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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第四章 第二十二SAS連隊A部隊 尼僧(シスター)の休日編
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第四章 第二話

 広大な範囲に及ぶこの聖システィーナ地域の結界は、ポーツマスの西、サウサンプトンの西側に広がるニューフォレスト国立公園を出ると、其処から先は結界外であった。

 気持ちのいい春の風の中、オープンで疾走してきた車だったが、公園内の路上で一度車を停め、電動の幌を稼動させて屋根を閉じたレオは、隣のマリアを振り返った。

「此処から先は結界外だからな。すっ飛ばすぞ」

「路上に人が出ている場合もあります故、どうかお気をつけて」

 マリアが結界を張る事の出来る番人であるとはいえ、予期しない出来事が起こるかも知れず、レオは「ああ」と頷いて、幌を被って窓も締め切って蒸し暑さを感じる車内にエアコンを入れて、小気味いいエンジン音を響かせ、ハンドルを切ってアクセルを踏み込んだ。


 行き交う車も無く、人影と出会う事も無く、アクセルを踏み込む度に面白いようにスピードを上げる車を堪能したレオが、ようやくスピードを緩めたのは、地名が艦艇名にもなっているエクセターの街を過ぎ、高速道路がダートモール国立公園沿いから離れ、前方にデボンポートのある大都市プリマスの街の街並みが見え始めた頃で、百五十km程の距離の走破に掛かったのは、一時間余りであった。


「マリア、着いたぞ。プリマスだ」

 周囲を警戒して途中殆ど話す事の無かったレオが、ようやく息をついて声を掛けたがマリアの返事は無く、レオが訝しげに助手席のマリアを振り返ると、顔を強張らせたまま前を向いて固まっているマリアの異変にようやく気付いて、慌てて大きな声を掛けた。

「マリア?」

 ハッと気付いたマリアは、まだ緊張した顔で小さく息をつくと、「え。ええ」と強張った固い声で呟き返してきて、レオはしまったと臍を噛んだ。

「済まない、マリア。確か、今までは余り車に乗る事が無かったんだったよな」



 それ迄日々の殆どを院内で過ごし、遠出する事の無かったマリアは車に乗る機会が殆ど無く、スピードには慣れていないマリアは、まるで車に乗せられた猫のように、ずっと固まったままだったのだ。

 気付いてやれなかった自分を責めるレオに、徐々に緩んできた顔を向けて、マリアは口元に優しく笑みを浮かべた。

「貴方様が、終始周囲に気を配っていらっしゃるのは分かっておりました。それなのに、お声を掛けては悪いと思いまして」

 さり気無く気を使うマリアの頭をポンと撫でて、レオは苦笑いを返した。

「俺には気を使うな、マリア。精神科の先生も言ってただろ。お前には誰かに甘えて、愛される事も必要なんだって」

「でも」

 困った顔で眉を寄せているマリアの横顔をチラッと横目で見て、

「お前の甘えて拗ねてる顔が、俺は好きなんだけどな」

 とレオが可笑しそうに笑うと、マリアは頬を赤らめてその甘えた拗ねた表情でレオを見上げた。

「からかっては困ります」

 そう言って頬を緩めて笑ったマリアに、レオも緩めたスピードのまま、ゆっくりとプリマスの街へ向かって行った。





 デボンポート港を一望する小高い丘の上にあるデボンポート公園の直ぐ真下から、港に向かって連なる軍用住宅は、数棟ずつが軒を連ねるテラスハウス方式で、その外れにある駐車場の、ゲスト用のスペースに静かに滑り込んできたレオの視線の先には、車高の高いモスグリーン色の四輪駆動車に寄りかかって、所在無げにしているコンラッドの姿があった。


 妹のマリアが無事に到着するまで、落ち着かなかったのであろうこの男にレオは笑みを漏らし、その隣のブースにいとも簡単に車を滑り込ませて、車を降り立って「よお」と手を挙げた。

「随分と早かったな。お前まさか、遠慮も無くかっ飛ばしてきたんじゃないだろうな」

 ニヤリと笑って悪態をついてきたコンラッドにレオは首を竦めて悪戯そうに笑った。

「最高三百は出るこの車で、たった百五十しか出してないんだぜ? 尤も、『暴走レンジ』のお前らに言われたくないけどな」


 アデス家所有の車、『クラシックレンジローバー2090』は、車好きで有名なサヴァイアー大佐から貰ったものであったが、東の聖システィーナに向かう時も、西のデボンポートに向かう時にも、『暴走レンジを見掛けたら端に避けろ』と、ポーツマスの住民達に言わしめるほどの存在であった。

