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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第四章 第二十二SAS連隊A部隊 尼僧(シスター)の休日編
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第四章 尼僧(シスター)の休日編 第一話

 その日、聖システィーナ修道院の院長のマリア・バーグマンは、珍しく朝からソワソワとして落ち着かなかった。

バーグマン院長(シスター・バーグマン)様。ご心配されずとも私共がフォロー致します故、ご不安召されませんよう」

 数分置きに立ち上がって、不安げな顔で院の入口の方を振り返るバーグマン尼僧に、副院長のマクニール尼僧(シスター・マクニール)が、刻まれた深い皺に笑みを浮かべて微笑んだ。

「え? ええ。かような私事でお休みを頂く事になり、誠に申し訳ありません。マクニール尼僧(シスター・マクニール)様」

 何時も冷静で聡明なバーグマン尼僧らしくなく、ちょっとズレた答えを返しながら頭を下げたバーグマン尼僧に、老尼僧はゆったりと微笑んだ。


 マリアと兄コンラッド・アデスの父方の祖父パーシバル・アデス老人が、イギリス中部のウィガンから、南部のデボンポートに避難してきてから二週間が経っていた。

 その間、コンラッドと妻ローラは海軍軍人という立場を利用して、自分達が住むポーツマスと同様に海軍基地があり、ローラの両親が住んでいるデボンポートを何かと理由を見つけては訪れていたが、修道院の院長であるマリアにはそもそも休日が無く、ポーツマスで面会してからは一度も会いに行っていなかった。

 パーシバルは、マリアにも逢いたいと仕切りに繰り返していて、何とかマリアをデボンポートまで連れていきたいと、コンラッドが院に直訴して、それでも躊躇うマリアをマクニール尼僧が説得し、今日マリアは、そのデボンポートを訪問する予定になっていた。


「クリス様からご説明あった通り、『発動』にはまだ二~三ヶ月は掛かる見込みとの事ですので、今日、明日という事は無いでしょう。ご心配には及びませんよ」

 あくまでも穏やかなマクニール尼僧の笑みに、バーグマン尼僧は恥ずかしそうに顔を赤らめた。


 バーグマン尼僧がソワソワと落ち着かないのは、院を離れる事への不安もあるにはあったが、その心の中の多くを占めていたのは、別の理由であった。

 ゆったりと朝食後のお茶を嗜んでいた二人の元に、若い修道尼が入口をノックして頭を下げ、

バーグマン院長(シスター・バーグマン)様。お迎えがお見えになりました」

 そう告げると、バーグマン尼僧は、

「は、はい!」

 と一層顔を赤らめて、慌てて立ち上がった。

 





「ええ! これベントレーのコンチGTCじゃないか! 凄ぇな」

 青い空に羊雲が流れていく気持ちの良い朝の空気の中で、静謐な修道院の門前に停められた大きな黒い車を前にして、此処の執務室にやってきた聖システィーナ地区の【守護者( パトロネス)】クリス・エバンスは、ピカピカに磨かれたコンバーチブルタイプの車を羨ましそうに頬を赤らめて覗き込んだ。

「おいおい、涎を垂らすなよ」

 レオはその高級車の傍らで、まだ繁々と覗き込んでいるクリスに苦笑を返した。


 【守護者】として、時には強大な力を発揮する事もあるクリスであったが、こうしていると何処にでもいる普通の若者と変わらない、飾らない姿にレオは内心でも苦笑を溢して、まだ羨ましそうに車を眺め渡しているクリスに微笑んだ。


「でも、ザイア曹長。確か、車は持っていなかった筈ですよね? もうベントレーは解散して車は売ってない筈だけど。ってゆうか、これ軽く二百五十万ポンドはする筈なんだけど」

 クリスは目をまん丸にしたままで不思議そうな顔を上げてレオを振り返って、レオは「ああ」と苦笑いした。

「これは、コンラッドの爺さん所有の車なんだ。デボンポートにも持ってきたんだが、聾唖の自分が無理に運転しなくても、此処では不自由はしないって、俺にくれようとしてな。こんなもん貰えないから、何とか説得して貸してもらう事にしたんだ」

 照れ臭そうに苦笑したレオの言葉に納得して、クリスは穏やかに微笑んだ。



 聾唖であったために情報を知らされず、安全地帯に避難する事が出来なかったパーシバルを暴漢から守り、安全地帯に移住させたのがこのレオだった。

 その上、長い間消息の判らなかった孫、コンラッドとマリアとも再会をさせてくれたこの恩人に、パーシバルは多大な恩義を感じていて、その感謝の表れがきっとこの車なんだなと、磨き上げられた車を、クリスは目を細めて改めて眺めた。

