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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第四章 第二十二SAS連隊A部隊 尼僧(シスター)の休日編
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第四章 第三話

「祖父が何時も大変お世話になっております。ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。私は聖システィーナ修道院に仕える、マリア・バーグマンと申します」

 今回、兄コンラッドの義親であるメラーズ夫妻に会うのは初めてだったマリアだったが、メラーズ夫妻はにこやかにマリアを出迎え、メラーズ夫人ポーラはじっとマリアを見つめると涙ぐんで、そっと抱き寄せてマリアを抱き締めた。

 そしてポーラは、穏やかな顔でゆったりと手を動かし、マリアが小さくローラを振り返ると、

「貴女が規律正しい修道尼(シスター)であるという事は分かっているけれど、此処では堅苦しい挨拶は抜きよ。私達は家族なんだから、ってそう言ってるわ」

 先程のマリアの言葉を通訳したローラが、クスッと笑って今度はポーラの言葉をマリアに伝えると、嬉しそうにはにかんだマリアはポーラに向き直って小さく頷いた。


『ザイア曹長殿はどうしたんだ?』

 コンラッドとマリアの祖父パーシバルが、怪訝げな顔で訊ねると、

『彼は、デボンポート海軍訓練校に挨拶に行ってるわ。其処の出身なのよ。後でこっちに来る筈よ』

 と、ローラが、自分が孫娘のようにパーシバルに手話で伝えると、パーシバルは満足そうに頷いた。

『昼飯前にお前達に俺の畑を見せてやる』

 矍鑠としたパーシバルが、コンラッドについて来いというように首をしゃくり上げると、苦笑したコンラッドは「ああ」と頷いて、マリアと顔を見合わせて笑った。


 軍用住宅から、車で五分ほどの場所にあるセントラルパークは、近隣住民の自家菜園として開放されていて、その一角に軍用住宅用の菜園も広がっていた。

 青々とした葉を茂らせた緑の苗が風に揺れる中、パーシバルは、コンラッドとマリア、そしてローラと並んで歩きながら、これまでの人生を訥々と語った。



 共に聾唖であった妻ミッチェルとは聾学校で出会った事、そして生まれた息子が健常だった事に涙した事、野心家だった息子は家を継ぐのを嫌って起業し一時は羽振りも良かったが、マリアが三歳頃になると慢心から行き詰まり、やがてドラッグに嵌って多大な借金を残して失踪した事、その借金は自分が拡大した農地の殆どを売り払って清算した事などを、淡々とした表情のまま手を通して伝えてきた。


『失踪して一年程後に、息子夫婦が死んだと警察から連絡が来た。俺達は孫を引き取る事を伝えたが、聾唖の老人夫婦で、しかも僅かな土地で細々と農業をやっているような場所では、子供達の十分な養育は無理だと言われた。貧しかった俺達には反論出来なかった』

 パーシバルは其処で初めて辛そうな顔をした。

『ところが今度は孫息子が人を殺したと連絡が来た。俺には信じられなかった。今度こそ俺達が面倒を見ると言ったが、二人とも別々の施設に預けられて、そしてそれから一年後には、どちらも行方が分からなくなってしまった。ミッチェルはそれから毎日毎日泣いてばかりでな。とうとう体を壊してしまって、十年前に、お前達の事ばかり呟きながら死んだ』

 コンラッドとマリアは共に唇を噛み締めて俯いた。


 その両親の死以降、自分達の身上に何が起きていたかの詳細は、パーシバルには伝えていなかった。両親も、預けられた先の養父も、マリアが殺したのだとなどと、伝えられる筈も無かった。


 ――私はこの罪を一生背負って生きていかねばならないのだわ。


 マリアは自分の負った咎を思って、苦しそうにパーシバルの背中を見つめた。幾ら真実だからといって、必ずしも全て伝えなければならないものではないとマリアは自分に言い聞かせた。

 真実を隠し明かさないという咎も、自分が、そしてコンラッドが背負って生きていかなければならない咎なのだと、同じ様に思っているらしい兄の厳しい横顔を見上げて、マリアは祖父に悟られないように小さく息をついた。