 つまり、夫のコンラッドも妻のローラも、遠慮も無くかっ飛ばすタイプだったのである。


「まぁ、俺なら二百五十は出して一時間未満で来ただろうけどな」

 そう言って得意そうにポリポリと頭を掻いたコンラッドだったが、降り立ったマリアが眉を顰めるのを見て、悪戯を見付かった子供のような照れ臭い表情に変わった。


 兄と妹の間に流れる穏やかな空気に安堵していたレオであったが、そのマリアの肩をポンと叩いて笑みを浮かべた。

「爺さんが待ってるぞ、マリア。早く行ってやれ」

「ザイア曹長様は?」

「ああ。俺は行くところがある。家族水入らずで過ごして来い」

 穏やかな笑みをマリアに向けているレオに、コンラッドがムッとした顔をして、

「お前だってもう家族みたいなもんだろが。じいさん、お前を俺の兄貴だと思ってるぞ」

 と詰ると、レオはフッと笑ってコンラッドを振り返った。

「デボンポートに来たからには、あそこには顔を出さないとマズいだろ」

 それで解ったコンラッドは、了承した手を挙げ笑って頷いた。







 コンラッドにマリアを託して、レオは一人丘の上の道をゆっくりと港に向かって下って行った。

 この道は、コンラッドとローラが丘の上の教会で結婚式をした時に来た道だなと思い返したレオは、それからまだ、五ヶ月も経っていない事を思い出して、まるで、何年も時を経たように感じるこの数ヶ月を思って、一歩一歩踏み締めて歩いた。


 デボンポート港の一角に、武骨な外観で建っているその建物は、レオが旅立った時と変わらず少し黒ずんだ煤けた壁を迫り立たせ、正面玄関前で、直立不動で警備をしている兵士の姿もあの時と全く変わらなかった。

 その兵士の前にゆっくりと立ったレオは、白い開襟シャツに軍用ズボンという軽装ではあったが、きっちりと敬礼を返し、

「自分は陸軍第二十二SAS連隊A部隊曹長アレックス・ザイア、本日は、ムーアハウス少尉殿に面会をさせて頂きたく参上仕った。お目通り願いたい」

 と告げて、そしてニヤリと「久しぶりだな」と笑った。

 ビシッと敬礼を返した警備兵は、

「アレックス・ザイア曹長殿、ムーアハウス少尉殿に対する面会の申し出承りました。暫時こちらでお待ちを」

 と言うと、小さく口元に笑みを浮かべ「お元気そうで何よりです」と微笑み返した。

 


 何時もの教官室でレオを迎えたアイザック・ムーアハウス少尉は、変わらないずんぐりとした体躯を筋肉で張り詰めて、少し後退気味の金髪に満面の笑顔で嬉しそうに手を広げていた。

「よく来たな。ザイア曹長」

「はっ。少尉殿もお元気そうで何よりであります」

「まぁ、そう固くなるな。今日は休暇なんだろ? ざっくばらんにいこうや」

 そう言うとムーアハウス少尉はカラカラと笑った。




 ソファに腰掛けたレオの前に腰を下ろしたムーアハウス少尉は、目を細め繁々とレオの顔を見入ってから済まなそうに頭を下げた。

「俺もポーツマスに行かないと、とは思ってたんだが、中々此処を離れられなくてな。お前にずっと礼を言いたかった。コンラッドとマリアを救ってくれてありがとう」

「少尉殿、頭を上げて下さい。困ります」

 慌てたレオの顔を覗き込むようにムーアハウス少尉は顔を上げて、豪快にカラカラと笑った。


「しかし、あの聖システィーナのバーグマン尼僧(シスター・バーグマン)が、コンラッドの妹君だったとは、正直驚いたよ」

 感慨深げなムーアハウス少尉の言葉に、レオは俯き加減で笑みを浮かべた。

「湖水の番人の一人が言ってました。『物事には解決に適した時期が必ず来る』と。多分、マリアのあの力を唯一押さえ込める自分があの場所に行った時が、その時期だったんだと思います」

 ムーアハウス少尉は少し目を細めてから、小さく頷いた。


「その上、ベルト地帯での活躍も聞いたぞ。こっちもまさか、あの鼠野郎だったとは驚いたが、此処を出てから僅か二ヶ月で昇進したのはお前が初めてだ。あのコンラッドですら六ヶ月掛かったのに。大したもんだな」

 ムーアハウス少尉はカラカラと笑って、レオは照れ臭そうに頭を掻いた。

 そして、笑いながらそのまま立ち上がったムーアハウス少尉は、レオの肩を叩いて、

「昼飯にはちと早いが、お前に見せたいものがあるんだ」

 と、怪訝そうに見上げたレオに意味ありげな笑みを浮かべた。

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