみを振り解くように顔を上げたベルは、まだ申し訳ない顔をしているレオの肩をポンと叩いて、振り返らずに道場を出て行った。

 



 マリアが胴着から軍用着に着替えている間、武道場の外へ出て、空を見上げていたレオは、まだ十二時になったばかりだというのに、十四時からの予定である筈のジニアが、メインストリートを北側に向かって歩いていくのを見つけて小さく目を細めた。


 武道場は運動施設が集中して配置されている学園の南側のエリア内にあったが、そのメインストリートを北へ進むと中央に大講堂があり、それから校舎があった筈だとレオは自然に体が動いていて、ジニアの後を付けていた。

 ジニアは真っ直ぐメインストリートを北上し、大講堂も通り過ぎると、その北側にあるこんもりとした森へ向かって歩いて行った。

 両手で何かの荷物を抱えて、身じろぎもせずに真っ直ぐ前だけを見つめて歩いていくジニアを、少し後ろから、足音を消して密かに追っていたレオは、その北の森の中に、一棟だけ異様な外観を見せひっそりと建っている建物に気付くと、訝しげに眉を寄せた。


 他の建物は比較的破壊も無く、恐らくは当時と変わらないままであろうと思われたが、その建物だけは真っ黒な煤を纏って黒く焼け焦げ、破壊し尽された黒い墓標のように、今は穏やかに小鳥の声が響く森の中に、半分隠れるようにして建っていた。

 その建物周囲にはゲートが張り巡らされ、長い年月を示すように錆び付いた針金をむき出しにしたゲートの中央門付近では、まるで山のように積まれた花束が、乾いた風の中で、小さな花々を微かに揺らしていた。



 ジニアは、自分が持ってきた花束を供えると、長い間蹲ったまま祈り続けていたが、しばらくするとその姿勢のまま振り返らずに、少し離れた位置で見守っていたレオに声を掛けてきた。

「ザイア曹長、貴方にはまだ追跡任務は任せられないようね。尾行がヘタだわ」

 クスッと笑ったジニアにレオはちょっとムッとした顔をした。

「悪かったな。俺はまだ配属されて三ヶ月の新人(ペーペー)だ」

「その堂々とした態度は、新人とは思えないわね」

 そう言いながら立ち上がったジニアは、真っ直ぐに、その煤けた建物を見上げていた。



 SASに配属されて間もなく、連邦が崩壊した時に此処でSASと戦闘になったとレオは聞いていた。この建物は、その時の戦闘の名残なんだろうかと、黒ずんだ染みのこびり付いた壁をマジマジと見ていたが、何時までも振り返らないジニアの肩が、少し小刻みに揺れているのに気付いて、レオは「おい」と声を掛けた。

「此処で連邦とSASの戦闘があったのか?」

 レオの問いに、少し俯き加減だった顔を上げたジニアだったが、やはり振り返らなかった。

「……連邦の戦闘員は此処には居なかったわ。此処に居たのは世界各国から集められた【(コア)】の少女達と彼女達の主治医、そして数人の『運命共同体(コミュニティ)管理センター』のメンバーだけよ。此処でSASと戦ったのは、私達だけよ」

 微かに震える声で返したジニアの言葉に、彼らはてっきり連邦の兵士と共にSASと戦ったのだとばかり思っていたレオは、驚きを瞳に浮かべてジニアの揺れる金髪を見返した。

「アゼリアは、私を此処から逃がそうとして盾になった。SASに此処で撃ち殺されたのよ」

 もう涙声ではなかったジニアは、ゆっくりと振り返った。



 その時の戦闘の様子をかいつまんで聞かされたレオは、当時僅か十四歳だったこの少女が、夫であるサミュエルと二人で殆どの隊員を倒したと知って驚愕した。

「アゼリアは、私の盾になってくれた。サミュエルは屋上から飛び降りた時、自分の体をクッションにして私を守ってくれた。その時に彼は左足の機能を失ったの。そして連邦の研究員だったアーロンは、私達を湖水へと逃がして、自分はSASによって殺されたわ。私は、その皆の屍や苦悩の上に立って生かされているのよ」

 決して感情的にはならないジニアの、冷静な声に籠められた深い苦悩を感じて、黒い廃墟を見上げているジニアの後姿を見ながら、レオは唇を噛んだ。

「俺とお前は、ある意味同じ場所に立ってるな」

 ポツリと呟いたレオの言葉にジニアは振り返った。

「俺は十歳で母親を殺した。スラムから抜け出すためにな」

 レオの黒い髪を揺らす風が、ジニアの金髪もゆったりと靡かせながら通り過ぎ、古くなった花束の枯れ掛けた花を鳴らすカサカサという音だけが静かに響いていた。

 

「きっと、バーグマン尼僧(シスター・バーグマン)が貴方の姿が見えなくて心配しているわ。戻りましょう」

 長い沈黙の後で、目を閉じて穏やかな笑みを浮かべたジニアは、レオの返事を待たずに元来た道へ歩き始めた。

 その後を追う様に歩き出したレオも、ジニアの数歩後ろを、同じ速度でゆっくりと歩いて行った。


「仕方が無かったのよ。もうお父様は、尋常では無かったわ。その時点で仲間の親を殺しているのは判明していたし、スティーブの、フェアフィールド医師の姉を、残忍な方法で拷問に掛けていたの。後で分かった事だけれど、民間人も大量に虐殺、強姦していたわ。もう軍も統制が取れなくなっていたSASを止めるには、ああするしか無かったのよ」

