番外編 兄妹の面会 2
昼の礼拝に、英領ヴァージン諸島から保護された十人の子供達と一緒に参列した四人は、その後の賑やかな昼食を一緒に取り、食後のお茶に校舎にある【守護者】の執務室に招かれた。
「やあ、いらっしゃい」
大きな机の前の椅子に腰掛けて、顔を上げたクリスが変わらない穏やかな顔で微笑んだが、その机の前に立って、クリスを覗き込むように話し掛けていた銀髪の若い男が振り返った。
「ほぉ。虎と豹とお調子者が同時にお出ましか」
ニヤニヤと笑っているこの男に見覚えは無く、小さく眉を寄せたコンラッドとレオだったが、ローラだけは気さくに挨拶を返した。
「ちょっと、ケビック。お調子者はやめてって言ったでしょ」
眉を顰めながらもクスクスと笑ったローラの耳元で、コンラッドが囁いた。
「誰だ?」
ところがその男は、ローラが答えるよりも前にコンラッドを振り返ってニヤリと笑った。
「俺は『アルカディア』の【守護者】の番人の一人で、当該地域のコミュニティリーダーで、此処の【守護者】クリス・エバンスと、【鍵】であり【守護者】であるハドリー・フェアフィールド並びに【核】であるニナ・フェアフィールドの友人で、英国コミュニティ連絡会議議員でもあり、国際コミュニティ連絡会議準備委員会委員のケビック・リンステッドだ、宜しく」
すっくと立って、厳つい二人の男にも臆する事無く、スラスラと口上を述べたこの男に、コンラッドもレオも困惑して敬礼を返した。
「自分は英国海軍――」
「ああ。自己紹介はいい。英国海軍フリゲート『ブリストル』一等航海士コンラッド・アデス中尉殿。此処の院長マリア・バーグマンの兄で、ローラの夫にしてかつては『餓えた虎』と呼ばれた武闘派。そっちの黒髪は陸軍第二十二SAS連隊A部隊アレックス・ザイア軍曹殿、以前ハルトンで、俺達の仲間が随分と世話になったな」
淡緑色の瞳を光らせ、自分達の情報を知り尽くしているケビックに、コンラッドもレオも呆れた顔を見合わせた。
「レオ。彼を覚えておきなさいよ。きっと将来、貴方は彼を警護する事になるわ。将来、英国の首相になる男よ。きっとね」
悪戯そうに目を輝かせたローラの言葉に、目の前の男を困惑した顔でレオは眺めた。
クリスと同じ年らしいが童顔のクリスよりは少し年長に見えて、それでもまだ二十代らしい若い顔付きで、ただ淡緑色の瞳だけは、英知の光を宿して光らせているこの男を繁々と見て、本当にそうなるかもしれんと、レオは小さくフッと笑った。
「まぁ、そんな事はどうでもいい。で、茶にしようぜ」
ニヤリと笑ったケビックに、クリスがうんうんと穏やかに頷いた。
「で、アデス中尉殿、何故母方の旧姓を忘れていたんだ? 祖父母の名前など、そう簡単に忘れるものでも無かろうに」
バーグマン尼僧が用意した温かい紅茶を味わいながら、ケビックがコンラッドを横目で見ると、コンラッドは「ああ」と苦笑いして頷いた。
「前任の院長が、俺に暗示を掛けていたらしい。一度此処に懺悔に来た事があるんだ。その時に俺と悟ってマリアに気づかないように細工をしたんだろう。その時にマリアに会ってりゃ、直ぐに気付いたのにな」
フッと笑ったコンラッドであったが、バーグマン尼僧は困惑して眉を寄せた。
「それに、前回【核】と【鍵】の護衛を要請されて此処に来た時も、コンラッドは修道院に挨拶に来るのをやんわりと拒否されてたわ。今思えば、尼僧に会わせない為だったのね」
ローラもため息をついたが、ケビックは納得して小さく笑った。
