番外編 兄妹の面会 1
「おい、早くしろよ。何時まで時間掛けてるんだ」
鏡台に座ったままかれこれ一時間近く動こうとしない妻ローラに、コンラッドは呆れて声を掛けた。
「もうちょっと……」
「お前、マリアにはもう何度も会ってるし、一緒にスコットランドまで行ったじゃないか。今更めかし込んだって、知れてるだろうが」
ブツブツと文句を溢すコンラッドを、諦めの息をついてブラシを置いたローラは、不満そうに振り返った。
「だって、姉よ? 姉として会うのよ? そりゃあ、私はマリアには敵わないけど、ちゃんとコンラッドを幸せにしてるんだって証明しないと、また彼女が不安になったら困るじゃない」
ローラは口を尖らせて不平を漏らしたが、コンラッドはニヤリと笑うと、近づいてローラの腕を取って立たせ、その細い腰を自分に引き寄せた。
「そんなに綺麗になって、アイツの前で俺に始めさせるつもりか?」
「なっ、何馬鹿な事言ってんのよ」
顔を赤くしたローラに構わず、コンラッドは綺麗に紅の塗られた唇を貪った。
「待って、折角塗ったのに……」
折角の口紅が剥げてしまうと、手を上げて拒もうとするローラを押え込んで、コンラッドは唇を離そうとはしなかった。
「塗らなくてもお前の唇は色っぽい。食べちゃいたいぐらいに」
「……馬鹿」
激しく唇を重ねてくるコンラッドの頬に手を当てて、ローラも夫を受け入れた。
聖システィーナ修道院からコンラッドに連絡が来たのは、やはりレオことアレックス・ザイア軍曹が、妹のマリアを救い出してから一週間後の事だった。
二人揃って休暇を取ったコンラッドとローラは、聖システィーナ修道院の院長であるマリア・バーグマンに面会するために、今日は聖システィーナ地域に出掛ける予定だった。
今にも押し倒しそうな勢いのキスの最中に突然玄関のチャイムが鳴り、コンラッドが憮然とした顔で玄関に向かうと、私服姿で照れ臭そうな顔でレオが立っていて、手を上げて気軽に挨拶をした。
「それが挨拶か? アレックス・ザイア軍曹」
不機嫌なコンラッドがムスッとしたまま声を掛けると、こちらもムッとした顔になったレオだったが、不満げに敬礼を返して、
「陸軍第二十二SAS連隊A部隊、軍曹アレックス・ザイア、参上仕りました」
と棒読みで、コンラッドを薄目で睨みながらも一応正式な挨拶をすると、コンラッドも不満そうに敬礼を返して、
「うむ。ご苦労、ザイア軍曹」
と、こちらも感情の篭らない淡々とした挨拶を返した。
「ちょっと、アンタ達、休暇に何やってんのよ」
呆れたローラが手を広げてフッと笑うと、コンラッドはムスッとした顔のまま振り返って、「これは規則だからな」と、フンと鼻で息をした。
「私には平素の言葉遣いでいいわよ。えっと、アレックスでいいのかしら」
レオの事を何て呼んだらいいのか戸惑っている様子のローラに、レオは困って頭を掻いた。
「その名前で呼ばれた事は余り無いんだ。ずっと『レオ』だった。見た目が黒豹みたいだったんで、LeoPardの『レオ』だ」
「あら。虎と豹なのね、アナタ達。似た者同士ね」
クスクスと笑ったローラに、レオもコンラッドも互いに不満げに眉を寄せた。
「大体、お前が付いて来る事は無かろうに」
聖システィーナに向けて車を走らせながら、まだブツブツ文句を言っているコンラッドに、助手席のローラは嗜めるように眉を顰め「ちょっと」と言ったが、後部座席のレオは面白くなそうにフンと息をしてから言った。
「サヴァイアー大佐殿からのご命令だからな。それに俺にはSASからも、既にマリアの警護の任務が下ってるしな」
そう言って笑ったレオは、窓の外の穏やかな風景に眼を移して、あの日の事を思い出した。
海軍での報告の後、数日振りにSASに戻ったレオを歓迎して、マクダウェル中佐は、してやったりとほくそえんだ顔だった。
「でかしたな、ザイア軍曹」
ポンポンとレオの背中を叩いて笑っているマクダウェル中佐に、レオは少し困惑して「はっ」と短く返答した。
「そもそもこちらでも、あの修道院の院長が、アデス中尉殿の妹君じゃないかと睨んでいたんだ。ただ確証が無くてな。アデス中尉殿も気付いていないようだったし。だがこれで海軍に貸しが出来た。お前のお陰だ」
「はぁ」
満面の笑みのマクダウェル中佐に戸惑った返答を返したレオに、中佐はニヤリと笑った。
「俺は元々SISでな。情報将校だったんだ。多少腕も立つんで、今回このSASの再生に駆り出されたんだ」
そんな秘密条項も気軽に話しながら、中佐はカラカラと笑った。
「とにかく、今回のお前の成果は賞賛に値する。そして、引き続きアレックス・ザイア軍曹、貴君に要人警護の任務を命じる。要警護者は、聖システィーナ修道院院長、Ms.マリア・バーグマンだ。彼女の身辺に異変が起こらないよう、重々警護せよ」
最後は真顔になった中佐に、レオは反射的に「了解しました」と返していた。
車が聖システィーナ修道院の前に到着すると、コンラッドは緊張した面持ちで車から降り立った。
あの日、音を立てて閉じられた大門は今日は開かれていて、その門の前に、静かに風に吹かれながらバーグマン尼僧が、変わらない修道服姿で佇んでいた。
「マリア……」
呆然と呟いたコンラッドが歩を進めようとしたが、突然、門の脇から黒い影が飛び出して来て、助手席から降り立ったローラにしがみ付いた。
「ローラ!」
「ちょっと! ロドニー! アンタ授業中でしょ?」
当惑したローラが、自分にしがみ付いて、エヘヘと照れ臭そうに笑っているロドニーを見下ろすと、驚いたバーグマン尼僧も慌ててロドニーに駈け寄った。
「ロドニー、先生が心配しているわ。教室に戻らないと」
「院長先生、なんでローラが来るって内緒にしてたんだ?」
逆にロドニーが、食って掛かってバーグマン尼僧を見上げると、バーグマン尼僧は困り顔で微笑んでロドニーを諭した。
「そうしないと、貴方は授業を放り出して来てしまうでしょう? ロドニー」
「フン」
面白くなさそうにソッポを向いたロドニーに、困惑した顔をしたバーグマン尼僧だったが、背後から教育担当の尼僧が、バタバタとロドニーに駈け寄って叱った。
「こら! 教室に戻りなさい!」
まだジタバタと暴れているロドニーを尼僧はひょいと小脇に抱え、ロドニーがぎゃあぎゃあと喚きながらも院内に連れていかれると、四人は小さく笑った顔を見合わせた。
「……マリア。元気そうだな」
「兄様」
ようやく対面を果たしたコンラッドとバーグマン尼僧が、互いを思い出すように見つめ合っているのを、既にもらい泣きを浮かべているローラと、穏やかに微笑みながらも、彼女に異変が起きないか慎重に見守っているレオの姿があった。
二十年近い歳月を経て、ようやく巡り合った兄妹は、互いに辛酸を舐めてきた人生を慰めるように、何時までも抱き合っていた。




