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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第四章 第二十二SAS連隊A部隊 尼僧(シスター)の休日編
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第四章 第四話

 訓練校の食堂に案内されたレオは、目の前のテーブルに置かれたトレーの上をマジマジと見つめてあんぐりと口を開けていた。

 トマトソースとたっぷりのチーズが載った大きなポークソテーは湯気を上げていたし、ポテトの他ブロッコリー、人参、ミニトマトの温野菜が彩りを添えて、艶々と輝くパンは香ばしい香りを誘い、小鉢にはフリッターやプリプリした白身魚フライ、香ばしい香りを立てているオニオンスープが添えられていて、トレーから溢れ出さんばかりだったからだ。


「どうだ。旨そうだろう?」

 ニコニコと笑ったムーアハウス少尉に、レオは驚いた顔を向けた。

「俺達が居た頃と量や素材は余り変わっていないと思うが、いや、全然違うぞ、これ」

「そうだろう、そうだろう。この食事のお陰で俺は此処の所ずっと忙しかったんだよ。此処に来れば旨い物がたらふく食えるってんで、若い志願者が増えたんだ。俺もつい食い過ぎちまって三kgも体重が増えちまってな。最近は訓練生と一緒にランニングしてるんだ」

 驚きの余りにタメ口になっていたレオにも動じずに、カラカラと笑ったムーアハウス少尉にレオも苦笑を浮かべた。


「厨房の意識改革をしたのは誰だと思う? ザイア曹長」

「自分が出た後に変わったと言えば……」

「そう、お前の同期だったアイツだ」

 ムーアハウス少尉が顎をしゃくって示した厨房の中には、さっきレオに気軽に挨拶を寄越した嘗てのレオの仲間の姿があった。


 嘗ては、ロンドンで料理人をしていたと言うその男は、結界から弾かれて自暴自棄になり、ベルト地帯で暴れていた元仲間だった。レオと共に【(コア)】を襲って海に弾かれ、この訓練校に放り込まれた一人だった。

「今は、飽食の時代じゃない。限られた素材を使って豊かに食べるには、創意工夫と、その料理に掛ける熱情しかない、と説いてな。手間を惜しまない姿勢を、皆に自分自身で示したんだ。それが全員に伝わったわけだ」

 ムーアハウス少尉は嬉しそうに目を細めて、厨房を見やった。


 軍人として訓練を受けたのに配属が厨房では、やる気を削がれる奴も居るだろうに、元々料理人だったとは言え、自分に出来る事に全力を傾ける姿勢は、どの場所であっても変わらないのだと示した元仲間に、いや、今はれっきとした仲間に、レオは穏やかに微笑み返して手を挙げた。


「だが、まぁ、自分の配属先に満足していない奴も当然居る」

 そのランチを頬張りながらムーアハウス少尉は厳しい顔をした。

「此処でも食糧不足は顕著だからな。軍で消費する分を前のように何処からか購入するわけにいかず、軍用の畑で自作している状況だ。このデボンポート地区でも郊外に軍用の畑を持っているが、其処に配属された者の中には不満を持っている者も居るんだ」

 嘆息をついたムーアハウス少尉の言葉にレオは納得して頷いた。


 厳しい訓練に耐え抜いた挙句、配属先でやるのは農夫では、承服し兼ねる奴も居るだろうなとレオは思った。

「所属は備品管理部扱いなんだが、実際は銃を持つ事も禁じられているし、やるのは一年中農作業だ。其処に送られるのは大体が此処での成績が芳しくなかった者、銃を持たせたら危険な奴ばかりだ。不穏分子って奴だな。そういう連中だから余計にやっかいだ」

 最後には苦虫を噛み潰した表情になったムーアハウス少尉にレオは同情した。

「お、自分もそっちに入っていてもおかしくなかったのでは」

 自嘲的に笑ったレオをムーアハウス少尉は可笑しそうに笑った。

「少なくとも俺は、人を見る目はあるつもりなんだがな」

 レオの内心を見透かして笑う少尉に、内心、流石に敵わないなと苦笑いを浮かべたレオは、仲間の作ったポークソテーを頬張って、にっこりと少尉に笑い返した。

 









 豊かな緑と土の匂いで満ちた風に吹かれながら、マリアは皆より少し遅れて、セントラルパークの駐車場に向かう小道を空を見上げながらゆっくりと歩いていて、コンラッドやローラと共に前を行く祖父の背中を見つめながら、マリアは不思議な想いを抱いていた。