「拘束して、裁判に掛ける道もあっただろうに」

 レオがジニアの独り言のような呟きに言葉を返すと、足を止めたジニアは振り返り、真顔でじっとレオを見つめた。

「そうして、誰かがお父様を銃殺するのを黙って見ていろと?」

 返ってきた予想外の言葉にレオは戸惑った。



「親父を憎んでなかったのか」

「どんなに極悪非道な人間であっても、父親は父親よ。自分の親を殺されたスティーブやカツラ、彼女はハドリー達と一緒にオージーへ向かった子なのだけど、彼らはお父様の事を激しく憎んでいたわ。殺したいと願っていた。特にスティーブは両親を殺され、姉は拉致され拷問されて、当時は死んだものと思われていたの。家族を全て殺された彼には、お父様を成敗する正当な理由があると思えたわ。でも私は、彼らを人殺しにはしたくなかったの」

 ジニアはまた前に向き直り、レオに背を向けて、ゆっくりと歩き始めた。

「もし彼ら自身の手でお父様を殺めれば、彼らは必ず生涯消えない咎を負って生きていく事になるのよ」

「それで、自分で殺したのか」

「……それに、他人の手に掛かって死ぬところを見たく無かった。貴方もそうだったんじゃないのかしら」

 淡々としたジニアの声を聞きながらレオは自分の記憶を反芻した。

 

 ドラッグから抜け出せず苦しんでいた母親との確執だけで生きてきたレオであったが、最近その泥まみれの人生の中にも、僅かに、ほんの僅かに母との穏やかな記憶がある事を思い出したばかりで、薄汚れたスラムの廃屋の中で獣のような喚き声を上げて、ドラッグの切れた禁断症状が出始めた母親が、まるでうわ言を呟くように、小さく手を動かし続けていた光景を思い出して、立ち止まったレオは空を見上げた。

『助けて。誰か助けて。私を殺して』

 死すら選択出来ない地獄の中で必死に救いを求めていた母の姿が、ぼやけるように流れて消えていくと、その姿を映した雫が、自分の頬を流れていくのを感じて、レオは嗚咽を堪えるように喉を小さく鳴らした。


「ああ。そうだ。そうするしかなかったんだ。お前は、親父さんも仲間も救った。俺がお袋をドラッグ地獄から救ったように、お前も救ったんだ。自分を止めて欲しいと願っていた、親父さんを」

 空を見上げたまま、ジニアに泣き顔を見られないよう語り掛けたレオの言葉を、ジニアも後ろを振り返らずに聞いていた。

「だから生きろ。あの時お前、死のうとしてたよな? 俺から抵抗するのを止めて、死を受け入れようとしてたよな? それは違う。お前の足元に居るというお前の仲間も連邦の奴も、そんな事は望んじゃいない。奴らの望みは『お前を生かす事』だった筈だ。だからお前は奴らの望みを叶えなきゃならない」

 流れ落ちた涙を拭ったレオは真っ直ぐにジニアを見つめていた。

「俺も屍の上に立って生かされているんだ。俺の足元の屍は、俺が無碍に殺した大勢の人達だ。俺は彼らを忘れない。生涯忘れない。俺の人生は彼らの命と引き換えに存在するのだという事を忘れない。彼らの怨み辛みを、一生肌に切り刻みながら生きていく。だから、お前も生きろ」

「どうして、そうまでして生きなきゃいけないのかしらね、私達」

 自虐的にジニアが呟くと、レオはフッと笑って目を落とした。

「俺にはマリアが居る。そしてお前には夫が居る。切れない絆の、守るべき相手だ。お前も夫の為なら這い蹲って泥水でも飲むだろ?」

「そうね。……そうね」

 自分を納得させるかのように何度も繰り返したジニアは、何かを吹っ切ったように口元に明るい笑みを浮かべ、風に靡く金髪に手を当てて、レオを見上げて微笑み返した。

 その悲哀を秘めた、それでいて神々しい美しさに、レオは確かに軍神アフロディーテの存在を感じていた。



 それからは互いに黙ったまま南の運動施設まで戻ってきた二人は、体育館前の広場のベンチに座り込んで、身じろぎもしないで両手を握り締めているマリアを見て、ジニアは黙って首をクイッとマリアに向けて、口元にまたあの妖艶な笑みを浮かべてレオを促した。

「此処は院外だし、他の人も殆ど居ないわ。さて、私はベルに挨拶がてら、一緒に食事でもしてこようかしら」

 機嫌よさそうに踵を返したジニアが、後ろ向きでヒラヒラと右手を振って、小さく鼻歌を歌いながら、校長室のある第一校舎方面に向かって歩き去っていくのを見送って、レオは苦笑を漏らしながら、俯いて不安そうに震えているマリアの元へゆっくりと歩いて行った。

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