 それは、苦難を背負ったバーグマン尼僧に、一層穏やかな日々が戻りつつある事の証でもあり、クリスは笑みを浮かべて、困惑して頭を掻いているレオを見つめ直した。



「お待たせして申し訳ありません。ザイア曹長様」

 院の通用門から何時もの修道服姿のバーグマン尼僧が姿を見せてレオに丁寧に頭を下げると、「ああ」とレオも穏やかに微笑んだ。


「折角の休日ですから、お祖父(じい)様とゆっくり過ごしてきて下さいね」

 クリスもバーグマン尼僧に笑顔を向けると、恐縮した顔になったバーグマン尼僧は、クリスにも深々と頭を下げた。

「本当に、私的な事で院を離れるなど、申し訳ありません」

 まだ戸惑っているバーグマン尼僧に、クリスは苦笑いして小さくため息をついたが、穏やかな光の灯った黒い瞳をバーグマン尼僧へ向けて言った。

「それでは、バーグマン尼僧(シスター・バーグマン)。この先の世界の絆を確固たるものとする為に、貴女に絆の再確認をするよう命じます。貴女を守りたいと願って止まなかったお祖父(じい)様の想いを、ご自分で確認をしてきて下さい。僕からの命令ですからね。心して遂行されますように」


 クリスはニコニコと笑ったままで、バーグマン尼僧は驚いた目でこの歳若い【守護者】を見ていたが、任務に忠実であるが故に躊躇しているマリアを慮っているクリスの想いを察して、レオは小さくクスッと笑った。

「【守護者】からの命令じゃ仕方ないな。マリア、行くぞ」

「……では、行ってまいります、クリス様」

 躊躇いをようやく飲み込んで、穏やかな笑みを浮かべて微笑んだバーグマン尼僧に、クリスはゆっくりと頷いた。

 






「マリア、私服は持ってないのか」

 車上の人となった二人は、涼しい風に吹かれながら車を走らせていたが、助手席のマリアをチラッと横目で見たレオが不思議そうに声を掛けると、マリアはゆったりと目を細めて微笑んだ。

「私は修道尼ですので私物は殆ど持っておりません。普通の洋服を着ていたのは、子供の頃だけでした」

「そうか」

 納得して呟いたレオだったが、改めて修道尼というマリアの立場を思った。



 清廉に生きる修道尼であるマリアには結婚はおろか、恋愛すらも許されていなかったが、こうして心を通じ合っている二人を周りの人達が静かに見守ってくれているのは、彼女が持つ負の力を押さえ込めるのはレオだけだったからだった。


 人を殺める事の出来るその邪悪な力を、まだ己の内に秘めているマリアが再び暴走をしないように、今は警護の任を解かれたレオであったが、まだ継続してマリアを見守るよう指示はされていた。

 しかしとレオは思った。俺達は今の状態のまま続くんだろうかと、不安定な今の状況に少なからず不安を持っていた。

 彼女が自身の力を完全に自分で制する事が出来るようになったら、自分の存在は不要となり、見守っている人達も修道尼であるマリアから自分を遠ざけるようになるんではないかと、レオは内心で不安に思っていた。


「あの……この姿ではいけなかったでしょうか」

 マリアが困惑した声で呟くのを聞いて、想いを巡らせていたレオはマリアへ顔を向けた。


 六歳で聖システィーナ修道院に預けられてからは、学校に入ると制服で過ごし、院内の学校で義務教育を終えるとそのまま修道尼としての修行に入ったマリアには、私的に出掛ける私服という物など存在しなかった。院内にある学校の女生徒達が、長期の休みで帰省する時に、思い思いの私服を着ているのを見ても羨ましいと思った事も無かった。

 しかし今日、レオと出掛けるという事になって初めて、何時もの修道服に、レオががっかりはしないかと心配になっている自分に、マリアは自分自身で驚いた。


 ――着飾るなどとは、一度も考えた事は無かったのに。


 ベールの下に隠されてしまう髪の乱れが気になって、起きてから何度も漉いている自分を、マリアは驚きと共に受け止めていた。



 レオはずっと外の世界で生きてきた人間で、女性を何人も知っていると言っていた。

「と言っても、強姦か、合意があっても性欲だけの関係で、愛など無かったけどな」

 そう言って苦笑したレオの顔を見返しながら、自分は、それらの女性よりもレオに幸せを本当に与えているのだろうかと、マリアは湧いた疑念に痛む胸にそっと手を当てた。


 修道尼である自分には、この身をレオに与える事は出来なかった。この身は神の物だ、そう思ってはいても、もしそれが長く続いたら、レオは自分以外の女性を求めてしまうのではないだろうかと、湧き上がる不安にマリアは小さく唇を噛んだ。



「服なんぞ何でもいい。お前が笑っていてくれれば、俺はそれだけでいいんだ」

 不安げに俯いているマリアの様子を一瞥して、レオはまた前方に顔を戻して何気なく言った。

 本当にそう思っているレオは、自分の真面目な顔をマリアに見せたくなくて、わざと素っ気無く言ったが、隣のマリアが顔を上げてこちらを見ている気配に、少し顔に緊張を浮かべた。


 この不安定な状態にマリアも気付いているのだ、とレオは思った。だが、その不安は、マリアにとっては決して芳しいものではないという事も分かっていた。マリアの精神がまた不安定になった時に、あの力が再度マリアを壊してしまわないとは限らないからだ。


「私は、貴方様が安寧に過ごして下されば、それで良いのです」

 マリアが微笑みながら小さく呟いた。

「じゃあ、心配するな。俺はお前が隣に居る、それだけで幸せだ」

 レオの穏やかな笑みが浮かんだ表情を見て、マリアは頬を染めて「はい」と嬉しそうに頷いた。

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