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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第四章 第二十二SAS連隊A部隊 尼僧(シスター)の休日編
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第四章 第六話

 軍本部に先駆けて、そのタマーリンフォリオットに到着したレオとコンラッドだったが、軍用宿舎にたち込める騒然とした気配に、車を降りながら顔を顰めた。


 宿舎の周辺を取り巻くように、大勢の男達が、手に農機具の鎌や鋤を手に声高に叫びながら、囲んだ宿舎に向かって石を投げる者や、体当たりをして弾き飛ばされる者を見ながら、コンラッドは呆然と「何があったんだ」と呟いた。

「貴様ら、何がしたいんだ! 俺達を弾いて何が面白いんだ!」

 二人に気付いた男達がこちらに険しい顔を向け、手にした農機具を構えて二人に向き合った。

「そうか。マリアが結界を張ったから、こいつらは結界から弾かれたんだ」

 察したレオが呟くと、コンラッドも納得して頷いた。


 元々、此処の農場に配属された者の多くが、不満を持っているとさっきムーアハウス少尉に聞いたばかりだったレオは、この結界が彼らのその不満を暴発させたのだと悟った。

「まぁ、待て。これは緊急避難だったんだ」

 コンラッドが手を挙げて男達を冷静に制しようとしたが、怒りに我を忘れた男達には届かなかった。

「俺達はこんなところに押し込められて、やるのは農作業ばかりで、それでも真面目にやってきたんだ! それなのに俺達を『穢れた魂』だと弾きやがって。この場所にも居るなと言うなら、俺達は何処へ行けばいいんだ!」

 気色ばんだ男達は、武器を手にジリジリと二人に近寄ってきた。


 今日は私用のコンラッドは銃を持っていなかった。常にマリアの護衛を命じられているレオは、マリアと同行する時には銃の携帯を許可されていたので持ってはいたが、多勢に無勢であるのは明らかだった。

「マズいな」

「ああ」

 囁き合った二人だったが、三十名近くのいきり立った男達を前に、どうするべきか思案していると、黒塗りの一台の車が乗り付けて、険しい顔のムーアハウス少尉が降り立って男達に向き合った。


 一斉に怒号を浴びせ始めた男達に、怪訝そうに眉を顰めた少尉の耳元で、レオは彼らの不満が爆発したと告げた。

 それだけで察した少尉は、レオに無言で頷くと男達に向かって、

「お前達の話は俺が聞く。何でも言いたい事を言ってみろ」

 と冷静に語り掛けた。

「それなら、こっちへ来てもらおうか」

 青いシャツを着た一人の男が少尉に向かって声を掛けて、頷いた少尉は不安げな顔を向けたコンラッドに軽く手を挙げて、ゆっくりと男達に向かって歩いて行った。

「奴らは、銃は持ってない。いざとなれば――」

 俺達が助けようと言おうとしたレオの目の前で、青シャツの男はニヤッと笑みを浮かべると懐から短銃を取り出し、一瞬の事で身構える事の出来なかったムーアハウス少尉の胸を、至近距離から撃ち抜いた。






 少し驚いた顔をしたまま、ゆっくりと地面に崩れ落ちた少尉に、顔を歪ませたコンラッドとレオが駆け出すのが同時だった。

「少尉殿!」

「この野郎がぁ!」

 脱兎の如く駆け寄って来た二人のどちらに銃を向けるか青シャツの男が一瞬迷った時には、もう目の前の二人が其々、顔と腹に拳を浴びせて、潰れた呻き声を上げた男は、その場に崩れ落ちた。

「てめぇ、ぶっ殺してやる!」

 怒りで顔を真っ赤にしたコンラッドが、もう意識の飛んでいる男を掴み上げてまだ殴り倒そうとしているのを、レオは冷静に止めた。

「止めろ! 少尉殿の救出が先だ」


 男が投げ落とした短銃を拾い上げ、倒れている少尉に駈け寄ったレオは、次々と到着してきた軍本部の兵士達に強張った顔で叫んだ。

「少尉殿が撃たれた! 大至急、軍病院へ移送せよ!」

 突然の事態に、さっきまで怒り狂っていた此処の男達も運ばれていく少尉を呆然と見つめているだけで、手にした武器も下ろして、事態を飲み込めずに唖然としていて、振り返ったレオは、まだ怒りが収まらずに、青シャツの男を憮然と見下ろしているコンラッドの肩を叩いて、青シャツの男を引き摺り立たせて背後から喉元を締め上げると、周りの男達をゆっくりと見渡した。