「そりゃそうだ。暴走した院長は、最終破壊兵器みたいな物らしいからな。俺でもお前と会わせないように画策するだろうな」
「ケビック」
友の暴言を諌めるように眉を顰めたクリスだったが、ケビックはチラリと視線を友に投げ掛けた。
「でもちゃんと時期はこうしてやってくる。全てを丸く収める事の出来る時期がな。焦っちゃいけないって事さ。どんな事象にも解決に適した時期があるって事だ」
そう言って紅茶を美味そうに飲むケビックに、コンラッドは困惑した瞳を向けていたが、聡明に見えて、その服の下の胸板の厚さにも気付いていた。
「随分と鍛えているようだな」
小さく苦笑したコンラッドに、ケビックは唐突な言葉に少し眉を上げたが「おうよ」と笑った。
「俺達は最初に【運命共同体】を意識した時から【核】を守る為に鍛えてたからな。SASの基礎訓練もやったぞ。確かステージ2のブロック3ぐらいまでだったっけか?」
隣のクリスに確かめる顔を向けたケビックに、クリスは「うん」と頷いた。
「其処までで学園崩壊が起きて、湖水に移住したんだよね」
「驚いたな。お前ら全員直ぐにでもSASに入れるんじゃねぇか?」
笑ったコンラッドが隣のレオの背をバンバンと叩くと、手にした紅茶が溢れて、顔に掛かったレオが慌てて零れるカップをテーブルに置いた。
「おい、こいつらお前の先輩だぜ。まだ其処まで行ってないだろ? 先輩に教えを乞えよな」
「ご冗談を。アデス中尉殿」
ムッとして態と軍用語で返したレオを、コンラッドは楽しそうにカラカラと笑った。
マリアも少し困った顔をしながらも、ニコニコと笑っているのがコンラッドには嬉しかった。
時折、マリアが想いの篭った視線を、レオに投げ掛けているのは気に入らなかったが、だが、レオがそれに対して語り掛けるような穏やかな視線を返しているのを見て、コンラッドは内心で苦笑して、仕方ねぇなと、もう認めるしかなかった。
――この男に、一生返せない借りが出来たな。
こんな明るい場はまだ苦手らしく、居心地が悪そうに座っているレオを見ながら、コンラッドは内心で小さく笑った。
その夜のコンラッドは何時もよりも優しかった。ローラを殴った事と、レイプ紛いの暴行を働いた事を詫びたコンラッドを、ローラは明るく笑い飛ばした。
「だからきっと私が貴方の絆の相手に選ばれたのよ。打たれ強いし、レイプだって慣れっこだったもの」
最後は少し寂しそうになったローラを、コンラッドは思わず抱き締めた。
ローラも暗い過去を引き摺って生きてきた。今はもう更生して、こうして明るく生きているが、ドラッグによる凄惨な過去は忘れてはいない筈だった。
その傷を抉るような真似をした自分が許せなかったが、ローラは気にする事もなく、コンラッドに許しを与えた。その妻の強さが、変わらず自分を愛してくれるローラが、愛おしくて堪らなかった。
その夜のベッドで、暴行を詫びるように丁寧に労りと愛を込めて愛撫するコンラッドに、ローラは押し流される激流の中で、必死にしがみ付くように夫を抱き締めた。
コンラッドが積年の苦しみから解放された事を、心からローラは喜んだ。
――もう直ぐ『発動』が起こる。その新しい世界に、新しい心で生きろという事なんだわ。
ローラは近づいて来るその世界の息吹を感じて、目の前でローラを優しく見下ろしているコンラッドの頬に、そっと手を伸ばして、唇を寄せた。
「ローラ、愛してる」
コンラッドの囁きは優しくローラの耳を擽り、今日の喜びを共に分かち合う妻の存在に感謝しながら、柔らかい妻の唇に酔い痴れてコンラッドは唇を重ね続けた。