 ――私は、決して拭い去る事の出来ない咎を負っている。


 しかし、とマリアは思った。祖父は、その咎に閉じ篭る事無く、前を向けと言った。

 以前、自分が咎人である事を知った時、院長の辞退を申し入れたが、副院長であるマクニール尼僧も、同じ様な事を語っていたのをマリアは思い出していた。


「私は貴女様がこの院に来られた時から、貴女様の身に何が起きていたのかを知っております。それは此処に居る年長の尼僧(シスター)達、皆が知っている事でもあります。その上で私共は、貴女様が成長されるのを見守って来ました」

 眉間に浮かんだ皺はマクニール尼僧の苦悩を表していた。


「何れ貴女様も真実をお知りになり、苦悩の日が来る事も分かっておりました。けれどそれは、貴女様がその負の力に打ち負かされる事無く、立ち向かえる力を付けた時に、起こるのであろうと思っておりました。貴女様の理解者であるザイア軍曹様がお見えになり、私はその日が来たのだと悟りました。苦しい道程ではありましたが、貴女様は見事にその呪縛を解き放ち、自身の持つ負の力に、自身で打ち勝ったのです」

 その時マリアの脳裏には、自分を支えるレオの優しい笑顔が浮かんでいた。


「もし、貴女様が咎人であり、その罪科を許しがたいと神がお考えでしたら、何故に貴女様にこの院内で一番強い力をお与えになったのでしょうか。神は最初から全てを見通されておられます。貴女様の過去の全てをご存知の上で、貴女様に力を授けて下さっておられます。その事が、貴女様が成すべき事を成す為に必要な存在であるという事を、(まさ)しく示しているのではないでしょうか」

 語り終えたマクニール尼僧は、穏やかに微笑んでいた。




 その言葉に、最初は戸惑いを感じたのは事実だった。このような自分が、この院には相応しくないのではないかという思いは、それでもマリアの心にこびり付いて、拭い去れなかった。


 ――咎は咎として、それを受け止めて生きよと神は申されているのだ。


 マリアは空に流れる白い雲を目で追いながら、ふと思った。

 この身に宿った力も、世界を守る術として使えと、そう言われていると思ってマリアは小さく唇を噛んだ。

 守護の力や結界の力のように、はっきりと防御の力と判っている力とは違い、一見攻撃的でありながらも、その内面には防御の力を秘めた力を、自分は祖母のように上手く防御の力として制する事が出来るのだろうかと、浮かんだ不安にマリアは眉を顰めたが、それでも前に進むしかないのだと思い返した。


 ――もう自分は一人では無いのだ。兄様も義姉様も、お祖父様もおられる。それに。


 マリアは優しく微笑むレオの顔を思い出して、少し顔を赤らめた。魂の底から繋がっている絆の相手を思い起こして、マリアは自分を奮い立たせるように胸元で握った拳に力を籠めた。






「おお! こんな場所に尼僧(シスター)様がおられるとは、正に神の奇跡! ご慈悲を! 尼僧様」

 想いを巡らせていたマリアは、唐突に背後から声を掛けられて、困惑して振り返った。

 三十代と思われる貧素な青いシャツの男が、足が悪いのか、少し左足を引き摺りながら、顔には期待の篭った笑みを浮かべてマリアに近寄って来るのを、マリアは戸惑って見返していた。

「お願いです、尼僧様。私の妻がもう死にそうなのです。どうか、どうか彼女の最後の懺悔を、お聞き届け下さいませ」

「それは……直ぐにでも病院へ向かわないといけないのでは?」

 マリアの足元に跪いた男に、マリアは心配そうに声を掛けたが、男は力無く首を振った。

「尼僧様。此処では我ら一般人は、人ではないのです。此処の病院は軍関係者しか診てくれないのです。此処の教会にも足を運びましたが、私が軍関係者で無いと分かると門前払いでした。貴女様しか縋る相手が居ないのです。妻はもう死に掛けております。どうか、妻に最後にご慈悲を」

 ボロボロと涙を溢している男にマリアは綺麗な眉を顰めて優しく諭した。

「それでは、連れに声を掛けてまいりますので、その上で、ご一緒しましょう」

「尼僧様! 我が家は直ぐ其処です。妻はもう、死んでしまうかもしれない! 一刻を争うのです」

 マリアは不安げに背後を振り返ったが、先を行く三人の姿は道を折れたのかもう見えなかった。

「尼僧様! どうか、どうかご慈悲を」

 足元で泣き崩れている男を、眉を寄せたまま困惑して見下ろしていたマリアだったが、優しい笑みを顔に浮かべると、

「それでは案内をして下さい。直ぐにまいりましょう」

 と穏やかな声を掛けた。

「ありがとうございます! ありがとうございます! 此方です」

 立ち上がった男は、不自由な左足を引き摺りながら、駐車場とは反対側への道を、ゆっくりと歩き出し始めた。

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