「発端は、コイツがマリアを、バーグマン尼僧(シスター・バーグマン)を暴行しようと拉致したのが始まりだ」

 レオの静かな言葉に男達は呆然とした顔を見合わせた。

「この銃は見張り用のだな。見張り番は、今日はどうした?」

「あ、そういえば見ないな」

「そういや、さっき出掛けたぞ。女に会いに行くとか」

 囁き合っている男達にレオはフンと息をついた。

「大方、そいつに見張りを代わってやるとか言って銃を手に入れたんだろう。で、コイツは銃を手にした事で気が大きくなって、女を漁りに行った。其処でターゲットにされたのがマリアだったというわけだ」

 喉元を締め上げる腕に自然と力が入り、レオは必死に自分で自分を律していた。

「だがマリアは番人だ。結界を張る事が出来る。彼女は身を守る為に結界を張って、コイツを自分の周りから弾き出した。お前らは、そのとばっちりを食っただけだ」

「俺だって好きでこんなところに居るんじゃねぇ! それなのに、まだ俺の事を『穢れた魂』だと言いやがる。例え女が身を守るためだったとしても、俺達には関係ねぇ事だ!」

 一人の男が叫ぶと他の奴も同意して頷き、口々にまた喚き出した。


「マリアにはな、結界を張る以外にも、自分を守る方法がもう一つあるんだ。それを使えば、コイツは死んでいた」

 男達の叫びが一段落するとレオはまた静かに男達に語り掛けた。

「だがマリアは、それを使わなかった。使わせなかった。マリアは自分を守ると同時に、コイツの命も救ったんだ」

 ゆっくりと宿舎の一つの玄関の扉が開いて、マリアが姿を現すのを見てレオはマリアに頷き掛けた。

 少しまだ青褪めてはいたが、落ち着いた表情のマリアに安堵してレオはまた男達に向き直った。




「俺達は、誰も殺さない。今は結界に入れないお前らも殺さない。何故なら、お前らも人間だからだ。同じ、同じ人間だからだ」

 まだ戸惑いを浮かべている男達をレオは眺め渡してから、小さく笑みを浮かべた。

「俺はさっき、訓練校の食堂で旨い飯を食った。仲間達に少しでも旨い物を食ってもらおうと厨房の全員が丹精込めた、本当に旨い飯だった。そして、厨房の奴らは言っていた。『この食材の麦の一粒、野菜の一欠けら、全てが作ってくれる農夫や、そして農場の仲間達が額に汗して作ってくれた物だ。一粒たりとも無駄には出来ない』ってな」

 嘗て仲間の一人だった男は、厨房で本当に楽しそうに笑っていた。その顔を思い出しながらレオは、じっと男達を見つめ返した。

「俺達は、全力で皆の食事を作ってくれる厨房に感謝する。そして厨房の奴らは、その食材を届けてくれるお前らに感謝する。なぁ、お前達のやっている事は無駄な事か? その土の染み込んだ手は、無駄な物か? お前達は、俺達に命を届けているんじゃ無いのか?」

 男達は自分の手を見つめ返した。


 鎌や鋤を握り締めた手は真っ黒に汚れて、土を染み込ませた様に日焼けした腕を繁々と眺めて黙り込んでいた。

「お前らが結界から弾かれるのは、お前達自身が『結界を受け入れていない』からだ。俺も嘗ては結界から弾かれていた人間だった。だが今は違う。変われるんだ、俺も、お前達も」

「本当に、結界に受け入れられるのか?」

 怪訝そうな顔を上げた男に、レオは「ああ」と頷いた。

「お前達自身が、結界を受け入れればな」



 自分を何度も弾いた結界に向かって、手を伸ばした一人の男が、さっきまで見えない壁があったように感じたその場所に、すんなりと腕が入っていくのを、驚いて口を開けて見ていると、他の男達も次々と手を伸ばして、先程まで有った筈の結界の存在が消えているのを、呆然とした顔を見合わせて、信じられないというように首を振っていた。

「結界を解いたんだじゃないのか?」

 それでも疑う眉を寄せた一人をレオはフンと鼻で笑って、

「結界はまだある。これが証拠だ」

 と、喉元を締め上げていた青シャツの男を、結界に向かって放り投げ、青シャツの男は結界境界にぶつかると、まるで固い壁に押し返されるようにもんどりうって地面に崩れ落ちた。

「コイツは連行してくれ」

 レオが顎でしゃくると海軍兵が駆け寄って、青シャツの男を引き摺り立たせて軍用車に引き立てて行った。


「マリア。もういいぞ。結界を解いてくれ」

 ずっと強張った顔で聞いていたマリアにレオがゆっくりと微笑み掛けると、頷いたマリアはゆっくりと目を閉じ結界を外した。

「分かったか。無駄な命など一つも無いんだ」

 周りの男達は皆静かな顔をしていた。不満が全て消えたわけではないだろうが、それでもこれからこいつらは変わっていくだろうと、レオはゆっくりと歩み寄ってきたマリアを抱き寄せて、まだ小さく震えているマリアを守るようにそっと抱き締めた。