息子夫婦(アイツら)は大馬鹿だった。警察からは人身売買の組織と関わって交渉の縺れで殺されたんだろうと言われたが、俺には分かってた。自分の娘を売ろうとするなんて、俺の育て方が間違っていたんだ。だからお前の責任じゃない、マリア。お前はまだ小さかったんだ。ミッチェルのように、自分を制御出来る年齢では無かった。仕方の無い事なんだ』

 パーシバルの言葉の意味を計り兼ねて、怪訝げに翻訳して伝えたローラが、眉を寄せてコンラッドとマリアを振り返った。


 先を歩いていく祖父の後を追えずに、立ち止まったままの二人の顔には驚愕が張り付いていて、少し開けた唇が微かに震えていた。

「何故……それを?」

 呆然と呟いたコンラッドの言葉は、耳の聞こえないパーシバルには届いていなかった。


 菜園の隅のベンチに腰を下ろしたパーシバルの話によると、祖母ミッチェルにも、マリアと同じ様な力が備わっていたと言う。


 まだ聾学校生だった頃、暴漢に襲われた二人は声を上げて助けを求める事が出来なかった。ミッチェルを助けようと、必死で戦ったパーシバルだったが、数人の男に囲まれ甚振られているのを見て、ミッチェルが涙を溢して野獣の雄叫びのような声を上げると、男達は苦しそうに喉を掻き毟って地面にのた打ち回り、その隙に二人で逃げ出したのだという。


『そんな事が何度何度もあった。何時も相手が苦しみ出して逃げるチャンスが出来ると二人で逃げ出した。彼女が一人で襲われた時も、同じ様な事があったそうだ。それも俺達が結婚して子供が産まれ、ミッチェルが年老いていくと、そういう事も無くなっていった』

「つまりばあさんは、相手の戦意を喪失させる程度にコントロールして、死なせるまではしなかったという事か?」

 コンラッドがマジマジとパーシバルの顔を覗き込んだ。

『そうだ。最初にミッチェルが力を使った時、彼女は十七歳だったからな。もう分別のつく年齢だった。俺達は何度もその不思議な力について話し合った。相手に一時的に呼吸をし辛くさせて、攻撃を止めさせる力なんだと、俺達はずっとそう思っていた。音を失った俺達に、神が授けてくれた自分を守るための力なんだと』

 パーシバルの言葉にマリアは凍り付いていた。


 自分が祖母から受け継いだこの力は、元々は、自身で制御出来るものだったのだ。誰も殺さずに済んでいた筈だったのだと知って、自分の手で殺めた六人の命を思った。

 ――もう、もう取り返しがつかない……

 呆然としている様子のマリアを見て、パーシバルは立ち上がるとそっとその肩に手を掛けた。

『お前はまだ幼かった。それなのに幼いお前を守ってくれる大人は誰も居なかった。只一人お前を守ろうとしたコンラッドと、お前は引き離されてしまった。だから仕方の無い事なんだ。それにマリア、忘れちゃいけない事がある』

 穏やかな顔でゆったりと手を動かすパーシバルの言葉を、ローラを介して伝えられたマリアが顔を上げると、パーシバルは微笑みを浮かべていた。


『お前が最初に力を使ったのは、コンラッドを守る為だった、そう言ったな? ミッチェルと同じだ。ミッチェルが、俺を助けようとしたように、お前はコンラッドを守るためにその力を使ったんだ』

「守る……ために……」

『そうだ。助けたい誰かを守るためだ。その力は、人を殺めるためのものでは無い。力の弱い人間を、自分が守りたいと願う人間を、守るためにあるんだ。それを知る事がお前には必要だ』

 コンラッドもローラも、日焼けした顔に幾筋もの深い皺を刻んだこの老人の顔を、静かな光を湛えた瞳でじっと見つめていた。


「お祖父(じい)様……」

 驚いた目を見開いたままのマリアに、パーシバルはコンラッドと良く似た悪戯そうな笑みを浮かべてクスッと笑った。

『お前には余分な咎は負わせられない。俺に気を使う必要は無い。俺は、マリア、お前が本当にミッチェルによく似ていて嬉しいんだ。そう、俺はお前が生きていてくれて、本当に嬉しいんだ』

 そう言って、孫娘をそっと抱き寄せたパーシバルに縋り付いて、マリアは肩を震わせてただ泣く事しか出来なかった。

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