 












「フン。銃を使い慣れていない奴だからな。どうせまともには狙えないと思ってたんだ」

 軍病院の病室で、ムーアハウス少尉はそう言うと豪快に笑って、そして少し痛そうに顔を顰めた。



 少尉を撃ち抜いた弾は急所を外れていて、素早い手当てのお陰で少尉は一命を取り留めていた。術後の麻酔から覚めると、もう起き上がろうとした少尉を押し留めるのは大変だったと看護師が笑うと、少尉はフンと面白くなさそうに鼻で息をした。

「アイツをあそこに送り込んだのは俺の責任だからな。尋問は俺が」

「無茶言わんで下さい、少尉殿。全治三ヶ月の重傷なんですから」

 困惑して笑ったレオを見上げて、少尉はニヤリと笑った。

「あの暴動を治めたそうだな、ザイア曹長」

「自分は当たり前の事を言っただけです、少尉殿」

 少尉から顔を逸らしてそっぽを向いたレオを、ムーアハウス少尉はフフンと鼻で笑った。

「コンラッド。お前のんびりしてるとあっという間にザイア曹長に抜かれるぞ」

「ご冗談を。まだまだひよっこのコイツに、抜かれるわけにはいきません」

 憮然として返したコンラッドを、ムーアハウス少尉は楽しそうにカラカラと笑ってから、また「イタタ」と顔を顰めた。

「で、尼僧(シスター)は無事だったんだな?」

「ええ。今は落ち着いています」

「そうか。良かった」

 安堵して目を閉じた少尉に少し休むよう声を掛けて、少尉の無事を確認して、こちらも安堵したレオとコンラッドは病院を後にした。

 


「皆ご無事で良かったです。ムーアハウス少尉殿も、命は助かって本当に良かったです」

 屈託無く笑っている【守護者( パトロネス)】クリス・エバンスを目の前にして、レオは困惑して頭を掻いた。


「で、俺の番人は何時解いてくれるんだ?」

 素っ気無く言ったレオだったが、クリスは悪戯そうに笑った。

「ごめんなさい。僕、番人の解き方は知りません」

 クスッと笑ったクリスにレオは戸惑った視線を泳がせた。

「俺みたいなのを番人にしといたらマズいんじゃないのか?」

「どうしてです? 貴方しかバーグマン尼僧(シスター・バーグマン)を守れないのに」

 まだクスクスと笑っているクリスに、レオは益々眉を寄せ憮然とした顔をした。

「そりゃ、俺はマリアを守るが……」

「暴発し掛けた彼女の心に、貴方の声が届いたとバーグマン尼僧(シスター・バーグマン)は言ってました。僕の声は届かなかった。彼女の心の傷はまだ癒えてはいません。彼女には貴方が必要なんです、ザイア曹長」

 静かに語る歳若い【守護者】に、レオは困ったようにポリポリと頭を掻いてからフッと小さく笑った。



 訪問した聖システィーナ修道院を後にする時、門前まで見送りに来たマリアを振り返って、レオはじっとマリアを見つめ返した。

 もう落ち着いた表情に戻り、綺麗な茶色の瞳を潤ませて見上げているマリアを、こうして何時までも眺めていたいとレオは思ったが、そっとマリアの肩を抱き寄せようとした時に、背後から「コホン」と咳払いの声がして、コンラッドがムスッとした顔でレオを睨んでいた。

「修道院の門前ではご法度だ。逢引は人の居ない所でやるんだな」

「お兄様!」

 マリアが叫んで顔を真っ赤にして俯くと、レオは面白くなさそうにコンラッドを睨み返した。

「人が居なけりゃ、何してもいいんだな?」

「ああ。でもマリアに手出したら、俺がぶちのめすけどな」

 カラカラと笑ったコンラッドにレオは「どっちだよ」とブスッとした顔を向けて、困り顔をしているマリアを振り返って笑い掛けた。

「心配するな。俺はもうコンラッドには負けないからな」

「言ったな。じゃあ今度、再戦しようぜ。ワンラウンドでマットに沈めてやる」

 ニヤリと笑ったコンラッドにレオは「おう」と頷き返して、二人肩を並べて車に向かいながら、見送るマリアに明るい笑顔を返して大きく手を振った。


「暴走レンジの本領を見せてやるぜ、チビるなよ、レオ」

「ご冗談を、アデス中尉殿」

 カラカラと明るく笑う二人の男にマリアは安堵の色を浮かべて、穏やかに澄み切った日差しが降り注ぐ聖システィーナの空の下で、この奇跡に巡り合わせてくれた神に感謝するように胸元の十字架を握り締めて、マリアは遠ざかる車を何時までも見送っていた。

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